20160309
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(7)ミャンマーのお宝in国立博物館その4
ミャンマー国立博物館の展示紹介その4です。サードフロア(日本の4階)は、現代絵画と古代装飾品が展示されていました。
古代の女性衣装と装飾の絵。
古代の貴族女性の衣装と装飾品。ピュ-時代の女性、バガン時代(11世紀)の女性、インワ時代の女性、ヤダナボン時代(19世紀)の女性
金の認印付き指輪(8-9世紀)
金製ネックレス
双頭の獅子と人面の金製指輪(18世紀)
ミャンマーの中東部、シャン族居住地域の先史時代洞窟に、動物や手のひらの絵が残されています。Nwalabo山脈の中に位置するパダリン(Padah-lin)洞窟壁画です。シャン州ピンダヤの北西、イェーガン村付近。2015年5月以後、洞窟は閉鎖され一般見学はできなくなりました。
1937年にアメリカの探検隊によって発見され、ビルマ考古局が調査したのは30年後の1969年。この時の発掘調査により、初期石器時代の礫器類や部分磨製石斧などを発見されました。 洞窟壁画はホアビン(Hoa Binh)=バクソン(Bacson)文化時代に描かれたであろうと推測されています。
ホアビン・バクソン文化とは、ベトナム・ハノイの西に広がるトンキン平野、すなわちインドシナ半島の南西部にあった中石器および新石器時代初期の文化です。(BC4000-8000)
ホアビン・バクソン文化は、中国雲南省南部から、ラオス、カンボジア、タイ、ビルマに広がっており、シャン州で発見された洞窟壁画もこの時代のものであろうとみなされました。
パリダン洞窟は、1996年10月4日に世界遺産暫定リストにのりましたが、まだ正式認定はされていません。
レッドオーカー(酸化鉄=ヘマタイト)で描かれた動物は、原始絵画がもつ素朴かつ生き生きとした姿をしていて、原始絵画好きの私はとても気に入りました。人の手、魚、雄牛、バイソン、鹿など、これらの動物を、あがめつつ食料として狩っていたであろう先史の人々の心が伝わってくるように思います。
国立博物館に模写が展示されていましたが、パンフレットには載っていないので、ウィキペディアからの転載パダリン洞窟壁画です。
先史時代から歴史時代に入ると、ビルマ絵画は仏教絵画、仏像画や曼荼羅になります。
バガンに行ったとき、おみやげ屋に「砂絵」と称するポスターカラーで描いた僧侶托鉢図などが売られていましたが、ほんとうの砂絵は、色がことなる砂を紙や布に貼り付けて描くものです。
さらに本当の砂絵とは、砂で曼荼羅を描き、その描く行為そのものが仏への帰依をあらわすもので、砂絵は完成後すぐにこわされて、砂は川などに流す。描く行為が祈りとなるので、ポスターカラーの絵を砂絵としょうするのも、完成した絵を残すのも、砂絵の精神とは異なっています。砂絵の仏像や曼荼羅は、残されていないのが本来のありかた。したがって、博物館にも、本物の砂絵はありません。
ミャンマー絵画は、一気に近代絵画の部屋になります。
Saya Myohサヤ・ミョ-(19世紀)が描いた古代ミャンマーの家族像
Ba Lon(1894-1944)が描いたマハバンドゥーラMahabandoola騎馬像。
マハ・バンドゥーラ司令官(1782‐1825)は、第1次ビルマ戦争時に、ビルマ軍を指揮した英雄。下町の中心地スーレーパゴダわきにある独立記念塔のある公園は、彼の名を記念してマハバンドゥーラ公園と名付けられています。
Ba Nyan(1897-1945)が描いた、滝図
バニャンは、近代ビルマ絵画を代表する画家です。若くして才能を認められ、ロンドン留学によって洋画技術を学びました。帰国後は、ビルマ洋画家の育成にあたりつつ、海外での絵画研究を続け数々の傑作を残しました。国立博物館に50点ほどの作品が保存されています。
彼の自画像は、絵にかける自負と深い精神性を見せています。東京芸大に残されている卒業制作自画像に通じるものを感じました。
博物館パンフレットにはバニャン自画像は載っていないので、ウィキペディアから借用。
第二次大戦中に日本を訪問したビルマ首相バーモウは、小磯邦昭(東条英機のつぎの総理大臣)や裕仁天皇にバニャンの絵を寄贈しています。皇室所蔵絵画のなかの一点として、バニャンの作品が保管されているのなら、皇居東御苑の三の丸尚蔵館でバニャンが描いた「夜のシェダゴンパゴダ」を見る機会があるかもしれません。
私は、国立博物館でバニャンの絵を見るまで、彼の名をまったく知りませんでした。ビルマ近代絵画について知ることができてよかったです。日本の国立博物館に比べて、展示内容が薄いと感じた5000チャット500円の入館料、バニャンやパダリン洞窟壁画を新たに知ることができただけでも、元がとれたのかも。
バニャンの作品は美術研究書などにあるでしょうし、パダリン洞窟壁画は、考古学研究者には知られていることだったでしょうが、少なくとも日本語で書かれたブログでバニャンやパダリン洞窟壁画について紹介しているところは、ごく少数でしょうから、今回紹介できてよかったと思います。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(7)ミャンマーのお宝in国立博物館その4
ミャンマー国立博物館の展示紹介その4です。サードフロア(日本の4階)は、現代絵画と古代装飾品が展示されていました。
古代の女性衣装と装飾の絵。
古代の貴族女性の衣装と装飾品。ピュ-時代の女性、バガン時代(11世紀)の女性、インワ時代の女性、ヤダナボン時代(19世紀)の女性
金の認印付き指輪(8-9世紀)
金製ネックレス
双頭の獅子と人面の金製指輪(18世紀)
ミャンマーの中東部、シャン族居住地域の先史時代洞窟に、動物や手のひらの絵が残されています。Nwalabo山脈の中に位置するパダリン(Padah-lin)洞窟壁画です。シャン州ピンダヤの北西、イェーガン村付近。2015年5月以後、洞窟は閉鎖され一般見学はできなくなりました。
1937年にアメリカの探検隊によって発見され、ビルマ考古局が調査したのは30年後の1969年。この時の発掘調査により、初期石器時代の礫器類や部分磨製石斧などを発見されました。 洞窟壁画はホアビン(Hoa Binh)=バクソン(Bacson)文化時代に描かれたであろうと推測されています。
ホアビン・バクソン文化とは、ベトナム・ハノイの西に広がるトンキン平野、すなわちインドシナ半島の南西部にあった中石器および新石器時代初期の文化です。(BC4000-8000)
ホアビン・バクソン文化は、中国雲南省南部から、ラオス、カンボジア、タイ、ビルマに広がっており、シャン州で発見された洞窟壁画もこの時代のものであろうとみなされました。
パリダン洞窟は、1996年10月4日に世界遺産暫定リストにのりましたが、まだ正式認定はされていません。
レッドオーカー(酸化鉄=ヘマタイト)で描かれた動物は、原始絵画がもつ素朴かつ生き生きとした姿をしていて、原始絵画好きの私はとても気に入りました。人の手、魚、雄牛、バイソン、鹿など、これらの動物を、あがめつつ食料として狩っていたであろう先史の人々の心が伝わってくるように思います。
国立博物館に模写が展示されていましたが、パンフレットには載っていないので、ウィキペディアからの転載パダリン洞窟壁画です。
先史時代から歴史時代に入ると、ビルマ絵画は仏教絵画、仏像画や曼荼羅になります。
バガンに行ったとき、おみやげ屋に「砂絵」と称するポスターカラーで描いた僧侶托鉢図などが売られていましたが、ほんとうの砂絵は、色がことなる砂を紙や布に貼り付けて描くものです。
さらに本当の砂絵とは、砂で曼荼羅を描き、その描く行為そのものが仏への帰依をあらわすもので、砂絵は完成後すぐにこわされて、砂は川などに流す。描く行為が祈りとなるので、ポスターカラーの絵を砂絵としょうするのも、完成した絵を残すのも、砂絵の精神とは異なっています。砂絵の仏像や曼荼羅は、残されていないのが本来のありかた。したがって、博物館にも、本物の砂絵はありません。
ミャンマー絵画は、一気に近代絵画の部屋になります。
Saya Myohサヤ・ミョ-(19世紀)が描いた古代ミャンマーの家族像
Ba Lon(1894-1944)が描いたマハバンドゥーラMahabandoola騎馬像。
マハ・バンドゥーラ司令官(1782‐1825)は、第1次ビルマ戦争時に、ビルマ軍を指揮した英雄。下町の中心地スーレーパゴダわきにある独立記念塔のある公園は、彼の名を記念してマハバンドゥーラ公園と名付けられています。
Ba Nyan(1897-1945)が描いた、滝図
バニャンは、近代ビルマ絵画を代表する画家です。若くして才能を認められ、ロンドン留学によって洋画技術を学びました。帰国後は、ビルマ洋画家の育成にあたりつつ、海外での絵画研究を続け数々の傑作を残しました。国立博物館に50点ほどの作品が保存されています。
彼の自画像は、絵にかける自負と深い精神性を見せています。東京芸大に残されている卒業制作自画像に通じるものを感じました。
博物館パンフレットにはバニャン自画像は載っていないので、ウィキペディアから借用。
第二次大戦中に日本を訪問したビルマ首相バーモウは、小磯邦昭(東条英機のつぎの総理大臣)や裕仁天皇にバニャンの絵を寄贈しています。皇室所蔵絵画のなかの一点として、バニャンの作品が保管されているのなら、皇居東御苑の三の丸尚蔵館でバニャンが描いた「夜のシェダゴンパゴダ」を見る機会があるかもしれません。
私は、国立博物館でバニャンの絵を見るまで、彼の名をまったく知りませんでした。ビルマ近代絵画について知ることができてよかったです。日本の国立博物館に比べて、展示内容が薄いと感じた5000チャット500円の入館料、バニャンやパダリン洞窟壁画を新たに知ることができただけでも、元がとれたのかも。
バニャンの作品は美術研究書などにあるでしょうし、パダリン洞窟壁画は、考古学研究者には知られていることだったでしょうが、少なくとも日本語で書かれたブログでバニャンやパダリン洞窟壁画について紹介しているところは、ごく少数でしょうから、今回紹介できてよかったと思います。
<つづく>