20141218
ぽかぽか庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(21)もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい
もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい
at 2003 10/27 06:55 編集
老人ホームで、70歳過ぎの女性入居者が、70代80代の二人の男性を相手に、一回300円で関係を持ち、片方の男性が嫉妬のあまり、もう片方を刺す、という事件があった。
女性にとって、300円が欲しいのではなかったろう、自分が「恋しい相手」として認められ、その存在を欲求される、そういう自分自身でありたかったのだろう、と想像する。
大岡越前(だったかな?)が、母親に尋ねた。「女は、いったいいくつまで閨房を共にしたいと思うものでしょうか」母御は黙って火鉢の灰をかきまぜ、大岡は「ははぁ、女性は灰になるまで現役か」と、悟ったという話。さよう、骨になり灰になるまで、女は燃え尽きたいのである。
私など、酸素不足不完全燃焼のまま、一酸化中毒死しそうである。もっと光りを(by goete)、もっと酸素を!(by haruniwa)。新鮮な空気と光と水を!私だって光合成したい。あれ?光合成に使うのは酸素ではなく、二酸化炭素だったっけな。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.34
(へ)辺見庸『もの食う人々』
10/22、昔の初恋片思いの人を紹介した。もう一人、例外として1977以後に読んだ男性作家を紹介します。
今現在惚れている男、辺見庸。一番好きな男性作家のひとり。講演があれば聞きに行きたいし、テレビに出ていればチャンネルをあわせる。ミーハーファンである。
ただし、彼の小説は好きじゃない。『自動起床装置』『赤い橋の下のぬるい水』などの文体に少しも感応しない。「ぬるい水」に関して言うなら、発情期のオス犬が、我が家の雌犬の匂いが染みついている私のズボンに飛びついておシッコをひっかけた10歳のときに、「ひゃぁ、おシッコだぁ」と思ったのと同じ感覚。
エロスもタナトスもありゃしない。おシッコ漏らす話ならば、石田衣良『娼年』の中に出てくる、「おシッコをがまんしていて、がまんしきれずにお漏らしをするのが官能の極致」という女が出てきて、人と人が関わりあうことのヒリヒリした思いに満ちていた。
ところが、エッセイ、ノンフィクションの文体には「ビビビッ」と「感じる」のである。男の色気にうっとりするのである。
保健所が捕獲した犬をする話だったり、中で死刑が行われている最中かもしれない刑務所の塀の周りをぐるぐる歩き回る話だったり、そんな話を読んで、「ああ、こういう人にひっついていっしょに刑務所の周りをぐるぐる歩き続けたい」と、思ったりする私はいったい、、、、?
「もの食う人々」も、書かれていることは、放射能を浴びた野菜やきのこを食べるしかない人々や、餓えに苦しむ人々が出てきて、泣きたい気持ちになる内容である。しかし、内容の悲惨さに涙しながら、辺見の文体にうっとりしてしまうのだ。いけませんねぇ。
講演会も聞きに行った。講演の内容は、「死刑廃止運動に関連して」だったりしたが、ミーハーファンは、話の中味が死刑だろうが犬のだろうが、顔を見ているだけでうれしいのだった。
講演会の帰りにラーメン屋によったら、相席になったオバサンが辺見の本を読んでいる。ご同輩!と嬉しくなって、声をかけてみた。
彼女も辺見ファン。「ええ、なんかよく分らないけど、好きなんですよね」と言う。う~ん、ライバルは多いようだ。
ライバルに負けずにがんばるぞ!って、何をがんばるんだか。いや、だから、灰になるまで、がんばります。
~~~~~~~~~~~~
20141218
なんだか、不完全燃焼のまま灰になってしまった春庭。
辺見庸の新刊が、鉄筆という新しい出版社から出ているので、久しぶりに新刊書を買う予定。ほかの作家の本は、たいてい古本屋の百円本を買います。しかし、辺見の本は「お布施(印税)を献金しなくちゃ、申し訳ない」と思うのです。鉄筆が出した辺見の文庫本「反逆する風景」も単行本新刊をすぐに買ったけれど、文庫化にあたって付け足された文もあるらしいので、また買います。新刊の小説も、もちろん購入予定。惚れていますから。
新パートナーと熱愛中のミサイルママ「心の底から惚れていますっていうメールが来たから、私もほれてますって、返事かいたのよ」ですと。はいはい、ほれ合ってください。私は、大病した辺見様の健康を気遣いつつ、辺見様に片思いをささげてまいります。
鉄筆は、光文社に勤務していた若い編集者が、自分の意に沿った本を出版したいという志を持って独立した出版社のようです。社是にいわく「魂に背く出版はしない」
出版社を立ち上げてすぐに出す本が辺見庸の作品ということなら、きっといい編集者です。
若い志を応援したいです。
<つづく>
ぽかぽか庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(21)もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい
もの食う人々・灰になるまで燃え尽きたい
at 2003 10/27 06:55 編集
老人ホームで、70歳過ぎの女性入居者が、70代80代の二人の男性を相手に、一回300円で関係を持ち、片方の男性が嫉妬のあまり、もう片方を刺す、という事件があった。
女性にとって、300円が欲しいのではなかったろう、自分が「恋しい相手」として認められ、その存在を欲求される、そういう自分自身でありたかったのだろう、と想像する。
大岡越前(だったかな?)が、母親に尋ねた。「女は、いったいいくつまで閨房を共にしたいと思うものでしょうか」母御は黙って火鉢の灰をかきまぜ、大岡は「ははぁ、女性は灰になるまで現役か」と、悟ったという話。さよう、骨になり灰になるまで、女は燃え尽きたいのである。
私など、酸素不足不完全燃焼のまま、一酸化中毒死しそうである。もっと光りを(by goete)、もっと酸素を!(by haruniwa)。新鮮な空気と光と水を!私だって光合成したい。あれ?光合成に使うのは酸素ではなく、二酸化炭素だったっけな。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.34
(へ)辺見庸『もの食う人々』
10/22、昔の初恋片思いの人を紹介した。もう一人、例外として1977以後に読んだ男性作家を紹介します。
今現在惚れている男、辺見庸。一番好きな男性作家のひとり。講演があれば聞きに行きたいし、テレビに出ていればチャンネルをあわせる。ミーハーファンである。
ただし、彼の小説は好きじゃない。『自動起床装置』『赤い橋の下のぬるい水』などの文体に少しも感応しない。「ぬるい水」に関して言うなら、発情期のオス犬が、我が家の雌犬の匂いが染みついている私のズボンに飛びついておシッコをひっかけた10歳のときに、「ひゃぁ、おシッコだぁ」と思ったのと同じ感覚。
エロスもタナトスもありゃしない。おシッコ漏らす話ならば、石田衣良『娼年』の中に出てくる、「おシッコをがまんしていて、がまんしきれずにお漏らしをするのが官能の極致」という女が出てきて、人と人が関わりあうことのヒリヒリした思いに満ちていた。
ところが、エッセイ、ノンフィクションの文体には「ビビビッ」と「感じる」のである。男の色気にうっとりするのである。
保健所が捕獲した犬をする話だったり、中で死刑が行われている最中かもしれない刑務所の塀の周りをぐるぐる歩き回る話だったり、そんな話を読んで、「ああ、こういう人にひっついていっしょに刑務所の周りをぐるぐる歩き続けたい」と、思ったりする私はいったい、、、、?
「もの食う人々」も、書かれていることは、放射能を浴びた野菜やきのこを食べるしかない人々や、餓えに苦しむ人々が出てきて、泣きたい気持ちになる内容である。しかし、内容の悲惨さに涙しながら、辺見の文体にうっとりしてしまうのだ。いけませんねぇ。
講演会も聞きに行った。講演の内容は、「死刑廃止運動に関連して」だったりしたが、ミーハーファンは、話の中味が死刑だろうが犬のだろうが、顔を見ているだけでうれしいのだった。
講演会の帰りにラーメン屋によったら、相席になったオバサンが辺見の本を読んでいる。ご同輩!と嬉しくなって、声をかけてみた。
彼女も辺見ファン。「ええ、なんかよく分らないけど、好きなんですよね」と言う。う~ん、ライバルは多いようだ。
ライバルに負けずにがんばるぞ!って、何をがんばるんだか。いや、だから、灰になるまで、がんばります。
~~~~~~~~~~~~
20141218
なんだか、不完全燃焼のまま灰になってしまった春庭。
辺見庸の新刊が、鉄筆という新しい出版社から出ているので、久しぶりに新刊書を買う予定。ほかの作家の本は、たいてい古本屋の百円本を買います。しかし、辺見の本は「お布施(印税)を献金しなくちゃ、申し訳ない」と思うのです。鉄筆が出した辺見の文庫本「反逆する風景」も単行本新刊をすぐに買ったけれど、文庫化にあたって付け足された文もあるらしいので、また買います。新刊の小説も、もちろん購入予定。惚れていますから。
新パートナーと熱愛中のミサイルママ「心の底から惚れていますっていうメールが来たから、私もほれてますって、返事かいたのよ」ですと。はいはい、ほれ合ってください。私は、大病した辺見様の健康を気遣いつつ、辺見様に片思いをささげてまいります。
鉄筆は、光文社に勤務していた若い編集者が、自分の意に沿った本を出版したいという志を持って独立した出版社のようです。社是にいわく「魂に背く出版はしない」
出版社を立ち上げてすぐに出す本が辺見庸の作品ということなら、きっといい編集者です。
若い志を応援したいです。
<つづく>