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ぽかぽか春庭「権力と芸術そして再び老いらくの恋」

2014-12-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141209
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(14)権力と芸術そして再び老いらくの恋

権力と芸術そして再び老いらくの恋
at 2003 10/20 05:21 編集
 9/28の「災害」の項で、野球界に権勢をふるう老害についてふれたが、老人と権力について再び。
 一般の会社では、早期退職者募集やリストラもどんどん増えているというのに、73歳という高齢の定年さえ、「例外」も許されているうらやましい職業がある。自民党議員である。

 比例区候補者の定年を決めたのは2000年。しかし、閣僚経験者は例外とされ、中曽根康弘85歳、宮沢喜一83歳の首相経験者は、次の選挙にも公認を申請している。
 現首相は「例外のない規則はないが、原則は貫いた方がいい」と2003/10/03に記者団に語ったが、両ロートルに引退を勧告できるかどうかは微妙。
 権力というものは、長く続ければ必ず腐敗する。

 首都圏の某県でも、人工湖の名に自分の娘の名を命名した元知事がいて、金銭の腐敗以上に顰蹙を買った。桃湖だって。だサーイ、玉! 私が、「学生→市立中学校教師→結婚→出産」という時代をすごした第二の故郷。生まれ故郷の次に高校野球を応援する県なんですが。

 春日部生まれ佐賀育ちのはなわが歌う「県歌」も大好き。県歌じゃないって?あれ?「さいたま市民は漢字が読めない。さいたま市はひらがな~」って繰り返す傑作ソングなんですよ。
 漢字が読めないのは、私が国語を教えた生徒たちじゃないかしら。先生もあまり読めなかったので。

 話がそれた。権力である。
 権力の座についた者は、一度手にした権力を手放したくない。己の周囲を固め、権力にしがみつく。
 権力者が権勢をふるうのは、政治経済界に対してだけではない。芸術芸能やスポーツの世界へも、権力は容赦なく力をふるう。某オーナーが野球チーム人事に口をだすように。

 芸術と権力。権力者と芸術家「西行vs実朝&後鳥羽上皇」「世阿弥vs足利義満」などなど、歴史上、両者はときに和合協力し、ときに反発拮抗してきた。
 長く権力の座にあった者とその側近の関わり合いのうち、秀吉と利休の関係ほど、その破局が謎めいたままのものはないだろう。様々な憶測や歴史上の解釈を生み、結局、なぜ二人の仲が壊れたのかは、はっきりとは分らない。

 今東光『お吟さま』井上靖『本覚坊遺文』澤田ふじ子『利休啾々』など、この主題をめぐる作品もさまざまな角度から描かれている。野上弥生子『秀吉と利休』もそのひとつ。

 秀吉は、若い頃相思相愛で結婚したおね(北政所)との間には子がなせなかった。権力者となってから側室にした茶々(淀殿)との間にようやく秀頼がめぐまれると、関白から太閤へと引退したはずなのに、権力にしがみついた。

 関白職をゆずった甥ではなく、我が子に権力の座を継がせたかったからである。いったんは跡継ぎに決めた甥、秀次の一族郎党を容赦なく斬首した。朝鮮への無謀な出兵、利休への賜死、と悲劇が続く。

 秀吉の老いらくの恋は、歴史上では無惨な結果となった。
 老いらくの恋は、晩年を美しくもし、晩節を汚す結果ともなる。

 私は、野上弥生子を見習って「美しい晩年の恋」をめざしてがんばります。10/12に「晩年の恋に1票!」と言ってあるので、今回2票目です。晩年の恋にもう1票!

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.27
(の)野上弥生子『秀吉と利休』

 最初に読んだとき、もっとも印象に残ったのは、権力と芸術の相克でもなく、茶の道を究めようとする利休の苦悩でもなかった。一番強く記憶に刻まれたのは、「聚楽第の秀吉の寝室」の描写であった。

 『彼ら(耶蘇会の神父たち)は権威者の歓心をえて布教をさかんにするため、驚き珍重する調度、器物、衣料から、薬品、菓子、酒のあらゆる食べ物飲み物まで、遠く海のかなたから取りよせて思い切った贈物をした。
 聚楽第の寝台も彼らの献上品である。彫刻と鍍金のおもおもしいマホガニ材のもので、竪七尺、横は五尺に及び、その幅にひとしい緋びろうどの長枕に、金糸、銀糸で竜紋を浮き織りにした紫緞子の布団が添っていた
。』

 寝台のほか、、室内の調度、椅子やテーブル、テーブルの上のギヤマンの瓶に入った葡萄酒。その描写力。「文の芸」というのは、こういうことを言うのだろうと感じた。どんな歴史家が麗々しく秀吉の権力の強さを並べ立てるより、弥生子の描写は、秀吉の権力のあり方を読者に伝えることに成功している、と感じた。

 南蛮渡来の新御物をはじめとする各所からの到来宝物を並べ立て、金箔をきらめかせて田舎大名を威圧した桃山文化のあり方を生き生きと伝え、秀吉の力とはどのようなものであったかを、想像させた。「秀吉の権力」を考えるとき、頭の中に必ずこの、きらびやかで華やかでそして空疎な寝室が浮かぶのである。

 秀吉は女達のあしらい方がうまく、この寝台に朝までいることを許したのは正室おねだけであった、と弥生子は描写する。数多くの側室たちは、房事がすめば、自室に下がらねばならなかった。秀吉亡き後、彼が一代で築いた権力を瓦解させることにつながる茶々との睦言も、この寝台でかわされたのであろうか。

 野上弥生子は、「フンドーキン」という調味料会社社主令嬢として生まれ、何不自由なく成長。豊一郎と結婚後も、文学の研鑽を続けた。
 99歳で亡くなるまで現役の作家として書き続けた野上弥生子にとって、晩年とは何歳ころからを言えばいいのだろうか。弥生子にとって晩年とは、90歳過ぎのことであり、70歳ころは、恋に燃える「命の盛り」であったのかもしれない。

 弥生子の70歳代は、哲学者田辺元との恋愛で知られる。両者とも70代ころの老いらくの恋。精神的なつながりの恋として1962年に77歳で田辺が亡くなるまで、その愛は深く強く続いたのである。

 「こんな愛人同士といふものが、かつて日本に存在したであろか」と手紙を交わし合う、作家野上弥生子と哲学者田辺元はともに70歳。

 田辺はハイデッガー研究者、「死の哲学」の構築をめざす。一方、野上は長編大作「迷路」を完成したころ。互いの日常生活を気遣い、思策と創作に強い影響を与え合った両者は、愛情によって繋がり、往復書簡300余通を交わした。
 晩年の田辺元との恋について、大部の日記に詳述されているというので、「老後の楽しみ読書リスト」にいれてある。

 むろん、私の「老後の楽しみ」は、ワイドショウゴシップや、人の日記をワイドショウ的に読むことだけではない。晩年の過ごし方を、野上弥生子に見習うべく、先達の日記は大切に読まねば。「老いらくの恋、実践講座!」
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(ね)の項なし
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20141209 友人のミサイルママ、63歳にして7つ年下の男性からの交際申し込みを受けました。ただいま熱愛中です。ラブラブなようすをおりおりに聞き、新しいパートナーとのおつきあいによって生き生きと輝いているようす、実にうらやましい限りです。新パートナーの寝顔がかわいいんだと!!くぅ~!!

 私だって、「老いらくの恋」めざして張り切っていたのに、残念ながらご縁は遠く、、、、いえいえ、野上弥生子の恋は70歳から。まだまだチャンスはあるはず。
 とはいえ。ミサイルママから新しい恋の話を聞いたときの、私の正直な気持ち。

 「私も、新しい恋人ほしい昨今ではありますが。この私と結婚した無謀な男がひとりでもいた、ということが奇跡みたいなもんだから、これ以上は欲張らない方がいいと思っている。でもね。結婚するとき、夫のこと、私と結婚するんだから相当の変わり者だとは思ったんだけれど、これほどへんてこりんな人とは思っていなかった」

 さらなる変わり者がこの世に生息しているとして、その人と巡り会うことがあるとして、私にもチャンスはありますよね。「彼の寝顔がかわいい」なんて、のろけるチャンスが、、、、ないか。

<つづく>
コメント (2)
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