20160221
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記(3)職人仕事と前世来世
当地では、米を作る、漆塗りの器を作るなど、物を作る労働はそれなりに価値があると見なされるけれど、維持保守点検の仕事は、何も生み出さないゆえ、尊敬の対象になっていないようなのです。
清掃は生み出すものがなく価値が低いゆえ、身分の高い人は決して掃除などしない。私も、オフィス内をほうきで掃くときなど、学生に見られないように、ということを教わりました。大学の先生は身分が高いはずなのに、掃除なんぞやっているようじゃ、あまりたいした人物ではない、とみなされるから。
ビルのメンテナンス、これも物を生み出さないので、仕事のうちに入らない。たいていの古いビルの外壁は、雨期の間にカビが生え、黒く汚れています。外壁の壁がきれいなのは築1,2年の間だけで、たいていは汚れるに任されています。きれいなのは、ビル管理会社などが管理している日本や韓国系企業ビルだけ。
職人仕事というのも、日本と感覚が違うように思います。
布地を買ってロンジーに仕立ててもらったときのこと。ある先生に紹介してもらったミシン屋に絹の仕立てを頼みました。インドネシアから輸入のバティック柄、1着分8000チャット800円と、タイからの輸入シルク1着分50000チャット5千円。当地にしてみれば、シルクは高い買い物です。
絹だから、ちゃんとした仕立てにしたかったのですが、できあがったのを見ると、腰紐は、絹に化繊を継ぎ足し、しかも思いっきり違う色と柄が継ぎ足されています。ロンジーの上にブラウスを着て、腰紐は見えなくなるのだから、何色でもいい、という感覚。
縫い目は、日本ならミシン習い始めの中学生でもこんな曲がりくねった縫い方だと、家庭科不可になる、と思うような、くねくねした縫い目。
がっかりでした。
ミシンを持っている、ということが重要なのであって、「まっすぐな縫い目が作れる」ということは仕立屋の技術の内に入っていない。ミシンを借りて、自分で縫ったほうがマシでした。お裁縫不得意だったけれど、少なくとも私はミシンでまっすぐ縫える。
左官屋もしかり。宿舎に引っ越すまで泊まっていたホテルでもそうでしたが、私の宿舎でも、水が排水溝に流れるように作られていない。シャワーを使うたびに、シャワーコーナーから水が外にあふれます。
宿舎の木製の机、安食堂の木製テーブル、ほとんどは足の長さがそろっていないので、何か足の下に詰め込まないとガタピシします。
ドア枠とドアの形が揃っていないので、すき間が大きく、蚊は遠慮なしに入ってきます。ドアを作る人の考え方では「ドア枠にパッキンをはれば、ドアとのすき間がなくなる」
はい、パッキン張りました。
これらも、清掃が功徳に入らないのと同じこと。職人仕事をきちんと仕上げる、というのは、ホトケの功徳のうちには入っていないから、命じられたことを形だけ仕上げればOKなのです。
現代の日本で、宮大工の技術と誇りはたいしたものだと、感心していますが、宮大工だけでなく、どの仕事であれ、みな、仕事を得たら、懸命にその仕事をまっとうしたいと考える。たとえば、ビルの窓ふき。ビルの窓清掃で「拭き残し」なんぞしたら、仕事を完了したことになりません。レストランで汚れが残っているようなコップを客に出したら、その客は二度と来ません。
アジア出身の新聞奨学生を受け入れた日本のある新聞販売代理店の店主「最初のうち、彼らは、100軒の受け持ち配達区域を回って、95軒配れば、すごい出来だと思っているから、5軒のミスを指摘されても、悪いとも思わない。100軒配達を任されたら、100軒全部に配ばらなければならないのだ、一軒でも配達ミスがあったら、再配達し、どんな罵声を浴びせられようと、おわびのことばをいうのだ、ということを身に染みさせるのに、苦労した」と。
ヤンゴンで日系企業への人材紹介を行っている会社の経営者に、話を聞く機会を得ました。
「日本語検定試験1級や2級をとった、という一見優秀な人材を派遣したとしても、語学達者なだけで使い物にならない人が多い。指示待ち命令待ち以外の動き方をしたことがないので、「仕事を現場で覚えていき、日本のビジネスのやり方を身につけていく」ということができない。同じくらいの優秀さなら、ミャンマー語できない日本人学生でも働いているうちに、ビジネスのやり方を身につけて、自分で判断して動けるようになるけれど、当地の社員は、命令されたことをこなす以上のことを覚えようとしない。結局、使う方も、命じたことだけやらせることになり、仕事の能力が上がらないから給料もあがらない、他の日本人社員が仕事を覚えて給与も上がっていくのを知ると、日本人だけ優遇すると思って不満をもち、他社への転職をしていくけれど、他社に職を得たとしても、また同じこと」
この話を聞いて、学生の優秀さに問題があるのでない、と思いました。幼い頃から暗記だけが優秀さを決める基準で、自分で考えようとしても点数にならないような教育を受けてきていれば、「自分で判断して行動する」なんてことは論外になります。
これから、この国の「働き方」が変わっていくでしょうか。「自分で考え、判断する」という教育が導入されるまでに20年、その教育によって人が育つまでに20年、実際に社会を動かせるようになるまでに20年。
この国の発展を見たいと思っているのですが、現状では海外企業の餌食にされるだけのような気がします。
中国の経済解放改革で、「一部の政権トップや軍幹部だけが最初の利権を独占し、大多数の人々は貧しいままに捨て置かれて、貧富の差が拡大した」ようなことにならないように、願っています。
アウンサンスーチーさんは賢い人であり、信念の強い人ですが、彼女ひとりのカリスマ性でなんとかできたのは、2015年11月の選挙まで。3月の政権交代からが、正念場です。
どうか、3月以後、民主化の成果があがりますように。町がきれいになりますように。学生が自分で考える頭を持ちますように。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマー便り>2016ヤンゴン日記(3)職人仕事と前世来世
当地では、米を作る、漆塗りの器を作るなど、物を作る労働はそれなりに価値があると見なされるけれど、維持保守点検の仕事は、何も生み出さないゆえ、尊敬の対象になっていないようなのです。
清掃は生み出すものがなく価値が低いゆえ、身分の高い人は決して掃除などしない。私も、オフィス内をほうきで掃くときなど、学生に見られないように、ということを教わりました。大学の先生は身分が高いはずなのに、掃除なんぞやっているようじゃ、あまりたいした人物ではない、とみなされるから。
ビルのメンテナンス、これも物を生み出さないので、仕事のうちに入らない。たいていの古いビルの外壁は、雨期の間にカビが生え、黒く汚れています。外壁の壁がきれいなのは築1,2年の間だけで、たいていは汚れるに任されています。きれいなのは、ビル管理会社などが管理している日本や韓国系企業ビルだけ。
職人仕事というのも、日本と感覚が違うように思います。
布地を買ってロンジーに仕立ててもらったときのこと。ある先生に紹介してもらったミシン屋に絹の仕立てを頼みました。インドネシアから輸入のバティック柄、1着分8000チャット800円と、タイからの輸入シルク1着分50000チャット5千円。当地にしてみれば、シルクは高い買い物です。
絹だから、ちゃんとした仕立てにしたかったのですが、できあがったのを見ると、腰紐は、絹に化繊を継ぎ足し、しかも思いっきり違う色と柄が継ぎ足されています。ロンジーの上にブラウスを着て、腰紐は見えなくなるのだから、何色でもいい、という感覚。
縫い目は、日本ならミシン習い始めの中学生でもこんな曲がりくねった縫い方だと、家庭科不可になる、と思うような、くねくねした縫い目。
がっかりでした。
ミシンを持っている、ということが重要なのであって、「まっすぐな縫い目が作れる」ということは仕立屋の技術の内に入っていない。ミシンを借りて、自分で縫ったほうがマシでした。お裁縫不得意だったけれど、少なくとも私はミシンでまっすぐ縫える。
左官屋もしかり。宿舎に引っ越すまで泊まっていたホテルでもそうでしたが、私の宿舎でも、水が排水溝に流れるように作られていない。シャワーを使うたびに、シャワーコーナーから水が外にあふれます。
宿舎の木製の机、安食堂の木製テーブル、ほとんどは足の長さがそろっていないので、何か足の下に詰め込まないとガタピシします。
ドア枠とドアの形が揃っていないので、すき間が大きく、蚊は遠慮なしに入ってきます。ドアを作る人の考え方では「ドア枠にパッキンをはれば、ドアとのすき間がなくなる」
はい、パッキン張りました。
これらも、清掃が功徳に入らないのと同じこと。職人仕事をきちんと仕上げる、というのは、ホトケの功徳のうちには入っていないから、命じられたことを形だけ仕上げればOKなのです。
現代の日本で、宮大工の技術と誇りはたいしたものだと、感心していますが、宮大工だけでなく、どの仕事であれ、みな、仕事を得たら、懸命にその仕事をまっとうしたいと考える。たとえば、ビルの窓ふき。ビルの窓清掃で「拭き残し」なんぞしたら、仕事を完了したことになりません。レストランで汚れが残っているようなコップを客に出したら、その客は二度と来ません。
アジア出身の新聞奨学生を受け入れた日本のある新聞販売代理店の店主「最初のうち、彼らは、100軒の受け持ち配達区域を回って、95軒配れば、すごい出来だと思っているから、5軒のミスを指摘されても、悪いとも思わない。100軒配達を任されたら、100軒全部に配ばらなければならないのだ、一軒でも配達ミスがあったら、再配達し、どんな罵声を浴びせられようと、おわびのことばをいうのだ、ということを身に染みさせるのに、苦労した」と。
ヤンゴンで日系企業への人材紹介を行っている会社の経営者に、話を聞く機会を得ました。
「日本語検定試験1級や2級をとった、という一見優秀な人材を派遣したとしても、語学達者なだけで使い物にならない人が多い。指示待ち命令待ち以外の動き方をしたことがないので、「仕事を現場で覚えていき、日本のビジネスのやり方を身につけていく」ということができない。同じくらいの優秀さなら、ミャンマー語できない日本人学生でも働いているうちに、ビジネスのやり方を身につけて、自分で判断して動けるようになるけれど、当地の社員は、命令されたことをこなす以上のことを覚えようとしない。結局、使う方も、命じたことだけやらせることになり、仕事の能力が上がらないから給料もあがらない、他の日本人社員が仕事を覚えて給与も上がっていくのを知ると、日本人だけ優遇すると思って不満をもち、他社への転職をしていくけれど、他社に職を得たとしても、また同じこと」
この話を聞いて、学生の優秀さに問題があるのでない、と思いました。幼い頃から暗記だけが優秀さを決める基準で、自分で考えようとしても点数にならないような教育を受けてきていれば、「自分で判断して行動する」なんてことは論外になります。
これから、この国の「働き方」が変わっていくでしょうか。「自分で考え、判断する」という教育が導入されるまでに20年、その教育によって人が育つまでに20年、実際に社会を動かせるようになるまでに20年。
この国の発展を見たいと思っているのですが、現状では海外企業の餌食にされるだけのような気がします。
中国の経済解放改革で、「一部の政権トップや軍幹部だけが最初の利権を独占し、大多数の人々は貧しいままに捨て置かれて、貧富の差が拡大した」ようなことにならないように、願っています。
アウンサンスーチーさんは賢い人であり、信念の強い人ですが、彼女ひとりのカリスマ性でなんとかできたのは、2015年11月の選挙まで。3月の政権交代からが、正念場です。
どうか、3月以後、民主化の成果があがりますように。町がきれいになりますように。学生が自分で考える頭を持ちますように。
<つづく>