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ぽかぽか春庭「シャガール版画展 in 目黒美術館」

2014-06-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

シャガール「ダフニスとクロエ」

2014/06/07
ぽかぽか春庭@アート散歩>20世紀の画家たち (1)シャガール版画展 in 目黒美術館

 私が絵を見るのが好きになったころ。東京の美術館に行くには遠く、絵といえば美術の先生が見せてくれる画集の絵か美術教科書に出ている絵で判断するしかありませんでした。教科書に取り上げられている画家のうち,好き嫌いが分かれる画家と,みなが「大好き」という画家がいました。絵が好きという女子中学生のみな、シャガールが好きだったのです。
 マルク・シャガール(1887-1985)の作品で教科書に出ている絵は,空を飛んでいる牛やさかさまになっている女の人などがあざやかな色彩で描かれていて,絵をかく楽しさ,絵を見る喜びをわかりやすく伝えてくれました。

 東京に出てきて美術館も近くなった年ごろには、シャガールの展覧会が開かれると,美術館でもデパートの客寄せギャラリーでも出かけて行って,見てきました。

 シャガールは1887年7月7日、帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ・ヴィツェプスク、Vycebsk,Witebsk、Vitebsk)の東欧系ユダヤ人家族に生まれ育ちました。父ザハール、母フェイガ・イタ。マルクは9人兄弟の長男です。ユダヤ名はモイシェ・セガル(Moishe Segal、משה סג"ל)ロシア名マルク・ザハロヴィチ・シャガル (Мойшe Захарович Шагалов)、ベラルーシ名モイシャ・ザハラヴィチ・シャガラウ。そして一般的には,フランスへ渡って画家として名をなしたあとのマルク・シャガールという名で通用しています。

 ロシアの美術学校で学んだあと、シャガールは1910年,23歳のときパリに出ます。1909年にロシアで出会った同郷人のベラ・ローゼンフェルトと、1915年に結婚。母が病死したためにロシアに戻り、ロシアでの結婚生活を続け1916年には、娘イダが誕生しました。1917年、革命により、帝政ロシアはソビエト政権に代わります。
 しかし、ソビエトの革命新政府は、シャガールの非現実的な作品を喜ばず、1922年には再びパリで生活するようになります。

 パリでは画家として成功を収めましたが,ユダヤ人であるシャガールは,ドイツナチのパリ侵攻に伴うユダヤ人迫害を恐れて,1941年にアメリカに亡命。実際、フランスでもユダヤ人は強制収容所に送られた人がいました。
 
 アメリカでの亡命生活中、1943年,愛妻ベラが病死してしまいます。娘イダと結婚相手との仲がうまくいっていないという状態も重なり、妻を失った56歳シャガールは制作もできないようになります。そのころ、シャガールの世話するようになったイギリス人女性がヴァージニア・ハガード(1915-)です。夫との結婚が破綻していた30歳のヴァージニアと、妻を失った58歳のシャガールの間に、息子デヴィット(1945-)が生まれます。

 第二次世界大戦が終わると、7年間ともにくらしたヴァージニアとは別れ、シャガールはフランスへ戻りました。1952年、ユダヤ系ロシア人女性ヴァレンティーナ・ブロドスキーという女性と再婚。
 正式な結婚をしなかったヴァージニア・ハガードは、シャガールと過ごした7年間を回顧して『シャガールとの日々―語られなかった7年間』という本を出版しています。

  3人の女性に愛されたシャガール。失意の時代もあったにせよ、その生涯はおおむね幸福であったと思います。

 目黒美術館の展覧会「マルク・シャガール-版画の奇跡 無限大の色彩」は、シャガールの版画リトグラフとエッチングを中心に展示されていました。

 ゴーゴリの小説『死せる魂』にシャガールの銅版画による挿絵がついて、出版されました。展示は、白黒の版画のわきにストーリーがついていて、ゆったりした館中で、ストーリーを追いながら版画を見ることができました。
 ゴーゴリが描き出すロシア民衆の姿が、ユーモラスだったり狡猾だったり凡庸だったり、さまざまな姿を見せていました。

 もうひとつは20色多色刷りの版画『サーカス』と、1961年の作品『ダフニスとクロエ』 
 サーカスは、ピカソやルオーもよくモチーフにしていた、20世紀の絵画に好まれたモチーフです。シャガールのサーカスも、楽しい中に物悲しいような雰囲気が伝わる版画です。
 ダフニスとクロエもとても美しい色彩にあふれ、ストーリーを追いながら版画をながめて、最後に若い恋人たちが幸福な結婚式を迎えると「よかったよかった」と祝福したい気持ちになります。



 シャガールはユダヤ人として生まれたゆえのつらい境遇もくぐりぬけ、愛妻の死や息子をもうけた愛人との別離も経験した人生でしたが、人生全体を振り返ってみて、晩年のシャガールは画家としての栄光と家庭の幸福に恵まれた一生だったと言えます。

 彼の絵を見ていると、「人間の肯定」を強じます。「サーカス」シリーズの中に描かれているように、華やかな中のさびしさも感じられ、「死せる魂」の白黒の銅版画の中に、人間を粗野で野卑な面から描いていても、こずるかったり狡猾だったりする人間たちにも何が無しの愛情とユーモアを感じるような、作風。

 絵の技法などなにもわからずに、ただ「好きだ、嫌いだ」と、わいわい言って絵をみていた中学生たちの、みんなが「この人の絵、すきだ」と言っていた気持ちが、いまもよくわかる、版画展でした。

 目黒美術館での展示は明日、6月8日までですが、展示作品のほとんどは、町田市立版画美術館と神奈川県立美術館の所蔵品だったので、貸出元の美術館で再び出会うこともできるかと思います。

<つづく>
コメント (2)
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