201412120
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(23)ケンカともだち
ケンカともだち
at 2003 10/28 06:32 編集
ID名pipipi1931さんの最近の一句「碁敵の一手長考秋深む」
碁ガタキとか、野球チームファン同士で贔屓チームの応援合戦とか、高齢者の「よき友」は、同時に「よきケンカ相手」であることも、ままあることだ。
口げんかして、その後再び仲直りなら、ケンカ相手とことばを交わしあうのも「脳の活性化」となり、決して悪いことではない。川柳「碁敵の、敵はにくいがいとおしい」という仲を保って、おおいにケンカするのも、元気の源になる。
しかし、「王手飛車取りへ待ッタをかけて、取っ組み合いのケンカに発展」などの場合もあり、仲直りの方法や、ゲームとしての論争のやり方を知らないと、ケンカがそのまま「絶交!」となるケースもある。
若い人たちの中には英語のオーラル授業などで、「ディベート」を体験した人も多いが、中高年は、このような「ゲームとして論争する」経験をしたことがなく、論争の方法と納め方を知らないことが多いのだ。
ディベートを、「回想法」と同じく、脳の活性化訓練として取り入れてみてはどうだろうか。テーマを決め、賛成側と反対側に分かれて、論戦する。
ディベートは意義ある思考訓練。真剣に論争した後、よりいっそう相手の思考のすじみち考え方がわかり、論争後は前より仲が良くなるケースが多い。
私が留学生にディベートテーマとして与えるのは、「老後は田舎に住みたいか、都会に住みたいか」「将来の旅行先、世界一周と月旅行、どっち?」とか、たわいないものにしている。深刻なテーマは国際情勢もからんで、大問題になるからだ。
「国際結婚」をテーマにしたとき、40歳50歳過ぎても縁が薄かった日本の男性が、アジアから花嫁を「輸入」する話題に発展した。結婚という話に騙されて売り飛ばされてしまった話とか、言葉が不自由な嫁が虐待されている人権問題だとか、大論争になってしまった。
論争はかまわないのだが、話が込み入ってくると、英語同士、中国語同士、韓国語同士の母語による本気の論争になって、「日本語の練習ディベート」に役立たない。
「花嫁を海外から調達」と言えば、私の結婚も「海外で調達」という結果。海外で知り合い、口げんか相手としてつきあった人と、なぜか結婚してしまった。(10/19の項参照)
口げんか相手が、同時に「仲良し口げんか友だち」であるのは、「仲良きことは美しきかな」である。しかるに、口げんか相手を結婚相手にした場合は、要注意!悲惨な結果に進展する場合もある。その一例を、私はようく知っています。身に染みて、、、、
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.35
(ほ)本多勝一『極限の民族』
ケニアとタンザニア国境の町、ナマンガに滞在したときのこと。私と友人の国子さんが安宿の一室ツインに、のちに夫となる人が隣のシングルに宿泊した。
そして、眠りもせずに、一晩中「山本七平vs本多勝一代理論争」を繰り広げた。論議の的は「南京大虐殺の百人切り」について。私と国子さんは本多側、夫は山本側代理人として議論を続けた。
夫が大声でわめいていたのは、「現実問題として、一本の刀で百人を殺し続けることは、できない。血の油で切れなくなるからだ。その事実を事実として認めるところから始めなければ、南京問題は空論になり、歴史事実として認定されない、そう山本は言っているのに、本多は、山本の主張は南京大虐殺を幻と主張する人を利するだけだ、という感情論を返すだけで、百人切りが事実として可能かどうか、という山本の疑問に答えようとしてしない」という主張だった。
夜中に大音声の日本語で言い合うので、宿の人は「男一人を女二人が取り合うケンカ」と勘違いして、仲裁に飛んできてくれた。
仲裁のことば「ケニアでは、男はみんな妻を三人四人と持っているが、女たちはケンカなどせず、仲良く暮らしている。なんで日本の女は、平等に仲良くできないのか」スワヒリ語で、こんこんと説教された。
私は『極限の民族』にまとめられた、「ニューギニア高地人」「アラスカエスキモー」「アラビア遊牧民」のファンで、山本七平は「ベンダサン騙り」だと思っていたから、何が何でも本多側だった。
現在、本多のジャーナリストとしての姿勢が問われ、問題点がいろいろ指摘されていることは知っている。個人雑誌を始めたのを見て、ついに『金曜日』ともケンカして個人雑誌にしたのかと思ったけど、金曜日はつづけているらしい。
今、彼のものの考え方がどこへ行ってしまっているのか、最近の作を読んでいないからわからない。しかし20余年前、彼の『極限の民族』によって、私がアラビア遊牧民やアラスカの人々の暮らしを知り、民族学や文化人類学へのあこがれをよりいっそう大きくしたことは確かだ。
「アフリカの演劇的世界」「民族演劇学」をやりたかった。ケニアでは民族舞踊を練習したが、結局ものにならなかった。民族芸能学、演劇人類学を捨てて、夫を拾った。
先日、いっしょに食事したときの姑の述懐「昔、あなたと国子さんが、いっしょに家に遊びにきたときね、国子さんは息子の嫁になってもいい、と言ってくれたのよ、、、」
息子と結婚したのが姑の期待した人じゃなかったのを、残念に思っている口振りだった。
すみませんね。できちゃった婚で。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(23)ケンカともだち
ケンカともだち
at 2003 10/28 06:32 編集
ID名pipipi1931さんの最近の一句「碁敵の一手長考秋深む」
碁ガタキとか、野球チームファン同士で贔屓チームの応援合戦とか、高齢者の「よき友」は、同時に「よきケンカ相手」であることも、ままあることだ。
口げんかして、その後再び仲直りなら、ケンカ相手とことばを交わしあうのも「脳の活性化」となり、決して悪いことではない。川柳「碁敵の、敵はにくいがいとおしい」という仲を保って、おおいにケンカするのも、元気の源になる。
しかし、「王手飛車取りへ待ッタをかけて、取っ組み合いのケンカに発展」などの場合もあり、仲直りの方法や、ゲームとしての論争のやり方を知らないと、ケンカがそのまま「絶交!」となるケースもある。
若い人たちの中には英語のオーラル授業などで、「ディベート」を体験した人も多いが、中高年は、このような「ゲームとして論争する」経験をしたことがなく、論争の方法と納め方を知らないことが多いのだ。
ディベートを、「回想法」と同じく、脳の活性化訓練として取り入れてみてはどうだろうか。テーマを決め、賛成側と反対側に分かれて、論戦する。
ディベートは意義ある思考訓練。真剣に論争した後、よりいっそう相手の思考のすじみち考え方がわかり、論争後は前より仲が良くなるケースが多い。
私が留学生にディベートテーマとして与えるのは、「老後は田舎に住みたいか、都会に住みたいか」「将来の旅行先、世界一周と月旅行、どっち?」とか、たわいないものにしている。深刻なテーマは国際情勢もからんで、大問題になるからだ。
「国際結婚」をテーマにしたとき、40歳50歳過ぎても縁が薄かった日本の男性が、アジアから花嫁を「輸入」する話題に発展した。結婚という話に騙されて売り飛ばされてしまった話とか、言葉が不自由な嫁が虐待されている人権問題だとか、大論争になってしまった。
論争はかまわないのだが、話が込み入ってくると、英語同士、中国語同士、韓国語同士の母語による本気の論争になって、「日本語の練習ディベート」に役立たない。
「花嫁を海外から調達」と言えば、私の結婚も「海外で調達」という結果。海外で知り合い、口げんか相手としてつきあった人と、なぜか結婚してしまった。(10/19の項参照)
口げんか相手が、同時に「仲良し口げんか友だち」であるのは、「仲良きことは美しきかな」である。しかるに、口げんか相手を結婚相手にした場合は、要注意!悲惨な結果に進展する場合もある。その一例を、私はようく知っています。身に染みて、、、、
☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.35
(ほ)本多勝一『極限の民族』
ケニアとタンザニア国境の町、ナマンガに滞在したときのこと。私と友人の国子さんが安宿の一室ツインに、のちに夫となる人が隣のシングルに宿泊した。
そして、眠りもせずに、一晩中「山本七平vs本多勝一代理論争」を繰り広げた。論議の的は「南京大虐殺の百人切り」について。私と国子さんは本多側、夫は山本側代理人として議論を続けた。
夫が大声でわめいていたのは、「現実問題として、一本の刀で百人を殺し続けることは、できない。血の油で切れなくなるからだ。その事実を事実として認めるところから始めなければ、南京問題は空論になり、歴史事実として認定されない、そう山本は言っているのに、本多は、山本の主張は南京大虐殺を幻と主張する人を利するだけだ、という感情論を返すだけで、百人切りが事実として可能かどうか、という山本の疑問に答えようとしてしない」という主張だった。
夜中に大音声の日本語で言い合うので、宿の人は「男一人を女二人が取り合うケンカ」と勘違いして、仲裁に飛んできてくれた。
仲裁のことば「ケニアでは、男はみんな妻を三人四人と持っているが、女たちはケンカなどせず、仲良く暮らしている。なんで日本の女は、平等に仲良くできないのか」スワヒリ語で、こんこんと説教された。
私は『極限の民族』にまとめられた、「ニューギニア高地人」「アラスカエスキモー」「アラビア遊牧民」のファンで、山本七平は「ベンダサン騙り」だと思っていたから、何が何でも本多側だった。
現在、本多のジャーナリストとしての姿勢が問われ、問題点がいろいろ指摘されていることは知っている。個人雑誌を始めたのを見て、ついに『金曜日』ともケンカして個人雑誌にしたのかと思ったけど、金曜日はつづけているらしい。
今、彼のものの考え方がどこへ行ってしまっているのか、最近の作を読んでいないからわからない。しかし20余年前、彼の『極限の民族』によって、私がアラビア遊牧民やアラスカの人々の暮らしを知り、民族学や文化人類学へのあこがれをよりいっそう大きくしたことは確かだ。
「アフリカの演劇的世界」「民族演劇学」をやりたかった。ケニアでは民族舞踊を練習したが、結局ものにならなかった。民族芸能学、演劇人類学を捨てて、夫を拾った。
先日、いっしょに食事したときの姑の述懐「昔、あなたと国子さんが、いっしょに家に遊びにきたときね、国子さんは息子の嫁になってもいい、と言ってくれたのよ、、、」
息子と結婚したのが姑の期待した人じゃなかったのを、残念に思っている口振りだった。
すみませんね。できちゃった婚で。
<つづく>