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ぽかぽか春庭「私の誤解によるバルチュス」

2014-06-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


2014/06//15
ぽかぽか春庭@アート散歩>20世紀の画家たち(7)私の誤解によるバルチュス

 バルチュスの絵についての私の誤解その1.
 「美しい日々」の少女(モデルはオディル・ビニョン)の右手は椅子のわきに下げられています。左手は、白い柄をにぎっています。

 私は、この白い柄を「ナイフの柄」と思っていたのです。少女が、自身の成熟を嫌って、少女のままに自分をとどめておくために、脇腹にナイフを突き立てている、と、私には見えたのです。これが手鏡であるとしたら、首をひねって観客のほうに向けられている顔は、画面後方に向けられている手鏡に、耳しか映らないではないか。

 オディルの目は横目をむいていて、手鏡を見つめているようにはなっていますが、オディルはいったい鏡の中の何をみているというのでしょうか。画面の左端に描かれた白い洗面器は少女が純潔であることを象徴しているというのですが。右端に描かれた「暖炉の火をよりいっそう強く燃え立たせている男」の燃え上がる火の前に置かれたアフリカっぽい黒檀彫刻?は、いったい何?

 誤解その2。
 1933年に描かれた「鏡の中のアリス」。


 椅子に片足を乗せ、髪をくしけずる裸体の女性。髪をとかすとき、自分を姿を見るであろうに、その目は白目をむいているようで、瞳は描かれていません。
 片方の乳房をはだけており、下半身には下着をつけていない。足を椅子に乗せているので、アリスは無防備に性器を露出させています。

 これが日本の実写写真だったら、一般の人が見るための雑誌グラビアには掲載できないと思います。ヘアヌードにはだいぶ寛容になった日本の出版界ですが、女性性器の割れ目がこのようにはっきり見える写真、一般雑誌のグラビアでは、まだ見たことありません。

 絵は全体を鑑賞すべきであり、性器だけをクローズアップして見るべきではないのですが、クローズアップして見た感想では、「美しくないっ!」でした。

 私とて日本で性器が写っている写真を見たことはなく、1980年にナイロビで「プレイボーイ」のグラビアを見たのが唯一の性器写真です。ごく普通に、普通の本やで一般雑誌といっしょにプレイボーイも売られていました。ただし、当時のナイロビの物価から考えれば、とても高かったと思います。観光ガイドをしていた知り合いが、観光客からもらったプレイボーイを見せてもらったのです。
 当時プレイボーイのグラビアモデルの採用条件は、「性器が美しい女性」だったそうで、写真で見る限り、それはそんなにいやらしくも醜くもなかったです。

 しかし、「鏡の中のアリス」の性器は美しくない。

 「アリス」を書いたルイス・キャロルは、今では「少女愛」の人として名高く、大人の女性は愛せない人だったことが、研究者のみでなく一般人にも知られています。バルチュスの「鏡の中のアリス」のモデルは兄の学友の妻ベティ・レリスですから、人妻であり少女ではないので、使用前使用後という範疇でいうなら、「絶賛使用中!」
 同じ1933年に描かれた「キャシーの化粧」のほうは、無毛に描かれています。なぜ、わざわざ美化していない性器を執拗に描写したのか。
 女性の性に対して「なにか恨みでも?」と、思ってしまいました。たぶん、私の誤解ですけれど。

 誤解その3.今回の展覧会のポスターにも使われている「夢見るテレーズ」。
 1937年に描かれた同じモデル、テレーズ・ブランシャールを描いた「猫と少女」(シカゴ美術館所蔵。今回は出展されていません)は、少女が正面を向いており、頭の後ろに両腕を組んでいます。バルチュスの分身と言われる猫は、座ってななめ前方を見つめています。

 「夢見るテレーズ」は、片足を椅子にのせるポーズは同じですが、テレーズは目をつむって横を向き、指を組んだ両手は頭の上にのせられています。「猫と少女」のときよりいくぶん長めの赤いスカートをはいており、その下に白い下着(ペティコート?スリップ?シュミーズ?)をつけています。「猫と少女」と異なるところは、テレーズの履いている白いパンティに黒い汚れがあることです。

 観客の視線が中央に集中するその部分が、両足の間になるような構図。その視点の中心にある黒い汚れ。図版で見ていたとき、「ちょっとした影」を描きこんだのか、とも見えました。今回、閉館時間まぎわの時間、私ひとりが「夢見るテレーズ」の観客になったとき、思い切り顔を寄せて、画面中央を凝視しました。バルチュスは、なぜこの黒いしみを黒い絵の具で描きいれたのか。影ではない、これは経血だ、と感じました。

 私の誤解かもしれません。夢見るテレーズに言及しているいくつかの論評、コメントを見ましたが、「テレーズの初潮」に関して述べているものは、専門家の言説には見当たりませんでした。(日本語の文だけですが)
 少女が、大人の女性へと移り変わっていくその象徴として、初潮を迎えたテレーズが描かれたのではないか。テレーズは白いパンティに初潮の汚れをつけたことを知っているのか、知らないのか。目をとじたテレーズは、ただ夢見ています。

 もうひとつ、「猫と少女」と異なっていることは、猫が一心不乱に皿の上のミルクを飲んでいること。机の上に、細いガラスと黒い陶器の花瓶と円筒形の筒(缶?)が乗っていること。「猫と少女」では椅子にのっている黒っぽい布。「夢見るテレーズ」の白い布は、テーブルの花瓶と筒の間に置かれて、この置かれようでは、まもなくずり落ちると思うことです。
 テレーズは、第二次世界大戦後まもなく25歳で亡くなっているそうです。



 少年のころからのあこがれであったアントワネット。16歳のバルタザールは、12歳のアントワネットを見初めました。しかし、良家の子女のアントワネットはやがて別の人と婚約。婚約解消を待って1937年に彼女と結婚したとき、バルチュスは29歳になっていまいた。
 12歳のとき見初めたアントワネットも、長男スタニスラス、次男タデを生んで10年たつと、すっかりいいお母さんです。

 46歳のバルチュスは、アントワネットと別居し、義理の姪フレデリック・ティゾンと暮らし始めます。しかし、フレデリックが成長したころ、20歳の日本人形のような出田節子と出会います。バルチュスは節子をローマに招き、以後、節子をモデルとして描いていきました。
 1967年、59歳のバルチュスと25歳の節子は晴れて結婚。

 誤解だ、と言われても、私はバルチュスは少女を愛する人だったと思います。バルチュスにとって、なによりの人生の幸運は、節子さんが、「日本人形のような永遠の少女性」を持ち続けたこと、あるいは、そういう自己演出ができる人であったこと。

バルチュス展のために来日した節子クロソフスカ・ド・ローラ

未亡人となって13年。今でもとても美しい72歳です。バルチュス財団の維持という仕事のほか、ご自身でも絵をかいたり陶器を制作するなどの制作活動を行い、スイスでの生活スタイルについての本を出すなど、ご活躍です。

 招待券で入場したときは図録を買うけれど、入館料を自前で払ったときは、節約のために図録は買わない、というポリシーで、会田誠展も図録を買わなかったし、ずいぶん「我慢」の節約をしてきましたが、今回このバルチュス展では、「自分の誤解の目」に、自信がもてなくて、展覧会を見た6月8日から5日後、仕事帰りに上野によりました。図録を買うだけのために。

 「猫たちの王バルチュス」と、「賞賛と誤解だらけのバルチュス」は、図録を見ないで記憶だけで書いたのですが、「バルチュスと少女」「私の誤解によるバルチュス」は、図録を見て、年表を確認し、モデルの名前などに間違いがないように、気をつけて感想を書きました。ただし、図録を見ても、私の「誤解」は誤解のままです。つまり、この誤解が、私の「感想」です。(バルチュス展の項おわり)


<つづく>
コメント (2)
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