2013/09/07
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(5)
2003年日常茶飯事日記コピーつづき
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2003/09/14 日 晴れ 989
日常茶飯事典>ダンス発表会
12時半に文化センター集合。最初に照明を確かめる。カラーライトの配線ができていないので、「フラダンス発表」「歌謡曲リズムダンス発表」の間に、舞台裏に回って、コードをつなぐ。このあと、他のサークルが配線をいじらないことを祈りつつ。
1時半から3階ものおきスペースで、柔軟体操、振り付け確認など。ものおきには冷房がないので、ものすごく暑い。2時55分から1階の楽屋がわりの研修室へ。
3時10分から、Aダンスィングサークル発表。どこかのサークルが配線をいじって、スイッチが逆になってしまい、照明がめちゃくちゃになってしまった。おまけに、前の発表の人たちが舞台裏にスイッチオンになったままのマイクを残していったのに気づかず、半分くらいまでゴチンゴチンというマイクにぶつかる音が響いていた。フィナーレでは、私だけ、舞台マイクのコードに足がひっかかって、ころびそうになった。
なんだかんだでいろいろあったけれど、終わってしまえばすべてよし。楽しかった。くまの着ぐるみダンスと呼ばれようと、LLサイズおばはんパパイヤと自称しようと、1年間練習したダンスを発表して、人様の前で踊ったのだ。
ことばを話すのではなく、踊るという行為は、自由にできる。太めの体を晒して踊っても、ぜんぜん苦にならない。
どんなに下手な踊りだろうと、1年に1回でも2回でも、人前に自分の姿をさらすという緊張感があるから、みんな1年間を生き生きと暮らしていけるのだ。人に見てもらうってことはとても大切なこと。他の人と同じようには足があがらないとか、回転できないとか、太っているから恥ずかしいとか、そんなの吹き飛ばして、自分が楽しく踊ること。
娘が見に来てくれる。娘の批評「一番年上の60代の方、すごく生き生きしていて動きもきれいだった。タキシードジャンクション踊った、3人組。わたしのうしろの席の人たちが宝塚みたいって、言っていた。ほんとにじょうずだった。文化センター発表サークルの全部の中で、このグループが一番見応えがあるって、言っていた人たちもいたよ。お母さんはね、動きはシャープで切れがよかったけれど、人の振りを見ながら後追いしているのが、よくわかった」
あれま、ワンテンポ遅れると後追いしているのが分っちゃうから、半テンポずらしでごまかしたつもりなのに。
私は発表会打ち上げに参加。娘と息子は姑宅へ。
本日の負け惜しみ:宝塚みたいに踊る人、パパイヤおやじダンサーズみたいに踊る人、個性はいろいろあっていいの!
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2003/09/15 月 晴れ 990
日常茶飯事典>敬老の日
娘と息子は、おばあちゃん家にお泊まり。敬老の日の祖母宅訪問。
息子は、昨日おとといと続いた辰巳プールでの都大会を終えた足でそのまま行った。
娘の敬老の日プレゼントはバナナケーキ。とてもおいしく焼きあがった。
息子からのプレゼントは中学校水泳秋期区大会のフリーリレー1位とメドレーリレー3位の賞状。娘に「あんた、それ、お母さんの誕生日のときもプレゼントって言ってたじゃない。使いまわしかい。安上がりな!」と、つっこまれていたが、母にとっても、おばあちゃんにとっても、なによりのプレゼントであることは確か。
今日の辰巳プールでの大会を最後に水泳部をリタイアし、いよいよ本格的な帰宅部になるという。これが最後の水泳賞状だろうから、貴重だ。
本日のつらみ:「帰宅部なのに、全国大会!」というフレーズに笑えた
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2003/09/16 火 曇り 991
トキの本棚>『フラジャイル』読了
ホームページ作りにかまけて、前半だけ読んで、後半をほうっておいた『フラジャイル』をようやく読了。『フラジャイル』後半には、正剛、大学生のときに父親が死んで、借金を背負ったということなども書いてあった。
95年初版の本だが、この中に書いてあることで、「このことを2003年の今まで知らなかった。この本を読んではじめて知った」と言えることが、たったひとつしかないことに、まず驚いた。知らなかったことは、月光ことナタリア・バーニーのレズビアンサロンに集まった女たちのこと。
それ以外のトピック、たとえば、ネオテニーのこと、トランスジェンダーのこと、どのトピックも、95年には、世間一般には広まっていない話題だったのではないか。それが、2003年には、すでに「文化トピックとして消費され尽くされてきた」という感すらある。この早さに驚いたのだ。たった8年の間に、20世紀から21世紀へと進む間に、ものすごいスピードで、世の中のある部分が変化した。
95年には多くの人に未知であった概念をまとめて、正剛が本にした。2003年には誰もがその概念を「昔からあたりまえであった」がごとくに使いこなしている。すごいな正剛。すごいな世の中のスピード。
95年にインターネットを使いこなしていた人がどれだけいただろうか。フツーのおばさんが自分の個人ホームページを持つなど、遠い話だと思っていた。「情報」が大きく変わり、私たちの意識の深層も変わっているに違いない。
97年にインターネットをいれたときはダイヤルアップで、とても遅くて、これではネットを使うより本を調べた方が情報が早いと感じたものだが、2002年にADSLにして以後、どんなことを調べるにも、まず、Googl検索。ネットだけで、だいたいのことはわかってしまう。辞書を引く回数は減らないが、百科事典やイミダス知恵蔵などを引く回数は確実に減った。
携帯電話ひとつとってみても、私は、94年に中国の地でトップビジネスマンたちが携帯を駆使して仕事をしているシーンを初めてみたのだ。94年の日本国内にも携帯電話を駆使しているビジネスマンはいたのだろうが、自分の狭い生活範囲で出会うことはなかった。それが、帰国してみると、周囲の人たちはどんどんケイタイを持つようになり、「うちはいらない」とがんばってきた我が家でも、99年に娘が高校に入ったら連絡が必要になり、買うことになった。
本日のつらみ:ケータイ普及して公衆電話が減った。電池切れの日に探し回った赤電話
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2003/09/17 水 晴れ 992
ジャパニーズアンドロメダシアター>『血脈』
午前中Aダンス。
午後、ビデオにとっておいた『血脈』を見た。佐藤愛子の作品、『戦いすんで、日がくれて』のほかは、軽いエッセイだけ読んできた。『血脈』も、佐藤家の「濃い」人々に疲れそうだから、読まなかった。
ドラマは、宮沢りえ主演というので、見てみた。りえが特別好きな女優ではないのだけれど、少年少女ビルドゥングスウォッチャーなので、スポーツ界では、伊藤みどり、田村亮子のウォッチングが終了して、今は福原愛。芸能界では宮沢りえ、安達祐実。
宮沢りえ、リハウス引っ越し少女から見てきて、波瀾万丈経て、女優として大成できるかどうかの、今がみどころ。りえ、主演の佐藤シナ(女優三笠まり子)役。娘の佐藤愛子役は石田ゆり子。
ドラマ、やっぱり「濃すぎる」人々に疲れた。佐藤紅緑が緒形拳、佐藤八郎が勝村政信、佐藤節が中村獅童、佐藤ハルが木内みどり、島村抱月が筒井康隆、もう、配役も濃い人ばかりで、演技ぎんぎんで。筒井の演技っぽくない「誰を演じても筒井康隆がそこにいる」の棒読みが一番ほっとした。筒井は、断筆以後、執筆再会しないほうがよかった。大根役者として十分楽しめる。
りえの演技は、ラストシーンの「チェホフの『かもめ』を演ずる三笠まり子」の部分が一番良かった。すなわち、三笠まり子は、女優を続けるよりも、佐藤愛子の母、サトーハチローのママ母、佐藤紅緑の後妻、佐藤シナとして生きたほうが正解だったな、と誰でも感じる程に、『かもめ』のあの有名な台詞をへたくそに言ったからだ。
あんた、これじゃ、松井須磨子のあとをついで、チェホフ演じようなんて、思わないでよかったよ。妻として母として生きてよかったんじゃない、と、みんなが言ってやれる佐藤シナ像を作り上げた台詞術。あれ?もしかしたら、あれは演技じゃなくて「地?」
本日のかがみ:ドサ回りの一座でもかがみのある楽屋がもらえるなんて、うらやまし。我が一座の楽屋は小学校体育館の道具置き場が多かった。
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2003/09/18 木 晴れ3
ことばの知恵の輪>振り回す槍
今日の「語源トリビア」。
ザ・ブームの宮沢和史によると、ボサノバとは、「新しい流れ」の意味。ノバが「新しい」は知っていたが、ボサの意味を知らないから、ドドンパとか、チャチャチャみたいに、特に意味を持たない音楽や踊りの型へのネーミングかと思っていた。サルサが英語で言うとソースにあたる意味というのも聞いたことあるが、ボサノバは、そうか、「新しい流れ」か。
カタカナのことばの方を先に覚えてしまうと、語源など考えずに使ってしまうから、元の意味を知ると「へぇ!」と、うれしい。ゴシックが「ゆがんだ真珠」の意味とか。
シェークスピアShakespeareが「振り回す、槍」Shake spearだというのも知らなかった。
おしりにeがついても同じ言葉というのは、赤毛のアンが「わたしのアンは、annじゃなくて、anneだからねっ」と主張していたので、へえ、英語の名前はeがついてもつかなくてもいいのか、と少女のころ思ったのだけれど、Shakespeareのspeareは、spearと同じだったんだ。
でも、カタカナで先に覚えると、絶対に「シェイク+スピア」だとは思わず「シェー+クス+ピア」だと思うもんね。禿げたオッサンが、シェーをしながらクスッと笑って雑誌「ぴあ」を眺めている図が思い浮かぶ。オッサンは禿げなでながら「よし、映画はやっぱり『恋に落ちたシェークスピア』を見よう」なんぞとぶつくさ言ってるんです。
学生時代にいっぱい頭に詰め込んだ人は、詰め込んだことを切り売りして、一生食べていくことができる。学校であまり詰め込まなかった人は、こうやって、ひとつひとつ「へぇ!」とボタンをたたきながら楽しむことができる。
私は合計26年間も学校教育を受けた人間なのに、7回出席した卒業式ごとに、「学校から受けたものは学校に返却!」と、律儀に返済していたから、未だに楽しみをたくさん拾うことができる。何を聞いても「へぇ!」を連発。
本日の負け惜しみ:学校で身につけたことで、実際に重宝しているのは、職業専修校で覚えたブラインドタッチ早打ちの技だけ。おしゃべりをするのと同じスピードで打てる。テレビニュースの速記録がとれる
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<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年9月(5)
2003年日常茶飯事日記コピーつづき
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2003/09/14 日 晴れ 989
日常茶飯事典>ダンス発表会
12時半に文化センター集合。最初に照明を確かめる。カラーライトの配線ができていないので、「フラダンス発表」「歌謡曲リズムダンス発表」の間に、舞台裏に回って、コードをつなぐ。このあと、他のサークルが配線をいじらないことを祈りつつ。
1時半から3階ものおきスペースで、柔軟体操、振り付け確認など。ものおきには冷房がないので、ものすごく暑い。2時55分から1階の楽屋がわりの研修室へ。
3時10分から、Aダンスィングサークル発表。どこかのサークルが配線をいじって、スイッチが逆になってしまい、照明がめちゃくちゃになってしまった。おまけに、前の発表の人たちが舞台裏にスイッチオンになったままのマイクを残していったのに気づかず、半分くらいまでゴチンゴチンというマイクにぶつかる音が響いていた。フィナーレでは、私だけ、舞台マイクのコードに足がひっかかって、ころびそうになった。
なんだかんだでいろいろあったけれど、終わってしまえばすべてよし。楽しかった。くまの着ぐるみダンスと呼ばれようと、LLサイズおばはんパパイヤと自称しようと、1年間練習したダンスを発表して、人様の前で踊ったのだ。
ことばを話すのではなく、踊るという行為は、自由にできる。太めの体を晒して踊っても、ぜんぜん苦にならない。
どんなに下手な踊りだろうと、1年に1回でも2回でも、人前に自分の姿をさらすという緊張感があるから、みんな1年間を生き生きと暮らしていけるのだ。人に見てもらうってことはとても大切なこと。他の人と同じようには足があがらないとか、回転できないとか、太っているから恥ずかしいとか、そんなの吹き飛ばして、自分が楽しく踊ること。
娘が見に来てくれる。娘の批評「一番年上の60代の方、すごく生き生きしていて動きもきれいだった。タキシードジャンクション踊った、3人組。わたしのうしろの席の人たちが宝塚みたいって、言っていた。ほんとにじょうずだった。文化センター発表サークルの全部の中で、このグループが一番見応えがあるって、言っていた人たちもいたよ。お母さんはね、動きはシャープで切れがよかったけれど、人の振りを見ながら後追いしているのが、よくわかった」
あれま、ワンテンポ遅れると後追いしているのが分っちゃうから、半テンポずらしでごまかしたつもりなのに。
私は発表会打ち上げに参加。娘と息子は姑宅へ。
本日の負け惜しみ:宝塚みたいに踊る人、パパイヤおやじダンサーズみたいに踊る人、個性はいろいろあっていいの!
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2003/09/15 月 晴れ 990
日常茶飯事典>敬老の日
娘と息子は、おばあちゃん家にお泊まり。敬老の日の祖母宅訪問。
息子は、昨日おとといと続いた辰巳プールでの都大会を終えた足でそのまま行った。
娘の敬老の日プレゼントはバナナケーキ。とてもおいしく焼きあがった。
息子からのプレゼントは中学校水泳秋期区大会のフリーリレー1位とメドレーリレー3位の賞状。娘に「あんた、それ、お母さんの誕生日のときもプレゼントって言ってたじゃない。使いまわしかい。安上がりな!」と、つっこまれていたが、母にとっても、おばあちゃんにとっても、なによりのプレゼントであることは確か。
今日の辰巳プールでの大会を最後に水泳部をリタイアし、いよいよ本格的な帰宅部になるという。これが最後の水泳賞状だろうから、貴重だ。
本日のつらみ:「帰宅部なのに、全国大会!」というフレーズに笑えた
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2003/09/16 火 曇り 991
トキの本棚>『フラジャイル』読了
ホームページ作りにかまけて、前半だけ読んで、後半をほうっておいた『フラジャイル』をようやく読了。『フラジャイル』後半には、正剛、大学生のときに父親が死んで、借金を背負ったということなども書いてあった。
95年初版の本だが、この中に書いてあることで、「このことを2003年の今まで知らなかった。この本を読んではじめて知った」と言えることが、たったひとつしかないことに、まず驚いた。知らなかったことは、月光ことナタリア・バーニーのレズビアンサロンに集まった女たちのこと。
それ以外のトピック、たとえば、ネオテニーのこと、トランスジェンダーのこと、どのトピックも、95年には、世間一般には広まっていない話題だったのではないか。それが、2003年には、すでに「文化トピックとして消費され尽くされてきた」という感すらある。この早さに驚いたのだ。たった8年の間に、20世紀から21世紀へと進む間に、ものすごいスピードで、世の中のある部分が変化した。
95年には多くの人に未知であった概念をまとめて、正剛が本にした。2003年には誰もがその概念を「昔からあたりまえであった」がごとくに使いこなしている。すごいな正剛。すごいな世の中のスピード。
95年にインターネットを使いこなしていた人がどれだけいただろうか。フツーのおばさんが自分の個人ホームページを持つなど、遠い話だと思っていた。「情報」が大きく変わり、私たちの意識の深層も変わっているに違いない。
97年にインターネットをいれたときはダイヤルアップで、とても遅くて、これではネットを使うより本を調べた方が情報が早いと感じたものだが、2002年にADSLにして以後、どんなことを調べるにも、まず、Googl検索。ネットだけで、だいたいのことはわかってしまう。辞書を引く回数は減らないが、百科事典やイミダス知恵蔵などを引く回数は確実に減った。
携帯電話ひとつとってみても、私は、94年に中国の地でトップビジネスマンたちが携帯を駆使して仕事をしているシーンを初めてみたのだ。94年の日本国内にも携帯電話を駆使しているビジネスマンはいたのだろうが、自分の狭い生活範囲で出会うことはなかった。それが、帰国してみると、周囲の人たちはどんどんケイタイを持つようになり、「うちはいらない」とがんばってきた我が家でも、99年に娘が高校に入ったら連絡が必要になり、買うことになった。
本日のつらみ:ケータイ普及して公衆電話が減った。電池切れの日に探し回った赤電話
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2003/09/17 水 晴れ 992
ジャパニーズアンドロメダシアター>『血脈』
午前中Aダンス。
午後、ビデオにとっておいた『血脈』を見た。佐藤愛子の作品、『戦いすんで、日がくれて』のほかは、軽いエッセイだけ読んできた。『血脈』も、佐藤家の「濃い」人々に疲れそうだから、読まなかった。
ドラマは、宮沢りえ主演というので、見てみた。りえが特別好きな女優ではないのだけれど、少年少女ビルドゥングスウォッチャーなので、スポーツ界では、伊藤みどり、田村亮子のウォッチングが終了して、今は福原愛。芸能界では宮沢りえ、安達祐実。
宮沢りえ、リハウス引っ越し少女から見てきて、波瀾万丈経て、女優として大成できるかどうかの、今がみどころ。りえ、主演の佐藤シナ(女優三笠まり子)役。娘の佐藤愛子役は石田ゆり子。
ドラマ、やっぱり「濃すぎる」人々に疲れた。佐藤紅緑が緒形拳、佐藤八郎が勝村政信、佐藤節が中村獅童、佐藤ハルが木内みどり、島村抱月が筒井康隆、もう、配役も濃い人ばかりで、演技ぎんぎんで。筒井の演技っぽくない「誰を演じても筒井康隆がそこにいる」の棒読みが一番ほっとした。筒井は、断筆以後、執筆再会しないほうがよかった。大根役者として十分楽しめる。
りえの演技は、ラストシーンの「チェホフの『かもめ』を演ずる三笠まり子」の部分が一番良かった。すなわち、三笠まり子は、女優を続けるよりも、佐藤愛子の母、サトーハチローのママ母、佐藤紅緑の後妻、佐藤シナとして生きたほうが正解だったな、と誰でも感じる程に、『かもめ』のあの有名な台詞をへたくそに言ったからだ。
あんた、これじゃ、松井須磨子のあとをついで、チェホフ演じようなんて、思わないでよかったよ。妻として母として生きてよかったんじゃない、と、みんなが言ってやれる佐藤シナ像を作り上げた台詞術。あれ?もしかしたら、あれは演技じゃなくて「地?」
本日のかがみ:ドサ回りの一座でもかがみのある楽屋がもらえるなんて、うらやまし。我が一座の楽屋は小学校体育館の道具置き場が多かった。
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2003/09/18 木 晴れ3
ことばの知恵の輪>振り回す槍
今日の「語源トリビア」。
ザ・ブームの宮沢和史によると、ボサノバとは、「新しい流れ」の意味。ノバが「新しい」は知っていたが、ボサの意味を知らないから、ドドンパとか、チャチャチャみたいに、特に意味を持たない音楽や踊りの型へのネーミングかと思っていた。サルサが英語で言うとソースにあたる意味というのも聞いたことあるが、ボサノバは、そうか、「新しい流れ」か。
カタカナのことばの方を先に覚えてしまうと、語源など考えずに使ってしまうから、元の意味を知ると「へぇ!」と、うれしい。ゴシックが「ゆがんだ真珠」の意味とか。
シェークスピアShakespeareが「振り回す、槍」Shake spearだというのも知らなかった。
おしりにeがついても同じ言葉というのは、赤毛のアンが「わたしのアンは、annじゃなくて、anneだからねっ」と主張していたので、へえ、英語の名前はeがついてもつかなくてもいいのか、と少女のころ思ったのだけれど、Shakespeareのspeareは、spearと同じだったんだ。
でも、カタカナで先に覚えると、絶対に「シェイク+スピア」だとは思わず「シェー+クス+ピア」だと思うもんね。禿げたオッサンが、シェーをしながらクスッと笑って雑誌「ぴあ」を眺めている図が思い浮かぶ。オッサンは禿げなでながら「よし、映画はやっぱり『恋に落ちたシェークスピア』を見よう」なんぞとぶつくさ言ってるんです。
学生時代にいっぱい頭に詰め込んだ人は、詰め込んだことを切り売りして、一生食べていくことができる。学校であまり詰め込まなかった人は、こうやって、ひとつひとつ「へぇ!」とボタンをたたきながら楽しむことができる。
私は合計26年間も学校教育を受けた人間なのに、7回出席した卒業式ごとに、「学校から受けたものは学校に返却!」と、律儀に返済していたから、未だに楽しみをたくさん拾うことができる。何を聞いても「へぇ!」を連発。
本日の負け惜しみ:学校で身につけたことで、実際に重宝しているのは、職業専修校で覚えたブラインドタッチ早打ちの技だけ。おしゃべりをするのと同じスピードで打てる。テレビニュースの速記録がとれる
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<つづく>