末崎町神坂地区は、大船渡市役所の南約9kmのところ
大船渡市役所北東側の国道45号線「大船渡市盛町舘下」信号を南南東へ進みます
約6.5kmの「⇐広田半島・碁石海岸・県道38号線」の標識に従って左(南東)へ入ります
約1.1kmの「⇐細浦」の案内板を左(北東)へ
約1.7kmでJR東日本のBRT専用道「細浦駅」の南東側高架の手前を左(南東)へ県道275線です
約200mで細浦郵便局のところに「熊野神社」の案内板が建っていますので、左(北東)へ入ります
間も無く道路左手に大きなツバキの影にカヤの樹冠が見えます
向かい側の熊野神社駐車場に車を止めさせて頂きました
「カヤ」の前から駐車場の南側を南東へ入ると
南西向きの熊野神社参道です
鳥居です、大きな「熊野神社」の額が懸かります
手水鉢です
鳥居したから参道石段のスギの大木です
南東側から見上げました、幹囲4.3mの大木です
北西側から
.
鳥居の北西側には「モミ」の大木です
東側から、樹高22m、幹囲3.3mの大木です
「モミ」の天然記念物標柱です
「杉 5本」の天然記念物標柱ですが横になっていました
西側からモミとスギです
参道石段左側の二本目のスギです、幹囲4.2mの個体と思われます
境内に上がって三本目の杉、幹囲3.6mと下側には二番目のスギです
拝殿です
本殿です
*熊野神社の創建は、今から約800年前の鎌倉時代と言われています。
当時は、蝦夷のボス「太鬼丸」が地域住民を困らせていましたが、紀伊熊野から北上していた修験者が通りかかり、太鬼丸を征伐しました。
その後も住民の平和を願うために熊野権現を勧請したのが、現在の熊野神社の始まりとされています。
ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛名田比売(くしなだひめ)・五十猛神(いそたけるのみこと)
境内社が並びます
石祠です
大きな出羽三山の石碑です
拝殿前から石段両側に並ぶスギを見ました、左の石段脇のスギの幹囲は3.4mの大木です、下側のもう一本は幹囲3.0mのものと思われます
*スギ並びにモミの幹囲は、環境省巨樹・巨木林データベースからの数値です
駐車場に戻ってモミを見上げました
では、次へ行きましょう
2024・10・16・14・35
大船渡市役所北東側の国道45号線「大船渡市盛町舘下」信号を南南東へ進みます
約6.5kmの「⇐広田半島・碁石海岸・県道38号線」の標識に従って左(南東)へ入ります
約1.1kmの「⇐細浦」の案内板を左(北東)へ
約1.7kmでJR東日本のBRT専用道「細浦駅」の南東側高架の手前を左(南東)へ県道275線です
約200mで細浦郵便局のところに「熊野神社」の案内板が建っていますので、左(北東)へ入ります
間も無く道路左手に大きなツバキの影にカヤの樹冠が見えます
向かい側の熊野神社駐車場に車を止めさせて頂きました
「カヤ」の前から駐車場の南側を南東へ入ると
南西向きの熊野神社参道です
鳥居です、大きな「熊野神社」の額が懸かります
手水鉢です
鳥居したから参道石段のスギの大木です
南東側から見上げました、幹囲4.3mの大木です
北西側から
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鳥居の北西側には「モミ」の大木です
東側から、樹高22m、幹囲3.3mの大木です
「モミ」の天然記念物標柱です
「杉 5本」の天然記念物標柱ですが横になっていました
西側からモミとスギです
参道石段左側の二本目のスギです、幹囲4.2mの個体と思われます
境内に上がって三本目の杉、幹囲3.6mと下側には二番目のスギです
拝殿です
本殿です
*熊野神社の創建は、今から約800年前の鎌倉時代と言われています。
当時は、蝦夷のボス「太鬼丸」が地域住民を困らせていましたが、紀伊熊野から北上していた修験者が通りかかり、太鬼丸を征伐しました。
その後も住民の平和を願うために熊野権現を勧請したのが、現在の熊野神社の始まりとされています。
ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛名田比売(くしなだひめ)・五十猛神(いそたけるのみこと)
境内社が並びます
石祠です
大きな出羽三山の石碑です
拝殿前から石段両側に並ぶスギを見ました、左の石段脇のスギの幹囲は3.4mの大木です、下側のもう一本は幹囲3.0mのものと思われます
*スギ並びにモミの幹囲は、環境省巨樹・巨木林データベースからの数値です
駐車場に戻ってモミを見上げました
では、次へ行きましょう
2024・10・16・14・35
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