
展覧会のちらし「音楽(1944ころ)」
014/06//08
ぽかぽか春庭@アート散歩>20世紀の画家たち(2)マリー・ローランサン展in三鷹美術ギャラリー
6月5日午後、三鷹美術ギャラリーで「マリー・ローランサン展‐女の一生」展を見ました。(会期6月22日まで)
中学校高校あたりの乙女たちに人気だったのは、シャガールと並んでマリーローランサン(Marie Laurencin, 1883 - 1956)でした。
やわらかい色彩のふんわりした少女たちの肖像。人生に影や悲哀もあるのかもしれないなんて思っただけでちょっと不安そうな悲しそうな表情をするけれど、実際には絶望も慟哭悲哀もまだ遠い、そんな少女たちの造形に自分たちを投影させていたのでした。
そんな時期はあっというまに通り過ぎ、今や白髪交じりのばあさんになっているのだけれど、ローランサンの乙女たちに向き合えば、あのころの自分が戻ってくるような。
1983年に開館した「マリー・ローランサン美術館」いつか見に行きたいと思っていたのですが、蓼品高原だと行くにもたいへんだなあと思っているうちに経営が思わしくなかったのか、2011年には閉館してしまいました。個人美術館だと、運営がたいへんなのでしょうね。
シャガールの所蔵品をもう一度見たいと思っていた青山ユニマット美術館は2006年に開館して2009年にはもう閉館してしまいました。こちらは親会社の業績悪化によっての閉鎖と思うので、社長の個人コレクションだった絵画、オークションなんぞで散逸したのかなあと思います。
マリーローランサン美術館の作品、こうやってまとめて三鷹美術ギャラリーで見ることができてよかったです。
油彩、版画69点が、マリーの自画像や肖像写真とともに展示されており、「女の一生」というサブタイトルどおりの、わかりやすい編年展示です。
女流画家のさきがけとして、華やかな恋愛遍歴とともに20世紀をかけぬけた女の一生。
パリ・モンマルトルにあった貧しい画家たちのおんぼろアトリエアパート、バトー・ラヴォワール(洗濯船)。22歳のマリーは5歳年上のアポリネールと恋におち、彼の影響のもと、アンリ・ルソー、ピカソなどの画家たちとの交流の中で、自分の絵を追及していきます。しかし、画家として独り立ちに手が届くようになると、アポりネールとは別れ、正式な結婚の相手としてはドイツ人男爵を選びます。私生児として育ったマリーには「男爵夫人」という正式な妻の座は必要なものだったのかもしれません。しかし、男爵との結婚生活はわずか6年で破綻し、離婚。
第1次大戦後パリに戻ったあと、マリーはやわらかい色彩の画風を確立していき、マリー・ローランサンに肖像画を描いてもらいたがる上流婦人の注文が殺到しました。バレエや演劇公演の舞台衣装や装置のデザインも手がけ、晩年にはフランスの勲章も得ました。
私生活では女性を愛する女性として生きていきます。
ローランサンの描く女性たち、描かれたモデルの婦人たちの名がはっきりわかる肖像画であっても、けっして現実にはこんな女性はいない、と感じるようなどこかファンタジックな女性像です。贋作が作りやすそうな。
最初期(1902-1903)の展示の中で、ポスターにも使われている21歳の自画像が印象的でした。まだ「ローランサン風」ではない、決して技法的にうまいとはいえない自画像ですが、意志の強そうなきりっとした、同時に人生の悲哀をすでに知っていそうな21歳。
21歳の自画像

時代別の展示、次はアポリネールとすごした時代1907-1913。フォン・ヴェッチェン男爵との結婚1914-1920。一番たくさん展示数があったのは、成熟~晩年1921-1959。
扇を持つ若い女 1950ころ

モンテスパンとラヴァリエール1952ころ

マリーの肖像写真も時代ごとに展示されていました。画家になりたいという思いを母に許してもらえないでいた21歳の自画像が、やや暗い表情をしていたのに比べて、1907年24歳のマリーは、笑みを浮かべてカメラに向かっています。アポリネールとの恋と画家をめざす生活が充実していたことを想像させます。
恋多き女であったマリー。晩年は彼女の身の回りの世話をする家政婦であり恋人ともなったシュザンヌ・モローを愛し、1954年に正式に養女として入籍しました。
1953年の肖像写真。マリー晩年の代表作である「3人の女性」を制作中の70歳の写真が印象的でした。
キャンバスに向かって絵筆をとっているマリーが振り返っているのですが、カメラ目線ではなく、その目は天井を見ているのかと思うくらい、思いっきり上目づかいです。私生児として生まれて父の名を知らずに育った少女時代からの、「必ず這い上がって見せる」という闘志を最晩年までうしなわなかったのだろうなあと思うような、強い視線でした。
《三人の若い女》を描いているときの肖像写真。1953年頃70歳)

《三人の若い女》(今回は展示されていませんでした)

<つづく>