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ぽかぽか春庭「土方巽疱瘡譚inベーコン展」

2013-09-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/09/17
ぽかぽか春庭ダンス・ダンス・ダンス>踊る阿呆に見る阿呆(4)土方巽疱瘡譚inベーコン展

 5月、近代美術館でベーコン展を見ました。招待券で入館したのでを図録も買いました。



 好きになれそうな画家とは思っていなかったのですが、「値段で絵を見る」というシロート鑑賞法の私。調べてみると、2011年6月のロンドン・クリスティーオークションで、ベーコンの「肖像習作Study for a Portrait」(1953年)は落札価格約1800万ポンド(1ポンド150円で計算すると27億円)。ありゃりゃ、そんなに高い絵だったのね、それじゃ、招待券無駄にしちゃもったいない。

 フランシス・ベーコン(1909-1992)。
 フランシス・ベーコンは、20世紀芸術のもっとも重要なひとりとして挙げられる芸術家です。でも、日本で展示されている作品が5点のみで、私は見たことがありませんでした。1984年に近代美術館で没後10年の回顧展というのが行われたときは、娘がまだ1歳で子育て中心の生活、回顧展開催のニュースすら知りませんでした。

 フランシス・ベイコンの生涯を描いた映画『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』が1999年に公開されたときも、坂本龍一が音楽担当しているというので、ニュースになったのかもしれませんが、まったく知りませんでした。知っていたとしても、ベイコンと、彼のモデルであり恋人でもあったジョージ・ダイアーとの仲を描いた「ゲイの愛憎」を描いた映画と思って、少なくともお金を出しては見なかったでしょう。
 ダイアーは、上掲のポスターに描かれている顔の人。映画では、「もとコソ泥」で、ベイコンの部屋に盗みに入ったところを見つかってベイコンの恋人になった、と描かれています。ダイアーは、天才破壊型のベイコンのモデルとして恋人として生きるのに疲れたのか、自殺してしまいました。

 「スフィンクス-ミュリエル・ペルチャーの肖像」は近代美術館の所蔵作品なので、展示してあった時期もあったのでしょうが、私が常設展を見た中では記憶にありません。
唯一の近代美術館所蔵作品「スフィンクスーミュリエル・ペルチャーの肖像」

 描かれているベイコンの友人ベルチャーは「スフィンクス」という名前のゲイ・クラブを経営し、ゲイであることを公表していたベイコンを「私の娘」と読んでいた女性経営者だそうです。

 ゆがんだ顔が印刷されいる招待券を見ても、そんなに見たくてたまらない、という絵でもありませんでした。でも、30点余りの展示作品を見たあとでは、27億円払っても所有したいという人がいるのが納得できる現代美術でした。
 「人間がここに存在する」ということをとことん突きつめ、ねじれゆがんだ姿で映し出す。抽象画全盛の時代に具象を貫いて、描き出された肖像の数々。法王の姿あり、元コソ泥の恋人あり、ゲイバーのマダムあり。どれもがひりひりするような存在感をつきつけてきます。

 ベーコン展のもうひとつの収穫。暗黒舞踏の土方巽(1928 - 1986)の舞踏譜が展示されていたこと。
 振り付け師はダンサーに体の動きを見せながら振り付けを覚えさせていきますが、譜面にも振り付けを残します。自分の頭にある踊り方の手足の動かし方移動の方法などを細かく描写し、ときに絵をそえて、ダンサーが振り付け師がいなくても踊れるようにするのです。舞踊譜Choreography Note)は、映画撮影もビデオカメラもない時代からあり、古くはエジプトピラミッドの時代から舞踊の記録が残されています。

 クラシックバレエや雅楽など、古くからのある踊りの振り付け譜には、形式が整っているものもありますが、土方らが創始した舞踏(暗黒舞踏butoh)の記譜法とはどんなのだろうと興味津々でした。

 土方の舞踏譜は、イメージを得た絵画をスクラップして貼り付けていたり、自分のことばでイメージを書き付けていたりしています。

 土方の舞踏フィルムや舞踏譜は、慶應義塾大学アート・センターの「土方巽アーカイヴ」で収集研究が行われており、今回はベイコン展に合わせて、土方の舞踏譜の中からベイコンの絵画作品からインスピレーションを得て作譜された舞踏譜が展示されていました。

 展覧会には、土方の「ベーコン初稿」のほか、「材質篇」「なだれ飴」が展示されていました。また、慶応アーカイブ所蔵の「疱瘡譚」の一部がエンドレスで映写されていました。

 ベーコン展図録に掲載されている土方巽『疱瘡譚』
スチール撮影by小野塚誠

 慶応アーカイヴの森下隆さんによる土方舞踊譜の解説。

 土方の「舞踏譜の舞踏」ではすべての動きに名前が付けられています。つまり記号化されているのです。その動きを繋げていけば作品になっていくというのが土方の「舞踏譜の舞踏」の創作方法でした。だから、いわゆる台本の類はなくて、「舞踏譜」と呼ばれるものが残されています。
 「舞踏譜」として、土方が画集や美術雑誌などのからの絵画作品の切り抜きを貼り付けたスクラップブックがあり、これらに新しい動きの原理についてのメモがあり、絵画を動きのリソースにしたり、動きの名前や切り抜きのどこをどう使うとか、どういう衣裳にするかといった書き付けを見ることができます。また、大きな模造紙に記したもの、ちょっとした紙切れに書き付けたものなどいろいろあります。「舞踏譜」の中でその内容が一番はっきりわかるのは、稽古のときに土方が喋ったことをお弟子さんが筆記したノートの類です。ここに、動きの名称と動きの注釈というか、暗喩的な詩的な表現ですが、イメージをインスパイヤーする言葉が残されています。


 
「疱瘡譚」1972/10/25 inアートシアター新宿
 http://www.youtube.com/watch?v=ks8bCtAyRUY

 youtubeにUPされているのは慶応所蔵映像ではなく、海外で上映されたものらしくアナウンスは英語。
 外国の方がupした映像で「上演場所はkyoto」となっているのですが、フィルムの最初に「東京・アートシアター新宿」というタイトルが最初にあるので、外国のbutohファンが東京と京都をまちがえたものらしい。留学生もよく間違えます。でも、「東京」という字が読めない外国人にもbutohのすごさは伝わるんだ、ということだろうと思います。

 土方没後27年。若い人には土方がどれほどの衝撃をもって世界のダンスシーンに登場したのかを知らない人のほうが多くなっているでしょう。ベーコン展に入場した人の何人かでも舞踏に興味を持ってくれればいいなと思います。
 我が家の娘息子も、麿赤兒といえば、「大森南朋のお父さん」としか知らないのです。「昔、浮世絵、今アニメ」が、日本から発信されたアートの一番有名なものでしょうが、ブトーも世界に誇る日本の身体文化。ダンスアートです。

 モダンバレエ、ジャズダンス、ベリーダンス、フラダンス、フラメンコと、ジャンルを問わずなんでも習ってきた私ですが、舞踏だけは見る専門で自分で踊りたいと思ったことはありません。ほんとうは、白塗りで顔見えなくしたほうが私には合っていたのでしょうに。

 田中泯、ギリヤーク尼崎などの舞踏を見てきたのに、元祖土方巽のダンスは生で見たことがなかった。
 40年前。舞踏全盛期、私の舞踊論の師匠であった市川雅先生が「僕、スケジュールがいそがしくてこの公演行けないから、これあげるよ」と、券をくれたもののみ見ました。舞踏を自分でお金を出して見たことがなかった。土方巽の公演は、雅先生がどんなスケジュール忙しくても必ず見たので、私にはチケットが回ってこなかったのです。

 そうそう、書きたいことのひとつが舞踊評論だった時期もあったんでしたっけ。(遠い目)。自腹切ってbutohみようという心がけもなかった者に舞踊評論ができるはずもなし。若い頃に、ただで見ようなんて根性で、映画見てもダンス見ても身につかないってことでしょう。

 井上ひさしの若い頃の映画鑑賞法。朝一番に映画館に入る。昔の映画は入れ替え制ではなかったので、握り飯かじりながら、そのまま夜まで5回くらい同じ映画を見る。一度目は普通に面白がって楽しむ。二度目はどこで客が笑い、涙するか客の反応をうかがう。三度目は画面の作り方に注目する。画面はアップなのか、引きなのか、どこでパンしているのか、などの作画術。三度見るとだいたいセリフを暗記してくる。四度目はセリフをノートに速記しながら見る。五度目は、写し取ったセリフに過不足ないか校正しながら、画面説明ト書きを加えながら見る。これが映画鑑賞スタイルであったと。

 ダンスも同じ。本当に舞踊について書きたいなら、ひとつの公演を続けて5度や6度は見て、自分で舞踊譜を書いてしまうくらいでなければ、舞踊評論なんて書けなかったでしょうに。見る阿呆の私はほんとうに阿呆なだけでした。

 阿呆でもなんでも、よさこいソーランもクラシックバレエも、楽しむことができて、人生楽しみが多いほうがいいなあと思うのですが、なんと言っても一番の楽しみは、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊ること。
 9月15日、日曜日。駅前「あすかホール」で、春庭のダンス、披露してきました。楽しかったです。次回は、踊る阿呆の報告です。 

<おわり>
コメント (2)
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