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ぽかぽか春庭「森まゆみトークショウ in 岩波BookCafe」

2014-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/06/26
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記6月(3)森まゆみトークショウin岩波BookCafe

 A子さんのお誘いをいただいて、岩波ブックカフェに参加しました。6月19日木曜の仕事が終わってから、神保町へ。早めについて、コーヒーでも飲みながら待っていようと思ったのに、やっぱり地図を見ながらまったく違う方向へ行きました。「あれ、へんだな、高齢者センターなんてところに来てしまった」と、思って岩波ホールまでもどり、受け付けの人に「岩波本社はどこですか」とたずねました。最初からこうしていればよかったのに。

 もう喫茶店で一休みする時間もないので、コンビニで缶コーヒーを買ってブックカフェ会場へ。開演30分前のオープンになっていたので、前から2列目の椅子確保。まもなくA子さんも到着して、開演まではしばし近況報告。近況といっても、私のほうはまったく何の変化もない相変わらずの貧乏生活がグダグダと続いているだけ。

 A子さんは、ひとり息子さんが大学に入学し、ご自身は翻訳会社を退職して今のところフリー翻訳者として仕事を得ている、という近況でした。高校生活はバスケット選手として練習と試合の日々だった息子さん、勉強もよくがんばりました。世間では「あら、いいところにご進学ですこと」と言われる有名校に入学したのですが、A子さんは、「第一希望じゃなかったけれど、息子が学校を見てから気に入ってくれたので、ほっとした」ということでした。これで、母親としての子育ては一段落。

 岩波ブックカフェは、岩波から本を出版する著者の販促のトークショウ。今回の講演者の森まゆみさんは、私もA子さんもお気に入りの作家で、ひとり親として子育てを仕上げたという境遇がA子さんや私とも共通しているので、共感もあります。といっても、私はダメンズを切り離せていないので立場弱いですけれど、ひとりで育てたという点は同じ。

 新刊の著作は「女のきっぷ」というタイトル。
 この日の授業で青春18きっぷを紹介して、留学生が安く日本中を旅するなら、この切符で24時間乗り続けて移動せよ、とおすすめしたところだったので、タイトルだけ見たとき、「女の切符」かと思ってしまいました。私は、ローカル線鈍行列車の旅ばかりで、特急とか新幹線の「女の切符」には無縁だったなあ、と思ったのですが、切符ではなく「女の気風」のほうでした。それなら、私だって、少々の気風は持ち合わせています。準シングルマザーだから気風というより「スキップ」程度のもんですけれど。

 「女のきっぷ」には、森さんが「見事な生き方、すごい気風をみせてくれた女性」と感じた明治から昭和までの17人の女性が取り上げられており、一人分10ページほどの短い評伝にまとめられています。
 講演は、これらの女性の紹介と、取材の苦労話のあれこれ。森さんはこれらの女性の友人や子孫にインタビューし、おもしろいエピソードが聞けたけれど、存命中の人のことは、オフレコになった話のほうが多く、書きたいエピソードもまだまだいろいろ残されているのだそうです。

 森まゆみが「気風のある女」と感じた17人の女性。
 樋口一葉、与謝野晶子、宇野千代、吉野せい、林きむ子、知里幸恵、ラグーザ玉、和田英、相馬黒光、石井筆子、神谷美恵子、野村かつ子、林きむ子、河きみ、沢村貞子、淡谷のりこ、谷洋子。
 17人全員知っている人ばかりだったら、本を買わなかったところでしたが、野村かつ子、河きみ、谷洋子の3人について、何をした人なのかも知らず、初めて聞く名前でした。

 河きみ(1896-1971)も、いっさい表に出ることなく日陰の身を通し、「縁の下から主人をささえる」一生を貫きました。後藤新平(1858-1929)の、内縁の後妻さん。15歳のときに55歳の新平と出会って結ばれ、以後、40歳年上新平を尊敬し、新平が71歳でなくなるまで身辺の世話を15年間つづけました。新平との間に五男二女をもうけても、1918(大正7)に亡くなった正妻和子が新平の恩人の娘であったことをはばかったのか、正式な後妻として直されることはありませんでした。

 しかし、きみにとっては立場が正妻であるかどうかより、新平の世話をすることそのものに生きがいを感じていた、というのです。新平の死後は里子に出されていた子供たちを手元にひきとり、「新平の子」として恥じることない教育をしそれぞれを立派に成人させました。
 新平の外孫に当たる鶴見俊輔は「うちの家系は傍系(正妻でないきみの子たち)のほうが優秀な人が多い」と、語っていたのだそうです。

 野村かつ子(1910-2010)は、消費者運動生協活動をつづけた人。主婦連とか生協活動とか、消費者運動をやってトップに立った女性は、議員になるとかの転身をする人が多かった中、かつ子は、最後の最後まで「一消費者」という立場でものごとをとらえて活動しました。

 明治天皇の侍従としてつかえた山岡鉄舟に対して、西郷隆盛が彼を評して言うことに「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人」しかし、結局、山岡鉄舟も、子爵、勲二等を受けました。それに比べれて、本当に金もいらぬ名もいらぬ、という一生をつらぬき、子を捨ててもやるべき運動を完遂した人です。本当に「金もいらぬ名もいらぬ一生」を過ごすのは、志ある女のほうです。

 谷洋子(1928-1999)は、戦前戦後、フランスで活躍した女優。フランス生まれですが、学齢期には日本で育ち、津田塾大卒業後、ソルボンヌ大学へ。自分の才覚で女優としてフランスで名を知られるまでになりました。しかし、日本では谷洋子の名を知る人も少なく、私もまったく知りませんでした。晩年は、ライター製造販売の富豪ロジェ・ラフォレのパートナートして過ごし、同じお墓に入ったそうです。

 極北に生きるイヌイットを描いた映画「バレン(1960)」、アンソニークインの妻アジャク役の谷洋子


 トークショウ終演後、本を買ってサインしてもらいました。宛書をメモ用紙に書いて差し出したのですが、「春庭」という名を見て、森まゆみさんは「本居春庭?」とおっしゃいました。「春庭」と名乗ったとき、本居春庭の名を知っていた人に初めて会いました。本居宣長を知っている人は多いですが、江戸期国学や日本語学研究者以外の人で息子の本居春庭を知っている人は、あまりいません。ますます森まゆみファンになりました。

 これまでに自分で買った本は、『明治東京畸人伝』『一葉の四季』『鷗外の坂』くらいで、あとは図書館で借りて読みました。お金儲けはできなくとも、凛として執筆を続けている森さんに、あまり印税貢献もしてこなかったので、申し訳ないことでした。

 森さんは、現在東京オリンピックの競技場建て替え反対運動を続けています。東京オリンピック開発利権に群がる人々の間で、「勝ち目のない戦い」と森さんはつぶやきましたが、私も「開発より神宮の緑を残したほうが、都民国民のためになる」と思いますし、「古きよきものの保存」を願うひとりです。東京国立競技場を取り壊し新築する費用は、決して東京都民のためになりません。神宮の緑を損ねてまで新しい競技場を作る必要なし。新しい競技場を作りたいのは、それで稼ぎたい人たちが望むから。
 ぽかぽか春庭、本居春庭の名を知っていてくださった森まゆみさんに賛同し、あらためて宣言します。国立競技場は、建て替えなくてもよい!!!

 図書6月号に載っていた「著者からのメッセージ」に載っていた森さんのことば。
 「女性の品格」という言葉にメディアが注目したころ、私は品格という言葉に相当違和感があった。自分から品格だというなんて品がないんじゃないの。案の定、上司とか世間に「品がある」と評価されるにはどんな振る舞いや衣服や挨拶がいいのか、というような成功のノウハウばかりが語られていた。他人同士の見栄ばかりでは生きる意味がない。

 そうそう、それで、私は「女性の品格」が100円本になっても、ついに買わず読まずだったんだよ!

 人生の目的は成功ではない。信念と真心だ、と信じている私は「いばるやつは許せない、困っている人は見ちゃいられない」という生き方が好きだ。自分を傍観者や高みにおくのでなく、弱みもさらけ出す。思い切りよく我を忘れて飛び込み、どんな結果になろうとも潔く引き受ける。そんな女が好きだ。それが「女のきっぷ(気風)」。

 ああ、気持ちのいいタンカの斬り方やねえ。
 愛想ふりまけず、空気読めず、ずいぶんと損な生き方をしてきてしまったと思ってきたけれど、「そうにしか生きられなかったのよ、ははは、、、」と、空の上から笑いとばしている女性たちにつづきたい。

トークショウの開演前「著者席」


<つづく>
コメント (2)
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