ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県徳島市、国府町井戸北屋敷「四国八十八ヶ所第17番・井戸寺(いどじ)」です!!

2024-07-19 18:47:01 | 四国八十八霊場
 国府町井戸北屋敷地区は、徳島市役所の西北西約7km、徳島市役所国府支所の北北東約2kmのところ

 徳島市役所国府支所を北へ出て、県道29号徳島環状線を東へ

 約500mで「⇐17番札所井戸寺1.7km」の標識に従って左(北)へ

 道成りに約1.2kmで「井戸寺専用駐車場直進100m」の案内板がありますので更に北へ

 右(東)へ入ると、井戸寺北側の広い駐車場に入りました

 東側の通路を通って南側から山門です、徳島藩10代藩主だった、蜂須賀重喜の隠居屋敷(旧徳島藩大谷別邸移築表門)だそうです

 真言宗善通寺派の瑠璃山 真福院「別格本山 井戸寺」の寺号標です

 四国第十七番井戸寺です

 手水舎です

 六画形の建物は「大悲殿」の額の懸かる護摩堂です
 護摩堂の本尊は不動明王・阿波四国三十三番霊場結願所の本尊は国宝(重要文化財)十一面観音です

 境内には「井戸村正心小学校」が境内に置かれていたのですね

 日限大師です

 井戸寺の名前の下となった井戸の由来です
   日限大師(おもかげの井戸の由来)
 当寺のこの井戸は、むかし弘法大師四国霊場御開創の時この附近の水が濁水なのをあわれみ、錫杖で一夜のうちに井戸を掘られたところ清水湧出し、大師一夜建立の井戸で有名になり、寺号を井戸寺と名付けられた。
 当寺御詠歌を「おもかげをうつしてみれば井戸の水、むすべばむねのあかやおちなむ」と大師自らこの井戸におもかげをうつされた。
 日を限って心願をかけると直にご利益を蒙るという、依って世に日限大師と言われ霊験あらたかなり。

 弁財天です

 お地蔵様です

 鐘楼です

 本堂です

 お大師様です

 光明殿です

 縁起説明版です
   井戸寺縁起
 当山は40代天武天皇御勅願、白鳳2年(西暦673年)の御開基なり。
 元瑠璃山妙照寺と号し、弘仁6年(西暦815年)春、弘法大師42才の御時、四国八十八ヶ所霊場御開創の砌、しばらく御留錫あって、一刀三礼にて御丈8尺余の十一面観世音菩薩(一木一体の御作、旧国宝)を御彫刻なされ、当地方濁水なるをあわれみ給ひ、大師みずから錫杖にて一夜のうちに井戸を掘り清水涌出す。
 おもかげを写し、石に御影を彫刻した御尊像あり。日を限って警願すれば直に御利益多く、世に日限大師として名高し。
 当山御詠歌に「おもかげをうつしてみれば井戸の水、むすべばむねのあかやおちなむ」と、その後寺号を井戸寺、附近を井戸村と名付けられたり。
 当山御本尊七佛薬師如来7躯は、全国唯一にして七難即滅・七福即生・開運厄除・難病平易の霊験あらたかにして、護摩堂不動明王は、除災交通安全の守護あらたかなり。
 当山大門は蜂須賀重喜・大谷別邸の門を寄進されて有名なり。

 大師堂です、手前左の小さな白い建物は「通夜堂」で、お遍路さんは無料で宿泊できる宿坊です。

 では、納経所に寄って

 次へ行きましょう





 2024・6・10・10・35
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徳島県徳島市、国府町観音寺「四国八十八ヶ所第16番・観音寺(かんおんじ)」です!!

2024-07-19 12:30:15 | 四国八十八霊場
 国府町観音寺地区は、徳島市役所の西約8km、徳島市役所国府支所の西約1kmのところ

 徳島市役所国府支所西側の道路を北へ出て、県道29号線を西へ進みます

 約1.1kmで左(南)へ、国道192号線です

 約300mの 「⇐16番札所・観音寺0.2km」の標識に従って信号を左(東)へ

 細い道路を進むと山門手前(納経所前)の駐車場に車を止める事が出来ました(山門東側には広い駐車場があります)

 山門です

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
     四国霊場第16番札所 観音寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。 
 第16番札所の観音寺は、光燿山(こうようざん)千手院と号する真言宗寺院で、寺伝によれば聖武天皇の勅願によって創建され、のちに弘法大師が訪れて本尊の千手観音とと脇侍の不動明王・毘沙門天像を刻んで安置したという。

 手水舎です

 お大師様です

 宝篋印塔です

 本堂です

 大師堂です、前の境内では20人ほどの小学生が講師の四国遍路に関する話を聞いていました

 夜泣地蔵と石塔です


 では、納経所に寄って次へ行きましょう





 2024・6・10・10・05
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徳島県徳島市、国府町矢野「四国八十八ヶ所第15番・ 国分寺」です!!

2024-07-19 06:30:50 | 四国八十八霊場
 国府町矢野地区は、徳島市役所の西約km、徳島市役所国府支所の南西約2kmのところ

 徳島市役所国府支所をを北へ出て、県道29号線を西へ進みます

 約1.1kmで左(南)へ、国道192号線です

 約1.8kmで「15番札所国分寺⇒」の標識がありすので、交差点を右(西)へ入ります

 集落の中を約100mで変形十字路を斜め右(北西)へ進むと、三叉路に「⇐第15番札所国分寺」の案内板が有ります

 また「国分寺⇒」の案内板が出ていますので右(北)へ、国分寺参道です

 山門です

 山門東側に駐車場があります

 「聖武天皇勅願所 四国第十五番 曹洞宗国分寺」です

 説明版です
   徳島県指定文化財 史跡
     阿波国分寺跡
       1953年(昭和28年)7月21日指定
 国分寺(金光明四天王護国之寺)は、741年(天平13)に聖武天皇の勅旨により、国分尼寺とともに全国に建立された官立の寺院である。
 阿波国分寺跡は、1978年度以降の発掘調査で、金堂から延びると想定される回廊跡や築地塀跡、寺域を区画する溝などが確認されたことから、かつては西に塔を配し、金堂、講堂などが一直線上に並ぶ「東大寺式伽藍配置」を有し、現在の国分寺を中心とした方2町(約218m四方)におよぶ範囲に存在していたと考えられている。
 現在境内の隅に残る塔心礎は、寺の南西側の「塔ノ本」の字名が残る水田の中から出土したものと伝わるものでり、周辺地域には東門、西門、北門、坊などの字名が今の残っている。
 発掘調査で出土した遺物の一部は、徳島市立考古資料館に収蔵・展示されている。
     徳島県教育委員会・徳島市教育委員会  

 日本遺産のプレートです
   日本遺産「四国遍路」
   四国霊場第15番札所 国分寺 
 弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、約1200年を越えて発展継承され、今なお人々ににより継続的に行われている。
 地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るストーリーの一つとして、日本遺産に認定された。 
 第5番札所の国分寺は、薬王山金色院と号する曹洞宗寺院。聖武天皇が国ごとに建立を命じた国分寺の一つで、寛保元年(1741)に再興され、曹洞宗に改宗。本堂は禅宗仏殿の典型的な建築で、彫刻を各所に配して華やかに飾る。  

 御堂です

 七重塔の礎石と綺麗に刈り込まれたイブキのようです

 手水です

 鐘楼です

 宝篋印塔です

 本堂瑠璃殿です

 大師堂です

 明王堂には「烏慧沙摩明王」が祀られているようです

 明王堂右手の権現堂です、瑜伽大権現・秋葉大権現・白山大権現・大聖歓喜天が祀られているようです

 では、納経所によって次へ行きましょう




 2024・6・10・9・40
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