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ミンガラ春庭「市内美化と現世来世」

2016-02-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160220
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記2月(2)市内美化と現世来世

 いつも通勤バスが通るインセイン通りに、イスラム教の礼拝堂があります。ビルのなかにあるので、これも「モスク」と言ってよいのかどうか知らないのですが、たぶん、これもモスク。ヒンズー寺院もモスクの近くのビルの中。ビルの前にはお供えの果物籠と花が並んでいます。そして、ハトの餌売りバーサンがいつも座っていて、お参りに来た人は、エサをやるのがたぶん、功徳になるのだろうけれど、いつもハトが群がっています。大学近くになると「觀音廟」と漢字で書かれた門があります。中に入ったことないのですあ、たぶん、中華系の人のための仏教寺院と思います。

 そして、町ごとに上座仏教の仏塔があります。どんな貧民街でも、ちゃんとお寺があるのです。どんな貧民でも、一生懸命働いて金箔を買い求め、仏塔や仏像に金箔を貼ることが大きな功徳になるので、たいていの仏塔がキンピカです。一番御利益も多そうなシェタゴンパゴダなどは、何世紀にもわたって金箔が貼られてきて、一説には金の重さは数万トンとか。むろん、削り取ってやろうなんていうのは仏罰必定。来世はゴキブリです。
 現在、ゴールデンロックとして知られている名所、チャイティヨーパヤーの金箔は張り替え修理中。この落ちそうで落ちない岩、金箔を貼ると御利益絶大なのですが、女性は金箔を貼ることが出来ない。男性に頼んで、代わりに貼ってもらうことしかできないので、御利益は薄め。

 ミャンマーの人々の生き方にとって、一番大事なことは、現世で善行を積み重ね、ホトケの功徳によって来世によりよいステージに生まれ変わることです。
 高徳の僧侶に生まれ変わるのが一番望ましく、僧になってさらに徳をつめば、来世では輪廻転生から解脱してお釈迦様のおわす極楽でずっと安穏に過ごせるのですから、スゴロクでいうところの「あがり」です。それまでには何世にもわたって輪廻転生を繰り返す。功徳を積んでおかないと、来世に孤児や身体障害となるかもしれず、そうなるとスゴロクなら「振り出しにもどる」みたいなことになってしまいます。もっとこわいのは、仏罰を受けて人間に生まれ変われないこと。来世、ハエや蚊になってしまったら、もう、あがりの目はありません。

 上座仏教徒にとって善行を積むことが最優先なので、ひったくり、スリなどの犯罪は街中ではほとんど起こりません。たまにそんな事件が起こると、仏教徒は「あれは、イスラム教徒かヒンズー教徒が起こした事件だろう」なんて噂するので、宗教同士の軋轢も生じますが、たいていは、日常生活ではどの宗教の人もおだやかに平和に暮らしたいと願っているのです。

 僧侶の托鉢の列を待ち、僧の持つ鉢に毎日ごはんを入れること、誕生日やよいことがあったら、必ずお寺に寄進をすること、誕生日じゃなくても、よいことなくても、お寺に寄進すること、これが一番の功徳です。

 そのかわり、功徳にならないことは、めったに人々は行いません。
たとえば、「町の中に、ごみをポイ捨てしないこと」なんていうのは、功徳のうちに入っていませんから、みな、遠慮なく道ばたにゴミを捨て、町の中の川は、ビニール袋に入ったゴミが投げ捨てられています。道沿いの溝は、全体ゴミ捨て場で、いつでもにおいがあり、どんより汚れた水がけだるそうに流れています。ときに流れず、よどんだり、あふれたり。たまにどぶさらいをする人もいますが、さらったドロは溝のとなりに積んでおくだけなので、雨でふったら元どおり。

 昨年2015年12月12日(だったと思う)に、ヤンゴン大学構内を清掃している学生を見かけました。おや、めずらしい、学生が清掃作業など行うってのは、めったにあることじゃありません。新聞に載せるのか、腕に腕章を巻いた人が写真を撮っている人もいるので、報道に値することなのでしょう。

 学生に「誰かに清掃を命じられたのですか」とたずねてみました。当地で、だれかに命じられないことを、自発的にやるなんてことは考えられませんから。学生のこたえは、「いえ、学生達が自発的にやっているのです」というのです。へえ、めずらしいことがあるもんだ、やっぱりNLD国民民主連盟が政権とると人々の意識も変わるのかなと、一瞬思いました。

 しかし、学生が清掃作業をしたのを見たのは、その12月12日一回だけでした。学生は「自発的にやっている」と言っていましたが、清掃に参加するしないは確かに学生の自発的な意志によってでしょうが、清掃運動のもとは、やはりアウンサンスーチーさんの一言でした。女史が「町の美化運動」を提唱したのだそうです。

 新聞に報道されるようなときには清掃活動に参加した学生も、NLDの美化キャンペーンが終われば、掃除なんぞいっさいしません。そもそも、学生というのは「清掃作業をするような身分じゃない」と、学生も学生の親も思っているからです。
 大学構内に清掃作業員はいるけれど、学生から見たらその人々は「前世の行いがあまり良くなかったから、現世で清掃という仕事をしている。自分は前世の行いがよかったから、現世で大学生という高い身分を獲得している」と考えているのです。

 お寺にも清掃作業をする下働きはいるけれど、僧侶は清掃作業などいっさいしません。清掃は、徳の高くない人がやること。その点、掃除も料理も修業のうちに入る日本の寺とは大きく違います。
 どちらかというと、ヒンズー教のカースト制度に近い感じを受けます。
 アウンサンスーチーさんが号令したからと、町の美化運動に参加した人たち。その後、自発的に清掃を行っているかというと、皆無です。

 この町を美化するのに、ひとつよい方法があります。
 仏教のトップ高僧が「町の中をきれいにすることは、仏への功徳のひとつであり、ゴミをひとつ拾って片づければ、来世のステージがひとつよくなる」と、発表することです。金箔をお寺に納めるだけが功徳じゃない、町をきれいにしても功徳が積める、と知れば、この町はきっと仏塔以上にぴかぴかになる。

<つづく>
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