2013/09/12
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(8)
2003年日常茶飯辞典日記コピーつづき。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/09/26 金 曇り
トキの本棚>『アフリカの日々』
NUBAの話で、『アフリカの日々』を思い出した。ケニアに行くまでのNo1は『NUBA』だったが、帰国後No.1は、ディネーセン『アフリカの日々』だった。
レニにも、アイザック・ディネーセンことカレン・ブリクセンにも、「ヨーロッパで教育を受けた女性」からの一方的な視線がアフリカに注がれているという批判もあるそうだ。私はそうは思わないが。
シュバイツアーや『野生のエルザの』のジョイ・アダムソンについて、「あれは、白人文明側の視点でアフリカを見ているのだ」という批判をするのが、ひところのはやりだった。そうは言っても、シュバイツアー以前にアフリカの医療を志す人はいなかったし、アダムソン以前にアフリカの野生動物保護について広報効果がこれほどある作品をヒットさせた人はいなかった。
柿実さんを誘ってロードショウを見にいった映画『愛と哀しみの果て』は、最初のシーンから涙があふれて見続けるのがたいへんだった。レニの『ヌバ』とディネーセンの『アフリカの日々』は、いわば私の「青春のアフリカ」とともにあるのだ。
本日のつらみ:子供たちが動物園大好きなうちに、ケニアのゲームパークへ連れて行こうという約束はとっくの昔にほご。今ではテレビゲーム専門の子供たち
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/27 土 晴れ
ニッポニアニッポン事情>匿名と家族のプライバシー
4度目のページ更新をするために、朝からパソコン編集。気を付けて地名個人名の匿名化をしているつもりなのに、アップしてブラウザで見ると、本名のままのところが残っていたりする。2003年3月分をアップ。
匿名についての感想。
ある弁護士がプロバイダーを訴えた事件で、数日前に、勝訴のニュース。
自分を誹謗した記事が掲示板に載った。書き込みした人の名前の公開をプロバイダーに要求し、勝訴したのだ。
別の裁判で、この弁護士が原告側として担当した会社は、「自分の会社を誹謗され損害を被ったので、掲示板に誹謗記事を書いた人間の本名住所を公開せよ」とプロバイダーへ要求した。こちらは、敗訴となった。だから、弁護士の裁判は逆転勝訴とも言える。
ウェブの問題が裁判となったとき、まだ判例がない問題について、裁判官の意識やウェブについての関わりようで、裁判がひっくり返る可能性がある。判例がない裁判の判断を下せる能力を持つ裁判官は少ない。みんな前例主義。過去の判例を繰り返していれば定年まで安泰の職業。
私が匿名で日記をウェブに載せているのは、娘と息子が「母の趣味で日記公開するのは、自分の人生だから好きにしていい。でも、絶対に子どものプライバシーが保てるように個人情報を管理しろ」と言われれているからだ。
それにつけても、日本文芸のお家芸である「私小説」に関して、家族はどう思っているんだろう。作家が家族親戚友だちについて書くこと。
柳美里のプライバシー問題では、柳美里敗訴。これは「表現の自由」とは別問題だと感じた。原告は作者の知人だったとはいえ、一般生活者であり、作者の家族でもない。作品を発表した金で生活を支えてやれる範囲の人が家族、という意味で、家族は、作家が自分をモデルにすることに対し、ある程度、作家自身と一心同体の面がある。
しかし、印税をモデルにすべて渡すという契約をかわしたわけでもない、一般人であるなら、作品中のモデルが特定できないようにするのが、作者の「書くことに一生をかけるための倫理規定」だと思う。それをしないで、安易に個人特定できる書き方をしてモデルの心を傷つけることは、やはり避けるべきではないか。難しいな、表現の自由とプライバシー。
政治家や芸能人など「人に我が身を晒してナンボ」という人のプライバシー問題でも、最近プライバシーを侵害されたという側の勝訴が多い。個人情報管理への配慮から勝訴が多くなっているようにも感じる。
個人情報管理法などと言わずに、「政治家がヤバイ問題を起こしたときに、やたらにすっぱ抜かれずに済む法」と言えばわかりやすのにね。通信傍受法は「警察が、勝手に盗聴して個人情報を盗む法」だし、「住民基本台帳の一部を改正する法」は、「情報が漏れてしまうことはみんなに我慢してもらって、国家が国民の情報を管理する法」だ。
作家と家族の情報問題。
車谷長吉は、親戚中から総スカンで、母親からも「家族の恥を世間にさらして」と、責められ続きだという。どこまでが「作品をさらすことによって、利益をえることのできる家族」なんだろう。少なくとも、長吉の母親は、すでに「車谷長吉の母」という「社会的な地位」を得た人、と言える。車谷がもらいたかったのは芥川賞の方で、直木賞は不本意だったとはいえ、世間的には「直木賞作家の母」になったのだ。「直木賞作家の母などになるより、世間から視線を集めることなく静かに暮らしたい」と思っていたお母さんなのかも知れないが、息子が賞をとってしまった以上、もうこれは運命と思ってもらうしかない。
松本人志の母親が「松本人志の母」という資格で講演やバラエティ番組で稼いでいたり、金八先生武田鉄也の母が「こらぁ、鉄也!」のタバコ屋の母として、亡くなるまで講演しまくったように、書かれることによって、家族親戚の人生がいい方へ向くなら、書かれたことが付加価値をもたらし、被害より得たものが大きいと言える。
古くは、逍遙、鴎外、漱石、八雲、茂吉、朔太郎の子孫たち、近くは中上紀、阿川佐和子&檀ふみコンビ。ばなな。露伴のところなんか、文、玉に続いて四代目まで文章で食べている。持つべきは文豪の父、母。
大江健三郎のように、「知的障害を持つ息子」について書くことが、「一家総出の産業」のごとき様相になっていれば、それはそれで「家族みんなで、ご精がでますね」と言える。
結論。文学が価値を持てば、必ずその周囲の人に恩恵はある。書かれた人間はどんなに悪口書かれようと、それを「自分の資産」として、自分の人生に付加価値をつければいい。
さて、資産にもならないウェブ日記の場合。無料で公開し、収益といえるものは、書いた人の「自己満足」だけである。「だれかに読んでもらってうれしい」「だれかとネットワークで繋がったかも知れないからうれしい」というバーチャル人間関係構築のはかない夢のうれしさ。
そんなバーチャルうれしさは、自己満足の範囲にとどまっていて、家族には何の足しにもならん。これじゃ、ただ書かれっぱなしの家族はたまらんぞ。
ゆえに、私は匿名にしている。せめて、しがないパート仕事を解雇されないよう、気をつけなければ。パート先の上司の悪口など、書いてしまっているからなあ。
本日のひがみ:プライバシーが問題になるほど読まれもせず
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/28 日 晴れ
ニッポニアニッポン事情>スポーツ選手の赤い髪
一日中OCNカフェ。去年の夏、秋は旅行したくてたまらなかったが、今年は旅行パンフレットをながめても、ぜんぜん出かける気にもならず、ひたすら日曜日も朝からネットでスゴしている。そうとう重症かな。ニュースコメントコーナーをはじめた。
私のニュースコメントといっても、ネタ元は新聞テレビのほかはない。新聞は、ラストのテレビ欄から見始めて、漫画がある社会欄、だんだん前へ行って、最後は題字のある一面。時間があるときはベタ記事、広告欄、求人広告まで全部読む。時間がないときは、見出しをながめて、おわり。同じ新聞を読んでも、娘と息子ではそれぞれ興味が違うので、お互いに面白かった記事を紹介しあうと、見逃したところがわかる。
今朝の新聞ネタ、息子が熱心に読んでいたのはコスタリカの戦争放棄憲法について。「コスタリカは識字率95%だって、すごいな。軍事費を使わないで、教育費に充てたから達成できたんだ」と、感心する中坊息子。これという産業もない途上国で、国民の識字率を95%にした国がほかにあるだろうか。
娘が興味を示したのは、十勝沖地震で、ぐずぐずに崩れた十勝川の堤防の写真。液状化現象によって、川の堤防がグジャグジャになっている。かろうじて水が漏れ出すことはなかったが、地震の方向や大きさ次第では、洪水になる。
「これじゃ、東京に地震があったら、我が家のまわりは海になるなあ」普段、川の土手はよい散歩コースだが、災害になれば、ひとたまりもない。
渡辺オーナーとの軋轢から原監督が辞任したというニュースがスポーツ欄のトップ記事だった日、我が家のトップスポーツニュースは、最下段のベタ記事「ハーフタイム」に書かれていた、柔道連盟が、選手の身だしなみに関するガイドラインを作成、というニュースだった。「柔道選手としての品位を保つために、ガイドラインに反したら代表に選考しない」という。3人してあきれ果てた。
世界柔道選手権を見て、ヤワラチャンの連覇以上に、我が家で好評だったのは、お堅い柔道界にも、ついにレッドヘアの選手が登場したことだった。「これって、絶対にあとで、苦情とかがよせられるんだよ、きっと」「でも、こうして代表になって出場しているってコトは、柔道連盟が公認したんだろう」「やっと、柔道界も開けてきたか」と話していた。
水泳連盟が、古橋トップのお気に召さない態度をとったからと、千葉すずをシカトした。水泳部員の娘と息子「これじゃ、日本の水泳は強くなれない。いつまで精神論だの、日本魂だので勝てるつもりなのか」と、嘆いていた。
柔道も、やっと「赤い髪で戦いたければ、そうしたらいい、黒かろうが赤かろうが、勝てばいいんだ」と、開放されたのかと思っていたら、そうではなかった。
本日のたたみ:畳の上の勝負、髪が黒ければ、有効が一本に変わるとでも
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/29 月 晴れ、朝ひつじ雲
日常茶飯事典>「おい!老い、笈の小文」
カフェ日記のタイトルは「おい!老い、笈の小文」。
コンテンツをニュースコメントと本の紹介一日一冊、と決めた。毎日更新目標。さて、いつまで続くか。ニュースの中でも、「老人ネタ」がメイン。
「七味日記妬み嫉み僻み」のほうは、毎日のすべったころんだ、うらみつらみを書いて憂さ晴らし、「笈の小文」は、来し方振り返っての自分語り。1977年以前に読んだ本を著者名「あいうえお」にたどりながら、本の思い出と、「老い」や「高齢者」に関わるニュースを連結させて自分語りをするというのがコンセプト。
高齢者ニュースネタと、本のタイトルの「連動」を考えるのが難しい。難しいから面白い。無理矢理なこじづけにもなるし、うまく行って、「フッフッフ、お主、芸人やのう」と、うまくいき具合を自分で楽しめるときも。あいうえお順じゃなかったら、ニュースから本を思い浮かべればいいのだけれど、自分の「しばり」として、著者名あいうえお順を決めたから、最初の「あ~わ」は、50日分やってみる。
本日のなじみ:古い本を本棚から引っ張り出すと、昔なじみにばったり出会った気がする
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/30 火 5
ジャパニーズアンドロメダシアター>『タイタニック』
ビデオにとって見始めたのに、前編をみただけで娘が「私、もうパス、後編見なくてもいいや。ローズが両手を広げて船の先頭に立ち、デカプリオが押さえている、あのシーンさえ見れば、あとはどう沈んでいって、どう助かったかなんて、どうでもいいや」と投げ出したので、ひとりで後編を見た。
実際に「どうでもいいや」の内容だったけれど、船の中に水がどんどん入ってくるシーンや、船がまっ二つに割れて、船が直立したり水平に戻ったりするシーンは、特撮効果がよかった。
一番カッコ良かった人は、デカプリオじゃなく、最後まで演奏を続けた室内楽団の人たち。船上の演奏に雇われたのだから、ヨーロッパ本国やアメリカでそれほど名のある演奏家たちではなかったろう。たとえ三流の音楽家ではあっても、音楽を続けることが彼らの人生であり、演奏することが生きることであった、というミュージシャンの姿に涙した。
氷の海に投げ出されて、零下の水温に心臓を止められた人々が幽鬼のように浮いているシーン、怖かった。
貴族や上流夫人と言われている人々が、自分のことだけしか頭にないエゴイストで、下品な成り上がり女と思われていた女性が一番人間の高貴な心を持っていたという部分は、ストーリーが始まってすぐ予想できたが、ローズが最後にネックレスを海に沈めるシーンは、予想できなかった。おいおい、美しい思い出を海に沈めたりせんと、それを売って、タイタニック遺児の奨学資金にしろっていうの。
本日のひがみ:私は一番下の船室にいて、ぜったいにボートに乗れない側だからなあ
~~~~~~~~~~~
2013/09/11
2003年の日記コピー「ブログ事始めの夏」。
一日千字を10年間書き続けることができたら、自分を「物書き」としてスタートしてよいのだ、とは、宇野千代が雑誌だったか新聞だったかの「人生相談」に書いていました。
「どうやったら作家になれますか」という作家希望の青少年の相談へ、千代が回答したことばでした。
「身の回りのことでも、身の上話でもいいから、何か一つテーマを決めて、テーマに沿って毎日新しい文章を書き続けることができたら、1年で1000枚の作品になる。それを10年続けて、それでもまだ書きたいことがたくさんあったら、それはそのテーマに対して「書き手」の資格を得た、ということで、そこからスタートする。それから10年は、よりよく書く、よりよい文章をめざす、そういう期間。最初のどんどん書く10年、次のよりよく書く10年。20年書き続けたら、もう立派な作家です、、、、と、宇野千代は回答していました。
さて、私のテーマはこの10年、「日本語と日本語言語文化」についてでした。日本語の文法について、日本語音声について、社会言語について、言語作品について、よくぞ10年あきずに書き続けたなあと思います。
これも、書いたことに対してなんらかのコメントをいただくことが励みになっていたためと思います。おもしろくもないことを書きなぐっても、読んでくださる方がいて、反応を寄せてくださる、ありがたいことです。
これからの10年、よりよく書いていきたいと思います。まだまだ書きたいことはたくさんあるので。
<おわり>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(8)
2003年日常茶飯辞典日記コピーつづき。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2003/09/26 金 曇り
トキの本棚>『アフリカの日々』
NUBAの話で、『アフリカの日々』を思い出した。ケニアに行くまでのNo1は『NUBA』だったが、帰国後No.1は、ディネーセン『アフリカの日々』だった。
レニにも、アイザック・ディネーセンことカレン・ブリクセンにも、「ヨーロッパで教育を受けた女性」からの一方的な視線がアフリカに注がれているという批判もあるそうだ。私はそうは思わないが。
シュバイツアーや『野生のエルザの』のジョイ・アダムソンについて、「あれは、白人文明側の視点でアフリカを見ているのだ」という批判をするのが、ひところのはやりだった。そうは言っても、シュバイツアー以前にアフリカの医療を志す人はいなかったし、アダムソン以前にアフリカの野生動物保護について広報効果がこれほどある作品をヒットさせた人はいなかった。
柿実さんを誘ってロードショウを見にいった映画『愛と哀しみの果て』は、最初のシーンから涙があふれて見続けるのがたいへんだった。レニの『ヌバ』とディネーセンの『アフリカの日々』は、いわば私の「青春のアフリカ」とともにあるのだ。
本日のつらみ:子供たちが動物園大好きなうちに、ケニアのゲームパークへ連れて行こうという約束はとっくの昔にほご。今ではテレビゲーム専門の子供たち
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/27 土 晴れ
ニッポニアニッポン事情>匿名と家族のプライバシー
4度目のページ更新をするために、朝からパソコン編集。気を付けて地名個人名の匿名化をしているつもりなのに、アップしてブラウザで見ると、本名のままのところが残っていたりする。2003年3月分をアップ。
匿名についての感想。
ある弁護士がプロバイダーを訴えた事件で、数日前に、勝訴のニュース。
自分を誹謗した記事が掲示板に載った。書き込みした人の名前の公開をプロバイダーに要求し、勝訴したのだ。
別の裁判で、この弁護士が原告側として担当した会社は、「自分の会社を誹謗され損害を被ったので、掲示板に誹謗記事を書いた人間の本名住所を公開せよ」とプロバイダーへ要求した。こちらは、敗訴となった。だから、弁護士の裁判は逆転勝訴とも言える。
ウェブの問題が裁判となったとき、まだ判例がない問題について、裁判官の意識やウェブについての関わりようで、裁判がひっくり返る可能性がある。判例がない裁判の判断を下せる能力を持つ裁判官は少ない。みんな前例主義。過去の判例を繰り返していれば定年まで安泰の職業。
私が匿名で日記をウェブに載せているのは、娘と息子が「母の趣味で日記公開するのは、自分の人生だから好きにしていい。でも、絶対に子どものプライバシーが保てるように個人情報を管理しろ」と言われれているからだ。
それにつけても、日本文芸のお家芸である「私小説」に関して、家族はどう思っているんだろう。作家が家族親戚友だちについて書くこと。
柳美里のプライバシー問題では、柳美里敗訴。これは「表現の自由」とは別問題だと感じた。原告は作者の知人だったとはいえ、一般生活者であり、作者の家族でもない。作品を発表した金で生活を支えてやれる範囲の人が家族、という意味で、家族は、作家が自分をモデルにすることに対し、ある程度、作家自身と一心同体の面がある。
しかし、印税をモデルにすべて渡すという契約をかわしたわけでもない、一般人であるなら、作品中のモデルが特定できないようにするのが、作者の「書くことに一生をかけるための倫理規定」だと思う。それをしないで、安易に個人特定できる書き方をしてモデルの心を傷つけることは、やはり避けるべきではないか。難しいな、表現の自由とプライバシー。
政治家や芸能人など「人に我が身を晒してナンボ」という人のプライバシー問題でも、最近プライバシーを侵害されたという側の勝訴が多い。個人情報管理への配慮から勝訴が多くなっているようにも感じる。
個人情報管理法などと言わずに、「政治家がヤバイ問題を起こしたときに、やたらにすっぱ抜かれずに済む法」と言えばわかりやすのにね。通信傍受法は「警察が、勝手に盗聴して個人情報を盗む法」だし、「住民基本台帳の一部を改正する法」は、「情報が漏れてしまうことはみんなに我慢してもらって、国家が国民の情報を管理する法」だ。
作家と家族の情報問題。
車谷長吉は、親戚中から総スカンで、母親からも「家族の恥を世間にさらして」と、責められ続きだという。どこまでが「作品をさらすことによって、利益をえることのできる家族」なんだろう。少なくとも、長吉の母親は、すでに「車谷長吉の母」という「社会的な地位」を得た人、と言える。車谷がもらいたかったのは芥川賞の方で、直木賞は不本意だったとはいえ、世間的には「直木賞作家の母」になったのだ。「直木賞作家の母などになるより、世間から視線を集めることなく静かに暮らしたい」と思っていたお母さんなのかも知れないが、息子が賞をとってしまった以上、もうこれは運命と思ってもらうしかない。
松本人志の母親が「松本人志の母」という資格で講演やバラエティ番組で稼いでいたり、金八先生武田鉄也の母が「こらぁ、鉄也!」のタバコ屋の母として、亡くなるまで講演しまくったように、書かれることによって、家族親戚の人生がいい方へ向くなら、書かれたことが付加価値をもたらし、被害より得たものが大きいと言える。
古くは、逍遙、鴎外、漱石、八雲、茂吉、朔太郎の子孫たち、近くは中上紀、阿川佐和子&檀ふみコンビ。ばなな。露伴のところなんか、文、玉に続いて四代目まで文章で食べている。持つべきは文豪の父、母。
大江健三郎のように、「知的障害を持つ息子」について書くことが、「一家総出の産業」のごとき様相になっていれば、それはそれで「家族みんなで、ご精がでますね」と言える。
結論。文学が価値を持てば、必ずその周囲の人に恩恵はある。書かれた人間はどんなに悪口書かれようと、それを「自分の資産」として、自分の人生に付加価値をつければいい。
さて、資産にもならないウェブ日記の場合。無料で公開し、収益といえるものは、書いた人の「自己満足」だけである。「だれかに読んでもらってうれしい」「だれかとネットワークで繋がったかも知れないからうれしい」というバーチャル人間関係構築のはかない夢のうれしさ。
そんなバーチャルうれしさは、自己満足の範囲にとどまっていて、家族には何の足しにもならん。これじゃ、ただ書かれっぱなしの家族はたまらんぞ。
ゆえに、私は匿名にしている。せめて、しがないパート仕事を解雇されないよう、気をつけなければ。パート先の上司の悪口など、書いてしまっているからなあ。
本日のひがみ:プライバシーが問題になるほど読まれもせず
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/28 日 晴れ
ニッポニアニッポン事情>スポーツ選手の赤い髪
一日中OCNカフェ。去年の夏、秋は旅行したくてたまらなかったが、今年は旅行パンフレットをながめても、ぜんぜん出かける気にもならず、ひたすら日曜日も朝からネットでスゴしている。そうとう重症かな。ニュースコメントコーナーをはじめた。
私のニュースコメントといっても、ネタ元は新聞テレビのほかはない。新聞は、ラストのテレビ欄から見始めて、漫画がある社会欄、だんだん前へ行って、最後は題字のある一面。時間があるときはベタ記事、広告欄、求人広告まで全部読む。時間がないときは、見出しをながめて、おわり。同じ新聞を読んでも、娘と息子ではそれぞれ興味が違うので、お互いに面白かった記事を紹介しあうと、見逃したところがわかる。
今朝の新聞ネタ、息子が熱心に読んでいたのはコスタリカの戦争放棄憲法について。「コスタリカは識字率95%だって、すごいな。軍事費を使わないで、教育費に充てたから達成できたんだ」と、感心する中坊息子。これという産業もない途上国で、国民の識字率を95%にした国がほかにあるだろうか。
娘が興味を示したのは、十勝沖地震で、ぐずぐずに崩れた十勝川の堤防の写真。液状化現象によって、川の堤防がグジャグジャになっている。かろうじて水が漏れ出すことはなかったが、地震の方向や大きさ次第では、洪水になる。
「これじゃ、東京に地震があったら、我が家のまわりは海になるなあ」普段、川の土手はよい散歩コースだが、災害になれば、ひとたまりもない。
渡辺オーナーとの軋轢から原監督が辞任したというニュースがスポーツ欄のトップ記事だった日、我が家のトップスポーツニュースは、最下段のベタ記事「ハーフタイム」に書かれていた、柔道連盟が、選手の身だしなみに関するガイドラインを作成、というニュースだった。「柔道選手としての品位を保つために、ガイドラインに反したら代表に選考しない」という。3人してあきれ果てた。
世界柔道選手権を見て、ヤワラチャンの連覇以上に、我が家で好評だったのは、お堅い柔道界にも、ついにレッドヘアの選手が登場したことだった。「これって、絶対にあとで、苦情とかがよせられるんだよ、きっと」「でも、こうして代表になって出場しているってコトは、柔道連盟が公認したんだろう」「やっと、柔道界も開けてきたか」と話していた。
水泳連盟が、古橋トップのお気に召さない態度をとったからと、千葉すずをシカトした。水泳部員の娘と息子「これじゃ、日本の水泳は強くなれない。いつまで精神論だの、日本魂だので勝てるつもりなのか」と、嘆いていた。
柔道も、やっと「赤い髪で戦いたければ、そうしたらいい、黒かろうが赤かろうが、勝てばいいんだ」と、開放されたのかと思っていたら、そうではなかった。
本日のたたみ:畳の上の勝負、髪が黒ければ、有効が一本に変わるとでも
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/29 月 晴れ、朝ひつじ雲
日常茶飯事典>「おい!老い、笈の小文」
カフェ日記のタイトルは「おい!老い、笈の小文」。
コンテンツをニュースコメントと本の紹介一日一冊、と決めた。毎日更新目標。さて、いつまで続くか。ニュースの中でも、「老人ネタ」がメイン。
「七味日記妬み嫉み僻み」のほうは、毎日のすべったころんだ、うらみつらみを書いて憂さ晴らし、「笈の小文」は、来し方振り返っての自分語り。1977年以前に読んだ本を著者名「あいうえお」にたどりながら、本の思い出と、「老い」や「高齢者」に関わるニュースを連結させて自分語りをするというのがコンセプト。
高齢者ニュースネタと、本のタイトルの「連動」を考えるのが難しい。難しいから面白い。無理矢理なこじづけにもなるし、うまく行って、「フッフッフ、お主、芸人やのう」と、うまくいき具合を自分で楽しめるときも。あいうえお順じゃなかったら、ニュースから本を思い浮かべればいいのだけれど、自分の「しばり」として、著者名あいうえお順を決めたから、最初の「あ~わ」は、50日分やってみる。
本日のなじみ:古い本を本棚から引っ張り出すと、昔なじみにばったり出会った気がする
--------------------------------------------------------------------------------
2003/09/30 火 5
ジャパニーズアンドロメダシアター>『タイタニック』
ビデオにとって見始めたのに、前編をみただけで娘が「私、もうパス、後編見なくてもいいや。ローズが両手を広げて船の先頭に立ち、デカプリオが押さえている、あのシーンさえ見れば、あとはどう沈んでいって、どう助かったかなんて、どうでもいいや」と投げ出したので、ひとりで後編を見た。
実際に「どうでもいいや」の内容だったけれど、船の中に水がどんどん入ってくるシーンや、船がまっ二つに割れて、船が直立したり水平に戻ったりするシーンは、特撮効果がよかった。
一番カッコ良かった人は、デカプリオじゃなく、最後まで演奏を続けた室内楽団の人たち。船上の演奏に雇われたのだから、ヨーロッパ本国やアメリカでそれほど名のある演奏家たちではなかったろう。たとえ三流の音楽家ではあっても、音楽を続けることが彼らの人生であり、演奏することが生きることであった、というミュージシャンの姿に涙した。
氷の海に投げ出されて、零下の水温に心臓を止められた人々が幽鬼のように浮いているシーン、怖かった。
貴族や上流夫人と言われている人々が、自分のことだけしか頭にないエゴイストで、下品な成り上がり女と思われていた女性が一番人間の高貴な心を持っていたという部分は、ストーリーが始まってすぐ予想できたが、ローズが最後にネックレスを海に沈めるシーンは、予想できなかった。おいおい、美しい思い出を海に沈めたりせんと、それを売って、タイタニック遺児の奨学資金にしろっていうの。
本日のひがみ:私は一番下の船室にいて、ぜったいにボートに乗れない側だからなあ
~~~~~~~~~~~
2013/09/11
2003年の日記コピー「ブログ事始めの夏」。
一日千字を10年間書き続けることができたら、自分を「物書き」としてスタートしてよいのだ、とは、宇野千代が雑誌だったか新聞だったかの「人生相談」に書いていました。
「どうやったら作家になれますか」という作家希望の青少年の相談へ、千代が回答したことばでした。
「身の回りのことでも、身の上話でもいいから、何か一つテーマを決めて、テーマに沿って毎日新しい文章を書き続けることができたら、1年で1000枚の作品になる。それを10年続けて、それでもまだ書きたいことがたくさんあったら、それはそのテーマに対して「書き手」の資格を得た、ということで、そこからスタートする。それから10年は、よりよく書く、よりよい文章をめざす、そういう期間。最初のどんどん書く10年、次のよりよく書く10年。20年書き続けたら、もう立派な作家です、、、、と、宇野千代は回答していました。
さて、私のテーマはこの10年、「日本語と日本語言語文化」についてでした。日本語の文法について、日本語音声について、社会言語について、言語作品について、よくぞ10年あきずに書き続けたなあと思います。
これも、書いたことに対してなんらかのコメントをいただくことが励みになっていたためと思います。おもしろくもないことを書きなぐっても、読んでくださる方がいて、反応を寄せてくださる、ありがたいことです。
これからの10年、よりよく書いていきたいと思います。まだまだ書きたいことはたくさんあるので。
<おわり>