20160225
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2016ヤンゴン日記2月(6)ミャンマー商売と現世来世
ヤンゴンの日常、相変わらずです。
1月27日-31日の一時帰国で日本生活の快適さにひたって、1月31日夕方にヤンゴンへ戻ると、さっそく宿舎は1月31日夜、断水。2月1日断水と電気ショートによる蛍光灯全滅。でも、3日後には修理して蛍光管を取り替えてくれたので、これはヤンゴン修理情報に寄れば、最速のほうと思います。部屋が暗くなくなって、よかった、よかった。
大学のトイレ、天井を這う水道管からシャワーのように漏水。
最初からトイレタンクは故障していて、洗面器で水汲んで流す方式なのだけれど、天井からの漏水で、強制的シャワー付きトイレになっていました。トイレ使っている間に服がびしょぬれになるのもいやだし、傘さしてトイレに入るのもなあ。
でも、乙武さんだったかの名言。「五体不満足は不便ではあっても不幸ではない」。
そりゃ、乙武さんのように才能に恵まれた障害者だから言えることだ、という反発も承知していますが、彼の信条になぞらえて言えば、「ヤンゴンの生活の不自由さは、不便ではあっても不幸ではない」。ヤンゴンの人々は、停電も断水も日常生活の一コマとして、不便ではあってもみな幸福そうに暮らしています。よき来世を信じて安心して暮らしているからです。
しかしなあ。来世のない私は、ひたすら現世で水は不安無く使いたい、電気は半日一日の途切れなく使いたい。たぶん、こういう煩悩抱えているから、やたらに不便に出会う。
ミャンマーの人々、家の中教室の中お寺の参道から寺の中、すべて裸足です。家の中の清潔度は家庭によってさまざまでしょうが、教室の中お寺の中、裸足で歩けば、たちまち足の裏は真っ黒に汚れます。町の中は、ゴミの山があちこちに堆積、ペットボトルやビニール袋は散乱。川の中はゴミ捨て場。店の人は店の前をほうきで掃くけれど、はいたゴミは道に出す。または溝に掃き出す。道ばたを流れる溝は、いつもゴミがいっぱいで、臭いがあります。
それでも、人々は純真で他人をだますようなことをしない、と思ってきましたが、10日間のミャンマー滞在を終えて日本に帰った友人やっちゃんからのメール。ミャンマー最大の観光地バガン仏教遺跡群の町にある漆塗り工房で買った漆塗り製品、包み紙をあけてみたら、注文品とは別のものが入っていたという報告です。ひとつ25US$2500円25000チャットのお椀、漆塗りというだけでなく、中は馬のしっぽの毛を編んで作った、ということでやっちゃんは気に入ったのです。木工のお椀もいいけれど、馬好きのやっちゃんとしては、「馬のしっぽの毛」で作ったお椀、と言うところに価値があったのです。「あれほどの店構えなのに、だまされてがっかりです」と、楽しかったミャンマー旅行の思い出が暗転してしまったかなしさを伝えてきました。
私も、これまでミャンマーの人は仏罰をおそれて決して人をだましたりしないと思っていたので、びっくりぎょうてん。
3月にもまたバガン遺跡に行くので、買った店に行って抗議しようと思います。もし、店主が知らぬ存ぜぬを通すなら、「地球の歩き方」に投書して、店の名をはっきり書き、この店では漆塗り製品を買うなキャンペーンをするから、と、言ってやります。
やっちゃんも不愉快だったでしょうが、私もやっちゃんと同じくらいショックです。とうとうミャンマーの観光地も、アジアアフリカでよく耳にする「客とみればだましにかかる」商売になってきたのか、という気持ち。
こちらでは、口コミ情報の威力がまだ知られていない。facebookなどに一度情報が流れれば、店がつぶれてしまうくらいの影響力があること、まだ理解していない田舎の人が多い。
バックパッカー御用達だった「東京ゲストハウス」。日本人オーナーは、「南京虫が出た」とか「シャワー室を覗かれた」などの苦情を言う客に「うちの評判を悪くするようなことを言う客は泊めない」と、追い出すことで有名。でも、ネットにその情報が流れて、日本人客は激減。それでもつぶれたようすもないのは、日本人以外の客には「トーキョー」ということばが魅力的なのでしょう。
漆塗りなどは、何度も重ね塗りするところに価値があり、昨年の朝ドラ「まれ」に登場した輪島塗などでも、その作業の緻密さ綿密さに感嘆しました。(ドラマは、脚本がつまらないので、半分みたところで見るのをやめてしまったけれど)
何度重ね塗りをしたか、などは、外側からだけではわかりません。その店を信用するかどうかにかかっています。何十年もつづく店は、客の信用が厚い、ということ。老舗とはそういう信用によってなりたつものでしょう。
やっちゃんがだまされたバガンの漆塗り「Golden Cuckoo Lacquerware 」は、バガンでも有名店のほうだし、私としては、店ぐるみで客をだましているとは思えないのですが。
そもそも「Golden Cuckoo Lacquerware 」の店は、店の奥にさらに店がありました。一般観光客は、見た目はきれいだけれど、重ね塗りなどしていない、インスタント漆塗りの製品を並べてある店に案内されます。観光客は見た目がきれいなら買っていき、少しでもやすいみやげ物をもとめる。
奥にある店は、本物の漆塗り製品を求める人の為の店で、こちらの製品にはカッコウ鳥のロゴがついている。土産品にはロゴがついていません。おなじように見える製品でも、3~5倍の値段の開きがあります。やっちゃんは、ちゃんとしたほうの漆塗りを買って、ひとつ25US$というそれなりの金額を払ったのに、注文品と別物が包まれていた。残念な手口です。これは店の人を信用してしまったやっちゃんのミス。目の前で現品を包装させずに、奥へ入って包装してきたものを、中身を確認せずに受け取ってしまったのは、やっちゃんが店を信用してしまったため。アジアアフリカではよくある手口です。包装する場合、必ず目の前で包ませてうけとらなければいけない。
私はやっちゃんの買い物につきあわず、店の奥の工房をずっと見学していて、お金と買い物のやりとりを見ていなかった。これは私のミス。南アフリカとマラウィに旅行したことがあるやっちゃんなので、だまされないコツはわかっていると思ってしまった。
漆塗りでUS$25ドルのお椀というのは、日本では信じられない安さです。輪島塗はおわん一客で25万円~100万円ですから。ゴールデンカッコーでも、奥の本物漆器は確かに小さいものでも100ドル200ドル、大きい物は千ドルしてました。25ドルは格安、お買い得と思ってしまったのがアダとなりました。ロゴ入りでない観光客用の漆器なら、25ドルは普通の値段。ロゴ入りの漆器を選んだやっちゃんに「お買い得です」と言って安い値段を提示し、奥へ入ってロゴ入りでない安出来のものを包んで渡したのでしょう。
やっちゃん、買い物につきあわないでごめんね。でも、だました人は、きっと来世はゴキブリです。
それに、わたしもだまされた。
やっちゃんといっしょに行った民族村。歩いて回りたいやっちゃんと、自転車で回りたい私は別行動をとりました。
テーマパーク民族村は、ミャンマーの代表的な民族の家を園内に建てて、民芸品や衣装などを売っています。1000チャット100円で民族衣装を着て写真をとるサービスも。
細かく分ければ300にも分けられるというミャンマーの少数民族。村ごとに違うことばを話す、と言われています。北部のコーカン族は中国の雲南省の人々に近いことばを話すし、南部ではタイ語に近いことばを話します。
家も基本は高床式ですが、民族ごとに微妙に違っています。壁は竹を編んでつくるか、バナナの葉を編むか、屋根はなんで葺くか、など。さて、その家のひとつでロンジーを買いました。モン族伝統模様の木綿生地と、男性ロンジー用のチェック柄。息子へのおみやげです。しかし、家に帰って広げてみると、明らかに幅が足りない。男性用は、輪に縫って、両側から幅寄せして中央でしばる。幅寄せができないくらい、せまい生地でした。がっかりです。値段は市内の店で売っているより高かったから、まさか不良品を売っているとは思わず、確かめずに買ってしまいました。布地をその場で広げずに、ビニール袋のラッピングに入れたまま買ってしまったのです。
幅を狭くしておけば、同じ値段でも安上がりに売ることができる。民族村など何度もいくところではありませんから、外国人観光客とみると、幅が狭い布地を売ったところで、もどってくることはない。売っているほうにしてみると、だましたつもりはありません。ロンジーを仕立てる場合、幅をどれほどにするかは、客の注文にもよりますから。着付けられないほど狭い幅のものを売ったとしても、仏罰は受けません。
観光客相手には、これからこういう商売のやり方がたは、これから観光が盛んになるにつれて、どんどん増えて狡猾になっていくことでしょう。これは発展途上国が観光化したときに、どこでも起こったことです。
これから観光産業が発達するにつれて、ミャンマーにさまざまな問題が発生することは間違いない。それに対して、法整備などはまだまだおいついていません。3月に政権交代が行われるのは確実ですが、その先、しばらくは経済発展、産業開発が最優先されるだろうと思います。観光が産業として整備されるのはその先。
観光が産業としてきちんとミャンマーの中に位置づけられるまでには、まだまだ日にちがかかると思います。
に
みな、うまいこと仏罰にはあたらないようにしながら、じょうずに金儲けをして、せっせとお寺に寄進することでしょう。でもねー、私に不良品売りつけたおばはん、来世は蝿だとおもっているからね~。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2016ヤンゴン日記2月(6)ミャンマー商売と現世来世
ヤンゴンの日常、相変わらずです。
1月27日-31日の一時帰国で日本生活の快適さにひたって、1月31日夕方にヤンゴンへ戻ると、さっそく宿舎は1月31日夜、断水。2月1日断水と電気ショートによる蛍光灯全滅。でも、3日後には修理して蛍光管を取り替えてくれたので、これはヤンゴン修理情報に寄れば、最速のほうと思います。部屋が暗くなくなって、よかった、よかった。
大学のトイレ、天井を這う水道管からシャワーのように漏水。
最初からトイレタンクは故障していて、洗面器で水汲んで流す方式なのだけれど、天井からの漏水で、強制的シャワー付きトイレになっていました。トイレ使っている間に服がびしょぬれになるのもいやだし、傘さしてトイレに入るのもなあ。
でも、乙武さんだったかの名言。「五体不満足は不便ではあっても不幸ではない」。
そりゃ、乙武さんのように才能に恵まれた障害者だから言えることだ、という反発も承知していますが、彼の信条になぞらえて言えば、「ヤンゴンの生活の不自由さは、不便ではあっても不幸ではない」。ヤンゴンの人々は、停電も断水も日常生活の一コマとして、不便ではあってもみな幸福そうに暮らしています。よき来世を信じて安心して暮らしているからです。
しかしなあ。来世のない私は、ひたすら現世で水は不安無く使いたい、電気は半日一日の途切れなく使いたい。たぶん、こういう煩悩抱えているから、やたらに不便に出会う。
ミャンマーの人々、家の中教室の中お寺の参道から寺の中、すべて裸足です。家の中の清潔度は家庭によってさまざまでしょうが、教室の中お寺の中、裸足で歩けば、たちまち足の裏は真っ黒に汚れます。町の中は、ゴミの山があちこちに堆積、ペットボトルやビニール袋は散乱。川の中はゴミ捨て場。店の人は店の前をほうきで掃くけれど、はいたゴミは道に出す。または溝に掃き出す。道ばたを流れる溝は、いつもゴミがいっぱいで、臭いがあります。
それでも、人々は純真で他人をだますようなことをしない、と思ってきましたが、10日間のミャンマー滞在を終えて日本に帰った友人やっちゃんからのメール。ミャンマー最大の観光地バガン仏教遺跡群の町にある漆塗り工房で買った漆塗り製品、包み紙をあけてみたら、注文品とは別のものが入っていたという報告です。ひとつ25US$2500円25000チャットのお椀、漆塗りというだけでなく、中は馬のしっぽの毛を編んで作った、ということでやっちゃんは気に入ったのです。木工のお椀もいいけれど、馬好きのやっちゃんとしては、「馬のしっぽの毛」で作ったお椀、と言うところに価値があったのです。「あれほどの店構えなのに、だまされてがっかりです」と、楽しかったミャンマー旅行の思い出が暗転してしまったかなしさを伝えてきました。
私も、これまでミャンマーの人は仏罰をおそれて決して人をだましたりしないと思っていたので、びっくりぎょうてん。
3月にもまたバガン遺跡に行くので、買った店に行って抗議しようと思います。もし、店主が知らぬ存ぜぬを通すなら、「地球の歩き方」に投書して、店の名をはっきり書き、この店では漆塗り製品を買うなキャンペーンをするから、と、言ってやります。
やっちゃんも不愉快だったでしょうが、私もやっちゃんと同じくらいショックです。とうとうミャンマーの観光地も、アジアアフリカでよく耳にする「客とみればだましにかかる」商売になってきたのか、という気持ち。
こちらでは、口コミ情報の威力がまだ知られていない。facebookなどに一度情報が流れれば、店がつぶれてしまうくらいの影響力があること、まだ理解していない田舎の人が多い。
バックパッカー御用達だった「東京ゲストハウス」。日本人オーナーは、「南京虫が出た」とか「シャワー室を覗かれた」などの苦情を言う客に「うちの評判を悪くするようなことを言う客は泊めない」と、追い出すことで有名。でも、ネットにその情報が流れて、日本人客は激減。それでもつぶれたようすもないのは、日本人以外の客には「トーキョー」ということばが魅力的なのでしょう。
漆塗りなどは、何度も重ね塗りするところに価値があり、昨年の朝ドラ「まれ」に登場した輪島塗などでも、その作業の緻密さ綿密さに感嘆しました。(ドラマは、脚本がつまらないので、半分みたところで見るのをやめてしまったけれど)
何度重ね塗りをしたか、などは、外側からだけではわかりません。その店を信用するかどうかにかかっています。何十年もつづく店は、客の信用が厚い、ということ。老舗とはそういう信用によってなりたつものでしょう。
やっちゃんがだまされたバガンの漆塗り「Golden Cuckoo Lacquerware 」は、バガンでも有名店のほうだし、私としては、店ぐるみで客をだましているとは思えないのですが。
そもそも「Golden Cuckoo Lacquerware 」の店は、店の奥にさらに店がありました。一般観光客は、見た目はきれいだけれど、重ね塗りなどしていない、インスタント漆塗りの製品を並べてある店に案内されます。観光客は見た目がきれいなら買っていき、少しでもやすいみやげ物をもとめる。
奥にある店は、本物の漆塗り製品を求める人の為の店で、こちらの製品にはカッコウ鳥のロゴがついている。土産品にはロゴがついていません。おなじように見える製品でも、3~5倍の値段の開きがあります。やっちゃんは、ちゃんとしたほうの漆塗りを買って、ひとつ25US$というそれなりの金額を払ったのに、注文品と別物が包まれていた。残念な手口です。これは店の人を信用してしまったやっちゃんのミス。目の前で現品を包装させずに、奥へ入って包装してきたものを、中身を確認せずに受け取ってしまったのは、やっちゃんが店を信用してしまったため。アジアアフリカではよくある手口です。包装する場合、必ず目の前で包ませてうけとらなければいけない。
私はやっちゃんの買い物につきあわず、店の奥の工房をずっと見学していて、お金と買い物のやりとりを見ていなかった。これは私のミス。南アフリカとマラウィに旅行したことがあるやっちゃんなので、だまされないコツはわかっていると思ってしまった。
漆塗りでUS$25ドルのお椀というのは、日本では信じられない安さです。輪島塗はおわん一客で25万円~100万円ですから。ゴールデンカッコーでも、奥の本物漆器は確かに小さいものでも100ドル200ドル、大きい物は千ドルしてました。25ドルは格安、お買い得と思ってしまったのがアダとなりました。ロゴ入りでない観光客用の漆器なら、25ドルは普通の値段。ロゴ入りの漆器を選んだやっちゃんに「お買い得です」と言って安い値段を提示し、奥へ入ってロゴ入りでない安出来のものを包んで渡したのでしょう。
やっちゃん、買い物につきあわないでごめんね。でも、だました人は、きっと来世はゴキブリです。
それに、わたしもだまされた。
やっちゃんといっしょに行った民族村。歩いて回りたいやっちゃんと、自転車で回りたい私は別行動をとりました。
テーマパーク民族村は、ミャンマーの代表的な民族の家を園内に建てて、民芸品や衣装などを売っています。1000チャット100円で民族衣装を着て写真をとるサービスも。
細かく分ければ300にも分けられるというミャンマーの少数民族。村ごとに違うことばを話す、と言われています。北部のコーカン族は中国の雲南省の人々に近いことばを話すし、南部ではタイ語に近いことばを話します。
家も基本は高床式ですが、民族ごとに微妙に違っています。壁は竹を編んでつくるか、バナナの葉を編むか、屋根はなんで葺くか、など。さて、その家のひとつでロンジーを買いました。モン族伝統模様の木綿生地と、男性ロンジー用のチェック柄。息子へのおみやげです。しかし、家に帰って広げてみると、明らかに幅が足りない。男性用は、輪に縫って、両側から幅寄せして中央でしばる。幅寄せができないくらい、せまい生地でした。がっかりです。値段は市内の店で売っているより高かったから、まさか不良品を売っているとは思わず、確かめずに買ってしまいました。布地をその場で広げずに、ビニール袋のラッピングに入れたまま買ってしまったのです。
幅を狭くしておけば、同じ値段でも安上がりに売ることができる。民族村など何度もいくところではありませんから、外国人観光客とみると、幅が狭い布地を売ったところで、もどってくることはない。売っているほうにしてみると、だましたつもりはありません。ロンジーを仕立てる場合、幅をどれほどにするかは、客の注文にもよりますから。着付けられないほど狭い幅のものを売ったとしても、仏罰は受けません。
観光客相手には、これからこういう商売のやり方がたは、これから観光が盛んになるにつれて、どんどん増えて狡猾になっていくことでしょう。これは発展途上国が観光化したときに、どこでも起こったことです。
これから観光産業が発達するにつれて、ミャンマーにさまざまな問題が発生することは間違いない。それに対して、法整備などはまだまだおいついていません。3月に政権交代が行われるのは確実ですが、その先、しばらくは経済発展、産業開発が最優先されるだろうと思います。観光が産業として整備されるのはその先。
観光が産業としてきちんとミャンマーの中に位置づけられるまでには、まだまだ日にちがかかると思います。
に
みな、うまいこと仏罰にはあたらないようにしながら、じょうずに金儲けをして、せっせとお寺に寄進することでしょう。でもねー、私に不良品売りつけたおばはん、来世は蝿だとおもっているからね~。
<つづく>