シュエタゴンパゴダ
20150414
ミンガラ春庭ミャンマー便り>ヤンゴン出張(8)シュエタゴンパゴダ
ヤンゴンに来たら、何はなくともまず、シュエタゴンパゴダ。観光の第一の目玉です。
地元の人は信仰のために祈りに行くので、お参りも入場無料ですが、観光客からは入場料8000チャット(800円)を徴収する。
地元の人に見えるように、27日の朝方注文しておいたロンジーを着て出かけました。
階段昇ってお寺入りするのが本来ですが、エレベーターもある。体調不良の身、当然エレベーターです。エレベーターを降りてうろうろしていると、たちまち外国人観光客と見破られ、英語を話すガイドの女性に入場券売り場につれていかれました。外国人だし観光客なのだから、観念してK先生の分と二人分16000チャット払う。
地元の人は無料で観光客は8000チャットで不公平かというと、そんなことはない。地元の人は、パゴダを金色に保つための金箔を、それぞれの富貴に応じて寄進しています。現在2014年10月からシュエタゴンパゴダ金箔張り替えの工事が続行中で、大量の金箔が必要ですが、すべて、市民の寄進によってまかなうのです。
仏教徒にとって、生活費に最低限のお金は必要だけれど、それ以外に余剰があれば、すべてせっせとお寺に寄進する。どこのお寺も金ぴかですが、みな人々の寄進です。托鉢のお坊さんにはごはん、お寺には金箔寄進。これはミャンマー仏教徒にとって、当然のこと。
客引きに来たガイドさんの話す英語はミャンマー式英語で、発音にくせがある。体調不良のおりに英語聞いても右耳から左耳にとおりぬけてしまうだけ。「私は英語はわからない。日本語なら案内してもらうけれど」と言って引き取ってもらいました。
3月27日金曜日は国軍記念日の祝日。土日と3連休になるので、夜のシュエタゴンパゴダは観光客も地元の信仰厚き人々もどっと押し寄せ、押すな押すなの賑わいでした。
ライトアップしているシュエタゴンパゴダ。
昔は、煌々たる月明かり星だけ明かりでも夜のお寺が荘厳な表情を見せたのではないかなと思います。
近隣が電灯だらけになり、パゴダも月明かりだけでは輝かなくなってしまったのか、今ではピッカピカに光をあてて、これでもかと輝かしています。
中央の塔はどの観光案内にもその姿が載っている、ミャンマーを代表するお寺。しかし、それ以外にも、お堂が数十とならび、それぞれその中に仏像が何十と並び、もう仏像の大バーゲンというくらい、ごちゃまんと仏様が並んでいます。
しかも、光背がぴかぴか光るネオンサイン。青や赤のちかちかするクリスマスツリーの豆電球のように、ピカピカぐるぐる光背がまわり、私の目にはなにやらありがたみが半減する思い。
でも、ミャンマーの人にとっては、このネオンサインがぐるぐる回る光背が、仏様の尊さを感じさせるのでしょう。
人様の信仰は尊重すべきですが、このネオンサインぐるぐるの光背にはどうにもなじめませんでした。
背中のネオンサイン式光背
居並ぶ仏達。その前には信心深き人々が座り込み、それぞれお経をあげています。信仰は自分自身を高めるため、少しでもお釈迦さまにちかづくため、と、聞かされても、大乗仏教しかも神道と習合した日本仏教の檀家たる私、ついつい「健康長寿、学業成就、一家安全国家安泰」なんぞとつぶやきたくなります。いえいえ、個人の願掛けなど小乗仏教の仏様はおとりあげにならぬばかりか、ご機嫌わるければ、仏罰必定。
功徳を重ねていかねば来世はゴキブリ。
あれ?お釈迦さまって、そういう輪廻転生を否定するために仏教を始めたのじゃなかったっけ。
どうも仏教をよく理解していない私。
ミャンマーでは、生まれた曜日が肝心で、曜日によって祈る仏様が決まっています。私の生まれた日は月曜日ということなので、月曜日の仏様にお祈りしたり、仏像に水をかけたりしました。
仏を守る象さんやナーガ(蛇)狛犬(もしくは獅子)
それにつけても体調不良。あまりに数多くの仏様をめぐっているうち、すっかり疲れ切りもうホテルに帰って寝たい、という気分になりました。帰りたい、帰りたい、寝たい、ねむたい。
きっと「こういうすばらしい仏の世界にいついつまでもいたい。拝んでいたい」という気分にならない人は、お参りすべきじゃないのかもしれないなあ、と、思いながら、足をひきずって歩きました。K先生が「じゃ、これで帰りましょう」と、おっしゃったときはほっとしました。パゴダ内にいたのは、2~3時間のことなのですが、日本のお寺には、法事などで出かけてもせいぜい1時間ほど坊さんのお経を聞いたりするだけなので、たくさんのお堂と仏像を見てまわって、一生分お寺まいりした気分になりました。
ホテルに戻り、熱いおふろにつかって足を伸ばし「極楽、ごくらく」
みほとけのご尊顔拝したてまつるよりも、お風呂のほうに極楽を感じるというのも、無信仰のなせるわざ。おなかのくすりを飲んで、寝ました。
<つづく>