貝多羅葉に刻まれた文字
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ヤンゴン大学キャンパスツアー(2)ヤンゴン大学図書館の貝多羅葉
ヤンゴン大学の中に、図書館がふたつあります。すべての大学の共同利用図書館である、ヤンゴン中央図書館と、ヤンゴン大学図書館です。私は昨年の3月の視察出張のおりに学内を案内していただいたのですが、二つの図書館は並んでいますので、この時には、どちらがどちらなのやら区別もついていませんでした。
私が3月15日の仕事帰りに図書館に立ち寄ったとき、中央図書館のほうは、修理が始まっていて、中には入れませんでした。ボスのお話では、貴重な仏教史文献なども数多く所蔵しているそうです。
国立博物館を訪れたとき、画家バ・ニャンの作品は、博物館の次にヤンゴン図書館が所蔵しているとあったので、ぜひ見たかったのですが、またの機会に。
中央図書館
ヤンゴン大学図書館は1920年に設立されました。図書館の建物が出来上がるまでは大学の一室で開室し、1927年に、ミャンマー最初の近代的建築の図書館として、英国人建築家T.O.フォスターによって設計され、ヤンゴン大学学長であったH.バトラー卿らの隣席の元、同年12月に開館しました。L字型の建物は、1939年には空調設備も整備されて、アジアでもっとも設備のよい図書館として知られていました。
1945年には、ヤンゴン侵攻を図った日本軍によって図書館の建物も大きく破壊されたのですが、戦後、また独立後、図書館再編の努力が続けられ、1986年には、旧図書館の建物を修復して、新ヤンゴン大学図書館として開館しました。 私が見学させていただいたのは、この建物です。
図書館内には、古代の石碑が収集され、また、貝多羅葉(ばいたらよう=サンスクリット語pattraの音訳。ヤシの葉などの表面を傷つけることによって文字を記した筆記媒体)の収集と保全補修の部署があります。
貴重なのであろうと思える貝多羅葉の仏教文典がケースに入っていたのを写真に撮っている間、オン先生は、係の人に「この人は、ヤンゴン大学で日本を教えている日本人先生だ」という紹介をすると、普段、学生などは入れない貝多羅葉修復の部屋に、入れてくれました。
貝多羅葉の修復作業の部屋には、作業用の薬品類のほか、修復に使う椰子の葉などがおかれていました。
修復中の貝多羅葉
貝多羅葉古文書の収納書庫
貝多羅葉は、紙が発明される以前、椰子の葉にとがった鉄筆状の筆記具で傷をつけ、文字を書き込んだものです。細かい文字がびっしりと書き込まれていました。
図書館入り口には、バガン王朝時代の石碑が、でんと置かれていました。
英文説明では、11世紀のバガン王朝時代のバガン文字が刻まれているのだとか。たしかに、現在のミャンマー文字とは形が異なる文字がたくさんあります。国立博物館の入口から入ってすぐの展示室がミャンマー文字の歴史室だったのですが、さまざまな時代の文字がずらりと並んでいたので、ささっとみて通り過ぎてしまいました。
バガン王朝時代のバガン文字が刻まれている石碑
石碑に描かれている内容は仏教関連のことがらなのでしょうが、こうして残された石碑をあらためて見ていると、こういう石碑を研究している人の心意気のようなものが伝わってきます。
ボスのお話では、昔ボスが60年代のビルマに留学していたころは、石碑の碑文もの貝多羅葉の経文の文字も、手書きで写しとるしか方法がなく、写真版が出回るようになって以後は、研究も楽になったけれど、手書きで写しとるという途方もなく時間のかかる努力というのが、研究の基礎力になっている、とのことでした。
貝多羅葉修復の部屋には、修復に用いる薬品があり、また文字を書いていたパッタラ(椰子)の葉の束が置かれていました。
細かい字で葉に描かれた文字は、老眼のわが身には「すっご~い」としか思えないものでしたが、上座部仏教がインドからミャンマーに伝わって以来、延々と続けられてきた仏典研究の歴史に思いをはせました。
修復に用いるパッタラ―の束
4月から息子も、大学研究所に週2回、某博物館に週3回通って、古文書とにらめっこの日々になることを思うと、ボスが貝多羅葉とにらめっこしていたころの姿も思い浮かべることができました。
ヤンゴン大学図書館は、見ている分には歴史的な建物が美しいですが、中身は蔵書も古いものが多くて、学生にとっては決して使いやすそうではありません。でも、ここが知の殿堂として、新しい研究を育て、未来の学者を育ってていくんだろうなあと思いました。
<つづく>