2013/09/05
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(4)
2003年の日常茶飯日記コピーつづき
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2003/09/11 木 晴れ
日常茶飯事典>アスカ命日のすれ違い
娘は、「今日はアスカの命日だから」と、にんじんケーキを焼く。ウサギのアスカはヨーグルトやケーキやプリンが大好きだった。ほしがるままにいっしょに食べさせていたら、歯が悪くなり、そこから顔に膿がたまるレッキス種うさぎによく発症する病気になってしまった。だから、タイムには干し草中心の食生活をさせ、ケーキなどは食べさせない。人参ケーキもダメ。人参だけタイムに与える。
娘といっしょに、ケーキをお墓に持っていく。アスカを埋めた桜の木の根本にケーキをうめ、「また来年桜の花になって帰ってきてね」と声をかける。
夕方、娘があいちゃんとカラオケに行くと言うので、いっしょに出て、図書館へ。
いつもケイタイを携帯していかないので、失敗するが、今日も大失敗。
娘があいちゃんとカラオケに行って、夕ご飯も食べてくると勘違いしてしまった。7時まで図書館にいて、もう作るのが間に合わないと思ったので、息子をアスカのお墓参りに誘って、「1周期の法事」として、デニーズで夕食を食べてしまった。ふたりともケイタイは家の中に忘れてきた。
ヒメはカラオケを早めに終えて家に帰ってみたら、鍵を持って出なかったのに、ドアが開かない。電話してもワカもハハもケータイに出ない。ちょうど救急車のサイレンが聞こえたので、もしかしてふたりのどちらかが事故にでも遭ったんじゃないかと、心臓が止まりそうな思いで、近所中を探し回った。
私と息子が食事を終えて帰ってみたら、娘が「鍵持っていないのに、どこ行ってたの」と怒っている。「どんな思いをしながら探したと思っているの」と、ものすごい怒りよう。「ケータイ持って出ないなら、契約しているのは無駄だから、解約したら!」と、プンプンだ。
私は娘が鍵を持っていると思い、夕食を食べてくると思いこんだ勘違い。娘は私がケイタイを持っていると思い、救急車の音で事故にでもあったのじゃないかと思った心配性。
これだけケイタイやインターネットメールが普及しても、すれ違いで会えないこともある。
本日のつらみ:『君の名は』の時代じゃないのに、すれ違い
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2003/09/12 金 晴れ
日常茶飯事典>高齢者サークル
午後、文化センターでセンター祭の最終打ち合わせ。去年と同じことを、同じような利用者で行うのだが、また、毎年同じ愚痴やぼやきが繰り返される。1時半から3時までの連絡会の中で、サークルメンバーに連絡すべき事項は「当日は、本番15分前から楽屋にあてられる研修室が利用できる」という1点の連絡のみ。
それでも「この打ち合わせに各サークルから必ず1人出す」というのがセンター利用者会議の決まりなので、出ないわけにはいかない。「出席しないサークルは参加辞退とみなす」というのだから。
毎年毎年「参加者が高齢化しているのでうんぬん」という話題が出る。私たちAダンスィングだって、最初の参加1983年から20年連続参加しているのだから、会員たちは皆30代から50代になっている。
50代にはなったが、古いメンバーたちは、体型を維持し、ダンス技術は年々向上している。どんどん体重が増える一方、ダンス技術は年々衰えている私から見ると、すごい人たちだなあと思う。
私はピルエットターンも、シェネも、どんどんへたになっている。去年の春、アティテュードターンの練習を続けて、大腿四頭筋広側筋を痛めて以来、「無理はしない」と決めた。無理しないで、楽な動きだけしていると、どんどん下手になっていくのだ。
Aダンスサークルのメンバーたち、100歳になってもジャズダンスもロックもフラメンコも、かっこよく踊っているんじゃないかしら。
本日のひがみ:せめて体重だけでもなんとかせんと
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2003/09/13 土 晴れ 988
日常茶飯事典>ひきこもり親と子役カウンセラー
やっと、メール設定がやり直せて、ブラウザからメールが出せるようになった。しかるに、娘の批評通りに、おばさんの愚痴日記など誰も読みはしないのだった。それでも、みょうがさんが「ちえのわ日記」をサイトトップページにリンクをはって紹介してくださったら、少しはカウンターがまわるようになった。
ドクター西村は「エイズ予防講演会」で学校を回り、高校生中学生から反響の手紙を受けることが自分自身の励みになると書いている。私たちは、お互いに通信し合っていくことで生きていけるのだと思う。
私がこれまで50余年続けてきた、とじこもりひきこもり生活。我が子だけを相手にして、本音を誰にも言わない生活を続けてきた。
娘は、この間の親子げんかでも言っていた。「自分の不満や愚痴を全部子どもにぶちまける親を持って、子どもがどれだけ負担になっていたか、わからないでしょ」と、怒りをぶつける。「親のために子どもがカウンセラーになって、必死で親を支えてきてやったんだよ。どれだけたいへんだったか、わかる?自分ができちゃった婚の結果生まれたと知って、本当にこの世に存在して良かったのか、親の人生を不幸にしたんじゃないかって悩んだり、子どもの世話のために母が仕事を十分にやれないことがないようにと、遠慮したり。本当にたいへんな子供生活だった。お母さん、私が愚痴の聞き役になってあげなかったら、今頃ぺしゃんこでつぶれてたよ。ちゃんと感謝してる?」はい、しています。
私は、何度も一歩世間に足を踏み出そうとしては、また自分の殻にとじこもる生活を続けた。自分の親と姉妹、子どもたち、それ以外には日記だけが自分をぶつける相手だった。
生まれて初めて、自分の気持ちを世間に晒すのだ。たぶん、メールがきたとしても、ちょっとでも批判や悪意のメールが混じっていると、たちまち落ち込み、また閉じこもりたくなってしまう。
「学生と教師」という「ロールプレイ」役割を貼って話すことはできるのに、一人の本音の人間として話すことができない。これは、自己防衛本能が強すぎるからだと、心理の本では読んだ。傷つくことをおそれすぎる。非難や中傷を受けると立ち直ることができない。
私のような人間関係形成不全症候群の大人というのは、どのくらいいるのだろう。はじめての人に会うときは、緊張して名前をいうのもこちこち。相当親しくなっても、自分の本音や気持ちを言うことができない。書き言葉で、手紙ならある程度自由にものが言える。文通が一番私に合っているコミュニケーション手段。メールは文通の「早い版」と思うから、メールはどんどん出せる。
でも、54歳で姉は死んだのだ。私だって、54歳でもう死んだことにする。死んだ後、遺書についてどう言われようと、死んだ人は気にならない。う~ん、できるかなあ、死んだふり。
本日のねたみ:誰とでも、すぐ話ができる娘
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<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(4)
2003年の日常茶飯日記コピーつづき
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2003/09/11 木 晴れ
日常茶飯事典>アスカ命日のすれ違い
娘は、「今日はアスカの命日だから」と、にんじんケーキを焼く。ウサギのアスカはヨーグルトやケーキやプリンが大好きだった。ほしがるままにいっしょに食べさせていたら、歯が悪くなり、そこから顔に膿がたまるレッキス種うさぎによく発症する病気になってしまった。だから、タイムには干し草中心の食生活をさせ、ケーキなどは食べさせない。人参ケーキもダメ。人参だけタイムに与える。
娘といっしょに、ケーキをお墓に持っていく。アスカを埋めた桜の木の根本にケーキをうめ、「また来年桜の花になって帰ってきてね」と声をかける。
夕方、娘があいちゃんとカラオケに行くと言うので、いっしょに出て、図書館へ。
いつもケイタイを携帯していかないので、失敗するが、今日も大失敗。
娘があいちゃんとカラオケに行って、夕ご飯も食べてくると勘違いしてしまった。7時まで図書館にいて、もう作るのが間に合わないと思ったので、息子をアスカのお墓参りに誘って、「1周期の法事」として、デニーズで夕食を食べてしまった。ふたりともケイタイは家の中に忘れてきた。
ヒメはカラオケを早めに終えて家に帰ってみたら、鍵を持って出なかったのに、ドアが開かない。電話してもワカもハハもケータイに出ない。ちょうど救急車のサイレンが聞こえたので、もしかしてふたりのどちらかが事故にでも遭ったんじゃないかと、心臓が止まりそうな思いで、近所中を探し回った。
私と息子が食事を終えて帰ってみたら、娘が「鍵持っていないのに、どこ行ってたの」と怒っている。「どんな思いをしながら探したと思っているの」と、ものすごい怒りよう。「ケータイ持って出ないなら、契約しているのは無駄だから、解約したら!」と、プンプンだ。
私は娘が鍵を持っていると思い、夕食を食べてくると思いこんだ勘違い。娘は私がケイタイを持っていると思い、救急車の音で事故にでもあったのじゃないかと思った心配性。
これだけケイタイやインターネットメールが普及しても、すれ違いで会えないこともある。
本日のつらみ:『君の名は』の時代じゃないのに、すれ違い
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2003/09/12 金 晴れ
日常茶飯事典>高齢者サークル
午後、文化センターでセンター祭の最終打ち合わせ。去年と同じことを、同じような利用者で行うのだが、また、毎年同じ愚痴やぼやきが繰り返される。1時半から3時までの連絡会の中で、サークルメンバーに連絡すべき事項は「当日は、本番15分前から楽屋にあてられる研修室が利用できる」という1点の連絡のみ。
それでも「この打ち合わせに各サークルから必ず1人出す」というのがセンター利用者会議の決まりなので、出ないわけにはいかない。「出席しないサークルは参加辞退とみなす」というのだから。
毎年毎年「参加者が高齢化しているのでうんぬん」という話題が出る。私たちAダンスィングだって、最初の参加1983年から20年連続参加しているのだから、会員たちは皆30代から50代になっている。
50代にはなったが、古いメンバーたちは、体型を維持し、ダンス技術は年々向上している。どんどん体重が増える一方、ダンス技術は年々衰えている私から見ると、すごい人たちだなあと思う。
私はピルエットターンも、シェネも、どんどんへたになっている。去年の春、アティテュードターンの練習を続けて、大腿四頭筋広側筋を痛めて以来、「無理はしない」と決めた。無理しないで、楽な動きだけしていると、どんどん下手になっていくのだ。
Aダンスサークルのメンバーたち、100歳になってもジャズダンスもロックもフラメンコも、かっこよく踊っているんじゃないかしら。
本日のひがみ:せめて体重だけでもなんとかせんと
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2003/09/13 土 晴れ 988
日常茶飯事典>ひきこもり親と子役カウンセラー
やっと、メール設定がやり直せて、ブラウザからメールが出せるようになった。しかるに、娘の批評通りに、おばさんの愚痴日記など誰も読みはしないのだった。それでも、みょうがさんが「ちえのわ日記」をサイトトップページにリンクをはって紹介してくださったら、少しはカウンターがまわるようになった。
ドクター西村は「エイズ予防講演会」で学校を回り、高校生中学生から反響の手紙を受けることが自分自身の励みになると書いている。私たちは、お互いに通信し合っていくことで生きていけるのだと思う。
私がこれまで50余年続けてきた、とじこもりひきこもり生活。我が子だけを相手にして、本音を誰にも言わない生活を続けてきた。
娘は、この間の親子げんかでも言っていた。「自分の不満や愚痴を全部子どもにぶちまける親を持って、子どもがどれだけ負担になっていたか、わからないでしょ」と、怒りをぶつける。「親のために子どもがカウンセラーになって、必死で親を支えてきてやったんだよ。どれだけたいへんだったか、わかる?自分ができちゃった婚の結果生まれたと知って、本当にこの世に存在して良かったのか、親の人生を不幸にしたんじゃないかって悩んだり、子どもの世話のために母が仕事を十分にやれないことがないようにと、遠慮したり。本当にたいへんな子供生活だった。お母さん、私が愚痴の聞き役になってあげなかったら、今頃ぺしゃんこでつぶれてたよ。ちゃんと感謝してる?」はい、しています。
私は、何度も一歩世間に足を踏み出そうとしては、また自分の殻にとじこもる生活を続けた。自分の親と姉妹、子どもたち、それ以外には日記だけが自分をぶつける相手だった。
生まれて初めて、自分の気持ちを世間に晒すのだ。たぶん、メールがきたとしても、ちょっとでも批判や悪意のメールが混じっていると、たちまち落ち込み、また閉じこもりたくなってしまう。
「学生と教師」という「ロールプレイ」役割を貼って話すことはできるのに、一人の本音の人間として話すことができない。これは、自己防衛本能が強すぎるからだと、心理の本では読んだ。傷つくことをおそれすぎる。非難や中傷を受けると立ち直ることができない。
私のような人間関係形成不全症候群の大人というのは、どのくらいいるのだろう。はじめての人に会うときは、緊張して名前をいうのもこちこち。相当親しくなっても、自分の本音や気持ちを言うことができない。書き言葉で、手紙ならある程度自由にものが言える。文通が一番私に合っているコミュニケーション手段。メールは文通の「早い版」と思うから、メールはどんどん出せる。
でも、54歳で姉は死んだのだ。私だって、54歳でもう死んだことにする。死んだ後、遺書についてどう言われようと、死んだ人は気にならない。う~ん、できるかなあ、死んだふり。
本日のねたみ:誰とでも、すぐ話ができる娘
~~~~~~~~~~~~~~~~~
<つづく>