20150411
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー出張(6)ヤンゴンの下町
ヤンゴン3日目27日金曜日は、下町を案内してもらいました。
朝からおなかが痛くなり、調子がよくありませんでしたが、時間を作って案内をしてくださるというK先生に「休んでいたい」と言い出せずに、ちょっと無理をしてしまいました。
下町へ向かうバスに乗る前に寄ったのが、ロンジーの店。民族衣装の腰巻きをオーダーするのです。
生地を選び、夕方ホテルに帰るまでに仕立ててもらうことに。男性は生地を輪に縫い上げるだけで、巻き付けた布の端っこを折り曲げて巻き込み止めます。女性は、布の上部に紐を取り付け、紐を結んで着付けます。
ロンジー店の入り口。入り口で履き物をぬぎ、スリッパに履き替えます。
下町まで、バスに乗りました。下町の中心地にはランドマークのお寺「スーレーパゴダ」があります。バスは、それぞれの車掌が行き先をどなるので、その声を聞き「スーレー」というのが聞こえたら下町へ向かっているのだから、どのバスでも乗ればよい、とのこと。バスにミャンマー文字で数字が書いてあるけれど、日本のように数字によって路線を表しているということはなく、私有のバスがほとんどで、その日によって行き先を変えたりするので、車掌の声にたよるのが一番確実なのだそうです。
着任して2ヶ月、ヤンゴン日本語教育の先遣隊として基礎を固めてきたK先生、最低限必要なミャンマー語はなんとか覚えたのだけれど、英語とのちゃんぽんで生活してきた、とのこと。私もバスの乗り降りに必要なことばくらいは、早く覚えなければ。
「スーレー」まで、一人200チャット(20円)払って、ぎゅーぎゅー詰めのバスの奥に移動。おなかの調子が悪いので、座りたいなあという顔をしていたら、若い人が席をゆずってくれました。ありがたし。ただし、ミャンマーでは親切を受けたからと行って気軽にミャンマー語で「ありがとう」と言ってはいけない、という国情。ミャンマー語での「ありがとう」ということばは、たいへん重いことばであり、「あなたに感謝し、このご恩は必ず返す」という契約にも似た意味になるのだそうです。親切にしてくれたお兄さんにお返しをする機会はもうないだろうから、ちょっとした親切を受けたときなど、にっこり笑顔を向ければそれでOK。どうしてもお礼のことばが言いたいのならミャンマー語ではなく、英語でThank you」と気軽に言っておく。
下町のランドマーク、スーレーパゴダ
スーレーのとなりの公園。中央には独立記念塔
ヤンゴン下町の建物。英国領だった頃に建てられた近代建築が数多く残されています。メンテナンスが不十分なので、どれも古ぼけてしまっているのですが、東京の同じ時代の建築物は重要文化財に指定されているのを考えると、とても貴重な建物なのです。しかし、ミャンマーの人は、古ぼけた建築より、高層のあたらしいビルのほうを尊重したいようで、近代建築のの価値がまだわかっていないとみえます。取り壊してしまってからではおそいのですが。保存運動などはまだでていない模様。
ヤンゴンにとって、幸か不幸かわからないのですが、ミャンマーが新しい国家として再出発しようとしたとき、首都はヤンゴンからネピドーに移転しました。そのため、ネピドーには新しいビルが建てられましたが、ヤンゴンにはいくつかは高層ビルなどがたちましたが、古いビルがどんどん取り壊されて、高層ビルに置き換わる、というような建築ラッシュはごく少なかったとみえます。
そのために、古い建物が数多く残されました。東京の近代建築探索が趣味のひとつである春庭、ヤンゴン赴任のたのしみのひとつとして、「ヤンゴン近代建築探訪」おおいに楽しめそうです。
バス車窓から見えた近代建築。あるビルの正面には「1937」という建築年を大きく壁にレリーフにしたものもありました。
旧最高裁判所。現在は閉鎖されています。
コロニアル建築の様式のひとつと思います
中央郵便局
郵便局で切手を買い、日本へはがきを一枚だしました。まだ市内の絵はがきが買えていないので、ANAでもらった飛行機の絵はがきです。今回は、1週間だけの滞在なので、はがきが日本に着くよりも帰国する方が早いだろうから、絵はがきのたぐいは出さないことにしていたのですけれど、1ヶ月に10枚投函する青い鳥さん宛てのハガキは、いつもの通りに送り出します。私自身の「I am still alive」のハガキですから、生きていることをお知らせしなければ。河原温の「I am still alive」をまねて始めたシリーズですが、この5月に500枚目に達します。
K先生もヤンゴン川を見たことがないというので、いっしょに川端のレストランにはいりました。
ヤンゴン市は、ヤンゴン川の水運によって植民地物資の運輸を担い、大きな街に発展してきた歴史を持ちます。今では空路陸路の輸送が中心なっていますから、川の港と言っても、観光客の遊覧船がとまっているだけで、大きな貨物船は見当たりませんでした。
ヤンゴン川の小舟
ヤンゴン河港の旧税関
ヤンゴン川岸のレストランで休みました。
おなか悪いときは食べない方がいいとわかっているのですが、「ビタミンを取った方がいいから、果物なら大丈夫でしょう」というK先生のお言葉に、根が食いしん坊だもんだから、果物をとりました。スイカとメロン。マンゴージュース。
食べたり飲んだりして、ますます調子が落ちましたが、ヤンゴン名所の「寝釈迦像」を見に行くというので、タクシーに。
ヤンゴンのタクシーにメーターはありません。行き先を告げて運転手と交渉して値段を決めます。だいたいの相場を知っていれば、そうそうぼられることもないのですが、そこは交渉次第。ヤンゴン大学付近から下町までは、道の混み具合にもよりますが、およそ30分くらいの乗車時間で3000チャット(300円)くらい。日本のタクシーに比べると10分の1くらいの値段です。
体調悪くなってきて、一度ホテルに戻って休みたい、と言いたかったのですが、案内してくださっているのに悪い、という気がしてしまって、言い出せませんでした。
次なるヤンゴン名所は、巨大な寝釈迦仏です。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ミャンマー出張(6)ヤンゴンの下町
ヤンゴン3日目27日金曜日は、下町を案内してもらいました。
朝からおなかが痛くなり、調子がよくありませんでしたが、時間を作って案内をしてくださるというK先生に「休んでいたい」と言い出せずに、ちょっと無理をしてしまいました。
下町へ向かうバスに乗る前に寄ったのが、ロンジーの店。民族衣装の腰巻きをオーダーするのです。
生地を選び、夕方ホテルに帰るまでに仕立ててもらうことに。男性は生地を輪に縫い上げるだけで、巻き付けた布の端っこを折り曲げて巻き込み止めます。女性は、布の上部に紐を取り付け、紐を結んで着付けます。
ロンジー店の入り口。入り口で履き物をぬぎ、スリッパに履き替えます。
下町まで、バスに乗りました。下町の中心地にはランドマークのお寺「スーレーパゴダ」があります。バスは、それぞれの車掌が行き先をどなるので、その声を聞き「スーレー」というのが聞こえたら下町へ向かっているのだから、どのバスでも乗ればよい、とのこと。バスにミャンマー文字で数字が書いてあるけれど、日本のように数字によって路線を表しているということはなく、私有のバスがほとんどで、その日によって行き先を変えたりするので、車掌の声にたよるのが一番確実なのだそうです。
着任して2ヶ月、ヤンゴン日本語教育の先遣隊として基礎を固めてきたK先生、最低限必要なミャンマー語はなんとか覚えたのだけれど、英語とのちゃんぽんで生活してきた、とのこと。私もバスの乗り降りに必要なことばくらいは、早く覚えなければ。
「スーレー」まで、一人200チャット(20円)払って、ぎゅーぎゅー詰めのバスの奥に移動。おなかの調子が悪いので、座りたいなあという顔をしていたら、若い人が席をゆずってくれました。ありがたし。ただし、ミャンマーでは親切を受けたからと行って気軽にミャンマー語で「ありがとう」と言ってはいけない、という国情。ミャンマー語での「ありがとう」ということばは、たいへん重いことばであり、「あなたに感謝し、このご恩は必ず返す」という契約にも似た意味になるのだそうです。親切にしてくれたお兄さんにお返しをする機会はもうないだろうから、ちょっとした親切を受けたときなど、にっこり笑顔を向ければそれでOK。どうしてもお礼のことばが言いたいのならミャンマー語ではなく、英語でThank you」と気軽に言っておく。
下町のランドマーク、スーレーパゴダ
スーレーのとなりの公園。中央には独立記念塔
ヤンゴン下町の建物。英国領だった頃に建てられた近代建築が数多く残されています。メンテナンスが不十分なので、どれも古ぼけてしまっているのですが、東京の同じ時代の建築物は重要文化財に指定されているのを考えると、とても貴重な建物なのです。しかし、ミャンマーの人は、古ぼけた建築より、高層のあたらしいビルのほうを尊重したいようで、近代建築のの価値がまだわかっていないとみえます。取り壊してしまってからではおそいのですが。保存運動などはまだでていない模様。
ヤンゴンにとって、幸か不幸かわからないのですが、ミャンマーが新しい国家として再出発しようとしたとき、首都はヤンゴンからネピドーに移転しました。そのため、ネピドーには新しいビルが建てられましたが、ヤンゴンにはいくつかは高層ビルなどがたちましたが、古いビルがどんどん取り壊されて、高層ビルに置き換わる、というような建築ラッシュはごく少なかったとみえます。
そのために、古い建物が数多く残されました。東京の近代建築探索が趣味のひとつである春庭、ヤンゴン赴任のたのしみのひとつとして、「ヤンゴン近代建築探訪」おおいに楽しめそうです。
バス車窓から見えた近代建築。あるビルの正面には「1937」という建築年を大きく壁にレリーフにしたものもありました。
旧最高裁判所。現在は閉鎖されています。
コロニアル建築の様式のひとつと思います
中央郵便局
郵便局で切手を買い、日本へはがきを一枚だしました。まだ市内の絵はがきが買えていないので、ANAでもらった飛行機の絵はがきです。今回は、1週間だけの滞在なので、はがきが日本に着くよりも帰国する方が早いだろうから、絵はがきのたぐいは出さないことにしていたのですけれど、1ヶ月に10枚投函する青い鳥さん宛てのハガキは、いつもの通りに送り出します。私自身の「I am still alive」のハガキですから、生きていることをお知らせしなければ。河原温の「I am still alive」をまねて始めたシリーズですが、この5月に500枚目に達します。
K先生もヤンゴン川を見たことがないというので、いっしょに川端のレストランにはいりました。
ヤンゴン市は、ヤンゴン川の水運によって植民地物資の運輸を担い、大きな街に発展してきた歴史を持ちます。今では空路陸路の輸送が中心なっていますから、川の港と言っても、観光客の遊覧船がとまっているだけで、大きな貨物船は見当たりませんでした。
ヤンゴン川の小舟
ヤンゴン河港の旧税関
ヤンゴン川岸のレストランで休みました。
おなか悪いときは食べない方がいいとわかっているのですが、「ビタミンを取った方がいいから、果物なら大丈夫でしょう」というK先生のお言葉に、根が食いしん坊だもんだから、果物をとりました。スイカとメロン。マンゴージュース。
食べたり飲んだりして、ますます調子が落ちましたが、ヤンゴン名所の「寝釈迦像」を見に行くというので、タクシーに。
ヤンゴンのタクシーにメーターはありません。行き先を告げて運転手と交渉して値段を決めます。だいたいの相場を知っていれば、そうそうぼられることもないのですが、そこは交渉次第。ヤンゴン大学付近から下町までは、道の混み具合にもよりますが、およそ30分くらいの乗車時間で3000チャット(300円)くらい。日本のタクシーに比べると10分の1くらいの値段です。
体調悪くなってきて、一度ホテルに戻って休みたい、と言いたかったのですが、案内してくださっているのに悪い、という気がしてしまって、言い出せませんでした。
次なるヤンゴン名所は、巨大な寝釈迦仏です。
<つづく>