2013/09/01
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(1)
10年前の日常茶飯事日記コピーの続きです。
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2003/09/01 月 曇り
日常茶飯事典>介護体験
午後、娘と買い物。電子レンジがこわれたので、新しいのを購入。圧力鍋もこわれたけれど、うちのと同じくらいの大きい容量のものはどの店にも売っていない。
バーミヤンで3時ごろラーメンを食べた。
食べながら娘の話を聞いて、おもしろかった。介護体験の話。
娘が配置されたのは、リハビリ訓練のために入院する老人保健施設。医療病院に入院したあと、病気は治ったものの、寝たきりになってしまったり、歩行や会話が不自由になった人がリハビリを受けて社会復帰するための施設だ。娘はリハビリの補助や食事介護を手伝った。
娘の介護体験日記
最初の日は緊張しているし、老人たちの名前もわからず、仕事も何をやったらいいのかわからなくて、あと、4日間どうやって過ごしたらいいのか落ち込み、もうやめてしまおうかと思った。2日目には、指導のヘルパーさんが「私も四月から仕事を始めたばかりで、まだ失敗続き。あなたも緊張しなくていいよ」と声をかけてくれた。年齢も近いので仲良くなれた。
お年寄りのひとりと仲良しになったら、その人が他の老人たちの名前や特徴を教えてくれたので、名前を呼んで声かけながら接することができた。「あの人はパニックになりやすい人だから、こんなふうに声をかけたらいいよ」とか、いろいろ教えてもらい、お別れのときは、記念だからいっしょに写真をとって、言われた。
最後に失敗しちゃった。避難訓練があったんだけど、「お年寄りに『火事ですから下へ降ります』って、お知らせをして下へつれて行って」、と言われたので、訓練とわかっていると思って、言われたとおりに、「火事ですから下へおりましょう」と声をかけた。そしたらパニックになるおばあちゃんが、火事と聞いてパニックになっちゃって。最初に「今から訓練です。訓練です」って、繰り返してようくわからせてから、お知らせしなくちゃいけなかった。あやまったら、指導のヘルパーさんが、訓練ということを私がちゃんと言っておくべきだったって、かばってくれた。いい人たちの階でよかった。
違う階に配置された人たち、いじわるなヘルパーさんに、「じゃまな学生たち」っていうふうに扱われて、とてもつらかったって
ヘルパーさんやリハビリ訓練士にしてみれば、自分の仕事をこなすだけでたいへんなのに、学生の指導までするのは、よけいな仕事になる。どこでも実習生訓練生の受け入れはたいへんなことだって聞く。
「でもね、学生の体験や実習を受け入れている場所に勤務したのなら、体験指導実習指導も仕事内容のうちなのだと受け止めて、ちゃんと指導することまでが、お給料のうちだって、思うよ。いじわるされた階に配属された人、もう二度と介護なんかやるものかって、思ったんじゃないかな。
「私、介護体験が始まるまでの2週間、どこにも出ないで家にひきこもっていたでしょう。介護が終わるまで疲れたり体調をくずしたりできないと思って、どこにも出かける気になれなかった。終わってほっとした。もう夏休みおわっちゃうけど、やっとお出かけモードになった。代々木のジェラシックパークイベントとか、行ってみたい」と娘。
2週間のひきこもり。どうしてこの子は、遊びにも行かずせっかくの夏休みに引きこもっているのかと、心配したが、そんなに介護体験の心配をしていたなんて。そういう心配性で責任感持ちすぎるくらいのところが、いい目にでるときもあるし、中学のときの不登校のときのようにたいへんになることもある。
中学校生徒会長の仕事をきちんとやりたいという思いの余り、生徒指導の教師と対立することになってしまった。この教師から不当ないじめを受けて精神的に追いつめられ、学校へ行けなくなったのだ。
今回はいい経験ができたというので、本当によかった。
本日のうらみ:生徒会長だった娘をいじめた生徒指導の教師よ。あなたと対立して不登校に追い込まれた子は、介護体験へ行くまでに成長しました
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2003/09/02 火 曇り
日常茶飯事典>お下がり服とうさぎのアップリケパンツ
娘は、前にスカートを作ったハイビスカス柄の布で、タンクトップを作る。私は一日HPビルダー。
娘はミシンを踏みながら、昔話。
娘の話「Tシャツからパンツまで蜜柑たちのお下がりしか着せてもらえなかった、子ども時代。キャンディキャンディとか、ピンクレディなど、一昔前のキャラクターがついている古びたTシャツを着ていると、男の子たちに「ビンボー、ビンボー」とからかわれて、本当にイヤだった。あるとき、「弟は、いいなあ。男の子は弟一人だけだから、前あきのあるパンツ新しく買ってもらえて」って言うと、柿実ママがうさぎのアップリケのついたパンツを買ってくれた。花のアップリケとか、りんごのとか。うれしくって、スカートはかないで、パンツだけで、学校に行きたいくらいだった。高校の家庭科被服で洋裁を習って、自分で服を縫えるようになって、本当によかった。」などなど。
私は服にいっさい興味がない。夏は裸でなければよく、冬は寒くなければいい。姉から妹から、姑からのお下がりを着ている。姉のお下がりは「ちょっと高級な服なのでおしゃれしていくお出かけ用」姑や伯母のお下がりは仕事用。「服装がいつも地味すぎる」と学生に評されているが、そりゃ、80代70代の人からのお下がりだから、ばあさん風なのはしかたがない。
こういう母親に育てられて、服に興味がある娘はかわいそうだった。女の子は服を買ったりするとき、母親と「こっちのリボンの服とこっちのフリルのと、どっちがかわいいか」なんてことを話すのが楽しみなのだろう。
私は本屋にしか興味がなかった。ことばは山のように買い込んだ。たぶん、語彙力は一般の主婦よりはあるだろう。だが、こどもにかわいい服を着せて楽しみにするという「フツーの喜び」には思い至らなかった。
最後のタンクトップに肩ひもをつけるところで、ミシンがダウン。最後のところは手縫いになった。それでもかわいい服ができあがって、娘は満足。あしたからの集中講義に着ていくのだと。集中講義の授業は朝10時から夕方5時までぶっ続け。
本日のつらみ:ミシンもガタがきているけれど、圧力鍋も買わなきゃだし
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2003/09/03 水 晴れ夕方雷雨
ニッポニア教師日誌>エンカウンター授業
午前中Aダンス。
午後、講師連絡会議と、閉講式。閉講式の最中にごろごろと雷の音が聞こえてきた。ケンやイルと記念写真をとって、急いでバス停へ向かったが、ぼつぼつと大粒の雨。駅前ではどしゃぶり。
東京に着いたら降っていないので大丈夫かと思って、南口の自転車置き場へ。自転車にのったらぼつぼつ。途中からどしゃぶり。びしょぬれ。
娘も同じで、駅を出たときはぼつぼつ。自転車の鍵を開けているうちにどしゃぶり。びしょぬれ。でも、雷雨のため電車がとまったというから、止まる前でよかった。
娘が受講している集中講義。大学に入ってから最高の授業、という。
実をいうと、マスコミで売れっ子になり、テレビ出まくり講演しまくりという有名教授だと、本業の授業は手抜き一方。集中講義3日間なんて、テレビ出演時の裏話でお茶をにごして終わり、なんていうパターンが多いことを聞いていたから、手抜き授業だったらかわいそうと思って心配していた。しかし、集中講義申し込みのとき朝早くから並んだ価値があったという。
一日90分授業午前2コマ午後2コマ勘定、3日間12コマ。2単位の授業。しかし、90分で区切ったりしないで、ぶっ続け。お昼休みもぎりぎり食べる時間だけで授業再開。
講義の内容をきくと、一日目の午前中は、私が日本語教育研究の授業で最初の日にやっているエンカウンターと同じことをしている。クラスメート同士の名前を覚えること、自己表現すること。相手の話を聞いてコメントをつけること。
日本語教師養成講座として設定されている科目だが、私自身は国語科教師と日本語教師を経験しただけで、教員養成の方法を学んでいない。手探りで自分なりによい教師を育てるために工夫してきた。その方法がまったくまちがっているものでもないとわかって、安心した。
ただ、娘の先生の講義のほうが、はるかに手慣れていてかつこなれていて、学生の気持ちを引きつける方法とか、集中させる方法がうまいのだとわかる。娘がいうには「各県で教員採用が決まった人たちに、ぜったい三日間ずつ、この講義を受けさせた方がいいと思う。この講義を受けたのと受けないのじゃ、教壇にたったとき、全然違う」
本日のそねみ:わたしも来年、集中講義を科目履修生として受けてみたくなった
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<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(1)
10年前の日常茶飯事日記コピーの続きです。
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2003/09/01 月 曇り
日常茶飯事典>介護体験
午後、娘と買い物。電子レンジがこわれたので、新しいのを購入。圧力鍋もこわれたけれど、うちのと同じくらいの大きい容量のものはどの店にも売っていない。
バーミヤンで3時ごろラーメンを食べた。
食べながら娘の話を聞いて、おもしろかった。介護体験の話。
娘が配置されたのは、リハビリ訓練のために入院する老人保健施設。医療病院に入院したあと、病気は治ったものの、寝たきりになってしまったり、歩行や会話が不自由になった人がリハビリを受けて社会復帰するための施設だ。娘はリハビリの補助や食事介護を手伝った。
娘の介護体験日記
最初の日は緊張しているし、老人たちの名前もわからず、仕事も何をやったらいいのかわからなくて、あと、4日間どうやって過ごしたらいいのか落ち込み、もうやめてしまおうかと思った。2日目には、指導のヘルパーさんが「私も四月から仕事を始めたばかりで、まだ失敗続き。あなたも緊張しなくていいよ」と声をかけてくれた。年齢も近いので仲良くなれた。
お年寄りのひとりと仲良しになったら、その人が他の老人たちの名前や特徴を教えてくれたので、名前を呼んで声かけながら接することができた。「あの人はパニックになりやすい人だから、こんなふうに声をかけたらいいよ」とか、いろいろ教えてもらい、お別れのときは、記念だからいっしょに写真をとって、言われた。
最後に失敗しちゃった。避難訓練があったんだけど、「お年寄りに『火事ですから下へ降ります』って、お知らせをして下へつれて行って」、と言われたので、訓練とわかっていると思って、言われたとおりに、「火事ですから下へおりましょう」と声をかけた。そしたらパニックになるおばあちゃんが、火事と聞いてパニックになっちゃって。最初に「今から訓練です。訓練です」って、繰り返してようくわからせてから、お知らせしなくちゃいけなかった。あやまったら、指導のヘルパーさんが、訓練ということを私がちゃんと言っておくべきだったって、かばってくれた。いい人たちの階でよかった。
違う階に配置された人たち、いじわるなヘルパーさんに、「じゃまな学生たち」っていうふうに扱われて、とてもつらかったって
ヘルパーさんやリハビリ訓練士にしてみれば、自分の仕事をこなすだけでたいへんなのに、学生の指導までするのは、よけいな仕事になる。どこでも実習生訓練生の受け入れはたいへんなことだって聞く。
「でもね、学生の体験や実習を受け入れている場所に勤務したのなら、体験指導実習指導も仕事内容のうちなのだと受け止めて、ちゃんと指導することまでが、お給料のうちだって、思うよ。いじわるされた階に配属された人、もう二度と介護なんかやるものかって、思ったんじゃないかな。
「私、介護体験が始まるまでの2週間、どこにも出ないで家にひきこもっていたでしょう。介護が終わるまで疲れたり体調をくずしたりできないと思って、どこにも出かける気になれなかった。終わってほっとした。もう夏休みおわっちゃうけど、やっとお出かけモードになった。代々木のジェラシックパークイベントとか、行ってみたい」と娘。
2週間のひきこもり。どうしてこの子は、遊びにも行かずせっかくの夏休みに引きこもっているのかと、心配したが、そんなに介護体験の心配をしていたなんて。そういう心配性で責任感持ちすぎるくらいのところが、いい目にでるときもあるし、中学のときの不登校のときのようにたいへんになることもある。
中学校生徒会長の仕事をきちんとやりたいという思いの余り、生徒指導の教師と対立することになってしまった。この教師から不当ないじめを受けて精神的に追いつめられ、学校へ行けなくなったのだ。
今回はいい経験ができたというので、本当によかった。
本日のうらみ:生徒会長だった娘をいじめた生徒指導の教師よ。あなたと対立して不登校に追い込まれた子は、介護体験へ行くまでに成長しました
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2003/09/02 火 曇り
日常茶飯事典>お下がり服とうさぎのアップリケパンツ
娘は、前にスカートを作ったハイビスカス柄の布で、タンクトップを作る。私は一日HPビルダー。
娘はミシンを踏みながら、昔話。
娘の話「Tシャツからパンツまで蜜柑たちのお下がりしか着せてもらえなかった、子ども時代。キャンディキャンディとか、ピンクレディなど、一昔前のキャラクターがついている古びたTシャツを着ていると、男の子たちに「ビンボー、ビンボー」とからかわれて、本当にイヤだった。あるとき、「弟は、いいなあ。男の子は弟一人だけだから、前あきのあるパンツ新しく買ってもらえて」って言うと、柿実ママがうさぎのアップリケのついたパンツを買ってくれた。花のアップリケとか、りんごのとか。うれしくって、スカートはかないで、パンツだけで、学校に行きたいくらいだった。高校の家庭科被服で洋裁を習って、自分で服を縫えるようになって、本当によかった。」などなど。
私は服にいっさい興味がない。夏は裸でなければよく、冬は寒くなければいい。姉から妹から、姑からのお下がりを着ている。姉のお下がりは「ちょっと高級な服なのでおしゃれしていくお出かけ用」姑や伯母のお下がりは仕事用。「服装がいつも地味すぎる」と学生に評されているが、そりゃ、80代70代の人からのお下がりだから、ばあさん風なのはしかたがない。
こういう母親に育てられて、服に興味がある娘はかわいそうだった。女の子は服を買ったりするとき、母親と「こっちのリボンの服とこっちのフリルのと、どっちがかわいいか」なんてことを話すのが楽しみなのだろう。
私は本屋にしか興味がなかった。ことばは山のように買い込んだ。たぶん、語彙力は一般の主婦よりはあるだろう。だが、こどもにかわいい服を着せて楽しみにするという「フツーの喜び」には思い至らなかった。
最後のタンクトップに肩ひもをつけるところで、ミシンがダウン。最後のところは手縫いになった。それでもかわいい服ができあがって、娘は満足。あしたからの集中講義に着ていくのだと。集中講義の授業は朝10時から夕方5時までぶっ続け。
本日のつらみ:ミシンもガタがきているけれど、圧力鍋も買わなきゃだし
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2003/09/03 水 晴れ夕方雷雨
ニッポニア教師日誌>エンカウンター授業
午前中Aダンス。
午後、講師連絡会議と、閉講式。閉講式の最中にごろごろと雷の音が聞こえてきた。ケンやイルと記念写真をとって、急いでバス停へ向かったが、ぼつぼつと大粒の雨。駅前ではどしゃぶり。
東京に着いたら降っていないので大丈夫かと思って、南口の自転車置き場へ。自転車にのったらぼつぼつ。途中からどしゃぶり。びしょぬれ。
娘も同じで、駅を出たときはぼつぼつ。自転車の鍵を開けているうちにどしゃぶり。びしょぬれ。でも、雷雨のため電車がとまったというから、止まる前でよかった。
娘が受講している集中講義。大学に入ってから最高の授業、という。
実をいうと、マスコミで売れっ子になり、テレビ出まくり講演しまくりという有名教授だと、本業の授業は手抜き一方。集中講義3日間なんて、テレビ出演時の裏話でお茶をにごして終わり、なんていうパターンが多いことを聞いていたから、手抜き授業だったらかわいそうと思って心配していた。しかし、集中講義申し込みのとき朝早くから並んだ価値があったという。
一日90分授業午前2コマ午後2コマ勘定、3日間12コマ。2単位の授業。しかし、90分で区切ったりしないで、ぶっ続け。お昼休みもぎりぎり食べる時間だけで授業再開。
講義の内容をきくと、一日目の午前中は、私が日本語教育研究の授業で最初の日にやっているエンカウンターと同じことをしている。クラスメート同士の名前を覚えること、自己表現すること。相手の話を聞いてコメントをつけること。
日本語教師養成講座として設定されている科目だが、私自身は国語科教師と日本語教師を経験しただけで、教員養成の方法を学んでいない。手探りで自分なりによい教師を育てるために工夫してきた。その方法がまったくまちがっているものでもないとわかって、安心した。
ただ、娘の先生の講義のほうが、はるかに手慣れていてかつこなれていて、学生の気持ちを引きつける方法とか、集中させる方法がうまいのだとわかる。娘がいうには「各県で教員採用が決まった人たちに、ぜったい三日間ずつ、この講義を受けさせた方がいいと思う。この講義を受けたのと受けないのじゃ、教壇にたったとき、全然違う」
本日のそねみ:わたしも来年、集中講義を科目履修生として受けてみたくなった
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<つづく>