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ぽかぽか春庭「2003年の嫁姑」

2016-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160213
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(4)2003年の嫁姑

 2003年三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/15 土 晴れ
日常茶飯事典>テルメア

 昨日の修了パーティで、気分は春休み。

 もうずいぶん前から歯が痛くて、噛むと痛む。冷たいものがしみるので、行かなければと思っていた歯医者。やっと今日診察してもらった。
 右下が歯槽膿漏になっていた。年を取ると、どうしても歯茎が萎縮し、歯との隙間に黴菌が入り込む。それが化のうしたのだという。歯の丈夫さが自慢だったのに、歯槽膿漏と聞いて一気に年を感じた。化膿したところの膿を出し、抗生剤をつめる。

 たぶん、身体中の見えない部分あちこちが痛んでいるのだろう。見えない部分だから気がつかないだけで、確実に老化は進んでいく。

 クローン羊ドリーは、一般羊の2倍老化が早くて寿命は半分だったらしい。テルメアが短くなっていく速度が速かったのか、もともと体細胞を取り出した親羊のテルメアが半分に減っていて、そこからスタートしたので、残りが半分しかなかったのか。

 私はあと50年は人間ウォッチングしたいのだから、せいぜい、歯も体も気を付けるべし。

 娘と息子はジョイポリスに遊びに行った。ジョイポリス、フジテレビ展望台、観覧車など、お台場の遊び場をひとまわりして「楽しかった」と帰宅。

本日のうらみ:老化の歯茎

2003/02/17 月 晴れ
日常茶飯事典>グリーンセンター散歩

 11時から歯科。今日は歯石を削っただけ。

 お天気も悪くないし、娘の提案でどこか散歩に行くことに。グリーンセンターへ行くことにした。

  道案内が何もないので、市立医療センターの中を通って東口から入場できることにまったく気づかず、すごい遠回りをして正門まで歩いた。まあ、歩くことが目的だから、グリーンセンターの中を歩くのも周りを歩くのも同じというわけ。

 私は、蜜柑が1歳になったときに姉、アヤ伯母といっしょに薔薇を見に来たことがある。ほぼ30年ぶり。娘は小学校3年生か4年生のとき、地域の行事遠足できたことがある。
息子は初めて。
 温室をのぞいたり、子供広場で滑り台をしたり。娘は息子にいっしょに滑り台をしようと誘ったが、息子は「いいよ」とやらない。中学生くらいだと一番「子供のやることはやりたくない」気分?

 芝生広場で少しだけフリスビーをやったが、風があるので、うまくとばない。
 「じゃ、アイススケート場に行ってみよう」と正門から出ようとしたが、スケート場は4時で終了だった。

 帰りはバスで。ブックオフなどに寄って、息子はゲーム攻略本を買う。私は3冊200円で岩波3版国語、角川漢和、研究社英和中辞典を買う。岩波国語、今持っているのは4版だが、前に使っていたのは2版。3版を見たことがなかったので、ちょうどよかった。漢和は特に必要なかったが、3冊200円なのでついで。辞書が好き。

本日の負け惜しみ:三冊200円の古辞書を読んで、3年は楽しめる


2003/02/18 火 曇り 
日常茶飯事典>キャラクター小説

 娘は事務所に手伝いに行く。

 『キャラクター小説の作り方』を買った。新書のコーナーにも、新刊本のコーナーでも、台に2列平積みの扱いである。これまでの「小説の書き方」のたぐいが、「言文一致以後の近代小説」を小説の手本としていることに、ものたりなく思っていた「ぼくだって書きたい」というニーズを見事にとらえたのか。
 大塚英志の評論を面白くよんできたが、マンガの原作や「キャラクター小説」を書いていたのは知らなかった。

 ゲームノベライズや、テレビドラマノベライズの文体がひどいので、大芸術家、純文学作家でなくて、ノベライズする職人仕事の質がもう少し上がってほしいと思っていた。この本で若い書き手の文章が上達できるなら、けっこうなことだ。

本日のねたみ:わたしだって書きたい


2003/02/20 木 曇りのち晴れ
日常茶飯事典>嫁姑

 昨日、保護者懇談会のあと、姑の家へ行った。2月18日に義姉の長女が、姑の家から、大学近くのアパートへ引っ越しして姑の一人暮らしがはじまったからだ。

 舅がなくなったあと、義姉長女が大学入学で上京してきて同居してくれたので、姑の安否はおまかせになってしまった。今年は義姉の長女に続いて次女も上京して、アパートを借りていっしょに住むことになった。姑は、結婚以来、はじめて一人暮らしをすることになった。

 姑はこの前、息子の文化祭にいっしょに行ったときから一段を老い込んだ感じがした。5時すぎまで、去年の3月から1年間、孫の世話をするのがどんなに大変だったかという愚痴を聞く。

 娘と息子が結婚し家を離れてから二十年間、舅と姑二人だけの老人世帯だったので、若い人といっしょに住む感覚がなく、自分の価値観をすべてにあてはめようとするので、お互いにたいへんだっただろう。

 義姉の娘は大学へ行くために、朝7時半に家を出る。その前に「ちゃんと栄養のあるものを食べさせなければ。孫といっても、嫁に出した娘の子だから、他家からの大切な預かり子。病気にでもしたら、向こうのお姑さんに申し訳が立たないから」と、姑は4時半ころ一度目をさます。もう一度寝ると寝過ごすからと、起きて布団の中で待っている。

 姑は、6時までには朝ご飯を作り、孫が起きてくるのを待っている。義姉の娘は前夜のアルバイトで疲れているから、ぎりぎりまで寝ていたい。おばあちゃんが何度も起こしに来るのがうざったい。やっとぎりぎりに起きても食欲はないし、ごはんとみそ汁の「ニッポンの正しい朝食」を食べるより、ぎりぎりまで寝ていて、途中コンビニでおにぎりでも買って食べた方がよほどいい。それで「ばあちゃんの朝ご飯」はパス。夜はバイトで12時過ぎまで帰らない。

 おばあちゃんは8時前にはふとんに入るが、「若い娘が夜中まで帰らないなんて」と心配しながらカタッと物音がすると目が覚めて安眠できない。バイトしている方は、毎日「もっと早く帰れるバイトが見つかればいいのにねえ」なんて愚痴を聞かされるのが、いやでたまらない。お互いにストレス貯めまくり。という1年間だったようだ。

  「しばらくは一人でのんびり暮らしたい」という。本当に78歳の老人を一人暮らしさせておいて大丈夫だろうか。
 毎日いっしょにいるのはたいへんだろうが、もっと姑といっしょにすごす時間をふやさないと。
 とにかくこの20年間、「嫁」らしきことは何もしてこなかった。

本日のなやみ:「妻になったのであって、嫁になったのではない」と言えたのは20年前、今では「嫁ではあっても妻じゃない」

 
<つづく>

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20160213
 嫁姑問題は、いつの時代にもあったことですが、私は「個人主義」の姑のおかげで、「我が家の家風は」とか「おいえのために、どうこう」とか、一度も言われたことがありませんでした。

 姑の「寝たきりになって、ひとりでは暮らせなくなるまではひとりでくらす」という希望で、夜は夫が姑の家に泊まり、週末は娘息子がいっしょにすごす、という晩年のパターンのなか、ヨメは月に一度ほどの「ごきげんうかがい」だけでしたが、姑は、ご近所さんにも「自慢の嫁」と吹聴してくれて、ありがたいことでした。私がときおり留学生をつれて姑の家に行き「東京の庶民は、こういう小さい家で暮らしている」という見本に、家の紹介をするときも、にこにこと留学生の世話をしてくれました。

 留学生がおみやげにくれた民族衣装の布をまとって、姑といっしょに撮りました。
コメント (2)
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