2013/09/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(6)酒田-日本海旅行4
9月9日朝、新潟から酒田へ向かいました。
朝の電車は乗り鉄撮り鉄がいっぱいです。撮り鉄さんたち、私がやりたい「かぶりつき」をやっています。「乗り鉄かぶりつき」とは、電車の一番前に立って、運転士さんの見る風景を見ることです。
撮り鉄さんがいなくなったとき、すかさず、かぶりつきました。

羽越線の中、ちょっとうれしい出会い。羽越線のなかにいた若い車掌さん、顔に見覚えがありました。8月31に羽越線に乗ったとき「あの建物の最寄駅は?」という質問に答えてくれた人。ネームプレートは村井さん。「先週の土曜日に、ポスター見て質問した私に、最寄駅は鶴岡と教えてくれた車掌さんですよね」と確認すると、そういう回答をしたことを覚えていてくれました。
酒田終点で下車するとき、この親切な車掌さんと記念撮影。運転手さんもいっしょに写真に入ってくれました。若いコンビ、JRの星です。
酒田市に着いて駅で無料の自転車を借りました。お天気も晴れ時々曇りで、暑いことは暑いけれど、自転車をとばす風が気持ち良い。
まず、郵便局へよって、この地方ならではの切手を売っていないかチェック。東京で買いそびれた何種類かの切手を2500円分買ったら、キッチンペーパーの箱をくれました。
それから海鮮センターへ行きました。ランチは 11時からというので、どうしようかと思いましたが、センターの魚市場をぶらついて、わかめせんべいとかおみやげに買って、魚屋で鮪のサクを切ってもらいました。居酒屋なら3人前になるくらいの分量でした。
海鮮センター魚市場
海鮮センターの食堂「とびしま」で、とびしま定食を注文。天ぷらや刺身がつくとびしま定食は人気とみえて、12時前に完売でした。
私は、オプションで「うまづら刺身」をつけて 1470円。魚屋で買った鮪を加えて2550円。うまづら刺身と鮪で豪華ランチになりました。豪華といっても、日頃ワンコインランチで済ませている身にとっては、ということですけれど。

酒田市は、庄内藩酒井家がお殿様ですが、庶民の戯れ歌に「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われたほど、大商人本間家が財力においても権勢においても殿様を圧倒するほどだったと言われています。
本間家本邸は、苗字帯刀を許され武家に取り立てられた格式を示して半分は武家造り。藩の重役などを迎えるための部屋。半分は商家造りで、家族が生活する部屋。
ここでも、案内のボランティアガイドさんが説明してくれました。
自転車で行きつ戻りつしながら、山居倉庫、六角灯台、山王クラブ、相馬楼などを見物。
酒田市の本間家本館や美術館は月曜日でも開館していることを確かめて自転車で回ることができたのですが、光丘文庫は、月曜閉館で、外観だけ撮影。
山居倉庫
六角灯台

山王クラブ
本間家三代目の本間光丘が書物庫寺院建設を念願したのに幕府に許可されなかったのを、八代目の本間光弥が1925(大正14)年に建設し、先祖伝来の蔵書2万冊を収めました。現在でも現役の図書館として市民に利用されています。
鉄筋コンクリートの社殿造りで、破風の玄関意匠は、内務省神社局建築課長 角南隆(すみなみたかし)によります。本間家から酒田市に寄贈され、さまざまな文化財を所有する光丘文庫ですが、月曜休館、残念。

帰り、日本海の夕日を見るのを楽しみにしていたのですが、8月31日には夕日が落ちる前に村上についてしまい、今度は海辺に出る前に陽が落ちてしまいました。うまい具合にはいかないものです。
電車相席になった男子高校生に「あれは鳥海山ですか」とたずねたのをきっかけに、高校生が下車する駅まで2駅間、おしゃべりできました。日頃大学生大学院生と接していますが、それは教師と学生という関係の中でのこと。フツーのおばはんとして高校生と話すのは、楽しかったです。高校生にとっては、東京からきたというへんなおばさんに話しかけられて、本音ではうざかったのかもしれませんが、工業高校で学んでいるという3年生、とても気持ちのよい、素敵な青年でした。おばさんと話してくれてありがとうね。
夕暮れの車窓から鳥海山を見る

JRの車掌さんと運転士さん、工業高校の男子生徒、うん、日本の未来も捨てたもんじゃないかも、という気持ちになりました。
美しい落陽を見るのと、笹川流れ夕日会館での食事はまたのお楽しみということで、新潟からムーライトえちごにのって、9月10日朝に東京につきました。
青春18切符2枚(4200円)利用の移動距離合計1200km。楽しい旅になりました。擬洋風建築紹介はのちほどゆっくり。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記9月(6)酒田-日本海旅行4
9月9日朝、新潟から酒田へ向かいました。
朝の電車は乗り鉄撮り鉄がいっぱいです。撮り鉄さんたち、私がやりたい「かぶりつき」をやっています。「乗り鉄かぶりつき」とは、電車の一番前に立って、運転士さんの見る風景を見ることです。
撮り鉄さんがいなくなったとき、すかさず、かぶりつきました。

羽越線の中、ちょっとうれしい出会い。羽越線のなかにいた若い車掌さん、顔に見覚えがありました。8月31に羽越線に乗ったとき「あの建物の最寄駅は?」という質問に答えてくれた人。ネームプレートは村井さん。「先週の土曜日に、ポスター見て質問した私に、最寄駅は鶴岡と教えてくれた車掌さんですよね」と確認すると、そういう回答をしたことを覚えていてくれました。
酒田終点で下車するとき、この親切な車掌さんと記念撮影。運転手さんもいっしょに写真に入ってくれました。若いコンビ、JRの星です。
酒田市に着いて駅で無料の自転車を借りました。お天気も晴れ時々曇りで、暑いことは暑いけれど、自転車をとばす風が気持ち良い。
まず、郵便局へよって、この地方ならではの切手を売っていないかチェック。東京で買いそびれた何種類かの切手を2500円分買ったら、キッチンペーパーの箱をくれました。
それから海鮮センターへ行きました。ランチは 11時からというので、どうしようかと思いましたが、センターの魚市場をぶらついて、わかめせんべいとかおみやげに買って、魚屋で鮪のサクを切ってもらいました。居酒屋なら3人前になるくらいの分量でした。
海鮮センター魚市場

海鮮センターの食堂「とびしま」で、とびしま定食を注文。天ぷらや刺身がつくとびしま定食は人気とみえて、12時前に完売でした。
私は、オプションで「うまづら刺身」をつけて 1470円。魚屋で買った鮪を加えて2550円。うまづら刺身と鮪で豪華ランチになりました。豪華といっても、日頃ワンコインランチで済ませている身にとっては、ということですけれど。

酒田市は、庄内藩酒井家がお殿様ですが、庶民の戯れ歌に「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌われたほど、大商人本間家が財力においても権勢においても殿様を圧倒するほどだったと言われています。
本間家本邸は、苗字帯刀を許され武家に取り立てられた格式を示して半分は武家造り。藩の重役などを迎えるための部屋。半分は商家造りで、家族が生活する部屋。
ここでも、案内のボランティアガイドさんが説明してくれました。
自転車で行きつ戻りつしながら、山居倉庫、六角灯台、山王クラブ、相馬楼などを見物。
酒田市の本間家本館や美術館は月曜日でも開館していることを確かめて自転車で回ることができたのですが、光丘文庫は、月曜閉館で、外観だけ撮影。
山居倉庫

六角灯台

山王クラブ

本間家三代目の本間光丘が書物庫寺院建設を念願したのに幕府に許可されなかったのを、八代目の本間光弥が1925(大正14)年に建設し、先祖伝来の蔵書2万冊を収めました。現在でも現役の図書館として市民に利用されています。
鉄筋コンクリートの社殿造りで、破風の玄関意匠は、内務省神社局建築課長 角南隆(すみなみたかし)によります。本間家から酒田市に寄贈され、さまざまな文化財を所有する光丘文庫ですが、月曜休館、残念。

帰り、日本海の夕日を見るのを楽しみにしていたのですが、8月31日には夕日が落ちる前に村上についてしまい、今度は海辺に出る前に陽が落ちてしまいました。うまい具合にはいかないものです。
電車相席になった男子高校生に「あれは鳥海山ですか」とたずねたのをきっかけに、高校生が下車する駅まで2駅間、おしゃべりできました。日頃大学生大学院生と接していますが、それは教師と学生という関係の中でのこと。フツーのおばはんとして高校生と話すのは、楽しかったです。高校生にとっては、東京からきたというへんなおばさんに話しかけられて、本音ではうざかったのかもしれませんが、工業高校で学んでいるという3年生、とても気持ちのよい、素敵な青年でした。おばさんと話してくれてありがとうね。
夕暮れの車窓から鳥海山を見る

JRの車掌さんと運転士さん、工業高校の男子生徒、うん、日本の未来も捨てたもんじゃないかも、という気持ちになりました。
美しい落陽を見るのと、笹川流れ夕日会館での食事はまたのお楽しみということで、新潟からムーライトえちごにのって、9月10日朝に東京につきました。
青春18切符2枚(4200円)利用の移動距離合計1200km。楽しい旅になりました。擬洋風建築紹介はのちほどゆっくり。
<おわり>