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ミンガラ春庭「浴衣着付け教室」

2016-03-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160312
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ニッポニアニッポン語教師日記in ヤンゴン(1)ゆかた着付け教室

 3月7日と3月8日は、今学期最後の授業でした。学生に予告しておいた通り、期末試験の返却と「日本文化紹介授業」を実施しました。
 試験は、とてもよい出来でした。というのも、中間試験実施後、成績の悪かった学生は「70%が合格ラインと最初に聞いていたけれど、これでは期末試験と合計しても合格はむずかしいだろう」と思った学生は授業に来なくなっており、試験合格の期待が持てる学生のみが期末試験に臨んだからです。

 3月7日に初級ゼロスタートクラス、3月8日に既習組クラスで試験を返却し、「日本の衣装文化の紹介」として、浴衣の着付けを見せました。私が着る順番に、ミャンマー人助手にマネするように指示。助手さんもじょうずに着付けができました。助手さんには、日本人留学生がヤンゴンに持ってきた付け帯を締めさせ、私は文庫帯の結び方まで見せて、着付け紹介は終了。

文庫帯を結ぶ


 そのあとは、学生達に浴衣を着付けて、写真を撮りました。着付けをしてもらう学生以外は、日本人留学生がオリガミを教える時間です。鶴やカブトを教えました。ミャンマーにもオリガミ文化があるので、日本でオリガミ文化のない地域から来た留学生に教えるよりずっと楽に教えられます。オリガミ文化がない地域の学生には、「紙の角と角を合わせて折る」という作業が難しい。

 順番に写真を撮って、学生達はアイフォンケータイで写真をとり、大満足のようすでした。浴衣を着るのははじめて、という学生がほとんどでした。私の娘の浴衣、息子の浴衣、日本人留学生の浴衣3枚での着付けでしたが、さすがに息子の浴衣を希望する学生は男子学生ひとりのほかは女子学生はひとりのみ。やはりかわいい花柄のゆかたを選びました。





 着付け教室の最後は、浴衣のたたみ方。


 2日目、3月8日の最後は、ミャンマー語の先生が「私も着てみたい」というので、先生にも着付けをして、大盛況のうちに浴衣教室はおわりました。
 私は、授業の最後の挨拶をして、次の学期で学生達の日本語力がさらに伸びることを期待する、と述べて、終了!のつもりでした。そのあと、思いがけないハプニングが。

<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーのお宝in国立博物館その5」

2016-03-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

15世紀の女王Me Nu が築いたレンガ僧院の絵

20160310
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(8)(ミャンマーのお宝in国立博物館その5

 ヤンゴン市の国立博物館の展示紹介。ミャンマーのお宝のつづき、Fourth Floor(日本の5階)は、仏教関連のお宝や民族文化の展示室です。。
 ピュー時代からヤダナボン時代まで、また、現代の仏教美術と各民族の文化が展示されています。

ニュエ・ガイン(Ngwe Gaing1901-1967)が描いた釈迦像


 同じ仏教徒といっても、どのような仏像・仏画にありがたみを感じるかは、それぞれの文化によりますし、個人によっても違います。
 私は正直言って、ミャンマーの寺々にある仏像、ことにピカピカのネオンサイン式光背を背負ったお顔真っ白、おめめぱっちり、睫毛バチバチ、唇まっかという仏像にはありがたさを感じないのです。ブティックのマネキン?と思ってしまう。でも、現代ミャンマーの人々は、こういう「洋風イケメン顔」にありがたさを感じるのだろうと思います。

 ニュエ・ガインの描いたお釈迦様も、やはり私には「こういう現代風イケメン釈迦はどうもなあ」と、感じてしまう。同じイケメンでも、やはり鎌倉大仏が夏木立の中におわすありがたさがしっくり来ます。(鎌倉大仏は阿弥陀様ですが)

 仏像展示の部屋で見ても、古代の釈迦像はそんなにピカピカになってはいません。インドアショカ時代の影響を受けた仏像、中世の仏像を見ても、日本と同様の古色を帯びた素朴なお顔のブッダがおわします。
 いつからミャンマーのおシャカさまは洋風の白いお顔になってしまわれたのか。私が見た限りでは、18世紀以前に建立された釈迦像で、まっ白お顔は見当たらなかったので、白いお顔がありがたくなったのは、英領以後かと思うのです。白いお顔のほうが高級、やはり私には理解できません。
 金箔ピカピカ、電飾ピカピカのほうが高級というほうは、まだしも理解できます。金も電気も、ダイヤモンドも、ミャンマーでは貴重な物。人々は来世の安寧を願って、せっせと金箔を寄進して仏像や仏塔に張り込め、ダイヤモンドやルビーを寄進して仏塔の先端に貼り付けてもらいます。貴重な物を寄進するほど、来世はよくなる。電気もミャンマーではまだまだ「必要最低限のインフラ」にはなっていません。

 地方にいけばいくほど、電気は貴重でありがたいものなのです。世界銀行ミャンマー支部で働く若い女性にうかがったところ、地方で電気などない生活を続けている人にとって、電気が必要という考えはないそうです。電気のない生活で十分に満足して暮らしているので、夜くらくなれば寝るし、煮炊きは薪たきぎで済む。電気があったら、生活がこう便利になる、ということを感じないので、電気は仏様につかっていただくのが一番。現世を便利にするより、仏様に電気を捧げて、来世をよくするほうがずっとうれしいのです。

 ミャンマーの仏像が日本のテレビで紹介され「祈れば願いがかなうありがたいほとけさま」と、「パワースポット」のように報道されたのだとか。でも、そのパワースポットは、来世への願いにのみ効果があるのだ、ということは報道されなかったみたいですね。現世のこと、金持ちになりたいとか、良縁を得たいというような願いことをお釈迦様にしてはいけないのです。(現世担当は土着神のナッ神)

 白いお顔の仏様に向かって、額を床につけて熱心に祈るミャンマーの人々を見ていると、自分の信仰心不足を申し訳なく思いますが、私はやっぱり現世利益でいきたいと思います。
 日本の仏様に「なにとぞ現世で幸せに健康にくらせますように」と、祈りたい。

 5階には、ミャンマー130民族それぞれの宝物が展示されていました。各民族それぞれの伝統的衣装や民具など。

 カイン族の竪琴や青銅製のドラム


 シャン族のドラム


カヤー族のパンフルート


ヤカイン(アラカン)族のワニ型の木琴


モン族のガラスモザイク装飾の物入れ。椰子の葉にhamsaデザインが施されています。


 私は、2月7日にひとりでゆっくり見て回りました。3月4日は、日本語解説録音機を借りて、説明があるところだけささっと見聞きして通りました。
 日本語解説は無料で借りられます。
 なかなかよい展示なのですが、これからもう少し展示方法を工夫してほしいということと、解説パンフレットの充実、博物館グッズ(図録や絵はがき、レプリカおみやげなど)を充実させていってほしいと思いました。

 ヤンゴンに来てなにはともあれ見るべきはシュエダゴンパヤーです。国立博物館は、歴史や民族学民俗学に興味がある人、近代絵画に興味がある人にとってはよい展示ですが、一般の人には、「ヤンゴンでヒマもてあましているなら、見ておけば?」と、おすすめする程度。
 まあ、私にはおもしろかったですが、3回目を見に行くかと誘われたら、ビミョー。

 しかしながら、あるブログに「いままで見た博物館のなかで一番つまらない博物館で会った」と、酷評されていたのを読んで「そりゃあ、あなたが歴史や民俗学、仏像などにまったく興味がないからつまらなかったのでしょう」と、思いました。
 ミャンマーについてなんらかの興味を持った人が見れば、その興味にあった見所が必ず見つかるから、入館料500円は、日本の物価からいけばそう高いものではありません。私が5000チャットときいて「たか~い」と思ったのは、私がミャンマー物価感覚になってしまっているので、5000チャットあれば、学食3回分のランチ、と思ってしまうからでしょう。
 まあ、時間があったら一度は見ておいて、というおすすめのスポットです。

 以上、ミャンマー国立博物館案内でした。 

<おわり>
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ミンガラ春庭「ミャンマーのお宝in国立博物館その4」

2016-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160309
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(7)ミャンマーのお宝in国立博物館その4

 ミャンマー国立博物館の展示紹介その4です。サードフロア(日本の4階)は、現代絵画と古代装飾品が展示されていました。

 古代の女性衣装と装飾の絵。
 古代の貴族女性の衣装と装飾品。ピュ-時代の女性、バガン時代(11世紀)の女性、インワ時代の女性、ヤダナボン時代(19世紀)の女性


金の認印付き指輪(8-9世紀)


金製ネックレス


双頭の獅子と人面の金製指輪(18世紀)


 ミャンマーの中東部、シャン族居住地域の先史時代洞窟に、動物や手のひらの絵が残されています。Nwalabo山脈の中に位置するパダリン(Padah-lin)洞窟壁画です。シャン州ピンダヤの北西、イェーガン村付近。2015年5月以後、洞窟は閉鎖され一般見学はできなくなりました。
 1937年にアメリカの探検隊によって発見され、ビルマ考古局が調査したのは30年後の1969年。この時の発掘調査により、初期石器時代の礫器類や部分磨製石斧などを発見されました。 洞窟壁画はホアビン(Hoa Binh)=バクソン(Bacson)文化時代に描かれたであろうと推測されています。

 ホアビン・バクソン文化とは、ベトナム・ハノイの西に広がるトンキン平野、すなわちインドシナ半島の南西部にあった中石器および新石器時代初期の文化です。(BC4000-8000)
 ホアビン・バクソン文化は、中国雲南省南部から、ラオス、カンボジア、タイ、ビルマに広がっており、シャン州で発見された洞窟壁画もこの時代のものであろうとみなされました。
 パリダン洞窟は、1996年10月4日に世界遺産暫定リストにのりましたが、まだ正式認定はされていません。

 レッドオーカー(酸化鉄=ヘマタイト)で描かれた動物は、原始絵画がもつ素朴かつ生き生きとした姿をしていて、原始絵画好きの私はとても気に入りました。人の手、魚、雄牛、バイソン、鹿など、これらの動物を、あがめつつ食料として狩っていたであろう先史の人々の心が伝わってくるように思います。

 国立博物館に模写が展示されていましたが、パンフレットには載っていないので、ウィキペディアからの転載パダリン洞窟壁画です。


 先史時代から歴史時代に入ると、ビルマ絵画は仏教絵画、仏像画や曼荼羅になります。
 バガンに行ったとき、おみやげ屋に「砂絵」と称するポスターカラーで描いた僧侶托鉢図などが売られていましたが、ほんとうの砂絵は、色がことなる砂を紙や布に貼り付けて描くものです。
 さらに本当の砂絵とは、砂で曼荼羅を描き、その描く行為そのものが仏への帰依をあらわすもので、砂絵は完成後すぐにこわされて、砂は川などに流す。描く行為が祈りとなるので、ポスターカラーの絵を砂絵としょうするのも、完成した絵を残すのも、砂絵の精神とは異なっています。砂絵の仏像や曼荼羅は、残されていないのが本来のありかた。したがって、博物館にも、本物の砂絵はありません。

 ミャンマー絵画は、一気に近代絵画の部屋になります。

Saya Myohサヤ・ミョ-(19世紀)が描いた古代ミャンマーの家族像


 Ba Lon(1894-1944)が描いたマハバンドゥーラMahabandoola騎馬像。
 マハ・バンドゥーラ司令官(1782‐1825)は、第1次ビルマ戦争時に、ビルマ軍を指揮した英雄。下町の中心地スーレーパゴダわきにある独立記念塔のある公園は、彼の名を記念してマハバンドゥーラ公園と名付けられています。



Ba Nyan(1897-1945)が描いた、滝図


 バニャンは、近代ビルマ絵画を代表する画家です。若くして才能を認められ、ロンドン留学によって洋画技術を学びました。帰国後は、ビルマ洋画家の育成にあたりつつ、海外での絵画研究を続け数々の傑作を残しました。国立博物館に50点ほどの作品が保存されています。
 彼の自画像は、絵にかける自負と深い精神性を見せています。東京芸大に残されている卒業制作自画像に通じるものを感じました。

 博物館パンフレットにはバニャン自画像は載っていないので、ウィキペディアから借用。


 第二次大戦中に日本を訪問したビルマ首相バーモウは、小磯邦昭(東条英機のつぎの総理大臣)や裕仁天皇にバニャンの絵を寄贈しています。皇室所蔵絵画のなかの一点として、バニャンの作品が保管されているのなら、皇居東御苑の三の丸尚蔵館でバニャンが描いた「夜のシェダゴンパゴダ」を見る機会があるかもしれません。

 私は、国立博物館でバニャンの絵を見るまで、彼の名をまったく知りませんでした。ビルマ近代絵画について知ることができてよかったです。日本の国立博物館に比べて、展示内容が薄いと感じた5000チャット500円の入館料、バニャンやパダリン洞窟壁画を新たに知ることができただけでも、元がとれたのかも。

 バニャンの作品は美術研究書などにあるでしょうし、パダリン洞窟壁画は、考古学研究者には知られていることだったでしょうが、少なくとも日本語で書かれたブログでバニャンやパダリン洞窟壁画について紹介しているところは、ごく少数でしょうから、今回紹介できてよかったと思います。

<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーのお宝in国立博物館その3」

2016-03-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160308
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(7)ミャンマーのお宝 in 国立博物館その3

ミャンマー国立博物館の展示紹介その3、セカンドフロア(日本の3階)は、伝統的民族文化の展示です。ミャンマーには大きな区分けだと8つですが、細かく分けると135の部族に分かれた文化圏があります。8つの大きな区分けは、以下のとおり。


民族分布
ビルマ族(図の白色部分)
チン族(西部灰色部分)
カチン族(北部の薄緑部分)
ヤカイン族(アラカン族)(英語表記ラカイン族)西部の薄青色部分
ビルマ族/モン族混在地域(ピンク色部分)
シャン族(薄茶色部分)
カレン族(赤色部分)
カレン族/ビルマ族混在地域(濃緑部分)
モン族(黄色部分)
ビルマ族/シャン族混在地域(紺色部分)
その他 

 それぞれの区分の民族は、さらに細かく部族が別れています。たとえば、シャン族は33もの部族に区分けされます。 
シャン族 (Shan)>シャン族、ユン族(ラオ族)、クワイ族、ピイン族、ヤオ族、ダノー族(サノー族)、パレ族、イン族、ソウン族、カム族、 コー族(アカ族、イコー族)、Kokant(コーカン)、カムティシャン族、クン族、タウンヨー族、ダヌー族、パラウン族、 ミャウンジー族、インチャー族、インネッ族、シャンカレー族、シャンジー族、ラフー族、インダー族、Eik-swair、パオ族(トンスー族、黒カレン族)、タイ・ロイ族、 タイ・レム族、タイ・ロン族、タイ・レー族、マインタ族(アチャン族)、モーシャン族、ワ族
 という具合。

 セカンドフロアには、各民族の衣装を着た人形と各部族の伝統工芸品、音楽や人形劇に使われる楽器が展示されていました。
 博物館内写真撮影禁止でしたので、借り物画像で衣装の一部を紹介します。



 

国立博物館パンフレットのセカンドフロア&サードフロア展示
 

牛車(牛車の細工が見事ゆえ、禁をおかしての国外持ち出しが耐えませんでしたが、この牛車は、国外に持ち出されようとしたところを寸前に取り押さえて没収した貴重な牛車だそうです)


蓋付き容器
         

ミャンマーの10種の伝統工芸を表す絵
鍛冶屋(鉄)、金銀細工、銅鍛冶、化粧漆喰細工、石工、木と象牙彫刻、石彫刻、ひき物細工、絵画、漆工芸。



<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーのお宝 in 国立博物館その2」

2016-03-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

ヤダナボン時代(19世紀)、マンダレー・ミャナンサンチャウ王宮の黄金の輿

20160306
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(5)ミャンマーのお宝 in 国立博物館その2

 ヤンゴンのミャンマー国立博物館の展示紹介、その2です。グランドフロアのお宝紹介その2と、1階(日本の2階に相当)のお宝の数々です。

グランドフロア展示その2
ガラスモザイクのついたて(19世紀)


ヤダナボン時代の王族の刺繍ショール(19世紀)。

王族のくつ


伊勢エビの形をした水差し。(19世紀)パンフレットには「Cray Fish Pitcher」と書かれていますが、どうみても、魚ではない)


 ファーストフロア(日本の2階にあたる)のお宝。

みがかれた浅い浮き彫り 15世紀


古代のミャンマー芸能一座の小立像


スリセトラ(srikhsetra)出土の鉄釘紀元前2世紀~5世紀と鉄斧。紀元前2世紀~AD9世紀



<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーのお宝in国立博物館その1」

2016-03-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160305
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(4)ミャンマーのお宝in国立博物館その1

 2月7日、市内随一の名所シュエダゴンパゴダの近くにある国立博物館に行ってきました。ネットの中の評判はいまひとつで、みな、「目玉の展示は、1階の『獅子の玉座』のみ。広さは十分なのに展示品は少ない」と、書いてあるので、どうしようかな、わざわざ見に行くことないかも知れない、と、思っていました。
 でも、私は日本では博物館フリーク。「がっかり」な結果になってもいいと思って、日曜日、出かけました。
 見物客はほとんど観光客で、地元民の見学姿はごく少ないのが残念なところです。
 入館時間9:30-16:30 月曜日と国の祝日は休館。


(画像借り物)

 国立博物館は、グランドフロア(日本の1階にあたる)から、4階(日本の5階にあたる)までの5階建て。1996年に完成した建物です。ミャンマー人は無料で見学できるけれど、日曜日といってもロンジーはいたミャンマー人の姿はごく少数で、見学者のほとんどは外国人。外国人は5000チャット500円という入場料金を聞いて、私は「ウッヒャア、タッカ~い」と日本語で言ってしまいました。するとチケット売り場の女性は「日本人ですか。私は日本に3ヶ月博物館の研修に行ったことがあるんですよ」と、話し始める。

 チケット売り場で券販売の仕事をしている女性だと、学芸員なのかどうか、わかりませんでした。当地に「キュレーター・学芸員」という公職があるのかどうかもわかりませんので、この女性係員が何の研修を受けたのかは、よくわかりませんでしたが、研修中、京都の博物館も見た、とのこと。なので、私は「東京の国立博物館は、700円7000チャットするけれど、博物館が5つあって、700円で全部見ることができる」と、言いました。外国人はパスポート見せればタダという日もあります。
 ミャンマー国立博物館、はたして値段に見合う展示物があるかどうか。

 結論から言うと、東京国立博物館の常設展を700円で見ることができるのに比べたら、1000チャット100円くらいかな、と思いました。しかも、写真撮影厳禁。東博では、数点の委託展示品の他は、撮影自由です。
 大阪の民族博物館、音楽大学に付設されている楽器博物館、東京の近代美術館、国立博物館本館を足して4で割り、それを10倍希釈したくらいの展示内容でした。

 まず、グランドフロアの「獅子の玉座」へ。国立博物館随一の宝物です。
 他のめぼしい宝物は、ほとんどが植民地時代にイギリスに接収されています。または安値で買い取られてしまい、今では大英博物館に展示されています。ちなみに、大英博物館は入場無料。そりゃそうだよね。植民地とかからどしどしさまざまな宝物を本国へ送り、大英博物館またの名をぬすっと博物館。イギリスは「正式の手続きを経て入手したモノなので、返還の義務なし」と言っていますが。

 ミャンマーの宝物も、見たいなら大英博物館に行く方がよい。ミャンマー国立博物館に展示されているモノは、「めぼしいものをイギリスがかっさらっていった残り物」の感があります。

 1階の目玉展示「獅子の玉座」は、どうしてミャンマーに残ったか。この玉座は、隣国インドへ運ばれていました。イギリスにとって、インドもビルマもひとくくりにアジアの植民地です。
 第二次世界大戦のアジア戦線。イギリスと日本との激しい戦闘で、ビルマ国内に残されていた宝物の多くは焼失しました。たとえば、マンダレーの王宮。しかし、この獅子玉座はインドへ運ばれていたため、焼失をまぬがれたのです。ビルマ独立後、イギリスは、インドにあった玉座をビルマに返還しました。英国本国へ運んだものは、返還なし。

 ビルマは日本軍の戦死率が高かった土地ですが、同時に一般ビルマ人が200万人も戦災死あるいは日本軍の労役酷使によって病死、という国なので、戦時中の話を思うと、もっとこの国に貢献しなければ申しわけないな、という気持ちになります。

 博物館は1952年にオープンし、現在のビルが建てられたのは1996年。どっしり型のビルで、ソ連時代の建築の影響を受けた軍政時代の記念的建築、といった趣です。内部の展示は、だだっ広い館内をひとまわりで見て回るための人間工学や行動学無視の、とても歩きにくい展示配置でした。何度も行ったりきたりして、見て回りました。1万歩の歩数がかせげて、ダイエットには効果ありだけれど、すべての階をちゃんと見たので疲れた。

 中は撮影禁止で、入館者はカメラもバッグも入り口のロッカーにしまうよう、言われます。私は、中で飲む水のペットボトルだけは持って入りたかったのですが、中に水はあるから、と、言われました。たしかに、館内にうちにあるのと同様の水20リットルいりのボトルが設置してあったのですが、町中で、20リットル水ボトルに水道水を入れているのを目撃して以来、自分で封をあけたボトル以外の水は信用しません。水道水を飲んでおなかをこわ:すことはないと思うのですが、当地の上水道浄化装置が信用できるレベルかどうかも、まだわかっていないので。

 写真撮影はすべて禁止。せめてフラッシュ禁止にして撮影許可してくれればよいのに。そうでなければ、展示物絵はがきを売るか、配布パンフレットをもっと充実した内容にするか。入り口で簡単なパンフレットを配っていましたが(英文のみ)、展示解説は「そんなことは旅行案内書やらヤンゴンナビに書いてある」という程度のものです。というか、ガイドブック解説がこのパンフレットからとって載せているんですよね。

 写真はとれませんでしたが、もらったパンフレットをオフィスのコピー機でPDFにして取り入れました。こんな手間取らせないで、写真許可してほしい。
   
 まずは、目玉の「獅子の玉座」へ。 さて、黄金の獅子玉座。金ピカ椅子があるのかと思いましたが、玉座のうしろに立つ金屏風、というおもむきのものが展示されていました。


 
獅子の玉座の英文解説(春庭拙訳)
 獅子王座ショールーム:
  国立博物館の主な展示は、獅子玉座です。 獅子玉座は150年前に、「Yamanay木」で作られ、全体に金めっきされています。 8種類の異なる王座があり、ふたつずつ類似したセットになっています。 獅子玉座は、国王によって法の裁きを下す際に、王が座るために使われました。
 この玉座はイギリスによって、コルカタ(カルカッタ)博物館展示されていました。1948年に独立の後ミャンマーに返還されました。 他の8つの玉座はすべて第二次世界大戦中に破壊されてしまったので、この展示は、無傷のままに残された唯一の王座です

(春庭つけたし。この玉座は、いわば、最高裁判所として王室が機能するときに王の権威の象徴としてつかわれたもの。Yamanay木とは、ミャンマーほか東南アジアに産するチーク材の一種。白チーク。学名Gmelina arborea。カルカッタツリーとも呼ばれる。
(英文解説原文)
Lion throne show room: The main exhibit of National Museum is the Lion Throne. The Lion Throne is over 150years old and made of Yamanay wood and gilded all over. There are 8 differerent kinds of thrones but in numbers there are 9 thrones became two of them are similar. The Lion Throne was used by the King to adjudicate on law cases. Taken to Kolkata for dispplay at the museum there it was returned to Myanmar after Independence in 1948. This is the only throne left intact as the other 8 were destroyed during World War Ⅱ.

 そのほかの7つの玉座はそれぞれの使用目的があります。焼失してしまった玉座のミニチュアが、部屋の壁3方に展示されています。玉座を取り囲んで、8つの臣下の像や白い大きな傘、旗、長い柄のある王を仰ぐ扇などが展示されています。

 グランドフロア(日本でいう1階)の目玉お宝、その2
 ミャンマー文字。この独特の文字。ミャンマー人の誇りです。寺子屋での無料教室により、ほとんどのミャンマー人が文字を読める、というのも、この国のこれからの発展のために大いに役立つことだろうと思います。

ミャンマーアルファベット

 BC2~AD9世紀のPyu時代のミャンマー文字銘文が刻まれている石の骨壺(vessel)。王族の骨壺は、石で作られ、文字が刻まれていました。


 チーク材のまくら。バゴーの旧王宮Kanbawzathadi Palaceで16世紀に使われていたもの。木の表面に、ミャンマーアルファベットが彫られています。



<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーの人形たち」

2016-03-03 00:00:01 | エッセイ、コラム

ミャンマーの糸操り人形

20160303
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(3)ミャンマーの人形たち

 ひな祭り、それぞれの人に思い出の人形や忘れがたい出会いの人形があるのではないでしょうか。私にも、いくつかの人形の思い出があります。実家をひきうけた妹が、古くなって処分してしまった雛人形や、大事にしていたのに、何度かの引っ越しのうちに行方不明になったのや。

 子供の頃、すごくほしいと思ったのに買ってもらえなかったもののひとつが、オルゴール。そしてふわふわのドレスにフリルたっぷりの衣装を着たクラシックドールです。母は、本についてはほしいと言えばすぐに買ってくれたし、フラフープやスケート靴など身体を鍛えることが出来そうなものは買ってくれましたが、クラシックドールとオルゴールは、母の目に「子供の情操や身体訓練に役にたつもの」に分類されなかった。

 私はおこづかいをためて、誕生日に自分へのプレゼントをすることにしていました。5年生のときは、人形のための籐蔓で編んだ乳母車。6年生のときは、ウクレレ。中1でオルゴールを買いました。でも、クラシックドールは一度も買ったことがなく今日まできました。クラシックドール一体くらいは買える余裕ができたころ、娘が人形嫌いで、夜中に目が合うと怖いから、おひな様もほかの人形も飾っちゃ嫌だと言ったので、買わないまま。でも、近代美術館工芸館などで、人形作品を見るのは大好きです。娘の人形嫌い、ミッキーマウスやプーさんのぬいぐるみはいいけれど、人の形をした人形は今でも苦手のようです。

 団地の部屋に段飾りは飾れないだろうけれど、せめて女びな男びなの一対くらいは、と、実家から送られてきた陶製の人形もしまったまま。
 日頃は押し入れの中に押し込められている人形たち、今日はハレのひな祭り。華やかな出番を楽しんでいることでしょうね。

 東欧やロシアの人形劇、日本の文楽をはじめ、それぞれの文化にそれぞれの人形があり、人形劇が生まれています。
 ミャンマーでも、人形劇が伝統文化のひとつとして、観光資源にもなり、行事をいろどるイベントとして上演されています。

 人形劇の伴奏は、前回紹介した伝統楽器。
 竪琴サウンや木琴バッタラー、ドラム、ゴングなど伝統楽器の伴奏がつき、ラーマーヤナの変化したお話など、独自の民話を人形が演じています。

 私は、からウェイパレスという伝統芸能ショウのレストランやバガンの人形劇ディナーショウで、ミャンマー伝統人形劇を鑑賞しました。本当は、村祭りのようなところで、村人が自分たちで楽しみに上演するようなものが見たかったのですが、それはまた後の楽しみに。

バガンの人形劇。手を上に上げている人が親方と思います。


 バガンの人形劇は、ナンダレストランという劇場付きの店で見ました。
 人形は、糸操りで、親方がひとり、中堅がふたり、若手が二人の5人が入れ替わりで人形をあやつり、宙返りも見せるし、なかなかの芸です。
 いくつかの演目のなかで、私にもわかったのは、恋仲の二人の恋を成就する物語。娘の親が大事な一人娘を監視してなかなか逢瀬が果たせない。てんやわんやがあって、最後はめでたく結ばれる。伴奏の楽器演奏に歌がつくのですが、ことばがぜんぜんわからない外国人客にも、ストーリーがわかる単純なお話が中心でした。

 ミャンマーは、絵画よりも立体造形のほうが好まれているようで、バガンの仏塔に壁画も残されているのですが、それより岩に刻んだ仏像など、立体造形のほうが見応えがあります。人形は、私が見たなかでは、庶民に親しまれた美しい造形作品になっていると思います。

托鉢僧侶の人形(ストラッドホテルの売店で)


みやげもの屋にも僧侶の人形

みやげ品人形を見て歩くのも楽しい。

ひまそうなみやげもの屋のおばちゃんと人形たち

 みやげもの屋には、舞台に立つような立派な人形ではないけれど、糸操りの人形が売られています。やっちゃんは、バガンのみやげもの屋で、馬の糸操り人形を買いました。馬グッズ収集をしているので。

 私は、人形製作工房を見学したいと思っています。


 これから先、どんな人形に出会えるでしょうか。
 ひな祭りの人形、本来は紙で作って、人のケガレを移し、川に流してケガレを清めるためのものでした。すべてのものごと、すべての神仏は私を守るためにあると信じているHAL,人形だってきっと「ヒトカタ」として、私のケガレを清めてくれるにちがいない。さあ、私の邪悪な部分よ、流れていけ。

 あは、流しきれないこの身の邪悪さ。今もね、わら人形に五寸釘打ち込みたい人、います。あ、夫じゃないよ。私の夫はオカラで出来ているので、五寸釘打ち込んでも抜けてしまう。

 ミャンマーの仏像は、荘厳重厚といういうのは余り感じなくて、なかなかかわいらしい造形になっています。

 なんだかかわいらしい騎馬像。


僧侶や仏像の通行を前触れする鐘をもつふたり。

現是利益をお願いするほうのナッ神。虎にのって、月曜日のお釈迦様を守護。



シャン族の伝統舞踊「鳥の踊り」を踊っている人形
 

<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーの楽器」

2016-03-02 00:00:01 | エッセイ、コラム

 大学が留学生の練習用に使わせてくれたビルマの竪琴サウン

ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(2)ミャンマーの楽器

 中国赴任のとき、長春市内にけっこう楽器屋があり、二胡(アールフー)や二十弦琴、揚琴(ヤンチン)など、伝統楽器を買おうと思えば買えました。ヤンチンがほしかったけれど、調弦がたいへん難しい楽器であることなどから、買わずに帰国してしまいました。安い物は2,3万で手に入るけれど本格的には20万30万という値段のものが必要なこと、持ってかえるに大きいので手荷物にも大変だし携行品にしても、途中で音が狂うような扱いをされたら困ります。大学の民族楽器演奏会で、ちょびっと演奏もさせてもらっただけで満足しました。

 ミャンマーでも、民族楽器に興味を引かれました。
 40余年前、小島美子先生の民族芸術論の授業を受けたとき、期末レポートの題材を「アイヌ・ムックリ」をテーマにして書きました。それ以来、伝統芸能、とくに伝統舞踊伝統楽器は、私の生涯の楽しみのひとつになっています。
 ケニアに行けばケニアの民族楽器、タイに行けばタイの民族楽器、中国でももちろん、それぞれがとてもすばらしい個性ある楽器たちでに出会いました。

 ミャンマーにはミャンマーの伝統楽器があるのは、いうまでもありません。
 ミャンマー伝統音楽は、古くはインドや中国の音楽が入り交じり、近年ではイギリスを中心とした西洋音楽も取り入れられているというおおざっぱな流れがわかっているけれど、精密な「ビルマ音楽史」などの研究は、まだまだこれからです。

 仏教研究は、お寺や仏教大学での研究が続けられてきましたが、仏教史研究以外の分野では、音楽に限らず、たとえば日本の民俗学のような分野、民間伝承や薬学でいえば伝統薬の研究など、未開発な分野の宝庫なので、志ある若者の研究フィールドとしてのフロンティアです。来たれ、有為の若手研究者。

 派遣元大学のビルマ語学科学生が、昨年夏に20日間のショートステイにやってきたとき、ビルマ語の授業のほか、「ビルマの竪琴サウン」や「ビルマの木琴パッタラー」のクラスがあり、私もいっしょに楽器練習をしたかった。しかし、私の日本語授業と同じ時間帯だったので、自分の授業を放り出して楽器練習をすることもならず、うらやましく見ていただけでした。

 ミャンマーには少数民族が数多く存在するので、民族ごとに異なる楽器もあります。でも、ヤンゴン市内で民族楽器屋さんを見かけたことがなかったです。バイオリンやギターなどの西洋楽器屋は見たのですが。

 ミャンマーの楽器、なんと言っても「ビルマの竪琴」が第一番に思い浮かびます。
 竪琴も調弦が大変難しく、しかも弦の並びが西洋ハープのように低い音から高い音へと順序よくならんでいるのではないため、どの弦の音がどんな高さの音をだすのか、覚えるのがたいへんだった、と、竪琴練習をした留学生が語っていました。

 けんめいにサウンを練習する日本から来たショートステイの留学生


ミャンマーを代表する楽器、竪琴サウンは、ちょっと高級なホテルにはたいていロビーに展示してあり、昼のティータイム、夜のディナータイムなどで生演奏されています。


ダウンタウンの老舗ホテル、ストランドホテルのティータイムでの演奏


 竪琴にも、サウン・ガウほか、ミジャウン、アウン、トロウなどいろいろあるそうですが、私が見てきたのは、サウン・ガウだろうとおもいます。
 サウンガウの代表的なものは、絹糸弦5音階(ペンタトニック)。9世紀頃から王宮音楽・仏教音楽に使用されていたそうです。ただし、僧侶はけっして音楽には関わらない。
 演奏家が使用するのは一般的に16の弦が台座と首に貼られています。紐をきつくしたり緩めたりで調弦します。1本の弦の調弦に1分ほどはかかるので、16本を調整するのに10分~15分はかかります。曲ごとに調整することが多いので、演奏者がひとりだと、次の曲までの間が長い。現代竪琴では、伝統的な絹弦よりは、丈夫で長持ちのナイロン弦のほうが多いとか。

 私は、観光客向けの民族芸能ディナーショウを行うカラウェイパレスというレストランで竪琴の演奏を聴いたり、ストランドホテルという英領時代から続くヤンゴン老舗ホテルのランチ時にロビーで竪琴演奏のデモンストレーションをしていたのを聴いただけで、本格的な演奏会というのは行ってみなかったのですが、ホテルランチ時の演奏でもとても心地よい音が流れ、竪琴の音色を堪能することができました。

 伝統の人形劇の伴奏に使われていたサウン


 竪琴の次によく見かけるのはパッタラーという木琴です。こちらも、民族ごとに少しずつ違う木琴らしいのですが、私にはその違いがよくわかりませんでした。マリンバとビブラホンの違いならわかるのですが。小学校中学校の音楽部では大きなマリンバが担当楽器だったので、木琴が大好きです。

民族村で見た、木琴


バガン人形劇の伴奏パッタラー


ヤンゴン民族舞踊ディナーショウを行うカラウェイパレス。ティータイム演奏のパッタラー


 カラウェイパレスや民族村の木琴を「演奏してみてもいいですか」と尋ねると、どこも、にこにこOK,写真を撮るかと聞かれました。写真撮ってもらいました。ちゃんと音楽にきこえるよう、演奏しましたとも。元木琴奏者ですから。

 カラウェイパレスの木琴を演奏するHAL。


 カラウェイパレス、ディナーショウでダンスの伴奏をするゴング。


 民族村に似たようなゴング楽器があったので、演奏させてもらいました。「展示物にさわるな」という表示が出ていたのですが、「弾かせて」と頼むと、係の人はにこにこOKし、写真もとってくれました。
 同じような展示物だけれど、国立博物館はさわるのはもちろん、写真もだめだったので、民族村、ゆるいテーマパークでしたが、博物館より庶民的。入場料は、国立博物館の外人値段500円で、民族村外人300円。ミャンマー人ならどちらも無料。



民族村展示のドラム。ドラムも何の皮を張るか、胴は何の木かなど、民族ごとに違いがあるらしい。


バガン遺跡の前の土産物屋のみやげ品パッタラーとサウン。胴体がワニになっている弦楽器は、民族村でも国立博物館でも見ましたが、みやげものは小型でかわいい。


おみやげサウンを弾かせてもらいました。


<つづく>
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ミンガラ春庭「ミャンマーの花」

2016-03-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160301 
ミンガラ春庭ミャンマーだより>ミャンマーいろいろ(1)ミャンマーの花

 35年前、9月のナイロビの町は、桜の花が一斉に咲くように、ジャカランダの薄紫の花におおわれ、どの通りも花のトンネルを作って見事でした。12年前に妹と旅行したタイでも、2月の町は黄色いタイの国花、ドーク・ラーチャプルック(ナンバンサイカチ)があふれていました。
 このように、それぞれの国で、国を印象づける花に出会えるのはラッキーです。日本を旅するなら、ぜひ桜の季節に、と思います。

 ミャンマーの町、雨期の8月9月、乾期の12月~3月を過ごしてきて、街中がひとつの花に彩られるということはありませんでした。ブーゲンビリアの赤い花はあちこちで見かけましたが、街中がブーゲンビリア満開一色という光景にはなりませんでした。

 毎朝、バス停までの通り道、MICTパークの中に咲くブーゲンビリア。


 私が3月にミャンマーを去ったあとのミャンマー新年4月には、国民が「ミャンマーの国花」と思っている「パダウ(パドウッ)」の花が盛りとなります。

 ミャンマーの花パダウは、「インド紫檀」の花です。インド紫檀は高級家具や楽器の用材として貴重な木材ですが、花もたいへん美しい。ミャンマーでは新年を祝う4月の水掛祭りのころに咲くので、国民達は「国を代表する花」と思っています。国旗のように正式に決められたものではないのですが、各国の「国花」紹介などというときは、この花が国花として紹介されることが多い。

 昨年、日本へ留学するミャンマーの女子大生といっしょに写真をとったとき、3人の女子学生揃って同じ黄色の民族衣装ロンジー(ブラウスと腰巻きスカート)を着てきたので「うちあわせて同じ色にしたの?」と、尋ねたら、3人とも「ロンジーの色は、ミャンマーの国の花の色にしようと思って着てきたら、3人とも同じ考えでした」と、語っていました。

この優秀な3人は、昨年9月からの日本留学で、たちまち日本語会話力もUPしたそうです。


インド紫檀パダウの花。4月に咲く花、まだ咲いていなかったので、借り物画像。


 もうひとつ、「国民の花」として親しまれているのは「タジン」という花。こちらは、結婚式の花嫁が髪に飾る花としても、必需の花です。
 純粋無垢な花という意味の「Thant Sin Pan」から「タジン」と呼ばれているのだとか。
学名は、ブルボフィルム・アウリコムム。タイ、ミャンマー、インドネシア(スマトラ島、ジャワ島)などの熱帯に棲息し、低地林に着生する寄生の蘭。
 タジンの花、ひとつの花は直径1cmくらいで小さいですが、たくさん寄り集まってひとつの房になります。

 アウンサンスーチー女史お気に入りの髪飾りのひとつ。


 日本では、2015年に筑波実験植物園で開花したことがニュースになっていました。あまり一般では見ることのできない花のひとつなのでしょう。
 タジンの花


 ミャンマーは、英領から独立した国々のうち、英連邦には入らなかった国のひとつです。英連邦に属するケニア、インドなどが公用語のひとつとして英語を採用したのに対して、ミャンマーの公用語はミャンマー語(ビルマ語)のみ。英語は高級ホテルやレストランのほかでは、町中ではほとんど通じません。英領時代の建物は古びたまま下町に数多く残されていますし、高級住宅地では、いまでも見かけコロニアル式の一軒家が新築されていて、建築に関してはイギリス式が残されています。

 イギリス人の風習が根付かなかったのだなあ、と思うことのひとつが、ガーデニングです。イギリス人の庭いじり好きは「国民性」となっています。しかし、当地では高級住宅地の庭をのぞいて見ても、ガーデニングが施されているところは、ほぼ皆無。むろん、高級住宅地に縁のない春庭なので、外から眺めただけではわからない、内庭、中庭などにガーデニングがあるのかもしれません。けれど、イギリス流であるならば、ガーデニングはむしろ通りを行く人の目を楽しませるためにも、人目につくようしつらえてあるはずなのです。

 花屋は、どんな小さな通りにもあり、たくさんの花が売られています。フレーダン市場の花屋でバラの花束を受け取っている青年に「恋人にあげるの?」と、たずねたら、うれしそうに「はい」と、答えました。いくらと尋ねると、バラの花10本くらいの束で2500チャット250円でした。彼は恋人へのプレゼントの為に1食抜く覚悟なのかも。
 しかし、通常、花屋は恋人へのプレゼントのためにあるのではなく、大部分が仏様へのお供えなのです。お店でも家庭でも仏壇があり、お花を欠かしませんし、お寺への供花としても、人々は次々に花を持って仏教寺院へもヒンズー寺院へも訪れます。

 家庭の中で、テーブルの上とか棚の上とか、仏壇のお供えのほかに花を飾る習慣はあまりないように思います。私が見た数少ない「個人の家の内部」の印象だけで決めつけてはいけないのかもしれませんが、外から見てわかる「ガーデニング皆無」の状態から推測して、仏壇以外に花を飾る習慣が盛んとは思えません。ミャンマーの家庭で一番大切なのは、部屋の中がきれいになることではなく、仏様を大事にすることですから。

 町のなかの並木などがあまり美しくない。どこにも並木管理の部署などはないと思えます。公園などでも芝生はきれいですが、花壇を見かけない。あんなにある花屋のお花は、すべて仏様のもとへ行っているとしか、思えません。町歩きにはちょっと寂しいお花状態ですが、ときどき見かける木の花たちを楽しみつつ、ヤンゴン歩きをつづけましょう。

 毎朝、バス停まで10分ほど歩きますが、そのうち前半は、IT企業集合地MICTパークのなかです。この中は、いつも掃除をしているしゴミを通りにポイ捨てする人もいないし、歩いていて気持ちのよい場所です。花がたくさん植えられているのも楽しみのひとつ。以下、MICTパークの花も実もある光景。



さまざまな種類がある椰子の木。ココ椰子には大きなココナッツが実りますが、こんな赤い実がなる椰子の木も。



うしろに見える建物は、MICTパークメインビル。




独立広場のわきに立っていたナンバンサイカチの木。英名ゴールデンシャワー。
独立広場のわき、ミャンマー観光案内所の前に咲いていました。


<つづく>
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