
愛の家(案内板の絵です)
2014/06/04
ぽかぽか春庭@アート散歩>建物散歩なつかしの小学校校舎(3)愛恵学園愛の家
東京は、コンクリートジャングル。ガラスと鉄筋とコンクリートでできたビルばかりで、木造校舎が残る環境がありませんでした。
現在、都内で木造校舎が現役の学校施設として使用されているのは、自由学園初等部(東村山市)の校舎です。1930(昭和5)年に建てられ、木造校舎としては、都内でもっとも古い建物です。目白にある自由学園の施設は、昨年暮れに見学できましたが、東村山市の木造校舎、私はまだ見学したことがありませんので、いつか機会があったら、見に行きたいと思っています。
都内の教育施設のうち、古い木造建築がわずかですが、残っています。教育施設としては使われなくなったあと、区の施設として利用されているのです。
足立区関原にある「関原の森・愛恵まちづくり記念館」として地域の活動に利用されている木造建築。元は、愛恵学園の幼稚園保育園校舎でした。

木造の「愛恵まちづくり記念館」が西新井近くに残されていると知り、「そうだ、荒川土手をサイクリングしよう」と思い立ちました。足立区の荒川沿いの土手は、テレビの金八先生シリーズで生徒たちが通学の行きかえりに三々五々歩いていたところです。足立区関原は、金八シリーズロケ地の日の出地区よりも少し上流です。
気温が真夏日になった6月1日の荒川土手のサイクリング。
ママチャリをフーフー言いながらこいで、水分補給につとめました。往復2時間強のサイクリング、ちょっと膝が痛くなり「昔は葛西臨海水族園まで、片道2時間こいでも平気だったのに」と、年を感じました。
隅田川と荒川にはさまれた地域は、昔も今も、零細な工場が立ち並んでいるところです。私が走ったコースでも、産業廃棄物中間処理工場、空き缶がパックになって並んでいたリサイクル工場、機械工場など、さまざまな工場が続いていました。
小津安二郎の『東京物語』はじめ、映画のロケ地としてもしばしば戦後の白黒映画の中に登場する地域。「貧しくわびしい東京」を表現する地域でした。
関原地区、今はこぎれいな住宅街になっています。
目的地「関原の森・愛恵まちづくり記念館」について、くわしくは調べずに出かけたので、元はキリスト教の教育施設だったときいて、ミッションスクール?と思いました。
私のイメージでは、明治から昭和戦前期に建てられたミッションスクールというと、一般の人には手の届かないお嬢様学校、坊ちゃま学校、という印象です。ちょっと洒落た雰囲気がして、お高い授業料を納められるような家庭の子女を集めてハイソな教育を施す、、、、というような。
入口の案内板を読むと。
日本メソジスト教会が1883(明治18)年に設立した美似美尋常小学校が前身。1923年、関東大震災で校舎が消失、足立区関原で1930年から1990年まで、社会福祉施設(保育、幼児教育)として教会が運営してきました。
1930年、ミス・ペインが学園を創立し1962年まで園長をつとめた、と案内板に書かれています。

メソジスト派キリスト教のミルドレッド・アン・ペイン宣教師は、関東大震災後の日本にあって、極貧のこの地域にこそキリスト教精神の教育福祉施設が必要だと思いました。当時、この地域には零細民が多く、戸籍未登録の児童も数多くいました。戸籍がないので学校にもいけず、放置されたまま貧しさの連鎖につながる子供たち。ミス・ペインは、この子供たちにこそ教育が必要だと考えました。
子供たちに栄養のある食事を与え、教育を受けられるようにする、ということを使命として、ミス・ペインは「愛の家」「恵の家」「光の家」を設立しました。高度成長期にもこの地域にはまだ貧しさが残っていた1962年まで園長をつとめて、子供たちの世話をしました。
1990年、「貧しい子供たちに栄養と教育を」という設立理念は役割を終えた、として、福祉教育施設としての「愛恵学園」は閉鎖。
木造校舎のうち「愛の家」が「足立区愛恵まちづくり記念館」として存続することが決まりました。愛恵学園は「公益財団法人・愛恵福祉支援財団」となって本拠地を東京都北区中里に移転し、福祉を学ぶ学生におくる「ペイン記念奨学金」などの活動を行っています。
「愛の家」は「愛恵まちづくり記念館」として、地域の活動に提供されています。私が訪れた6月1日午前中。1階で小学校以下の子供たちによる「カポエィラ練習」の活動が行われていました。カポエィラはブラジルの武道ですが、格闘技であると同時にダンスでもあります。相手を倒すのではなく、リズミカルに動きながら相手を圧倒していく武道なのです。
カポエィラは、ブラジルの黒人奴隷やしいたげられたインディオたちの身を守る武術として発達してきた武道です。
留学生に母国の文化紹介としてカポエィラを披露してもらったとき、ブラジル出身の学生が型だけを見せてくれました。拍手によるリズム取りと歌は「同時にはできない」として割愛しましたので、歌つきのカポエィラ、生では初めて見ました。といっても、正式な見学ではなく、ドアのすきまからこっそりと。すみません。あまりに楽しそうなようすだったので、のぞいちゃいました。
お母さんたちが手拍子をとり、先生が歌うなか、子供たちは教えられた格闘技の技を操出して踊っていました。
最後に先生は「今日の練習、たのしくできた人!」と子供たちに呼びかけ、子供たちは元気に「ハ~イ」と答えていました。子供たち、強く元気に育ってね。
私は2階に上がって見学をつづけました。
極貧地帯の戸籍もない子供たちに愛の手を差し伸べたミス・ペイン。2階の談話室書棚の上に肖像画が掲げられていました。ちょっと厳しめの表情ですが、信念に貫かれた意志を感じる肖像でした。
右上の肖像画がミス・ペイン

2階談話室

階段


金八先生が中学生に声かけながら歩いた荒川土手。ミス・ペインが生涯をささげて貧しい子供たちを愛した学び舎。子供たちを励ましながらカポエィラを指導していた若い先生、、、、
私はショーモない教師だけれど、先達の思いをたどりながら、とぼとぼと歩いていきます。
真夏日の東京。う~暑い、と文句を言いながら、ハーフマラソンが行われている荒川河川敷を見下ろしつつ荒川土手を自転車で走りました。こんな暑い中、よくもマラソン走ったりする気になるなあ。って、私もいい年をして、よくも真夏日にママチャリで遠出したりするなあ。
朝9時まえから自転車とばして、「愛の家」見学に満足して12時前には最寄り駅にもどりました。
地下鉄に乗って、6月1日午後の部は姑宅訪問。6月に姑の卒寿祝いをやることについて、夫と相談。近所のイタリアンの店で内輪でやることに決定。
そのあとひとりで目黒美術館見学。
真夏日にちょっと動きすぎの1日でしたけれど、元気なカポエィラにも、信念の人のミス・ペインにもエネルギーもらったから大丈夫。
と、思ったら、翌日姑から電話がありました。「うちの台所にケータイがおいてあるの。あなたのじゃない?」
そうです。夫は「今どき、信念をもってケータイ持っていない人」なので、まちがいなくわたしのです。やっぱり真夏日の太陽に照らされた頭は、ぼけていたのでした。
<つづく>