20160314
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ニッポニアニッポン語教師日記in ヤンゴン(2)HAL先生礼拝を受ける
浴衣着付け教室の最後、学生達は、「先生にプレゼントがあります」と、ミャンマー伝統工芸の絵を贈ってくれました。
さらに、「先生、ここに座ってください」と、椅子を勧めます。私は授業中は椅子に座ったことはなく、いつも立って教室を歩き回りつつ授業をするスタイルなので、最後に記念写真をとるのかと思いました。
日本語クラスに出席していた大学教師達の説明では、ミャンマーでは学期の終わりや特別の機会に、教師を礼拝するしきたりがある、というのです。
学生達は、椅子に座った私を半円形に取り囲みました。お寺で仏像や高僧を礼拝するのと同じように、教師に対しても、礼拝するのです。
学生達は礼拝作法通り、正座しました。(お寺での仏像礼拝は、横座りもOKです)。両手を合わせて額につけます。次に両手を床につけ、額が床につくまで腰を折ります。それを3度くりかえします。
私は、礼拝を受けたあとどのようにするのが作法なのかも聞いていなかったので、ただ合掌して「ありがとう」と言いました。
学期末などに礼拝すると言っても、特別に学生が感謝の気持ちを持ったときに行うので、すべての教師にするわけではない、この日本語教室の学生達は、HAL先生が大好きで、とても尊敬しているから礼拝したのだ、という説明を受けて、ほっと安心しました。
最後まで、ミャンマー語は「こんにちはミンガラバー」「ありがとうチェズーティンバデー」「これいくらバウラッレー」「~ください~ペーバー」「トイレ、エインダー」「」~へ行きたいゴートゥワジンデー」「さようならタッター」など、ほんの数語のみで暮らしてきたので、ミャンマー語できない教師が日本語を直接法(ダイレクトメソッド)という方式で教えてきた効果はいかほどなものだったかと、自信が持てないでいたのですが、学生達は私の授業を気に入ってくれていたことがわかって、うれしかったです。
はじめてこのような礼拝を受けて、とてもこそばゆい気分でした。でも、当地では子供のころから仏像や高僧への礼拝のほか、両親と世話になった大恩人へは礼拝を欠かさないようしつけられているのです。
両親には、毎年の雨安居あけ(ダディンジュ)のときに礼拝をささげるほか、独立して家を出るとき、旅行に出かけるときなど、礼拝をささげて、育ててくれている両親への感謝の気持ちを表すそうです。
実に面はゆい礼拝儀礼でしたが、生まれて初めて「人からおがまれる」という体験をして、なんだか仏像になったみたいな気がしました。
お寺で人々が仏像の前で熱心に礼拝するのを見てきましたが、家のなかでは両親へもこうして礼拝しているのだ、という文化も知ることができてよかったです。
我が家なんぞ、娘も息子も礼拝どころか「ほんとにいつもドジばっかりの母親で、しょうもない」と言っているので、当地のように親を敬う文化を導入しなくちゃ、と思います。
以上、「HAL先生、学生の礼拝を受ける」の報告でした。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ニッポニアニッポン語教師日記in ヤンゴン(2)HAL先生礼拝を受ける
浴衣着付け教室の最後、学生達は、「先生にプレゼントがあります」と、ミャンマー伝統工芸の絵を贈ってくれました。
さらに、「先生、ここに座ってください」と、椅子を勧めます。私は授業中は椅子に座ったことはなく、いつも立って教室を歩き回りつつ授業をするスタイルなので、最後に記念写真をとるのかと思いました。
日本語クラスに出席していた大学教師達の説明では、ミャンマーでは学期の終わりや特別の機会に、教師を礼拝するしきたりがある、というのです。
学生達は、椅子に座った私を半円形に取り囲みました。お寺で仏像や高僧を礼拝するのと同じように、教師に対しても、礼拝するのです。
学生達は礼拝作法通り、正座しました。(お寺での仏像礼拝は、横座りもOKです)。両手を合わせて額につけます。次に両手を床につけ、額が床につくまで腰を折ります。それを3度くりかえします。
私は、礼拝を受けたあとどのようにするのが作法なのかも聞いていなかったので、ただ合掌して「ありがとう」と言いました。
学期末などに礼拝すると言っても、特別に学生が感謝の気持ちを持ったときに行うので、すべての教師にするわけではない、この日本語教室の学生達は、HAL先生が大好きで、とても尊敬しているから礼拝したのだ、という説明を受けて、ほっと安心しました。
最後まで、ミャンマー語は「こんにちはミンガラバー」「ありがとうチェズーティンバデー」「これいくらバウラッレー」「~ください~ペーバー」「トイレ、エインダー」「」~へ行きたいゴートゥワジンデー」「さようならタッター」など、ほんの数語のみで暮らしてきたので、ミャンマー語できない教師が日本語を直接法(ダイレクトメソッド)という方式で教えてきた効果はいかほどなものだったかと、自信が持てないでいたのですが、学生達は私の授業を気に入ってくれていたことがわかって、うれしかったです。
はじめてこのような礼拝を受けて、とてもこそばゆい気分でした。でも、当地では子供のころから仏像や高僧への礼拝のほか、両親と世話になった大恩人へは礼拝を欠かさないようしつけられているのです。
両親には、毎年の雨安居あけ(ダディンジュ)のときに礼拝をささげるほか、独立して家を出るとき、旅行に出かけるときなど、礼拝をささげて、育ててくれている両親への感謝の気持ちを表すそうです。
実に面はゆい礼拝儀礼でしたが、生まれて初めて「人からおがまれる」という体験をして、なんだか仏像になったみたいな気がしました。
お寺で人々が仏像の前で熱心に礼拝するのを見てきましたが、家のなかでは両親へもこうして礼拝しているのだ、という文化も知ることができてよかったです。
我が家なんぞ、娘も息子も礼拝どころか「ほんとにいつもドジばっかりの母親で、しょうもない」と言っているので、当地のように親を敬う文化を導入しなくちゃ、と思います。
以上、「HAL先生、学生の礼拝を受ける」の報告でした。
<つづく>