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ぽかぽか春庭「2003年のトロン」

2015-04-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150426
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記4月(5)2003年のトロン

2004年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/04/22 火 晴れ
ニッポニアニッポン事情>NHK『プロジェクトX トロン』

 3コマ。午前中、1組漢字。午後、1組教科書と会話。

 NHKのプロジェクトX日曜日再放送録画したのを見る。「トロン」の開発について。
 番組の作り方はいつもといっしょで、苦難と挫折を乗り越えて、トロンが勝ち組になるまで。
 今、私はウィンドーズ2000を使っているが、家電パソコンにトロン搭載機が売り出されたら乗り換えよう。トロンの何がいいか。「無料」だからである。何はともあれ無料と言う言葉に心惹かれる私である。

 開発した坂村教授、トロンの報酬を求めたら、今頃ゲイツと肩を並べる世界的大金持ちになれたろうに、それをしないで「かっこいいことをいうようですが、トロンは世界中の人々の、全人類の共通財産です」と言った。
 いいねぇ。泣かせる。私には言えないね。ゲイツの半分でもいいから利益を受け取りたい、と思うだろう。私には言えない台詞を言える坂村健をソンケー。そして、次はトロン搭載機を使おうと思う。

本日のひがみ: 無料テッシュ、無料美術館、無料トロン、無料ネット読書、が、わたしのお気に入り


2003/04/23 水 曇り
アンドロメダM31接続詞>薬袋黎爾ほか巡回コース

 午前中Aダンス。
 午後、教授法2コマ。受講生40人を超え、疲れる。40人いると、半分は話を聞いていない。20人のちゃんと聞いている学生だけにしてほしい。

 今日もネットをひとまわり。薬袋黎爾『駄目人間血風録』は、髪を完全カットしたと書き、カット前の写真がある。予想通りの顔だった。リコーそう。東浩紀もOBと書いてあった。みないれいじ君、東浩紀路線へ行きそうな気がしてきた。

 青木みや日記は未だに更新なし。うさぎや更新なし、サイコドクター、のだなのだ、絶望書店、みょうがのつぶやきなどなど。西村ドクター、最近お疲れかと思っていたが、今日は「愛子様」に噛みついていて、やっぱりドクターは何かに噛みついて叫んでいるのが似合っていると思う。

 おもしろいことに、サイコドクターと西村ドクターは何のつながりもなく、双方ともお互いの存在は知らないだろうに、ふたりとも青木みやのページをのぞくことは共通している。特に共通ネットワークがないと思うのに、リンクページが共通していることはよくある。つまり、それだけ私が興味をそそられるコンテンツが狭いということかもしれない。全然関係ないところから同じ人のページに出てしまうこともよくある。最近では全く関係ないキーワードやリンクから、何度も中澤港をヒットした。

本日のそねみ:我が家のゲーム漬けぼっちゃまとは出来が違うね、薬袋黎爾くん!


2003/04/24 木 朝小雨のち曇り
ニッポニア教師日誌>授業

 日本事情、作文、2コマ。
 ギーは、1年の作文と日本事情の単位を認定されていないので、2年の作文と日本事情の受講を認めないことにした。2Eの日本事情だけ履修させるように教務から連絡を受けたが、2Eと2Bはいっしょに履修して欲しいと要望する。

 今年こそ、少人数でまとまってやりたい。来年はまたレベルまちまちの人たちが大量に来るというので、今年くらいはこじんまりとやる。多加さん幸さん、今年の1年生はたいへんという。人数が多いだけならなんとかするが、レベル上下の差がありすぎるのだという。

本日のなやみ:今から来年の低レベルを心配


2003/04/25 金 朝小雨のち曇り 
日常茶飯事典>私生活と人生の親戚

 ビデオ会話3コマ。

 ヤンさんビデオ。ほかの初級ビデオ教材より、「ヤンさんの東京私生活」という内容が留学生には受けるのだが、いかんせん15年前の制作だと、車の形とか、ラジカセの型が、いかにも古い。しかし、ヤンさんのあと、新バージョンの「普通の私生活」シナリオでの初級教材ビデオはいいものがない。佐久間先生、新しいのを作って!

 「私生活」に関して、思い出したのが、『人生の親戚』。
 小説主人公まり恵のリアリティは、著者の私生活ふう記述とからめた部分によって支えられている。著者も、意識的に自分自身と息子をモデルとした語り手の知り合いとして、彼女に関わったことを記述する。

 もし、著者の私生活と全然関係のない、完全な三人称小説主人公の物語としてまり恵が描かれていたら、はたしてこの主人公の存在を「アリエネー」と言わずに受け入れることができるだろうか、という疑問。
 一生車いすで生活することになった息子と、知的障害を持つ息子。その二人が心中のようにして崖から落ちて死ぬ。まり恵の南米コミュニティでの生活。受難。神を持たない人のための宗教的な雰囲気に満ちた葬儀、葬儀後に明かされる真実。
 話としては、すらすら読めるし、まり恵さんに感情移入できるし、小説としては成功していると思う。

 『人生の親戚』は、小説のナラティブ語り方が生み出すリアリティの問題を、私に宿題として与えてくれました。でも、夏休みも冬休みも宿題は最後の最後までほっておいて、結局提出しないのが、我が家の伝統。

本日のうらみ:大江健三郎全集もうさぎタイムに齧られてしまいました


2003/04/26 土 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『黄泉がえり』

 午後、娘息子と『黄泉がえり』を見た。出かけるときはいつも3人一緒だから、ふたりとも何も気づいていなかったけれど、実をいうと3人そろって映画を見るのは実に久し振りのこと。前回いっしょに映画館へ行ったのは10年くらい前の『思ひ出ぽろぽろ』くらいじゃないだろうか。
 私と娘は時々いっしょに見てきたけれど、息子には難しすぎて分からない映画だったり、字幕が読めないから無理だったりして、ようやく3人いっしょに見られるようになった。

 『黄泉がえり』は、3人ともおおよそのストーリーは知っていた。しかし、竹内結子のあおいが黄泉がえりの一人だということに、私と娘はまったく気づかず、息子はあおいがアパートに帰って草なぎの平太に会うところくらいから「こいつ、死んでるな」と気づいたんだという。

 だいたい、息子は、普段でも「死んだ人の気配を感じることができる」人なのだ。スモモもそうだから、そういう体質が遺伝したんだろう。私はまったくそういうことはなく、寺へ行っても墓場へ行っても死んだ人を感じることはない。
 私はこの世のすべての現象を把握しているわけではないので、自分に分からないことだから、絶対にあり得ない現象であるなどと言い切ることはできない。たぶん、感じる人には感じられるのだろう、くらいしかわからない。

 スモモが墓参りに行ったかえりに、ときどきだれか先祖を連れて帰ってしまい、しばらくいっしょにいることになってしまうのを、むしろうらやましく思う。お母さんを連れて帰れたら、どんなにうれしいだろう。孫をひとりも見ないうちに死んでしまったお母さん。お母さんに、娘と息子を見てもらいたい。でも、スモモが連れて帰る先祖は、たいてい私たちが生まれる前にすでに死んでいた人ばかりで、本当に会いたい人は出てこないと言っていたが。

 そういう「死んだ人に会いたいなあ」という思いと、阿蘇の山の中の磁力が合体すると、死んだ人が黄泉がえる。
 何千人もの黄泉がえりが出現した阿蘇山中の村。
 黄泉がえりの愛する人に再会した人は、それぞれ、これからの人生を生きていく勇気を与えられる。
 自分を生んだために命を落とした母親忍足亜紀子に、医師田中邦衛の娘伊藤美咲が「生んでくれてありがとう」と、手話で言うところとか、哀川翔の周平が極楽とんぼの英也に「玲子を頼む」と託し、東心の英也兄が「全部分かった上で頼んでいるんだ」と諭すところとか、もう泣けて、泣けて。

 死んでしまった人も、いっしょうけんめい自分たちの幸せを願ってくれている。それに気づくだけでも、残された人は幸せになるために、精一杯これからの人生を過ごしていける。たった3週間であっても、それを伝えられた人はいいなあ。
 草なぎの平太も、あおいが「私が会いたかったのは平太、あなたなの」と言う言葉を聞いたことで、十分に報われたのだ。

 ただひとつの疑問。平太以外の、死者に会いたいと願う人々は、会いたい人が死んでいると知って願っていた。平太だけはあおいがすでに死んでいることに気づかないで、会いたいと願っていた。
 阿蘇の不思議な磁力パワーは、この願いをどちらも差別なく受け取り、会いたい人を黄泉がえらせてくれたっていうことなんだね。
 磁力パワーの及ぶ範囲に、角膜でも骨でも、DNAが残されていることが黄泉がえりの条件だった。物理的な条件に関しては、あるとないの区別がはっきりしているのに、「願い、思い」という精神的な条件に関しては、「強い思い」をどうやって判定したのか、基準は何だったのか、よく分からない。
 日頃は「亡くなった糟糠の妻の供養を怠らず、忘れたことはありません」と公言して同情票で当選した町長の妻が黄泉がえらず、若い後妻に溺れて先妻のことなんかとっくに忘れ果てていることなんかが描かれたら、基準がわかって面白かったけど、話が美しくなくなるかも。

 映画の後、スタバでお茶。
 息子が「あおいが死者だとすぐ気づいた」話や、わたしと息子には、安積紳一郎がどのシーンに出てきたのか、全然わからなかったのに、娘は安積が何かの番組で「私はここに出ています」と紹介しているのを見ていたから、ちゃんと気づいた、とか、いろいろおしゃべり。
 こんなふうに、いっしょに映画を見て、いっしょにおしゃべりする楽しみが出てきた。子供が成長するといっしょに遊びに行く回数が減ってくると思っていたが、これからは別のお出かけができる。

本日のつらみ:若い頃虫もつかなかった私、年取って霊もつかない


<つづく>
コメント (4)
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