20141206
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(12)老後は留学生に!
老後は留学生に!
at 2003 10/18 09:48 編集
10月15日は、新渡戸稲造の忌日であった。新五千円札の樋口一葉忌日11月23日一葉忌や、千円札漱石の忌日12月9日漱石忌は歳時記にのっているが、新渡戸忌とか、稲造忌が季語として使われた句があるだろうか。
新渡戸はアメリカのジョンホプキンス大学に留学、メリー・P・エルキントン嬢(後の萬里子夫人)と結婚、逝去の地もカナダのビクトリアと、外国関係が多いから季語にするとバタ臭いイメージの句が作れるかも。
明治の留学生は、エリート中のエリートであったが、外国へのなじみ方は、人それぞれ。
夫人を外国で得た新渡戸、ドイツで恋愛したけど、出世にじゃまな恋人は捨ててきた鴎外(エリスのモデルになった女性が、鴎外を追って日本までやってきたが、追い払った)。
一方、漱石は留学先のロンドンで神経衰弱気味になり、下宿に引きこもっていた。漱石のロンドン日記は、異文化に同化できないいらだちに満ちている。
新千円札の野口英世夫人もアメリカ人。漱石が外国になじめなかったのは、鏡子夫人に頭が上がらなかったという「国産夫人中心主義」だったから?
「歴史の語り部」澤地久枝の項で、澤地が67歳でアメリカの大学に留学した話を紹介した。
留学するなど、一部の選ばれた人にしか許されなかった中高年世代。退職後の過ごし方として、「海外留学」という、若い頃にあこがれだった夢を実現する人も多い。
澤地の母校、早稲田大学のエクステンションセンターにも、海外留学をめざす中高年のための英語教室がある。
難しい英語論文はどんどん読めたけれど、会話が通じなくて困ったという漱石の時代とは違い、今は中高年も気軽に「Let's study in foreign !」
海外留学してみませんか?
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.23
(な)夏目漱石『それから』
「それから」のラストシーン。三千代を失い、兄から勘当された代助は、「焦げる焦げる」と歩きながら口の中で云った。
「焦げる、焦げる」のセリフだけが印象に残り、東京のどこ、というトポスはまったく覚えてなかった。
「代助は自分の頭が焼けつきるまで電車に乗って行こうと決心した」という場面の、電車に乗り込む駅が「飯田橋」であったことに、今日気がついた。
私は週に3回、焦げもせず、東西線南北線有楽町線を乗り換えている。代助の頭の上から真直に射下ろし、「焦げる焦げる」と言わしめたた太陽が、私の頭を焦がすことはない。地下鉄ですから。
~~~~~~~~~~
20141206
晩年留学の夢は叶いませんでしたが、晩年博士号ゲットの夢は実現できました。
還暦前に、大学院博士課程入学、還暦過ぎてしまいましたが、博士号なんとか取得できました。週に5日、5つの大学で教えながらの研究論文執筆。老いの一徹、よくがんばったなと、思い込みたい。
若い頃は「勲章ほしがる老人」を馬鹿にしていたのだけれど、結局、自分も年取ってみれば、「今までやってきたことを誉めて、ねぇ、ほめて!」という老人の繰り言と同じこと。自分がやってきたことのまとめがほしくなっての行動にすぎません。がんばったことはがんばったけれど、あまり「ほめて、ほめて」なことではありませんでした。「よくやったね」と言ってくれたのは、広いこの世に、姑ただひとりでした。
妹に言われるまでもなく「還暦記念にブランドバック100万円てのを買ったり、夫婦でクルージング世界一周1千万円とかいう人もいるっていうけれど、HAL姉さんにとっては、還暦記念の博士号なんだよね」
はい、記念品にしかならない博士号でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(12)老後は留学生に!
老後は留学生に!
at 2003 10/18 09:48 編集
10月15日は、新渡戸稲造の忌日であった。新五千円札の樋口一葉忌日11月23日一葉忌や、千円札漱石の忌日12月9日漱石忌は歳時記にのっているが、新渡戸忌とか、稲造忌が季語として使われた句があるだろうか。
新渡戸はアメリカのジョンホプキンス大学に留学、メリー・P・エルキントン嬢(後の萬里子夫人)と結婚、逝去の地もカナダのビクトリアと、外国関係が多いから季語にするとバタ臭いイメージの句が作れるかも。
明治の留学生は、エリート中のエリートであったが、外国へのなじみ方は、人それぞれ。
夫人を外国で得た新渡戸、ドイツで恋愛したけど、出世にじゃまな恋人は捨ててきた鴎外(エリスのモデルになった女性が、鴎外を追って日本までやってきたが、追い払った)。
一方、漱石は留学先のロンドンで神経衰弱気味になり、下宿に引きこもっていた。漱石のロンドン日記は、異文化に同化できないいらだちに満ちている。
新千円札の野口英世夫人もアメリカ人。漱石が外国になじめなかったのは、鏡子夫人に頭が上がらなかったという「国産夫人中心主義」だったから?
「歴史の語り部」澤地久枝の項で、澤地が67歳でアメリカの大学に留学した話を紹介した。
留学するなど、一部の選ばれた人にしか許されなかった中高年世代。退職後の過ごし方として、「海外留学」という、若い頃にあこがれだった夢を実現する人も多い。
澤地の母校、早稲田大学のエクステンションセンターにも、海外留学をめざす中高年のための英語教室がある。
難しい英語論文はどんどん読めたけれど、会話が通じなくて困ったという漱石の時代とは違い、今は中高年も気軽に「Let's study in foreign !」
海外留学してみませんか?
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.23
(な)夏目漱石『それから』
「それから」のラストシーン。三千代を失い、兄から勘当された代助は、「焦げる焦げる」と歩きながら口の中で云った。
「焦げる、焦げる」のセリフだけが印象に残り、東京のどこ、というトポスはまったく覚えてなかった。
「代助は自分の頭が焼けつきるまで電車に乗って行こうと決心した」という場面の、電車に乗り込む駅が「飯田橋」であったことに、今日気がついた。
私は週に3回、焦げもせず、東西線南北線有楽町線を乗り換えている。代助の頭の上から真直に射下ろし、「焦げる焦げる」と言わしめたた太陽が、私の頭を焦がすことはない。地下鉄ですから。
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20141206
晩年留学の夢は叶いませんでしたが、晩年博士号ゲットの夢は実現できました。
還暦前に、大学院博士課程入学、還暦過ぎてしまいましたが、博士号なんとか取得できました。週に5日、5つの大学で教えながらの研究論文執筆。老いの一徹、よくがんばったなと、思い込みたい。
若い頃は「勲章ほしがる老人」を馬鹿にしていたのだけれど、結局、自分も年取ってみれば、「今までやってきたことを誉めて、ねぇ、ほめて!」という老人の繰り言と同じこと。自分がやってきたことのまとめがほしくなっての行動にすぎません。がんばったことはがんばったけれど、あまり「ほめて、ほめて」なことではありませんでした。「よくやったね」と言ってくれたのは、広いこの世に、姑ただひとりでした。
妹に言われるまでもなく「還暦記念にブランドバック100万円てのを買ったり、夫婦でクルージング世界一周1千万円とかいう人もいるっていうけれど、HAL姉さんにとっては、還暦記念の博士号なんだよね」
はい、記念品にしかならない博士号でした。
<つづく>