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ぽかぽか春庭「あめつちはじめの物語~古事記よりin シアターカイ」

2014-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

シアターカイ国際舞台芸術祭ポスター

2014/06/18
ぽかぽか春庭感激観劇日記>梅雨どきのかんげき(1)あめつちはじめの物語~古事記よりin シアターカイ

 6月14日土曜日のシアターカイの「あめつちはじめの物語~古事記より」のチケットをメール予約しておきました。『古事記』は、私の最初の大学での卒論テーマですから、K子さんの劇団の演出、どんなふうになるのだろうと興味がありました。ロシア人演出家が中心になっている劇団なので、『ワーニャおじさん』とか「白痴」などはお得意でしょうが、『古事記』をどのように演じるのか。

 メール予約をしたあと、K子さんからのご招待が届いていました。「ぎりぎりご招待。出演するから見にきて」というお知らせでした。ご招待があることを知っていたら、予約しなかったのに。ま、いいか。シアターカイの「千円でみる演劇」のシリーズ。国際舞台芸術祭のオープニング作品です。

 そこで、ダンス仲間のTTさんをおさそいしました。K子さんからのご招待があるから、いっしょにみませんか、というメールに「行きます」という返事。
 午後2時開場と同時に入って、自由席を確保してから、待ち合わせの領国駅改札へ。いっしょに一番前の席で見ました。

 開演までの時間、TTさんは、「きのう、反原発の集会で出かけたの。いつもの集会だと思って出かけたのだけれど、思いがけず関野吉晴さんの講演会があったので、よかった」という話をしていました。

 講演会を知っていたとしても金曜日私は仕事でしたから、私には関野さんのお話を聞くことができなかったところですが、関野さんファンの私としては、ちょっと残念。TTさんは、高校講師の仕事を退職されて以来、さまざまな活動を続けているので、退職者の自由時間をうらやましく思ったことでした。
 私は、関野吉晴に関しては1970年代からのファンなのですが、ドキュメンタリー番組や写真集で見ただけで、生関野を見たことない。同じ時期に同じキャンパスで、知らずに出会ったことはあったのかもしれないけれど。

 その同じ時期に同じクラスに在籍したK子さんが、定年退職後の活動として若いころに携わったことのある演劇を再開し、劇団に所属するようになりました。K子さん主演の劇も、TTさんといっしょに見ました。

 K子さんからのメールご招待の説明によると、今回の出演は、「コロス」の一員としてで歌うのと、劇中効果音の音楽担当としての参加、ということでした。
 劇の概要は3月に芝増上寺で会ったときに聞いていました。劇団のワークショップの課題で、「次回公演の『古事記』にふさわしい音を探している。アイヌ・ムックリの演奏を習いにいくために出かけてきた」と、そのとき言っていました。
 私は、アイヌのムックリの音は、毎年「日本語音声学」の授業でとりあげています。日本語音声学の講義のブレイクタイムとして、世界各地の民族音楽を聞かせるのですが、その第一番が。アイヌの神謡歌とムックリ演奏。ビヨヨ~ン、びょ~ンを響く音、魂を呼び起こす音色です。 

 終わったとき、ともこさんと「パラちゃんの歌、どこで聞こえたのか、わからなかったね。声を変えてた?」と質問しあいました。公演後、K子さんに直接確認したところ、K子さんの歌は本公演までのお待たせになったと、今朝のメールに書いておいたとのこと。メールをみていないので、知らなかった。
「むっくり」の音はよくきこえて、効果的でした。古代のひびき、原始のひびきがしました。

 TTさんの感想。後ろに座っていたK子さんの姿、上演中は見えなかったけれど、カーテンコールで挨拶するために前に出てきたとき、白い古墳時代の衣装がすごく似合っていて、古代の人そのもののように見えた。
 そうそう、K子さんは「古風な美人」なのに、前回主演の舞台では、白髪のおばあさん役で、美貌が生かせなかったのが残念なところでした。今回は古代美人の雰囲気がすてき。

 今回の公演は、ロシア語に翻訳されている『古事記』をもとに、鎌田東二の「超訳古事記」によって戯曲化。ロシア人演出家レオニード・アシニモフが、声の響きを前面に出す実験的な手法をとりいれていました。
以下は、K子さんに出した感想メールです。

6月14日の公演、よいひとときをすごすことができました。
2:30-3:30の公演が終わったとき、あれ、これで終わり?と思ったのですが、本公演では伊邪那美伊弉諾のその後の物語まで進むということなので、楽しみにしています。

 冒頭の神々の名の読み上げるところ、オデュッセイアのカタログみたいですよね。ああやって、固有名詞を羅列していくこと、古代にはとても大事な神事だったのだろうと、いうことがよくわかりました。。
注:オデュッセイアのカタログ=神々の名や戦闘参加武将の名をずらずらと羅列して朗誦していく部分

 母音を長く伸ばして発声するうちに、役者に「さとり」の瞬間が訪れるというアニシモフさんの発言、さもあらん、と納得。修験者の発声も、声明も、御詠歌も、念仏お題目もみなそのための発声ですから。

 最初の太安万侶の発声法、おもしろかったし、効果的でした。ただし、重箱のすみをつつきますが、日本語音声学の授業を12年続けてきた結果のトリビア知識を言うなら、アフタートークで、あの発声を「破裂音」と紹介していたのは、まちがいです。破裂音とは、[t][p]などの、発声器官の破裂による発音をいうのであって、太安万侶の息を強くだす発音は「有気音」というのです。一般の観客にとっては、どうでもいいことですが。

 アフタートークでは、「古代の日本語は、太安万侶登場のときのような、強い発音があり、いのちがけの発声が行われていたのではないか」という演出家アニシモフの説を出していました。
 太安万侶は渡来人であるという説がありますから、朝鮮半島の有気音を太安万侶も持っており、文字の読み書きができる渡来系の人々の発声には、有気音があっただろう、という説はうなずけます。
 ただし、本来の縄文以来の日本語には、有声音(濁音)も有気音(強く息を出す音)もなかったというのが、私の受け止めている古代日本語です。
 あの発声法をするということは、アニシモフは、太安万侶渡来人説に賛同した、ということですかね。

 アニシモフさんの友人という方(ハンプティダンプティみたいな人)が、「ソ連時代に、古事記はロシア語に全訳されており、子供向けの絵本も出版されている」ときいて、ロビーのトークショウに集まった人たちは驚いていました。
 ソ連時代の日本語教育は世界のなかでも高いレベルを保っていました。日本文学の翻訳も盛んだったこと、一般の人が知らないのだ、ということがわかって、逆に私には新鮮でした。
 うちの日本語教育センターは、来年からはロシアの大学との提携をはじめるそうで、私のボスは昨年からロシアへの出張を繰り返しています。ロシアから日本に派遣されてきたロシア人の女性教授(ハートの女王みたいな人)が、私の授業を覗いて行ったりしました。

 ハンプティダンプティさんの、「ウクライナ語はサンスクリット語から発生した、という説がある」という発言に、観客たちは「へぇ!」と、驚きの声をあげていました。言語学徒としては、あらま、こまっちゃうな、と思いました。ウクライナ語がサンスクリット語から発生したというのなら、ロシア語もそうで、インドヨーロッパ語は、どれもサンスクリット語の親戚です。たぶん、ロシアとの関係を遠ざけたいがためにサンスクリットとの関係を持ち出したのかと思いますが。
 ただ、ハンプティダンプティさんのいうとおり、ロシアウクライナ関係は、新聞報道でプーチンのやりかただけに非難が集まるようなことではなく、それ以上に根深い問題があることはわかりました。

 アニシモフさんのトークで、古事記のなかで、天皇の歴史について書かれている部分は、天皇家に都合よくつくりかえられた歴史であるけれど、神話の部分は本物、という解釈が述べられていました。
 かって、神話学研究、古事記研究をやったものとして、このアニシモフさんの解釈はまちがっていると思います。神話部分こそおおいに書き換えられているのです。稗田阿礼の口承を太安万侶が採録し、万葉仮名でかきとめる過程で、どれだけの書き換えが行われたのか、まだ研究は続いているところです。

いざなみいざなぎの黄泉の国伝説にしても、オルフェウス物語との関連が従来より議論されてきましたが、きっと比較神話学研究の分野では何か新しい所見が出されていることでしょう。

 神話研究、古事記研究からみれば、セルゲイ・ズーバレフの『豊葦原の国にて』にも、鎌田東二さんの「超訳古事記」にも、不満はありますが、演劇として東京ノーヴィの演出はひとつの解釈として、演劇技法の実験として、とてもおもしろい試みと思いました。

では、10月にKこさんの歌をきけますように。


<つづく>
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