鴨島町山路地区は、吉野川市の南東約2kmのところ
吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります
約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ
道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ
約800mで右(南南東)へ、約100mで三叉路を左へ、又すぐに坂道を下った左側からの道路に合流します
約200mで三叉路の所に「玉林寺 入口 これより南へ200m」の案内板が有ります
橋を渡って進むと
玉林寺入口石段です
すぐ先に駐車場が有ります
石段を上ると右手に目的のモッコクです
南側から
「徳島県指定天然記念物 玉林寺のモッコク」の標柱です
説明版です
徳島県指定 天然記念物
玉林寺のモッコク
指定年月日 昭和40年3月5日
本樹はつばき科に属する老巨木で地上1mの所の樹周2m、樹高13m、地上4mの附近にて5大枝に分岐する。
樹冠東西9.10m、南北9.40mあり、樹勢旺盛、北半側にウメノキゴケの地衣多数付着す。
樹令推定350年と思われる。
鐘楼が台風にて倒壊(年代不詳)後、釣鍾を現在の鐘楼が建立されるまで、この樹に釣りて時を報じたといわれる。
つばき科は一般に灌木或は喬木性で、本樹の如き巨木は本県随一である。
南西側から
北西側から
説明版にあった新しい鐘楼です
「史跡 平康頼隠棲之趾」です、前回の「檀の大クス」に、平康頼公の記念碑がありました
本堂へ行きましょう
手水舎です
慈眼山玉林寺 山路寺谷
本尊は十一面千手観音。平康頼が麻植保司に着任し、玉林寺と少し離れたところに鬼界山補陀楽寺をも建立して、鹿ヶ谷事件関係者や亡母の冥福を祈ったといわれている。
天正年間兵火にあい両寺を合併して一寺とした。
延宝年間(1673~81年)の僧宗本によって中興開山して臨済宗となり、阿波西国第三十番の観音霊場でもある。
県指定文化財、釈迦十六善神画像とモッコクがある。
大師堂です
本堂です
では、今日の取材は終わりにして、吉野川を北へ渡った上板町の吉野川温泉で汗を流し、コインランドリーで洗濯をして、約16kmの「道の駅いたの」へ戻って、また車中泊としました。
2024・6・8・18・15
吉野川市役所の南側の道路を東へ、約300mで右(南東)へ、鴨島中央橋で麻名用水を渡ります
約300mで丁字路を左(東)へ、またすぐ約100mで右(南)へ
道成りに約900m進んで丁字路を左(東)へ
約800mで右(南南東)へ、約100mで三叉路を左へ、又すぐに坂道を下った左側からの道路に合流します
約200mで三叉路の所に「玉林寺 入口 これより南へ200m」の案内板が有ります
橋を渡って進むと
玉林寺入口石段です
すぐ先に駐車場が有ります
石段を上ると右手に目的のモッコクです
南側から
「徳島県指定天然記念物 玉林寺のモッコク」の標柱です
説明版です
徳島県指定 天然記念物
玉林寺のモッコク
指定年月日 昭和40年3月5日
本樹はつばき科に属する老巨木で地上1mの所の樹周2m、樹高13m、地上4mの附近にて5大枝に分岐する。
樹冠東西9.10m、南北9.40mあり、樹勢旺盛、北半側にウメノキゴケの地衣多数付着す。
樹令推定350年と思われる。
鐘楼が台風にて倒壊(年代不詳)後、釣鍾を現在の鐘楼が建立されるまで、この樹に釣りて時を報じたといわれる。
つばき科は一般に灌木或は喬木性で、本樹の如き巨木は本県随一である。
南西側から
北西側から
説明版にあった新しい鐘楼です
「史跡 平康頼隠棲之趾」です、前回の「檀の大クス」に、平康頼公の記念碑がありました
本堂へ行きましょう
手水舎です
慈眼山玉林寺 山路寺谷
本尊は十一面千手観音。平康頼が麻植保司に着任し、玉林寺と少し離れたところに鬼界山補陀楽寺をも建立して、鹿ヶ谷事件関係者や亡母の冥福を祈ったといわれている。
天正年間兵火にあい両寺を合併して一寺とした。
延宝年間(1673~81年)の僧宗本によって中興開山して臨済宗となり、阿波西国第三十番の観音霊場でもある。
県指定文化財、釈迦十六善神画像とモッコクがある。
大師堂です
本堂です
では、今日の取材は終わりにして、吉野川を北へ渡った上板町の吉野川温泉で汗を流し、コインランドリーで洗濯をして、約16kmの「道の駅いたの」へ戻って、また車中泊としました。
2024・6・8・18・15