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ぽかぽか春庭「2003年の姑誕生日」

2016-02-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160209
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(1)2003年の姑誕生日

2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/01 土 晴れ
日常茶飯事典>ぐうたらディ

 朝6時にいつもの通り目が覚め、新聞を読んでいるうちに眠くなって「今日から息子は土日と入試休講5連休だし、朝のお弁当作りから解放されてのんびりしよう」と思ってもう一度寝てしまった。起きたら10時半だった。それから一日中ぐうたら。

本日のつらみ:毎日二度寝ができる幸福を味わいたい


2003/02/02 日 晴れ
アンドロメダ31M接続詞>村長ホームページ

 郵便局へ行ったほか、ネットサーフィンをして遊ぶ。

 わたしが息子のクラスメート通称村長のホームページを毎日チェックしていることが息子にばれたので、もういちいちグーグルで検索してから呼び出すのをやめて、お気に入りに登録した。息子のお気に入り登録しないで、わたしのにいれたら「なんでだよ」といわれたが、これからも毎日読むから、わたしのところでいいの、と言う。

 息子同級生リンクのパソコン達人たちは、ちゃんと自分のサイトがどのパソコンから見られているかを解析している。掲示板に「担任がgogoリンクサイトをを毎日チェックしているから、サイトオーナーは要注意」という伝言が出ていた。そりゃ、先生なら生徒の頁を毎日チェックするだろな。
 村長の掲示板、おばかでおもしろいし。

本日のひがみ:中学生にも作れるホームページ

2003/02/03 月 晴れ 
日常茶飯事典>姑誕生日
 漢字、作文2コマ。
 息子は姑の家へ。娘が作ったカップケーキと、私からのお祝いお包みを誕生日プレゼントとして届ける。姑は78歳に。本当は去年喜寿だった。喜寿の祝いは舅のホスピス看病でそれどころじゃなかったから、この次は八十の傘寿。皆でお祝いができるといいが。夫は自分の親なのに、「パス」するだろうか。こどもや私には冷たいが、自分の両親と姉にはやさしいので、案外傘寿の祝いには賛成するかも。
 私のはもちろん、子供達の誕生日も、結婚以来、一度としていっしょに祝ったことがない。そのくせ自分の誕生日を子供達が忘れていたりするとさびしそうな顔をする。まったく身勝手なやつだ。
本日のうらみ:釣った魚に餌をやらない主義の夫

2003/02/04 火 晴れ 
日常茶飯事典>アメリカキルト展
 漢字、会話2コマ。
 東西線日本橋で降りて「また、失敗した。銀座三越へ行くつもりで、いつも三越は日本橋だと思って降りてしまう」と思って、日本橋から銀座三越まで歩いた。銀座三越の入り口案内所で聞いたら「当店の和のキルト展は昨日で終了。日本橋店でアメリカンキルト展を開催中」と言われ、銀座から三越前まで地下鉄で戻る。どうしていつも、目的地に道を間違えずに着くことができないのか、本当に不思議。ま、ばかなだけだけど。

 日本橋三越でアメリカキルト展。
 針と布の手仕事は本当にすてき。一針一針の手仕事に、毎度毎度見るたびに感動する。煙草の包装に使っていたリボンをたくさん集めて縫い継いであるキルト、大勢の女達が共同で縫い上げたキルト。女達は針を動かしながら、思い出を語ったり、次の選挙について意見を交わしたり、戦争へ行く男達について話したりしたのだろう。映画『キルトに綴る愛』を思い出す。
本日のつらみ:和のキルト展も見たかった

2003/02/05 水 晴れ
日常茶飯事典>Aダンス新年会
 午前中Aダンス。お昼はAダンス新年会。駅前の春寿司で。
 おすしと茶碗蒸しのランチで、今年の発表曲などを決めた。私は去年に引き続き、副代表。代表が出られないときだけ会議に出ればいい。あとは、ワープロ係り。

 ランチのおしゃべり。皆自分の人生の山あり谷あり悲喜こもごもを泣きながら笑って話す。
 Sさんは、テレビ番組のプロデューサーをしているご主人と別れ話になっているという話。もともと家庭生活に向かなかったご主人、7年間家に帰ってこなかったときもあり、ここ5年間は自宅に戻っていたが、また出ていった。
 もう子供たちも成長したので、子供のために父親の帰りを待つという必要もないから、今度こそ離婚したいという。離婚経験者で、子供の成長後、新しい恋人とラブラブ中のミサイルママは「思い切って新しい人生を始めることも必要」と言う。

 次男が事件にあい、『話を聞いてください』という、少年殺人事件被害者の家族の声を集めた本に、手記を書いたさくらさん。せめて長男は幸福になってほしいと結婚式の準備に余念がなかったのに、結婚式の8日前になって、先方から婚約破棄をもうし出された。話しながら「今でも思い出すと悔しくて悲しくて」と涙を拭く。
 霧子さんは、長年父親の介護を続けてきたが、先週お葬式を済ませたという。

 ランチのあと、駅前でお茶を飲みながら、おしゃべり会。私は先生の前の席になったので、もっぱら先生の話を拝聴。バリの話など。
 先生の姪の息子さんが開成とラサールに合格したのだけれど、現住所が山奥なので、開成はあきらめてラサールの寮に入ることに決めたそう。
 「姪は、うちで世話を引き受けてくれればと思って、東京の開成を受けたのだろうけど、うちも年寄りを抱えていて、とても中学生の世話をする余裕もないので、断った」という。
 「中学生で寮生活していけるのかしら」と先生は心配そうだったけれど、大丈夫でしょう。ピーターは、ラサールの寮に入ったけれどいやけがさして逃げだし、東京のゲイバーで働いていたところをスカウトされたというが。ま、だいたいの子は逃げもせずおとなしく東大をめざすのでしょう。
本日のそねみ:悲喜こもごもの女の人生。私の人生、悲否こもごも


<つづく>
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20160209
 2月4日の舅誕生日、2月7日の姑誕生日をいつもいっしょに祝ってきましたが、2003年の誕生日からは、姑ひとりのお祝いになりました。

 今年2016年の姑誕生日2月7日。
 娘と息子は姑の家で「バーチャン誕生日」をしたとメールがきました。大すきだけれど、「お医者さんから制限されている」と、姑は甘い物をがまんしていました。「よくなったら食べるね」と姑が言っていた草餅やプリンなど甘い物を「もう、がまんしないで思いっきり食べてね」と、お仏壇に供えたそうです。お医者さんが禁じたのをきちんと守って、糖分は代替甘味料、塩分なし、タンパク質控えめ、という味けのない特別食を食べていた姑。「これはこれなりにおいしい」と、娘には言っていたそうですが、娘が特別食用ゼリーを食べて見たら「おもいっきしまずかった」
 今は、好きなものを好きなだけ食べているだろうと思います。舅も饅頭やようかんが大好きで、姑に隠れて食べていたくらいですから、ふたりのお茶のみ話もはずんでいることでしょう。

 2014年、近所のフランス料理屋での誕生日ランチ。デザートプレートの写真です。
コメント (2)
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