ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県吉野川市、鴨島町山路「玉林寺のモクコク 」(県指定)です!!

2024-07-13 18:31:03 | 文化財・樹木
 鴨島町山路地区は、吉野川市の南東約2kmのところ

 吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります

 約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ

 道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ

 約800mで右(南南東)へ、約100mで三叉路を左へ、又すぐに坂道を下った左側からの道路に合流します

 約200mで三叉路の所に「玉林寺 入口 これより南へ200m」の案内板が有ります

 橋を渡って進むと

 玉林寺入口石段です

 すぐ先に駐車場が有ります

 石段を上ると右手に目的のモッコクです

 南側から

 「徳島県指定天然記念物 玉林寺のモッコク」の標柱です

 説明版です
   徳島県指定 天然記念物
     玉林寺のモッコク
       指定年月日 昭和40年3月5日
 本樹はつばき科に属する老巨木で地上1mの所の樹周2m、樹高13m、地上4mの附近にて5大枝に分岐する。
 樹冠東西9.10m、南北9.40mあり、樹勢旺盛、北半側にウメノキゴケの地衣多数付着す。
 樹令推定350年と思われる。
 鐘楼が台風にて倒壊(年代不詳)後、釣鍾を現在の鐘楼が建立されるまで、この樹に釣りて時を報じたといわれる。
 つばき科は一般に灌木或は喬木性で、本樹の如き巨木は本県随一である。

 南西側から

 北西側から

 説明版にあった新しい鐘楼です

 「史跡 平康頼隠棲之趾」です、前回の「檀の大クス」に、平康頼公の記念碑がありました

 本堂へ行きましょう

 手水舎です

   慈眼山玉林寺 山路寺谷
 本尊は十一面千手観音。平康頼が麻植保司に着任し、玉林寺と少し離れたところに鬼界山補陀楽寺をも建立して、鹿ヶ谷事件関係者や亡母の冥福を祈ったといわれている。
 天正年間兵火にあい両寺を合併して一寺とした。
 延宝年間(1673~81年)の僧宗本によって中興開山して臨済宗となり、阿波西国第三十番の観音霊場でもある。
 県指定文化財、釈迦十六善神画像とモッコクがある。

 大師堂です

 本堂です

 では、今日の取材は終わりにして、吉野川を北へ渡った上板町の吉野川温泉で汗を流し、コインランドリーで洗濯をして、約16kmの「道の駅いたの」へ戻って、また車中泊としました。



 2024・6・8・18・15
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徳島県吉野川市、鴨島町森藤「壇の大クス」(県指定)です!!

2024-07-13 12:33:33 | 巨樹・大木
 鴨島町森藤地区は、吉野川市役所の南南東約2kmのところ

 吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります

 約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ

 道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ、またすぐ斜め右(南東)へ坂道を上ります

 約300mで道路正面に大きなクスノキが見えました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から

 西側から、北側に大枝が出ています
 
 「徳島県指定天然記念物 壇の大クス」の標柱です

 説明版です
   徳島県指定天然記念物
     壇の大クス
       指定年月日 昭和40年3月5日
 くすのき科に属する本樹は、地上1mの樹周10.3m、地上2mの所より北方へ、一大巨枝を分岐す。
 樹高35m、樹冠東西25.8m、南北53mの一大巨樹で、鴨島町全域よりこれをながめることができる。
 樹令推定950年と思われる。

 南西側から

 南側から

 南東側に木の鳥居です、懸額には「若宮神社」とあります

 若宮神社の石祠です

 記念碑です
   平康頼公800年記念
 文治2年(1186年)7月22日、平康頼公は、阿波の国麻植保司として、当地に着任され、爾来民生の安定に力を注ぎ、こよなき善政を行われた。
 当康頼神社は、天明年間に村人や家臣等ゆかりのものが、公の生前の徳を慕い、後世永くその功績を称えんが為、建立されたものである。
 保司着任800年を記念して、この地民相集い、ここに碑を建て顕彰するものである。
     1986年7月吉日
 *平 康頼(たいら の やすより、生没年未詳[)は、平安時代の武士。信濃権守・中原頼季の子。官位は六位・左衛門大尉。後白河法皇の近習として北面に仕える。
 明経道の家柄である中原氏に生まれる。10代で平保盛(平清盛の甥)の家人となる。保盛は長寛元年(1163)越前国の国司に任ぜられているが、18歳の康頼も越前国に派遣されて、この頃に主君から平姓の賜与を受けたと思われる。保盛は仁安元年(1166)尾張国の国司に転任し、康頼を目代に昇格させて派遣した。
 承安4年(1174)北面の武士から検非違使・左衛門大尉に任ぜられ、平判官と称した。
 平家滅亡後、文治2年(1186)頼朝はかつて受けた恩義に報いた、父の義朝の墓を整備・追善した平康頼は天領阿波国麻殖保の保司に任ぜられ同じ平を名乗る二人の者が行動を共にした。(以上ウィキペディアより抜粋)
 記念石碑は、この保司のころ、50代の業績を讃えたものですね


 東側から幹を見ま上げました

 南西側道路から大きな樹冠を見ましたが、写真に入り切れませね~

 では、次へ行きましょう




 2024・6・8・18・05
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徳島県吉野川市、鴨島町森藤「八大龍王神社のクス」です!!

2024-07-13 06:30:04 | 巨樹・大木
 鴨島町森藤地区は、吉野川市役所の南南東約2kmのところ

 吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります

 約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ

 約900m道成りに進んで、丁字路を右(西)へ、またまた約100mを左(南)へ

 道成りに約700mで道路左に三谷自治会館です

 すぐ先の左手奥に八大龍王神社のクスノキが見えます

 北西向きの境内入口鳥居です

 境内に車を止める事が出来ました

 手水鉢です

 鳥居献納記念碑です

 社殿は東向きに鎮座します

 目的のクスノキを北側から

 西側から、樹高20m、目通り幹囲5.8mの巨木です

 南西側から、根をしっかり広げています

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう



 2024・6・8・18・00
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