
水族館劇場「嘆きの天使」
2014/06/21
ぽかぽか春庭感激観劇日記>梅雨どきのかんげき(3)水無月の水族館劇場
5月木曜日の仕事が終わって、新宿渋谷を回って三軒茶屋へ。キャロットタウンでミサイルママと待ち合わせ。去年いっしょに見た水族館劇場を見るためです。
2013年の6月に見た水族館劇場「あらかじめ失われた世界へ」の観劇リポートはこちらに。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/85804113e1afa70429ebc0d5fd113310#comment-list
今回も、昨年と同じ、世田谷区太子堂八幡神社境内にテント小屋の野外劇場「化外の杜」が建てられています。仮設劇場とはいえ、100名前後を収容でき、階段状の観客席ははじっこに座っても見にくいことはないように、しつらえてあります。演劇を作る側の座長自らがレンチ、トンカチを握って自分で建てた小屋なので、自分がやりたい演出に合わせて建設されているのです。
日も落ちて、八幡神社の境内も暗くなったころ、開演前の野外劇がはじまりました。ギターとアコーディオンの鳴物係りが練り歩いた後、肩に大きなフクロウを止まらせた姐さん(千代次)がセリフを語りながら観客が固まっている中を歩いていきます。セリフはあまりよく聞き取れませんでしたが、ときどきバサバサと大きな羽をはばたかせるフクロウ、動物園の鳥小屋の前に行っても、こんなに羽ばたいたりしないので、見とれてしまいました。
野外劇はシロートっぽい神楽芸が続きましたが、いくら前座の時間つなぎとしても、あまりにへたくそでしたが、この下手芸になにか意味あるのかと見ていました。登場人物の顔見世が終わって全員で歌ったあと、プロローグが終わり。小屋の横に整列して客入れです。私とミサイルママは、昨年より早めに来て、待っていたかいあり、前半で入場でき、前のほうの中ごろに座りました。開演前の口上では、数日前の公演では、近隣住民の通報かなにかで、消防車4台が八幡神社を取り囲むという大騒動になった、という経緯が語られ、本日は終演まで無事に公演ができるように願っているというあいさつがありました。
以下はネタばれ紹介です。東京公演はすでに終了しているのですが、地方公演があるのやもしれず、地方で見る予定があるのだったら、結末がわかるので、ご注意を。もっとも、あらすじを全部読んだとしても、水族館劇場の舞台はストーリーではなく、大量の水こそが主役であるともいえるので、ストーリーを知っていようと知らなかろうと、なにはともあれ舞台を見ないことには、意味がない。毎公演数十トンの水がテント小屋に流れ落ち吹き上がる。主役の渾身のセリフに対してより、この水落のシーンに一番大きな拍手が沸き起こるのですから、水が主役といっても、桃山邑もおこらないでしょう。
舞台の作り方は、昨年と同じく、上手と下手に小さなまわり舞台があり、真ん中に池。今回もたっぷりと水が吹上がり、滝のごとく水が流されるのだろうと期待できます。
入場整理券を受け取ったときに、芝居のパンフレットをもらったのですが、芝居の前に何の情報も持ちたくない。何も知らずに舞台を見たいので、読んでいませんでした。
帰りの地下鉄のなかでパンフレットを読むと、座長桃山邑やプロデューサー梅山いつきのエッセイなどが載っていました。梅山いつきは、早大演劇研究所助手、演劇雑誌シアターアーツ編集などをこなす演劇研究者。野外テント劇場を研究フィールドにしています。
舞台の構造も昨年と同じだし、時間構成も同じ。プロローグ。客入れ。第一部。第二部までの休憩の場つなぎ。今回のはざま芸は、山谷の玉三郎というジーサンが河内男節に手踊りをつけていました。玉三郎ジーサンは、公演の間中は酒を断つと約束したらしいですが、踊っていないと手が震えているので、アル中であることはミエミエでした。元アングラ劇に出ていたらしいこの人の個人史を劇団の人たちは知っていての出演だったのでしょうが、知らない観客である私には、酒の上の失敗でアングラ劇団を追放され、今はただの飲んだくれになっているらしい玉三郎を物悲しい気分で眺めつつ、流れてくる河内男節に陽気に手拍子を打つというアンビバレンツな気分で第2部に突入。
大量の水落のほか、雪がけっこう降るのですが、この降雪装置がすごい雑音をたてる。ウィーンと音がするので、あ、この後雪が降ってくるな、とわかるのがちょっと興ざめで、この騒音はなんとかならなかったか。雪がふる前はなんでもいいから、たとえば河内男節が鳴り響くのでも、「ほら、これから雪を降らしますよ」の機械音よりはましな気がする。
プロローグで肩にフクロウを止まらせて歩いていた看板役者千代次は、「路地裏にひそむ黒いぼろ=ノリオとセツの幻の母」を演じます。前回の役も今回も、そこに立っているだけで傷痍軍人とその情人のパンパンの二面性を持つような聖なる娼婦の存在感。
「贋の蝦夷錦をでっちあげる糸・縫」を演ずる風兄宇内は、強烈な個性の役者で、ただ、去年の役も今年の役も、その存在感がまったく同一でした。つまり、役ではなく風兄宇内として存在している。
ミサイルママご贔屓の鏡野有栖(ノリオの姉セツ)は、第一部の終わりに赤い檻に閉じ込められて池の中から現れ、檻は大量の水とともに舞台中空にのぼっていきます。
七ツ森左門が演じる「幻の姉セツを求めて列島をさまよう家出少年・ノリオ」は、終演近く、銃弾を撃ちこみます。銃声が聞こえてはじめて、わたしはノリオが永山則夫をモデルにしていたことに気づきました。
貧しさの中でもがきながら、母と姉を追い求め、ついに銃弾を撃つことになるノリオ。
最初から「板柳町」という地名が出ていたにも関わらず、私は「板柳町」を劇中の架空の町と思っていたので、ノリオと板柳町に生まれ育った永山則夫を結び付けていなかった。
ミカドにあらがう国栖(くず)一族の長も、帝政ロシアとの密貿易を重ねる毛皮商人も、その帝政を倒そうとする革命家も、その革命家を付け狙う密偵も、時代と時をごちゃ混ぜにしためまぐるしい舞台に、ミサイルママは「今回もストーリーがよくわからなかった」と言いながら帰りました。
最後までノリオが永山則夫だったことがわからなかった私ですが、この劇団を応援している高山宏の本公演アジテーションの意味が、今はわかりました。
刑死者鎮魂(高山宏)
奈落の底にそのさなぎ、まどろみ夢む、
我執の空に怨み舞うてふてふ、豪奢。
やみがたきそのパッシオンを人は受苦、
間違いの喜劇と称す、無知の涙と
野のはてにその虫、まろびつ夢む。
理に溺れた韃靼のうからの海を
驚かせわたる血の色の蝶とならまし。
「無知の涙」は、永山則夫の最初の著作です。はたして、この、消防車がかけつける騒ぎになるほどの数十トンの水が豪奢に流れるお芝居によって、弾丸は浄化され、刑死者は鎮魂されたのか。この大量の落水は、ノリオが流した無知の涙だったのでしょう。
嘆きの天使、劇場外でのプロローグ(このプロローグだけなら無料で見ることができます)
https://www.youtube.com/watch?v=RvUZbPAWLuE
来年もおそらく水族館劇場はどこかで上演するに違いない。九州小倉まで水族館の芝居を見に行ったミサイルママのようにはいかないけれど、都区内でやるなら、見に行きます。
水族館劇場の紹介ビデオ(2012年九州公演を中心に)
https://www.youtube.com/watch?v=6b7UPvEGiwQ
水族館劇場「NADJA 夜と骰子とドグラマグラ」野外プロローグ
https://www.youtube.com/watch?v=Kxna0eajfm4
<おわり>