
ヤンゴン環状線切符(左ヤンゴン中央駅発券 右カマユッ駅発券)
20150416
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(10)ヤンゴン環状線乗り鉄
ヤンゴン環状線は、下町にあるヤンゴン中央駅を出発して、ぐるりと市内を一周して3時間の旅程。ミャンマー文字がまだ読めない私ですが、駅名くらいはアルファベットで書かれているだろうとタカをくくって乗り込みました。
カマユッ駅から中央駅まで、30分ほど。駅は8つ。大きい駅にはアルファベットがありましたが、小さい駅にはアルファベットなし。自分が今どこにいるのか、耳をそばだてて聞こえる駅名と地図を照合しながらけしきを眺めていました。
電車の中

ヤンゴン中央駅につきました。
乗ってきた車両

中央駅でいったん降りて、駅舎の写真を撮る。ふたたび乗り込もうとして切符を買おうとしたのだけれど、右回り線に乗れという。それじゃ、元来た線路を戻ることになるので、反対回りにしたい、と言ったのだけれど、それはもう夜にならないと発車しないので、環状線で一回りするなら、右回り、と諭される。切符は発着のホームのブースで買います。
同じところを通っても、元の場所にもどれるのだから、いいや、と思って乗り込みました。
ヤンゴン中央駅

駅の前を行くサイカー

駅待合室

時刻表、、、見てもわかりませんでしたが。

ホームの行き先表示板

駅のホーム

構内の線路

構内の電車車両

沿線の駅のホームは、客が乗り降りする場所というより、人々が寄り集まって市場を開くための拠点、というふうで、どのホームにも乗り降りする客よりも物売りのほうが多い。
小さい駅は、こんなもん


駅のホームはミニ市場


沿線の景色、私が最初に乗り込んだカマユッ駅くらいまでは、人家がある沿線風景ですが、ヤンゴン環状線の北側と東側は、田園風景になります。ヤンゴン市はヤンゴン側の河港の水運によって発展した町なので、川から離れた地域は、近郊農村といったおもむき。明治大正の東京では、目黒あたりには田や畑が広がっており、三鷹とか王子近辺などまったくの田舎だったことを思うと、このヤンゴン東北部の田園風景が、いつまで畑でいられるのかなあと思います。


湿地帯の畑。農民は腰まで水につかって農作業していました。


環状線で、ヤンゴン中央駅とちょうど対面にあたる駅の名は「ゴルフコース駅」といいます。ここでちょうど半分。
ゴルフコース駅の手前くらいで、突然雷が聞こえて、急な大雨。人々は市場に出している品物にビニールシートをかけたりして、大わらわでした。

3月は乾期の終わり。4月の水掛祭りは、ミャンマーの正月にあたります。水に恵まれる季節こそが「新しい年」と思う気持ち、わかります。
ミャンマーの生活暦は、日本の旧暦(太陰太陽暦)と同じ、月の満ち欠けを基準にした暦です。お寺の行事なども満月のときに行われるそうです。
環状線の北側東側の農村風景、やはり農民の暮らしは厳しいだろうなあと思います。近郊蔬菜農業が行われていましたが、腰まで水につかって菜っ葉を収穫していました。
小学生くらいの子が、父親を手伝っていっしょうけんめい菜っ葉を取り入れているようす、「がんばれミャンマーっ子」と応援しました。
電車はバスと同じく、輸入の中古車です。「学園都市線」という文字を車体につけたままの車両が走っていました。いったい日本のどこに学園都市線があったのか知りませんでしたが、調べてみたら北海道の札幌あたりでした。
NHKだったと思いますが、佐野史郎が旅人になってミャンマーの鉄道路線を旅する旅番組を見ました。佐野史郎もかなりの乗り鉄でしたが、イギリスの老人たちが、古い鉄道で列車に乗って旅するのを趣味にしているようすも写っていました。英国領時代の電車が現役で走っているのに、大喜びで乗り込んでいました。
これからミャンマーの観光開発をするなら、お寺めぐりだけでなく、日本やイギリスの古い電車車両に乗る「乗り鉄」向けのツアーとかあったら、けっこう人が集まるんじゃないかと思います。

車内には物売りが行き交います。タバコ売り、サラダ売り、ドーナツ売り。いろいろな食べ物やら飲み物の売り子が行ったり来たり。

海草サラダの物売り。白い海草にさまざまな薬味を混ぜ合わせてビニール袋にいれます。

ドーナツ売りのおっさんが、印度系のじいちゃんに売っていた。ドーナツ状揚げパンをはさみで小さく切り分け、黒蜜のようなものをかけてビニール袋に入れてじいちゃんに渡す。じいちゃん、一切れずつゆっくり食べていました。車両のドアは、原則なし。このドアの出入り口は風通しがよくて、お客が好んで座り込む。

車掌が検札に回ってきます。どっちがどれやらわからないので、カマユッ駅とヤンゴン中央駅で買った切符を両方見せました。
色の黒い粗末な身なりの男の人が、車掌に厳しく責められていました。どうやら無賃乗車のようです。車掌の口調から少数民族への差別的な雰囲気が感じられました。乗客達は笑っています。
20円の切符なのですから、「私がその人の分を払います」と、言いたかったのですが、外国人がそういう差し出がましいことをするのがはたしていいことなのかどうか躊躇しているうちに、何人かの車掌が集まってきて、男性を連れて行ってしまいました。
ヤンゴン中央駅に近づくと、通勤通学の利用者が増えてきました。若者の一団が、それぞれの手にステンレスの3段重ね4段重ねの弁当箱を下げて入ってきました。Tシャツとジーンズの今時の若者。笑いあい、じゃれ合っていました。禁煙マークの下で堂々と喫煙しはじめたので、思わず禁煙マークを指さしたくなりましたが、まてよ、このマークは「学園都市線」の文字と同じく、彼らにはただの絵なのだろうか、という気もして、ヤンゴンでの禁煙場所を調べなければ、と自分を抑えました。
車内にタバコ売りがやってくると、かれらは2本、3本とタバコを買っていました。箱で買うほど、若者のこずかいは多くない。まてよ、タバコ売りが車内にいるってことは車内禁煙ではないのか?
再びヤンゴン中央駅を通過する。
ホテルに一番近いフレーダン駅で降りました。約3時間半、環状線の旅、楽しかったです。
おなかのことを考えて、ペットボトルに詰めて持っていったポカリスエットのほかは、半日何も食べないですごしました。いろいろな食べ物の物売りが来て、いつもの私なら好奇心のままにいろいろ食べたでしょうけれど、今回は自粛。
フレーダン駅で下車しました。

フレーダン駅前

<つづく>