ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県喜多方市、大田賀地神社のケヤキです!!

2017-08-16 05:15:38 | 巨樹・大木
大田賀地区は、喜多方市役所の南西約10kmのところ

只見川右岸の県道43号線沿いに地神社があります

県道から入った参道前に車を止めさせて頂きました


参道入り口鳥居です

田中鎮守 地神社です

鳥居と社殿です

境内社です,後側の細い杉に注連縄が掛けられています

合社誌です
    耶麻郡高郷村田中は、字田中と西海枝とよりなり、旧河沼郡坂下組に、
   或いは千咲村に属したことあり。
    各々田中及び地神社を鎮守となし今日に至るも創祀の代を知らず。
    田中神社は美田の中に祀られたるをもって、地神社はこの地の産土の神
   なるをもて、斯く尊称し、共に往昔旧領主御造営に預る古社なり。
    今日両社の合祀により村中安全五穀豊穣を祈り社殿の改築をいたすは、
   これ父祖の希い永くこれを記念す。
     昭和47年4月吉日           宮司謹言

ケヤキは境内東端、県道沿いに在ります



北東側から、扁平な幹の太さが解かりますね、目通り幹周り5,4mの巨木です

社殿裏側にもケヤキの大木が在ります



拝殿前の杉の大木です



境内北東端の杉の大木です

では、次へ行きましょう
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福島県会津坂下町、国指定史跡亀ヶ森・鎮守森古墳です!!

2017-08-15 04:43:03 | 遺跡・史跡
亀ヶ森古墳は、会津坂下町役場の北約4kmのところ

県道21号線を北へ、阿賀川を渡る会青橋の手前を西に入って間もなく


道路沿いに案内板が有ります

まず亀ヶ森古墳に行って見ましょう

亀ヶ森古墳です

会津32番観音札所です

説明版です
   史蹟亀ヶ森・鎮守森古墳
    国史跡指定 昭和51年5月6日
    指定面積 31110.29㎡
     亀ヶ森古墳は、墳丘の全長が約127mでm、東北第2の規模を誇る
    前方後円墳です。後円部は三段築成で、葺石がみられます。出土した埴
    輪から、4世紀後半の築造と考えられています。
     鎮守森古墳は、墳丘の全長が約55mの前方後方墳です。墳丘とほぼ
    相似形の周堀があるのが確認されました。出土した二重口縁壺から、4
    世紀中頃の築造と考えられています。
     町では、古墳の恒久的保存と郷土学習の場として史跡公園整備をめざ
    して、史蹟の公有化事業を進めています。
                 会津坂下町教育委員会

取材日は、地区の方々が草刈を行なっていましたので、墳丘上の取材は遠慮しました

亀ヶ盛古墳まえから見た鎮守森古墳です

南側の墳丘入口です

西側から見ました

では、次へ行きましょう
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福島県会津坂下町、上開津浄福寺のイチョウです!!

2017-08-14 04:51:20 | 巨樹・大木
上開津地区は、会津坂下町役場の南東約4kmのところ

県道72号線会津坂下本郷線を南へ

磐越自動車道路の直ぐ手前東側の集落です

集落の中央に上開津公民館が浄福寺境内です

イチョウの在る境内に車を止めさせて頂きました


浄福寺です

境内には上開津公民館が有ります

境内南側にイチョウの巨木が在ります

東側から

本堂前(北)から

境内に説明版等は有りませんが、目通り幹周り5,6mの巨木です


石仏・石塔です

南側から見上げました

では、次へ行きましょう
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福島県会津若松市、晋峯山平安寺延命欅の木です!!

2017-08-13 05:25:41 | 巨樹・大木
平田地区は、会津若松市役所の西北西約7kmのところです

県道59号線で阿賀川左岸に渡り

県道72号線の交差点の北西側に当たります

田圃の中に島のように林が点在しています

国土地理院地図の三角点196,4mの表示のあるところです

南側から望みます

林の南西側にケヤキがあります

地蔵堂が有ります

石碑が並びます

杉の大木です

祠の南側にケヤキの巨木が在ります

説明版です  
   会津若松市指定天然記念物
     晋峯山平安寺延命欅の木
    当延命地蔵堂は、正保2年えん覚院法印修験祐珍が当欅の台地に平安寺を建て、
   延命地蔵尊を祭祀した。
    祈願の御詠歌に
      「千早やふる有情無常のへだてなく 志づか屋敷は なほも栄えん」
    文化4年平安寺より出火平田邑は全焼す。時に、延命地蔵尊は、欅に抱かれ焼失
   から免れる。偶々蒲生秀行の知行寺蓮花寺が火災に遭い、子院僧房宝寿院が之を継
   ぎ、子安地蔵尊と交換して安置する。
    是等の歴史の変遷を伝えるとともに、延命地蔵尊を火災より守りし由緒ある老木
   である。
      昭和47年4月1日              会津若松市教育委員会

地蔵堂の裏側(北)から見上げました

説明版には有りませんでしたが、目通り幹周り6,3mの巨木です

ちなみに、杉も4m程の大木です

では、次へ行きましょう
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福島県南会津町、永田のケヤキです!!

2017-08-12 07:02:18 | 巨樹・大木
永田地区は、南会津町役場の西南西約2kmのところ

国道289号線で阿賀川を越えて直ぐを南へ

永田の集落を過ぎたところ

阿賀川の左岸を通る町道の分かれ道にケヤキの巨木が在ります

道路の広い所に車を止めさせて頂きました

南から見ました

大きな幹が何本も見えます

大きな幹が根元で繋がっています

西北側から見ました、一番右側のケヤキは別の一本のようです

東側から見ました、こちら側から見れば4本の幹が根元で繋がっているのが良く解りました

では、次へ行きましょ



ここまで2017年7月23日の取材でした
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福島県南会津町、久川城跡です!!

2017-08-11 06:31:48 | 城跡・館跡・陣屋跡
久川城跡は、南会津町役場の西約22kmのところ

北野神社の大杉から更に南へ約4km

国道401号線の西側、県道351号線沿い

南会津町博物館伊南分館が有ります
   (〒967-0507 福島県南会津郡南会津町青柳字久川23 電話番号0241-76-2071)

伊南川左岸の丘上に本丸があります

戦国の山城 久川城址入口の標柱です

県道から入ると駐車スペースが有ります

久川城跡の石碑です

案内図が有ります、現在地は右下の青柳七曲り登城坂口です

枡形門が有ったようです

本丸まで行って見ましょう

鳥居を潜ります

歩きやすい石段になっています

七曲がり坂の名前の通り曲がり返して登ります

何回か折り返して登って来ました

最後の登りです

枡形虎口です

本丸へ向かいます

広い郭は、二の丸でしょうか

空堀が見えて来ます


北側の空堀です

本丸入口に向います

史蹟 久川城址の石碑が本丸入口の向かい側(東側)にあります

本丸入口です、両側から土塁が伸びていますが、削られて広く成っているようです

本丸内南がわです

本丸内北側です


本丸跡の標柱です

本丸の南西角が一段高く成って、稲荷神社が祀られています

正一位稲荷大明神の懸け額です

神社裏側は大きな土塁になっています

ここで肝心なカメラの電池が切れてしまいました、仕方ないので戻ることにして、

青柳七曲り坂を降りてきたところで雨が降り出しました



南会津博物館伊南分館を見学させていただきました

久川城と駒寄城の歴史の展示が見る事が出来ます


南側からみた久川城址です

林道小塩塩ノ俣線側の登城路です

雨が強く成って来たので、今回の見学はおしまいにしました

では、次へ行きましょう
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福島県南会津町、大新田北野神社の大杉です!!

2017-08-10 06:50:00 | 巨樹・大木
大新田地区は、南会津町役場の西20kmのところ

国道289号線を西へ、駒止トンネルを越えて下り切ると山口地区です

道の駅きらら298を過ぎて交差点を南へ国道401号線になります

南へ向かって間もなく、国道道路沿いに北野神社の大杉の標柱が立っています


国道脇に、北野神社の大杉の標柱が在ります、ここを真直ぐに入って行きます

幟の棹が目印になります

棹の前に車を止めて行きましょう


杉林に入ると北野神社の社殿が見えました

大杉は社殿の後ろに在ります

大杉です

社殿裏側から見上げました

説明版です
   県指定緑の文化財・町指定文化財
     北野神社の大杉
    北野神社は菅原道真公を祀り、延宝3年(1675)に勧進された。
    大杉は樹齢が約500年で周囲9,1m高さ50m樹勢は良好であり
    亭々と屹立する偉容は見事である。
                 南会津町教育委員会

目通り幹周り9m以上ある元気な杉の巨木は貴重です


境内社です

祠の後ろにはミズナラの大木が在ります

では、次へ行きましょう

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福島県只見町、楢戸二荒山神社のケヤキです!!

2017-08-09 06:23:48 | 巨樹・大木
楢戸地区は、只見町役場の南東約4kmのところ

国道289号線で伊南川左岸を進むと

地区の入り口に神社が在ります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

国道入口から見ました

境内入口の鳥居です

拝殿です

本殿覆い屋です

北向きの社殿の左手にケヤキが有ります

本殿覆い屋脇から見上げました、根元は細いですが直ぐ上の目通り幹周り5,7mの巨木です


社殿右手には杉の大木が在ります

境内に説明版等は有りませんでしたが、境内は綺麗に管理されていました

では、次へ行きましょう
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福島県只見町、縁結びの三石神社です!!

2017-08-08 08:10:42 | 文化財・寺社
三石神社は、只見町役場の西側の山の中腹に在ります




国道252号線脇に縁結び三石神社入口の案内板です

JR只見線の線路を渡ります、左手には只見スキー場が見えます

鳥居前に車を止めさせえ頂きました

緑の文化財 三石神社の森の標柱です

説明版です
   三石神社の由来
三石神社は、山中に一の岩、泪岩、縁結びの岩の三つの岩を磐座(神の鎮座する所)
    としているところから三石神社と名がつけられたものと推測され、祭神としては、伊邪
    那美命、白山姫命、少那彦命を祀り、縁結びの神と云われております。
     その後、平安時代末期文治年間(1185~1190)奥州藤原秀衡征伐の大功をた
    てたため源頼朝よりこの地を賜った金山谷、横田の坊主山内経俊が、夢枕に立った神霊
    のお告げに導かれて、この地に奉願したと伝えられております。また、三石神社を国の
    寺社奉行に登録したのも山内家と伝われております。
     当神社は、岩霊を以って社殿となし、御神体には巨岩を祀っており、御穀豊穣、家内
    安全、生業繁栄、開運、開運、招福の神として信仰されております。
     特に昔から地元では、三つの巨岩とも無数の孔が開いており、この孔に紙縒りまたは
    奉納物としていた真綿を糸にして通し、親指と小指をもって結べば祈願が叶うという信
    仰習慣があることから、近年特に「縁結びの神」として近郷もとより遠く県外からもお
    いでになり、お二人でお参りされる方が年々多くなっております。
     祭日は、古くは八朔すなわち旧暦の8月朔日でしたが、現在は村社の「滝神社」祭礼
    と同日の9月5日・6日の二日間としておりますがお参りは年中できます。
      平成26年9月1日          只見区・只見町商工会青年部




神社まで行ってみましょう

杉の大木の間に注連縄が掛かっています、それを潜って進みます

杉の大木の並木が続きます

湧水があります

説明版です
   縁結び三石清水
     三石神社には縁結びの神、女一代の守り神として古くから県内外に知られ、
    縁結び三石清水は社殿の中腹、三石公園内にあり山道を登り、一服のどを潤し
    、「みそぎの水」として昔から絶えることがない。
        只見町銘水10選案内                  只見町




更に注連縄を潜って先へ進みましょう

間もなく岩が見えて来ます

岩の左手を回って登ります

一の岩でした

小さな鳥居と案内板が有ります



縁結びの岩の下に建物が造られています、三石神社の建物です

岩には5円玉等がぶら下げられています、縁結びの岩です


ここから先に進むのは諦めました

では、次へ行きましょう
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福島県只見町、石伏旧若宮八幡神社の大クリです!!

2017-08-07 07:00:08 | 巨樹・大木
石伏は、只見町役場の南西約4kmのところ

国道252号線を南へ向かいます

間もなく国道からはずれて町下橋を渡って只見川の右岸を進みます

只見発電所を過ぎると人家は無くなります

道路脇に町指定天然記念物の標柱が有ります

道路脇に車を止めて大クリを見に行きましょう


参道入り口です、先日からの大雨で参道入り口にも土砂が流出しています

参道も水が流れています、そのせいでしょうか、落ち葉が流されて歩きやすくなっています

案内の標柱です、もう少し距離が有ります

草が生い茂っていますが、石段が解かります

ヤマザクラの大木です、若宮八幡神社の境内だったようです

只見町の巨樹 ヤマザクラの標柱です

草をかき分けてもう少し先へ進みます

案内標柱です、あと50mですが見えませんね~

少し登るとミズナラの大木です

杉の幹の陰に太い幹が見えて来ました

大クリです

左側から、目通り幹周り7,5mの巨木です

上側から

右側から


右下から見上げました

では、次へ行きましょう
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福島県只見町、叶津番所跡と五十嵐家住宅です!!

2017-08-06 20:45:16 | 遺跡・史跡
叶津番所は、只見町役場の北約3kmのところ

国道252号線と国道289号線の交差点の所に在ります

交差点の所をみ南に入ると正面に叶津番所の建物長谷部家住宅があります

敷地内に車を止めさせて頂きました


正面に建物が有ります

長谷部家住宅と成っています

東側から見ました

西側には蔵の壁に描かれた眼が睨んでいます

案内板です
   旧五十嵐家住宅
     ・国指定重要文化財 昭和47年5月15日指定
     ・所在地 只見町大字叶津字居平437番地
     ・所有者 只見町
    旧五十嵐家住宅は福島県内の古民家では最も古いもので、昭和47年重要文化財の指定を
   受けました。翌48年只見町は、本住宅を五十嵐家から譲り受け、只見町字上町からこの地
   に移転し保存しています。
    この住宅は、享保3年(1718)4月に滝口大作という人が建てたことが移築修理の際
   の墨書きによってわかっています。構造は桁行7間、梁間4間で、中央に広い土間を持つ3
   間取り、直屋根式の本百姓民家です。太い木割りを持つ日本海側に多い民家で、その地域性
   と、時代の特性を示す価値は高く評価されています。
    五十嵐家は、生活様式の変化と建物の老朽化にょって改築や修理がおこなわれましたが、
   昭和48年の解体移築の際、増築された中門を取り払うなど、すべて原形に戻して整備しま
   した。  

   旧長谷部家住宅(叶津番所)
     ・県指定重要文化財 昭和48年3月23日指定
     ・所在地 南会津郡只見町大字叶津字居平456番地
     ・所有者 個人
    旧長谷部家住宅は規模の大きい上層家屋で、うまや中門をうけた曲がり屋です。棟が高く
   棟裏には小天井を張り、せがい造りで、会津の通例として外縁は備えず、座敷周りに内縁を
   つけています。もと座敷前面にあった乗り込みは撤去され、内部は現在水屋全体まで板敷で
   すが、元は一部が土間であったと考えられます。
    水屋と居間境の柱は約35cm、居間周りは23cmと太く、居間境、差し鴨居も丈51
   cmと大きなもので、柱仕上げはいずれも鉋掛け面取りで、天井は居間を除き、上段、座敷
   、仲座敷ともさお縁を用いています。またこれらの部屋にはいずれも面皮なげしを回すなど
   上等な仕上げになっており、建立年代としては、土間中二階の存在、中引と桁を等間隔に通
   した二重梁構造などの造作状況等からみて江戸後期と推定されます。長谷部家は旧叶津村の
   名主をつとめ、八十里越の番所と制札所になっています。
  

五十嵐家住宅へ行って見ましょう

工事中です

南側は完全にネットで覆われてしまっています

五十嵐家住宅の説明版です



では、次へ行って見ましょう
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福島県金山町、大塩神社の杉です!!

2017-08-05 01:46:24 | 巨樹・大木
大塩地区は、金山町役場の南西約13kmのところ

国道252号線で只見川沿いを南へ進みます



参道入り口を入ったのですが、数日前の大雨の影響で道路の砂利が流されてしまっていて通れません

少し戻ると天然炭酸水の看板が有ります

天然炭酸水の汲み場への道を回って来ました、宇奈多理神社です


大杉です

名前は大塩の大杉です

宇奈多理神社神木の大きな札が掛けられています

説明版です
   町指定重要文化財  天然記念物
     老杉(ろうさん)
    この老杉は、樹幹の周囲5,53m、高さ、およそ25m、樹齢500年(推定)
   を越える巨木で、古来神木として氏子によって大切に保護されてきた、室町時代の末
   までにこの杉の木が育成しており、根元の腐朽の洞穴があり、その中に諏訪大明神の
   石祠が安置されていた。
    以来、幾百星霜樹木の成長と共に洞穴が癒閉し、石祠を包み込んだという伝説があ
   る。
    なお、明治41年、この地に宇奈多理神社が祀られ、諏訪大明神と大山衹が合祀さ
   れた。
      昭和57年10月指定            金山町教育委員会 


  

参道奥側から見上げました

社殿へ行って見ましょう




宇奈多理神社参道石段の大杉の標柱です、幹周りは315cmですのでまだまだ若い杉ですね



石段上から見ました

手水です

宇奈多理神社社殿です

では、次へ行きましょう
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福島県柳津町、猪倉野、猪鼻神明神社の杉です!!

2017-08-04 07:38:22 | 巨樹・大木
猪倉野地区は、柳津町役場の南東約3kmのところ

県道53号線を銀山川に沿って南へ進みます

広域農道の会津パールラインに出る手前右側に神明神社が有ります

広域農道の南側に集会所が有ります、車を置かせていただきました


参道入り口です、消防屯所の北側に東向きの参道が有ります

木の立派な鳥居が有ります

細い参道石段は綺麗に落ち葉が払われています

神明神社の社殿です、左手に大杉が在ります

社殿の直ぐ脇に立っています

社殿後ろ側(西)から見上げました、目通り幹周り5mの巨木です


北側には境内社が並びます

境内には、説明版等は有りませんでした

では、次へ行きましょう
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新潟県五泉市、上郷屋諏訪神社のオハツキイチョウ(国内最太オハツキイチョウ)です!!

2017-08-03 07:43:24 | 巨樹・大木
論瀬地区は、五泉市役所の東約4kmのところ

県道41号線をを東へ進みます

早出川を渡り、間もなく南へ入ると諏訪神社の西側に出ました

神社の脇に車を止めさせて頂きました

南側から鳥居です

社殿です

上郷屋のオハツキイチョウの標柱です

おはつき会が保護をしているようです

説明版です
  新潟県指定天然記念物 
 上郷屋のオハツキイチョウ
     樹 種  イチョウ-オハツキイチョウ-イチョウ科
     所在地  五泉市論瀬3900番地
     指定年月日  2007(平成19)年3月23日
    上郷屋集落のほぼ中央にある諏訪神社のオハツキイチョウは、目通周り7,5m、樹高20m
   枝張りは南北18m、東西19m、樹齢は定かではありませんが、600年とも800年以上と
   もいわれ、樹勢はなお盛んな巨木です。
    オハツキイチョウは、普通のイチョウとちがい実を葉の縁辺中央部につけるということからそ
   の名がついています。
    イチョウは、2億年前に出現し中生代(2億2千万年~7千万年前)にソテツ類、シダ類とと
   もに栄た植物です。
    雌雄異株で、植物進化の上で原型的特徴を多く持っています。遺伝形質を持っているので、こ
   のように実をつけるのは、奇形現象であろといわれています。
    オハツキイチョウは、種子のできる裸子植物ですが、葉の上に胞子をつくる羊歯植物(シダ類
   )に似てるところから、植物系の進化を知る上で、学術上重要なものです。
    このイチョウは、枝も比較的高く、葉も繁っているので下から肉眼でみつけるのはなかなか難
   しく、地面に落ちた葉の中から探して確認するとよいでしょう。
    なお、目通周り7,5mという幹の大きさは、天然記念物として登録されている、国8件、都
   道府県や市町村の指定32件のオハツキイチョウの中で、最も幹が大きい木です。
       2007(平成19)年3月    五泉市教育委員会


北東側から見ました

南西側から

東側から見ました

では、次へ行きましょう












(2017年7月22日取材)
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群馬県渋川市、小室敷石住居跡です!!

2017-08-02 08:20:52 | 遺跡・史跡
滝沢石器時代遺跡の国道353号を挟んで南側にあります

国道から南に入って消防署を過ぎて道なりに進みます

三叉路に案内版が立っていますので右へ入ると間もなく

左側に遺跡の覆い屋が有ります




道路脇に遺跡の東屋が有ります

小室敷石住居跡の石碑です

説明版です
    群馬県指定史跡
      小室敷石住居跡
        昭和42年11月24日指定 
      この住居跡は、縄文時代中期末葉~後期初頭(約4000年前)の敷石住居跡
     である。地面を浅く掘りくぼめ床面に平らな石を敷きつめてある。敷石は柱穴に
     沿ってほぼ六角形に敷かれており、中央に石組の炉が配置されている。さらい南
     側出入口部分にも石敷きがなされており、その基部には埋甕がある。住居部分は
     東西経3m、南北経3,35mで、出入口部分は幅0,7m、長さ1・・・mを
     測る。
      昭和42年に発掘調査が行なわれ、当時としては他に例をみないものであり、
     また保存状態も良好であったので、縄文時代の文化・集落研究に貴重な資料とな
     っている。
        平成3年2月20日      群馬県教育委員会・北橘村教育委員会



中を覗いてみました敷石を見る事が出来ます

案内板です
    群馬県指定史跡
      小室敷石住居跡
      1、指定年月日  昭和42年11月24日指定
      2、説明  この遺跡は昭和42年3月群馬大学教育学部尾崎喜佐雄教授によっ
             て発掘調査されたもので他に例のない遺構をもち今後の縄文式文
             化時代の住居跡集落の研究に重要な資料となるものである。
      3、注意  住居の部分に立ち入ってはならない、指定地域及び保存施設をき損
             してはならない。
        昭和42年11月24日
                     群馬県教育委員会・北橘村教育委員会

では、次へ行きましょう



(ここまで2017年7月19日取材)    
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