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ぽかぽか春庭「自然と人生」

2014-12-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141203
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(10)自然と人生

自然と人生
at 2003 10/16 11:08 編集
 結婚後東京に住んで20年になるが、生まれ育ちは田舎だから、緑が目に入らないと息苦しくなってくる。新鮮な空気と光と水。私も光合成していたい。
 自然とのふれあい交歓を生き甲斐とする人のサイトを発見するのも、ネットサーフィンの楽しみのひとつ。さまざまな自然、様々なふれあいがある。

 新潟市、78歳になる吉川百合子さん執筆の新聞投書(2003/09/30)より。
 百合子さんは、30キロの装具を背負い、台風の余波でうねる9月初めの佐渡の海でダイビングした。水深5メートルの海底を20分散歩したそうだ。
 「アジ、イカ、アメフラシなどの海中生物を見られて楽しかった」と書く百合子さん。すごいですね。78歳で挑戦するスキューバダイビング。

 海中散歩といえば、2003年9月初旬に101歳で亡くなったレニ・リーフェンシュタールも、70歳すぎてスキューバダイビングをはじめた人。
 戦前は、ベルリンオリンピック記録映画『意志の勝利』の監督として知られ、戦後は西アフリカのヌバ族を記録した『NUBA』の写真家として復活したレニ。
 70歳すぎて始めたダイビングで、海中の美を追求し、たくさんの美しい海中写真を撮影した。
 自然大好きな私も、海に関しては、泳いだり眺めたりするだけ。潜るのはまったくできない。

 海の生物を楽しみたいときは、もっぱら水族館散歩。品川水族館、葛西臨海公園水族館、サンシャイン水族館へよく行く。鱗を銀色に輝かせて泳ぐ魚たちを見て、感激の第一声は、「うまそう!」

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.21
(と)徳富蘆花『自然と人生』

 詩歌を志す文人にとって、自然は「ネタモト」の大事な存在だったが、一般の生活者が「自然の美」や「自然との交歓」の効用に気づいたのは、明治以後だと言われている。

 自然と闘って生活しているほとんどの人にとって、「自然」とは、眺めて楽しむ以前に「食べ物の調達先」を意味した。風にゆれる穂波の美しさを眺めている暇があったら、今年の稲の作柄を心配しなければならなかったのである。

 物食うよりほかに楽しみがなかった我が父祖に、自然観賞の楽しみを教えてくれたのは、志賀重昂『日本風景論』であり、国木田独歩『武蔵野』であった。

 徳富蘆花『自然と人生』も、その一冊。
 蘆花の前書きにいわく。

 『昔賢猶自ら謙して吾は眞理の海の渚に貝を拾ふに過ぎずと云ひき。今予凡手凡眼、遽に見て急に寫せる寫生帖の幾葉を引ちぎりて即ち「自然と人生」と云ふは、僭越の罪固に のが(辶 + 官 )れ難かるべし。讀者幸に恕せよ。』

 これを読ませても、日本人学生「イミ、ワカンネー」と言って放り出すだろう。熱心に辞書を引くのは、ジャパノロジー研究生、近代日本精神史専攻で論文を書こうとする留学生くらいだ。

 蘆花は『不如帰』の作家として有名。「明治文学史」が試験範囲になっている高校生には暗記マーカー赤丸の本だが、蘆花で卒論を書く人や近代文学を専攻する院生以外で、『不如帰』を原文で読んだ人がいたら、よほどの年寄りかマニア。

 「書名は有名だけど、だれも読む人がいない本」の中の一冊だ。
 私も、大山捨松に興味を持つまでは、「読む気もしない、古くさい本」と思っていた。
 継母(捨松がモデル)にいじめられた継娘波子が、結核に冒された胸を押さえながら「なんで人は死ぬのでしょう、千年も万年も生きたいわ」と涙で語ることばだけは、さまざまなパロディになってが流布していたが。

 千年も万年も生きられない、限りある命をせいいっぱい謳歌するためにも、自然の中で楽しくすごしましょう!

<つづく>
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