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ぽかぽか春庭「姥捨山、楢山と蕨野」

2014-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141217
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(20)姥捨山、楢山と蕨野

姥捨山、楢山と蕨野
at 2003 10/26 06:41 編集
 10/25の項で、「働き手」としての家長期がおわると、林住期、遊行期として放浪の旅に出るインドの晩年を紹介した。

 江戸時代までの日本の農村ではどうだったか。働き手としてのつとめを果たし終えたあと、幸福な隠退生活を送ることのできた老人もいたであろう。しかし、「働き手」としての人生が終わったら、それはそのまま「命の終わり」であるという地方もあった。
 正式な山の名のほかに、「姨捨山」という俗称を持つ山が各地にある。「働き手として役にたたなくなった老人を捨てる」というのは、特殊な話でも、限定された地域の話でもなかったようだ。

 老人を息子が背負い、娘が手をひいて山へ連れて行く。二度と帰らぬ山行きである。老人は静かに子孫の繁栄を願い、口減らしのため、孫や子が十分に食って命をつなぐために、自分たちは山に入って極楽往生を願う。そういう極貧の村が、かってあったそうだ。
 82歳の舅がホスピスに入院したとき、姑は、そこが「最後のひととき」を迎える病院であることを、絶対に夫にさとられぬよう、ホスピスのホの字も言わないよう私たちに釘をさした。

 「もう治療の方法はない、あとは痛みを除き、静かにお迎えを待つのみ」と医者に言われても、「治療をしてくれる病院に入院させたのなら、親戚にも顔向けができるけれど、治療してくれない病院だと、姥捨山に捨てたようだと、言われてしまう」と、気にしていた。

 そして、「免疫療法」という健康保険が適用されない療法に夢中になり、蓄えをつかい果たした。
 高額な治療費を工面し、どれだけお金をつかっても、一分でも夫の寿命を延ばしたいという姑の気持ちもわかったけれど、そうやって延ばされる方の舅にとって、それが幸福な最後だったのだろうかという、「鬼嫁」と言われそうな感想を持ったこともあった。

 舅は、姑が安心して老後を過ごせるだけの蓄えを残しておいてやりたかったのではないか、と思ったのだ。未亡人となった姑は「今日は、童謡を歌う会、明日はお習字、週末は旅行」と、「一人暮らしになったら、あちこちからお誘いがかかって、かえって、おじいちゃんの相手だけしていた頃より忙しい」と、飛び回っている。

 私も姑から「コンサートへいっしょに行きましょう」などのお誘いを受けることが多くなった。
 「旅行は簡保利用の安ツアー、習い事は区の生涯教育で無料、コンサートも高齢者ご招待のチケット」という。「お金はないけど、都内の移動はバスと都営地下鉄が老人パスつかえるし、何とか暮らせる」という毎日をすごしている。

 10月23日は、私の仕事が休みになり平日に映画館へ行ける時間がとれたので、姑を映画に誘った。姑といっしょに見た映画は『わらびのこう』。村田喜代子『蕨野行』が原作。恩地日出夫監督。市原悦子主演。友人が「わらびのこう製作を支援する会」の一員で、チケットをおくってくれたのだ。

 内容は「姥捨山」の話と知っていたから、姑を誘っていいものかどうか、ちょっと考えた。「年寄りは、働けなくなったら山に捨てる」なんて映画に、嫁が姑を誘ったりして、世間からはまた「鬼嫁」と言われてしまう。
 私が直接誘うと断りにくいだろうから、中学生の息子を使いにやった。映画の券を持たせて「こういう内容だけど、行くかどうか聞いてきて」と、伺いをたてたら、行くという。

 映画は、全編、姑の出身県でのロケ。「知っている土地が画面にでてくるかもしれないから」というのをお誘いの理由にした。「日本の原風景を守る会」という団体が製作をしているので、美しい田舎の光景がたくさん出てくるはず。ストーリーはともかく、風景だけ見ていても、姑にとってはなつかしいだろうと。

 山の中の小さな農村。米を作る田はあるが、村の掟で、隠居した老人は「蕨野」へ行くことが決まっている。庄屋の隠居レンも例外ではない。蕨野で、老人達は一夏共同生活を送り、秋から冬へ。食べ物が途絶えると一人、一人と倒れていく。
 レン達が蕨野へ行った年は夏の間雨が続き、里も不作。雪に埋もれた小屋で凍える体を温めあい、レンも息絶える。

 10/4の項に書いた幸田文『エゾ松の更新』を読むまで、私は「古い世代が新しい世代のために自分自身を養分としてさしだす」などということは、許せない、と感じる「若いもん」の側だった。今、年を重ねてみると、自分個人の命に執着するより、次の世代がよりよい毎日をすごすために、最後の日々を役立てたいという高齢者の気持ちも理解できるようになった。

 命をとじたあとのレン達が集う最後のシーン。老人達は「体がかるうなった」と、喜んで雪合戦に興じる。嬉々とした顔の老人達。自分の人生をまっとうし、子孫へと命をつなぐ責務を果たした安心立命に満ちている。蕨野で命果てるも、ホスピスで最期のときを迎えるのも、場所はどこでもよいのだ。自分自身で満足して、「これでよかった、いい人生だった」と思いながら死ねること。

 中国現代史の生き証人である蒋介石未亡人宋美麗が106歳で死去(ニューヨーク2003/10/23)。
 世界史近代国家成立以後、最も長命を保ったファーストレディ。未亡人となって以後は台湾に留まらず、アメリカへ移住した。台湾を去ったのは、若い頃留学生活を送った青春の土地を「ついの住処」として選んだからだろう。けっして「姨捨」のためではない。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.33
(ふ)深沢七郎『楢山節考』
 去年「青春18切符」を使って「ひたすら電車に乗っているひとり旅」をした。篠ノ井線に乗ったとき、電車がスイッチバックして姥捨駅を通過した。ここが有名な姥捨山か、と思いながら、『楢山節考』を思い出した。

 深沢七郎の『楢山節考』。老婆おりんは息子辰平の家族が食いつなぐことを願って、山へ行く。まだ歯が丈夫なことを恥じ入り、老人らしく立派に山で果てることを「人生の花道」とさえ思っている。
 たとえ辰平が母を思う余り、村の掟に反しておりんをどこかに隠してこっそり養おうなどと思ったとしても、おりんはそんな恥知らずな行いを受け入れることはできなかったろう。

 現代の私たちにとって「どんな理由であれ殺人は絶対の悪」と感じる倫理感覚と同じように、貧しい地方では、老人は口減らしのため死んでいくのが「幸福な最後」であり、「人倫の道」だったのだ。
 現代の高齢者福祉の視点で言えば、悲惨な話である。だが、深沢の文体は、おとぎ話をきかせるように、唄をまじえて、語り継ぐ。

 最後に山に入り、雪がふってくると、親を捨てる辰平と、捨てられるおりん二人して、雪を喜ぶ。「安らかにあの世へ行くための幸運な雪」として、この世のすべての不浄なものを、清らかな真っ白い世界に変える雪として、雪は天から降りてくる。何度読んでも涙が出る。

 若い頃は親を捨てる子の視点で読んでいたから、この涙の意味を「食えないために親を捨てる悲しみ」であると思っていた。しかし、今、親の視点で読める年になってみると、若い頃に流した涙の中に、別の感動も混じっていたことがはっきりとわかるようになった。

 おりんの視点で読めば、流れる涙は「自分の人生をまっとうしようとする強い意志を持った人間の尊厳」を讃える涙でもあることが納得される。雪は、人生の最期を凛として受け入れようとするおりんへのはなむけとして降り積もるのだ。

 ギター弾き語りをしていた深沢が作った、文章のあいだあいだにはさまれる唄。この唄のひびきがおりんたちの生を言祝ぐ。最後の頁。雪がふった山に響く唄。

なんぼ寒いとって 綿入れを
山へ行くにゃ 着せられぬ


 映画「わらびのこう」が終わると、姑は「明日から旅行。飛行機の出発時間が朝早いから、ゆっくりしていられないの。お夕ご飯をいっしょに食べたりできなくて、ごめんね」と、さっさと帰り仕度。嫁は「天気が変わりやすい時期だから、レインコートとか、寒さよけのウィンドブレーカーのようなのも、ちゃんと持って行ってね」と、くどくど繰り返す。
 姑は「はい、はい、大丈夫。ちゃんとおみやげ買ってくるから」と、駅の階段を上っていった。階段を上る姑78歳の足取りは、毎日の仕事にくたびれてヨレヨレの嫁よりもよほどしっかりしている。
 まだまだ20年30年がっちり生きていきそうな、メリーウィドウでありました。

<つづく>
コメント
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