
2014/06//16
ぽかぽか春庭@アート散歩>20世紀の画家たち(7)プロレタリア・アート in 吉祥寺美術館
吉祥寺美術館で2014年05月17日(土)~2014年06月29日(日)開催の「われわれは〈リアル〉である 1920s -1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」という長いタイトルの展覧会。6月5日と12日の2度見ました。2度も見たのは、この美術館がいつでも、入場料100円という料金設定をしているからです。ほかの美術館もこうあるべき。無料ではないところがミソ。
最初に見たとき、図録は650円で安いですが、図録とも呼べないような、ただ出品作の小さな写真図版と画家の略歴がある30ページにも満たないパンフレットだったので、これなら出品目録をみるだけでもいいや、と買わなかったのです。でも、これまで知らなかった画家の名と作品、やはり出品目録だけでは、見て印象に残った絵と画家の名を結び付けて思い出せないのです。思えば、プロレタリアアートをまとめてみる、ということを、これまでどの展覧会でも経験したことはありませんでした。
やっぱり図録を買うことにしました。
2度めのときは図録を買うために立ち寄ったのですが、100円だからもう一度見ました。この展覧会に出品している画家のうち、私が名前を知っていたのは、利根山光人と飯田善國だけでした。飯田は彫刻家としての名を知るのみ、利根山の名は、メキシコを描いた画家として知っていたのであって、プロレタリア・アート運動と結びつけたことはありませんでした。
プロレタリア文学については、徳永直『太陽のない町』は、1954年6月に山本薩夫監督によって映画化(日高澄子主演)されたことがあるし、近年、小林多喜二『蟹工船』がリバイバルヒットしたりするなど、研究者ではない私もこれらの作品の名や、連載されていたナップ(全日本無産者芸術連盟Nippona Artista Proleta Federacio、NAPF)の名は知っていたのですが。そのほかの1920s~1950sの労働者美術、特に漫画の多様な表現について、まったく知らなかったので、おおいにおもしろく観覧しました。
また、利根山光人の「佐久間ダムシリーズ」の版画は、1954年の岩波映画「佐久間ダム」の記録に感動した利根山が、ダム建設現場に行って、労働者とともに住んで制作された、というエピソードにより、「佐久間ダム」がビデオ上映されていました。他の観客への配慮から、音声がごく小さい音になっていたため、耳のきこえが、年齢以上に悪くなっている私の耳にはききにくい、という難点はありましたが、こんな機会でもなければ、岩波記録映画をじっくり見るなんていうこともないでしょうから、見てきました。私は見たことなかった記録映画「佐久間ダム」ですが、1950年代には、観客動員数300万人だったということで、驚きでした。
炭坑労働や水俣を描いた作品も出されていましたが、自然と人間、産業開発と人間をありのままに記録していて、秀逸でした。ダム工事映画としては、むろん石原裕次郎主演の「黒部の太陽」のほうが大ヒットでしたけれど。
労働運動に携わった人々のことが「遠いかなた」のことになっていく昨今、
「戦後の娘」であり、「鉄鋼労働者の娘」として育った私としては、これまで、まとまったプロレタリア・アートの展覧会の開催が行われてこなかったこと、もっと意識的に考えるべきでした。一億総中流になって以後、だれもが「自分の暮らしに満足」という社会になって以後、「人としてリアルな存在でありたい」「子供たちの世代には、今よりももっと豊かな社会を譲り渡してやりたい」と願いつつ絵筆を握った無名の画家たちのことを、もっと知りたい、と思います。
中村宏「射殺」1957

群馬県の相馬ケ原米軍演習場で、鉄くず売買するための弾丸薬莢拾いをしていた日本人農婦が、米軍兵士に射殺された事件(ジラート事件)を題材にして描かれました。
高山良策「漁夫」1958

水俣の漁師を題材にした絵。この時期はまだ水俣の魚たちが危険なことになっているということに気づいていない人のほうが多かった。私も知ったのは、石牟礼道子『苦海浄土』を読んで以後のことです。
中村や高山の名をまったく知りませんでした。絵ハガキがあったら買おうと思ったのですが、売っていませんでした。
絵ハガキは、日本画家の小畠鼎子のものしか売っていなかったので、「増産」を買いました。これは、戦意発揚増産運動のために描かれた作品ですが、芋を掘る女学生の姿、戦時中の画題としては珍しいものだと思って買いました。
「農民と労働者が主人公」だったはずの旧ソ連でも、ドイツの労働者のための党、だったはずの、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)も、「抽象画も超現実派も立体派も認めぬ、リアリズムだけが労働を描ける」としていました。この意味においての「リアル」については、展示解説にも図録にもなんのコメントもありませんでした。
しかし、日本の労働者美術界においては、戦前も戦後も、シュールレアリズムもキュビズムやほかの抽象画も盛んに表現されていました。日本のプロレタリア・アートにとって、リアリズム以外の表現が重要であったのは、旧ソ連とも中共とも主張をことにしていた党派性によるのか、シロートの私にはわからないことなので、こういうことの解説こそ図録にほしいところです。この展覧会をまとめたキュレーター、よい目のつけどころだったのに、図録に関しては、ちょいと残念。プロレタリア・アートは散逸作品も多く、残されている作品も著作権関係がクリアできていないものもある、というおことわりがあるので、そんなことからキュレーターの「解説ページ」がなかったのか。
「20世紀の画家」シリーズ、今回は、これにておひらき。
おそらく、これからも無名のもくもくと描き続けた画家たちが発掘されてくるだろうと思います。(無名といっても、私が知らなかっただけ、という画家も多いのですが。)
<おわり>