ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県阿南市、長生町露木「泉八幡宮のクスノキ」です!!

2024-07-24 18:32:10 | 巨樹・大木
 長生町露木地区は、阿南市役所の西約3kmのところ

 中大野町北傍示地は、阿南市役所の西北西約7kmのところ

 阿南市役所南側の県道23号線を西へ、約500mで信号を右(北西)へ、県道130号線です

 約700mの「富岡新橋」手前の信号を左(南西)へ、桑野川右岸堤防上の道路です

 約800mで右(北西)へ、桑野川の「宝橋」を渡ります

 道成に桑野川沿いの土手下道を約900mで

 右手に泉八幡宮が南向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内南西側約100mに一ノ鳥居が南西向きに建っています、後方の樹叢が泉八幡宮です

 泉八幡宮の社號標です

 ニノ鳥居です

 境内入口東側に目的のクスノキです

 境内南西端にも大きな木が見えます

 境内に入って北西側から 

 北側から

 案内板です
   クスノキ クスノキ科
 常緑高木(暖地)
 3本の葉脈が目立ち、春から夏にかけて新葉になり、古い葉は紅葉して落ちる。
     阿南市巨樹保存会

 東側から見上げました

 境内南西側の境内社です

 境内社脇に立っているのはタブノキです

 タブノキの案内板です
   タブノキ クスノキ科
 常緑広葉樹(暖地)
 山地や海岸部に自生する。八丈島では樹皮を黄八丈の染めに用いる。
     阿南市巨樹保存会
 
 モミノキです

 案内板です
   モミ マツ科
 針葉高木
 日本固有種。主に内陸の谷間や湿潤な緩い傾斜に生育する。幹は直立し、枝は水平に伸びる。
      阿南市巨樹保存会

 カヤノキのようです

 説明版です
   泉八幡宮縁起
         本庄協議会・総代会
 創建年次不詳。白鳳期673年頃この地入河山に鎮座すると伝わる。
 天喜 2年(1054)、再建する
 寛治年間1090年頃、隆禅寺の鎮守神となり、神事を行うのは別当として隆禅寺この地にあったと言われる支院泉福寺であった。
 文和 3年(1354)、地頭職橘氏清原氏連署文書に「在所八幡宮前」の文言あり、すべてに八幡宮があったことが読み取れる。
 永和 2年(1376)、大原・上荒井・大谷・明谷・本庄五ケ村の産土神となる。
 天文 2年(1533)、四国管領細川持隆、本庄城主清安芸守乗真に命じ社殿を上葺する。
 元亀 2年(1571)、三好長賢(長慶弟)名で社殿の上葺が行われる。
 文録 5年(1596)、泉福寺僧快尊、藩祖蜂須賀家政の支援を得る。蜂須賀家の長久、氏子繁栄を願い氏子と共に社殿を新たに建立する。竹原庄五社惣社にふさわしい欅造りの見事な建築であったと伝わる。
 享保 8年(1723)、外、五ケ村氏子、上葺、鳥居、灯籠、狛犬奉納する。
 明和 8年(1771)、祭囃子出来る。
 安永 4年(1775)、拝殿左右随神奉納する。
 安政 元年(1854)、馬場先石灰岩自然石の灯籠建つ。
 明治 3年(1870)、八幡神社と改称なる。
 大正12年(1923)、境内入口玉垣奉納する。
 昭和 5年(1930)、境内入口大鳥居、灯籠奉納する。
 昭和15年(1940)、だんじり新調する。
 昭和24年(1949)、惣蔵神社外八社(小神さん)境内遷座する。
 平成 元年(1989)、祇園囃子、青年拍子30年ぶりに復活する。
 平成 4年(1992)、打ち子女子参加。例祭10月第3日曜日とする。
 平成10年(1998)、本庄歌舞伎、村芝居、カラオケ等で親しまれた。農村舞台、旅殿建替える。苔むし時代を示す凝灰岩の石段改修する。
 平成17年(2005)、地盤半分下げ石段拡張、小神さん八社合祀し、社殿新たに建立する。馬場開設する。鳥居、玉垣新たに奉納する。
 平成30年(2018)、「浦安の舞」60数年ぶりに復活する。
 令和 3年(2021)、宗教法人「泉八幡宮」と改称する。
       令和3年1月吉日

 三ノ鳥居です

 手水舎です

 石段を上がります

 拝殿前から下の境内を見下ろしました

 拝殿です

 本殿です

 では、次へ行きましょう



 2024・6・11・7・00
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徳島県阿南市、中大野町北傍示「楠木神社のクスノキ」です!!

2024-07-24 12:30:55 | 巨樹・大木
 「道の駅公方の郷なかがわ」で車中泊して、朝早くから取材を開始です、南西約3km桑野川に南面して阿南市役所です

 中大野町北傍示地は、阿南市役所の西北西約7kmのところ

 阿南市役所南側の県道23号線を西へ、約500mで信号を右(北西)へ、県道130号線です

 約2.2kmの「⇐持井・県道22号線」の標識に従って信号を斜め左(南西)へ、阿南勝浦線です

 道成に約4.1kmで信号を右(北)へ、道成りに右にカーブして約200mを左(北北東)へ入ります

 約100mで左側住宅の脇に大きな樹冠が見えます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のクスノキです

 鳥居です

 楠木神社の社です

 社に覆いかぶさるようにクスノキです

 東側から、太い幹を見上げました

 西側から、樹高15m、目通り幹囲5.7mの巨木です

 では、次へ行きましょう



 2024・6・11・6・35
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徳島県上勝町、生実久保「久保の大杉」です!!

2024-07-24 06:30:06 | 巨樹・大木
 生実久保地区は、上勝町役場(海抜250m附近)の西約2kmのところですが、山中腹(海抜500m附近)です

 上勝町役場前の県道16号徳島上那賀線を南へ、約350mで生実橋を渡って直ぐ鋭角に右(北東)へ入ります

 約200mで鋭角に左(南西)へ坂道を上って行きます

 曲り角に案内図「野尻・樫原周辺ルート」が有りましたので確認しました、図の左に目的の「⑤久保の大杉」の名前が見えます

 約750mで三叉路は案内板通りに左(西南西)上(写真の右上)へ進みます

 道成に坂道をどんどん登り約1.6kmで右(北)へ

 約150mで、ここも道成りに右(北)へ

 約150mで、牧場の所に有んない場です間も無くです

 道路左側に階段が有ります

 すぐ先の道路の広い所に車を止めさせて頂きました

 伝説説明版です
  久保の大杉(伝説)
    樹齢1500年・樹高60m・幹囲8.40m
 その昔、大杉周辺に100本の杉、浅木があり、百姓吾作と言う人が開墾しようと、まず浅木を伐り炭に焼いたが、最後の炭窯は火が20日も消えず、出来た炭は非常に堅く、天秤棒にしたとか・・・・・
 残りの大杉を伐りにかかったが、三日伐っても四日伐っても「へび」が木から落ちてきて伐れず、ついに十日でも伐れなかった。ノコギリ溝は翌日繋げていたいたと言う。
 そこで他の人が「おら」が伐ると三日伐っても前と同様伐れなかったので、山の神を祀る様になり、旧暦7月25日、現在(8月25日)に七つ道具を揃えてお祀りしている。
 現在は山の神、長寿の神として信仰する人がふえている。

 階段登り口に、平成2年4月建立の「久保の大杉」の標石です

 太い幹が見えました

 東側から見上げました

 山の神様の祠ですね

 説明版にあった、いわゆる「七つ道具」です、七種類ないようですが・・・

 南側から

 西側から

 離れて西側から

 北側から見上げました

 車を止めた所から少し入って木々の間に大杉を見ました

 もう一枚の説明版です
   白山大権現(伝説)
 現在、野尻大杉荘の南約70mの地に大岩がある。昔、この大岩の周囲が池であり、大白蛇が住んでいたと言う。その大きさは大岩の七巻半であったと言う。
 ある人がこの池を埋め水田にしたため、大白蛇は住めなくなり、久保の地に池を作ってくれるなら水には不自由させんと言ったが、池を作る人が無く、大白蛇は殿川内の綾の淵へ行ったが、お祀りだけはと白山大権現として祀る様になり、当時は御殿みこし、だんじり、舞台等もあり、、現在舗装が出来ている処が馬場である。
 其の後、野尻八幡宮(最初の図の④)に合祀されたが、此の地に不幸が続き、再びここに祀り10月14日にお祭りをしている。
 無病息災の神として参拝される者多い。

 この日の取材はここまでとしました

 約37km(約1時間半)移動し阿南市の「道の駅公方の郷なかがわ」で車中泊させていただきました



 2024・6・10・17・15
 

 
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