20141204
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(11)ルーツ
ルーツ
at 2003 10/17 06:51 編集
先日のハリケーン「イザベル」関連のニュース写真(2003/09/20付夕)に「洪水に流されるクンタキンテの像」というのがあった。
クンタキンテは、アレックス・ヘイリー『ルーツ』の主人公。アメリカ黒人である自分のルーツをアフリカまで遡のぼってたどり、記述した本。
私のまわりにも、年をとると、にわかに自分の先祖さがしを始める人がいて、家系図などをとくとくと見せてくれたりする。
「どの家も家系図をたどると、だいたい源氏か平氏か藤原の末流という人が多く、日本人の大半は結局のところ、我が家のルーツは天皇家から分かれているって言うんですよ」と留学生に紹介したことがある。
個人のアイデンティティにとって、自分が何者で、どこでだれから生まれたのか知ることが大きな意味を持つことは、私が知り合った「中国残留孤児」の方々の話からもわかる。
我が父祖がだれであり、遠い祖先がどこから来たのか、知らなくても生きていける事ながら、知って確認することで自分の来し方行く末を考えるきっかけになることもあるのだ。
実は、私も父が亡くなる年の夏に、妹と「先祖の出身地」へ行き、父のかわりに先祖菩提寺で住職の話などを聞いてきた。
父を育てた父の祖母(私の曾祖母)は、田舎の素封家の家付き娘であった。お乳母日傘で育ちながら、入り婿の放蕩などが重なったあげく、破産して夜逃げをした。
自分が一人子供を背負い、女中にもうひとりを背負わせての夜逃げであったという。
「どこまでもお供します」と言ってくれる女中がいなかったら、山越えの夜逃げをする勇気はでなかった、と曾祖母(私が12歳になるまで生きていた)の述懐。
そんな「夜逃げをしてきた父祖の地」を訪れたのだ。寺には過去帳が残っていた。役場の人は、一家の現在の戸籍簿を持ってくれば、先祖の分の戸籍をコピーして渡しますよ、と教えてくれた。
でも、家系図を作るほどの家でもない。破産したあと、祖父は頼る者もない土地で、鳶職になって生きた。流れ着いた土地に根を下ろし、頭として町中の信頼を受ける人になった。子供の頃、鳶の頭として祭りの山車を指揮する祖父が好きだった。父は「鉄鋼労連」。
労働するより他に財産はない家柄である。ただ、こうやって、先祖代々までたどることができるのだとわかっただけで、よかった。どこの馬の骨であろうと、けっこうなのだが。
しかしながら、私が「家系などどうでもよい。人間は個人として、現在の自分に何ができ何ができないか、だけ」と言えるのは、自分の家が「どこの馬の骨やら」ながら、馬の骨をたどれるからかも知れない。
下から読んでもマサコサマの家系図が新聞に載ったとき、の人たちが「反対声明」を発表した。このように「由緒正しい家柄である」ということを麗々しく発表するのは「由緒正しくない人々」への圧迫であると。
それを聞いて、現実に差別を受けている人にとっては、家系図の話もつらいことなのだろうと思った。
また、同時に、そこに生まれたことを誇りに思えばいいのではないか、とも思ってしまった。出自による差別の痛みを負ったことのない人間の、傲慢な感想かもしれないが、私は、中上健次の「賤と聖との反転による光輝」を好む。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.22
(な)中上健次『岬』
1975年に中上健次が76年に村上龍が芥川賞を受賞して「文壇も戦後生まれの時代」と言われるようになった。
村上龍は私と同年生まれだが、1月生まれなので学年はひとつ上。『限りなく透明に近いブルー』を一度読んだあとは、「あ、これ私、ダメ、合いそうもない」と、ギブアップ。再び、村上龍を読む気になったのは、『トパーズ』以後である。
私よりは3歳年長だが、中上こそが「我らの時代の文学」の騎手だった。『十九歳の地図』『枯木灘』『日輪の翼』路地と秋幸をめぐる物語もそのほかの話も「同時代」を感じながら読めた。
好きな作品は「中上の作品中、一番の駄作。単なるフツーの恋愛小説」と評されているらしい、『軽蔑』。新聞連載小説だから、中上が気軽に書いたのかも知れず、中上コアファンにはイマイチの評価だったみたい。つまり、『軽蔑』が好きという私は、まだ中上作品の本当のすごさがわかっていないのだろう。
中上紀の『彼女のプレンカ』が世に出れば「中上の娘だもの」と、律儀に読んでしまう、ただのミーハーファンです。
ちなみに、夫の写真を見せた友人に「そういえば、あなた、中上ファンだったものね」と納得顔で言われたことがある。
いえいえ、中上に似ているだなんて、そんな大それたこと!正確には「中上健次とバーブ佐竹と北京原人を足して3で割ったような」です!!
うちのルーツは、北京原人じゃないかしら。もしかして直系?
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(11)ルーツ
ルーツ
at 2003 10/17 06:51 編集
先日のハリケーン「イザベル」関連のニュース写真(2003/09/20付夕)に「洪水に流されるクンタキンテの像」というのがあった。
クンタキンテは、アレックス・ヘイリー『ルーツ』の主人公。アメリカ黒人である自分のルーツをアフリカまで遡のぼってたどり、記述した本。
私のまわりにも、年をとると、にわかに自分の先祖さがしを始める人がいて、家系図などをとくとくと見せてくれたりする。
「どの家も家系図をたどると、だいたい源氏か平氏か藤原の末流という人が多く、日本人の大半は結局のところ、我が家のルーツは天皇家から分かれているって言うんですよ」と留学生に紹介したことがある。
個人のアイデンティティにとって、自分が何者で、どこでだれから生まれたのか知ることが大きな意味を持つことは、私が知り合った「中国残留孤児」の方々の話からもわかる。
我が父祖がだれであり、遠い祖先がどこから来たのか、知らなくても生きていける事ながら、知って確認することで自分の来し方行く末を考えるきっかけになることもあるのだ。
実は、私も父が亡くなる年の夏に、妹と「先祖の出身地」へ行き、父のかわりに先祖菩提寺で住職の話などを聞いてきた。
父を育てた父の祖母(私の曾祖母)は、田舎の素封家の家付き娘であった。お乳母日傘で育ちながら、入り婿の放蕩などが重なったあげく、破産して夜逃げをした。
自分が一人子供を背負い、女中にもうひとりを背負わせての夜逃げであったという。
「どこまでもお供します」と言ってくれる女中がいなかったら、山越えの夜逃げをする勇気はでなかった、と曾祖母(私が12歳になるまで生きていた)の述懐。
そんな「夜逃げをしてきた父祖の地」を訪れたのだ。寺には過去帳が残っていた。役場の人は、一家の現在の戸籍簿を持ってくれば、先祖の分の戸籍をコピーして渡しますよ、と教えてくれた。
でも、家系図を作るほどの家でもない。破産したあと、祖父は頼る者もない土地で、鳶職になって生きた。流れ着いた土地に根を下ろし、頭として町中の信頼を受ける人になった。子供の頃、鳶の頭として祭りの山車を指揮する祖父が好きだった。父は「鉄鋼労連」。
労働するより他に財産はない家柄である。ただ、こうやって、先祖代々までたどることができるのだとわかっただけで、よかった。どこの馬の骨であろうと、けっこうなのだが。
しかしながら、私が「家系などどうでもよい。人間は個人として、現在の自分に何ができ何ができないか、だけ」と言えるのは、自分の家が「どこの馬の骨やら」ながら、馬の骨をたどれるからかも知れない。
下から読んでもマサコサマの家系図が新聞に載ったとき、の人たちが「反対声明」を発表した。このように「由緒正しい家柄である」ということを麗々しく発表するのは「由緒正しくない人々」への圧迫であると。
それを聞いて、現実に差別を受けている人にとっては、家系図の話もつらいことなのだろうと思った。
また、同時に、そこに生まれたことを誇りに思えばいいのではないか、とも思ってしまった。出自による差別の痛みを負ったことのない人間の、傲慢な感想かもしれないが、私は、中上健次の「賤と聖との反転による光輝」を好む。
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.22
(な)中上健次『岬』
1975年に中上健次が76年に村上龍が芥川賞を受賞して「文壇も戦後生まれの時代」と言われるようになった。
村上龍は私と同年生まれだが、1月生まれなので学年はひとつ上。『限りなく透明に近いブルー』を一度読んだあとは、「あ、これ私、ダメ、合いそうもない」と、ギブアップ。再び、村上龍を読む気になったのは、『トパーズ』以後である。
私よりは3歳年長だが、中上こそが「我らの時代の文学」の騎手だった。『十九歳の地図』『枯木灘』『日輪の翼』路地と秋幸をめぐる物語もそのほかの話も「同時代」を感じながら読めた。
好きな作品は「中上の作品中、一番の駄作。単なるフツーの恋愛小説」と評されているらしい、『軽蔑』。新聞連載小説だから、中上が気軽に書いたのかも知れず、中上コアファンにはイマイチの評価だったみたい。つまり、『軽蔑』が好きという私は、まだ中上作品の本当のすごさがわかっていないのだろう。
中上紀の『彼女のプレンカ』が世に出れば「中上の娘だもの」と、律儀に読んでしまう、ただのミーハーファンです。
ちなみに、夫の写真を見せた友人に「そういえば、あなた、中上ファンだったものね」と納得顔で言われたことがある。
いえいえ、中上に似ているだなんて、そんな大それたこと!正確には「中上健次とバーブ佐竹と北京原人を足して3で割ったような」です!!
うちのルーツは、北京原人じゃないかしら。もしかして直系?
<つづく>