20160216
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(4)2003年の歌の練習
2003三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/24 月 雨のち雪
日常茶飯事典>期末試験勉強は「歌の練習」
息子、遅刻すれすれに登校。帰ってくるまで「学校でどうしているやら」と心配だったが、帰宅するや、たちまち「少しは期末試験の勉強をしなさいよ。」と言いたくなる。すると「明日音楽の試験があるから、歌の練習をする」という。
2曲課題曲が出されていて、音楽室で二人一組でメロディパートとコーラスパートを歌う。出席番号5番のイックンが6番の息子のパートナー。
「イックンがせっかくメールで曲名を知らせてくれたのに、歌えなかったら迷惑かけることになるんじゃないの」「いや、パートナーが歌えなくても、自分のパートをひとりでどんどん歌っていいことになっているから、いいんだ」と言う。
で、歌の練習をするから、ほかの勉強はできないといいつつ、歌の練習もせず、村長に借りてきたゲームソフトを娘といっしょにやって、テレビを見て終わり。
本日のうらみ:独唱体制の男声二重唱
2003/02/25 火 晴れ
アンドロメダM31接続詞>2典
午後、図書館へ行き、『月刊言語』など1階ソファで読む。
午前中『2典』をチェックした。『言語』にも2チャンネル用語の紹介欄があった。
村長ページの掲示板などに頻出する2チャンネル用語の意味を、私がとりちがえて受け取っていないかの確認のために「2チャン用語解説ページ」を見たんだけど、娘や息子に見つかると「そんなものまでチェックしてお暇だね」と言われそう。
そこで「日本語の専門家として、常に流行語新出語死語造語を調べるのも仕事のうちなんである」と言い訳を用意しておいたのだが、『言語』でも言及されているってことは、「うん、私が2典を読んだのも、ただの暇つぶしじゃないって、言っていいのね」って気になってしまう。
そうそう、権威のお墨付きに弱いのである。自分一人でやっていると思うと、こそこそ人に見られはせぬかと用心し、権威もやっているとなれば、「ほうら、私の言語感覚は、まちがっていないじゃない」ってなもんである。
実際2典の造語感覚は、なかなか面白く、新方言の発信地として、若者言葉研究者やら方言研究家も常時観察すべき言語世界と思う。この新言語世界が、一ネットヒッキーの発信からはじまったというのが、ますますネット社会っぽくてよろしい。お役所でもなく、大学アカデミズムでもなく、ただ、ネット好きだったひとつのパソコンから、「新語造語発信地」「言いたい放題掲示板」の言語空間が広がる。
ただし、掲示板に書かれている内容は、ずし~んと重たい不満分子の不満のはけ口、才能なく平凡な人生を送るしかない欲求不満士のための不平ごみ箱という内容が多い。
人の悪口を言い合うための井戸端会議という機能以外に、何かを発信できるようにするのが、巨大化した量を質に変えていく方向じゃないかと思うが、元締めのヒロユキは、これだけのアクセスに対して、これからの方向をどうしようとしているのか。
私がのぞいたのは、言語学板や社会学フェミ板くらいなものだが、上野千鶴子の悪口スレやら日本語教育学会悪口スレやら。我が指導教官の名は「女房は優秀だが、ダンナはユルイ」なんて書き込まれているし。
まあ、ここでやり玉に挙がるのは有名税と思って「放置プレイ」なんだろうか。中には小谷野もてないサンのように、自分の悪口が書かれているサイト全部に「削除要請」を出してバカにされる結果にもなるから、ほっておくのが一番なんだろう。世間に名をさらすからには、さらされるのは覚悟の上。
それにしても、「おとた刑」というのが「四肢切断の刑罰」の符号というのは行き過ぎではないかと感じてしまう、私の言語感覚が古いのか。ギャグというより、7億円も印税稼いだ身障者に対する、才能なき健常者のいやがらせにしか見えない。「乙武君のさわやか笑顔が、本当に苦しんでいる障害者の悲惨さを隠してしまう」という阿子さんの批判なら、心して聞くことができるけど、「おとた刑」では気分悪いだけ。
平日の図書館の閲覧ソファにいると、強烈な臭いに呼吸困難になるため、長居はできなかった。ホームレスらしきおっさん方がソファで、本を抱えて気持ちよさそうに居眠りしているからである。本を持っていないと、係りの人に「ここで眠らないでください」と言われてしまう。本を持っていれば「寝ないでください」と言われたときに、パチッと目を開け「なんだよ、読んでいるんだよう」と言える。
中に、本当に熱心に読んでいる人がいる。何をそんなに熱心に読んでいるのかと思ったら、電話帳。イェローページだったので、びっくり。ちゃんとページをめくって、文字列数字列を目で追っているのだ。何か仕事に必要で、本当に電話番号を探しているおっさんだったのか。
芥川の『河童』のラストに出てくる、電話帳を読みながら朗々と文を朗読するシーンを思い出してしまい、もしかして、電話番号を読みながら、あのおっさんの頭の中にはすごい哲学問答なんかが展開しているのかもしれないと、真剣にページを繰るおっさんを見つめてしまった。
本日のそねみ:電話帳を熱心に読める読書術
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20160216
ヤンゴンでの仕事も、残り1ヶ月半になり、前期終了のめども立ってきました。ああ、これまで年末年始もなく、週末土日は家で授業資料(パワーポイントスライド)を作るという生活をしてきて、どこにも旅行もしたことなく、映画も見ずコンサーともなく、仕事ひとすじの生活でしたから、後半はゆったり楽しく過ごしたいと思っています。
2月は女子高校のクラスメートやっちゃんがヤンゴンでいっしょにすごします。やっちゃんは高校理科教師を退職してもう6年間年金暮らしを続けていますが、1月には東欧クロアチアを旅してきたというし、海外旅行を楽しんでいます。ふだんは、毎朝、馬術競技を大学生に教えています。国民年金しかない私からみたら、夢のようなリタイア生活。でも、私が中学校国語教師を3年でやめてしまったのは、自分自身の選択だから、しかたないけれどね。
やっちゃんと、ヤンゴンのあちこち、そしてバガン仏教遺跡群への旅行、のちほどご報告いたします。
3月には、娘と息子も来ることになっています。娘が夫もいっしょに行くかどうか誘ったら、「数年に1度くらいの忙しい時期なので、行きたくはあるが、行けない」ということでした。息子は、パスポートをきらしてしまっていたので、パスポート取得から旅行準備をはじめなければならず、「めんどうくさい」と、早くも旅行気分なえています。娘息子との旅は、やっちゃんといっしょの旅とはまた違う趣があるだろうと、楽しみにしています。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記2月(4)2003年の歌の練習
2003三色七味日記2月の再録です。
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2003/02/24 月 雨のち雪
日常茶飯事典>期末試験勉強は「歌の練習」
息子、遅刻すれすれに登校。帰ってくるまで「学校でどうしているやら」と心配だったが、帰宅するや、たちまち「少しは期末試験の勉強をしなさいよ。」と言いたくなる。すると「明日音楽の試験があるから、歌の練習をする」という。
2曲課題曲が出されていて、音楽室で二人一組でメロディパートとコーラスパートを歌う。出席番号5番のイックンが6番の息子のパートナー。
「イックンがせっかくメールで曲名を知らせてくれたのに、歌えなかったら迷惑かけることになるんじゃないの」「いや、パートナーが歌えなくても、自分のパートをひとりでどんどん歌っていいことになっているから、いいんだ」と言う。
で、歌の練習をするから、ほかの勉強はできないといいつつ、歌の練習もせず、村長に借りてきたゲームソフトを娘といっしょにやって、テレビを見て終わり。
本日のうらみ:独唱体制の男声二重唱
2003/02/25 火 晴れ
アンドロメダM31接続詞>2典
午後、図書館へ行き、『月刊言語』など1階ソファで読む。
午前中『2典』をチェックした。『言語』にも2チャンネル用語の紹介欄があった。
村長ページの掲示板などに頻出する2チャンネル用語の意味を、私がとりちがえて受け取っていないかの確認のために「2チャン用語解説ページ」を見たんだけど、娘や息子に見つかると「そんなものまでチェックしてお暇だね」と言われそう。
そこで「日本語の専門家として、常に流行語新出語死語造語を調べるのも仕事のうちなんである」と言い訳を用意しておいたのだが、『言語』でも言及されているってことは、「うん、私が2典を読んだのも、ただの暇つぶしじゃないって、言っていいのね」って気になってしまう。
そうそう、権威のお墨付きに弱いのである。自分一人でやっていると思うと、こそこそ人に見られはせぬかと用心し、権威もやっているとなれば、「ほうら、私の言語感覚は、まちがっていないじゃない」ってなもんである。
実際2典の造語感覚は、なかなか面白く、新方言の発信地として、若者言葉研究者やら方言研究家も常時観察すべき言語世界と思う。この新言語世界が、一ネットヒッキーの発信からはじまったというのが、ますますネット社会っぽくてよろしい。お役所でもなく、大学アカデミズムでもなく、ただ、ネット好きだったひとつのパソコンから、「新語造語発信地」「言いたい放題掲示板」の言語空間が広がる。
ただし、掲示板に書かれている内容は、ずし~んと重たい不満分子の不満のはけ口、才能なく平凡な人生を送るしかない欲求不満士のための不平ごみ箱という内容が多い。
人の悪口を言い合うための井戸端会議という機能以外に、何かを発信できるようにするのが、巨大化した量を質に変えていく方向じゃないかと思うが、元締めのヒロユキは、これだけのアクセスに対して、これからの方向をどうしようとしているのか。
私がのぞいたのは、言語学板や社会学フェミ板くらいなものだが、上野千鶴子の悪口スレやら日本語教育学会悪口スレやら。我が指導教官の名は「女房は優秀だが、ダンナはユルイ」なんて書き込まれているし。
まあ、ここでやり玉に挙がるのは有名税と思って「放置プレイ」なんだろうか。中には小谷野もてないサンのように、自分の悪口が書かれているサイト全部に「削除要請」を出してバカにされる結果にもなるから、ほっておくのが一番なんだろう。世間に名をさらすからには、さらされるのは覚悟の上。
それにしても、「おとた刑」というのが「四肢切断の刑罰」の符号というのは行き過ぎではないかと感じてしまう、私の言語感覚が古いのか。ギャグというより、7億円も印税稼いだ身障者に対する、才能なき健常者のいやがらせにしか見えない。「乙武君のさわやか笑顔が、本当に苦しんでいる障害者の悲惨さを隠してしまう」という阿子さんの批判なら、心して聞くことができるけど、「おとた刑」では気分悪いだけ。
平日の図書館の閲覧ソファにいると、強烈な臭いに呼吸困難になるため、長居はできなかった。ホームレスらしきおっさん方がソファで、本を抱えて気持ちよさそうに居眠りしているからである。本を持っていないと、係りの人に「ここで眠らないでください」と言われてしまう。本を持っていれば「寝ないでください」と言われたときに、パチッと目を開け「なんだよ、読んでいるんだよう」と言える。
中に、本当に熱心に読んでいる人がいる。何をそんなに熱心に読んでいるのかと思ったら、電話帳。イェローページだったので、びっくり。ちゃんとページをめくって、文字列数字列を目で追っているのだ。何か仕事に必要で、本当に電話番号を探しているおっさんだったのか。
芥川の『河童』のラストに出てくる、電話帳を読みながら朗々と文を朗読するシーンを思い出してしまい、もしかして、電話番号を読みながら、あのおっさんの頭の中にはすごい哲学問答なんかが展開しているのかもしれないと、真剣にページを繰るおっさんを見つめてしまった。
本日のそねみ:電話帳を熱心に読める読書術
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
20160216
ヤンゴンでの仕事も、残り1ヶ月半になり、前期終了のめども立ってきました。ああ、これまで年末年始もなく、週末土日は家で授業資料(パワーポイントスライド)を作るという生活をしてきて、どこにも旅行もしたことなく、映画も見ずコンサーともなく、仕事ひとすじの生活でしたから、後半はゆったり楽しく過ごしたいと思っています。
2月は女子高校のクラスメートやっちゃんがヤンゴンでいっしょにすごします。やっちゃんは高校理科教師を退職してもう6年間年金暮らしを続けていますが、1月には東欧クロアチアを旅してきたというし、海外旅行を楽しんでいます。ふだんは、毎朝、馬術競技を大学生に教えています。国民年金しかない私からみたら、夢のようなリタイア生活。でも、私が中学校国語教師を3年でやめてしまったのは、自分自身の選択だから、しかたないけれどね。
やっちゃんと、ヤンゴンのあちこち、そしてバガン仏教遺跡群への旅行、のちほどご報告いたします。
3月には、娘と息子も来ることになっています。娘が夫もいっしょに行くかどうか誘ったら、「数年に1度くらいの忙しい時期なので、行きたくはあるが、行けない」ということでした。息子は、パスポートをきらしてしまっていたので、パスポート取得から旅行準備をはじめなければならず、「めんどうくさい」と、早くも旅行気分なえています。娘息子との旅は、やっちゃんといっしょの旅とはまた違う趣があるだろうと、楽しみにしています。
<つづく>