ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

神奈川県小田原市、早川「早川のビランジュ(バクチノキ)」(国指定)です!!

2021-01-16 06:37:30 | 巨樹・大木
 早川地区は、小田原市役所の南南西約4kmのところ

 国道1号線の南に箱根ターンパイク(有料道路)入口信号が有ります

 入口の南側の水路沿い道路を西へ進むと案内板が有ります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

水路沿いからターンパイクを見上げました

入口です

案内板に従って石段を登って来ました

有料道路の下を潜ると樹冠が見えました、もうすぐです

かながわの名木100選です

説明版です
  国指定天然記念物
   早川のビランジュ
 ビランジュは、温暖帯南部の植物で、小田原から東北部には、ほとんど見られず、植物の分布上その東北限にある巨木から、学術上貴重なものとして、国指定の天然記念物になっています。
 この木の樹皮は、灰褐色で、うろこ状になって自然にはがれ、そのあと幹の肌は紅黄色となって独特の色彩になります。
 この樹皮のはがれる様子から、別名「ハダカノキ」とか「バクチノキ」といわれています。
 この生育地の字名は「飛乱地」といい、この木にちなんだ呼び名がつくなど由緒深い樹木です。
1、目通り幹囲 5.2m
1、株元周囲 約6.0m
1、樹高  約25.0m
1、枝張り状況 東西20.0m、南北15.0m
  小田原市教育委員会


幹を見上げました、説明版の通り赤見をおびた木肌が印象的です

北東側から


東側から見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県小田原市、飯泉「飯泉八幡神社のカヤ」(県指定)です!!

2021-01-15 06:27:52 | 巨樹・大木
 飯泉地区は、小田原市役所の北東約3kmのところ

 酒匂川左岸に飯泉八幡神社が鎮座します、国道255号線の飯泉橋で酒匂川を渡って直ぐを北側の土手道へ、道なりに進むと県道711号交差点ですぐ隣にある勝福寺(飯泉観音)の前に出ます

 勝福寺の道路南側の駐車場に車を止めさせて頂きました

境内南側入口です

境内参道から拝殿です、大木が並んでいます

参道右手のムクノキです

拝殿前参道左に目的のカヤの巨木です

カヤの案内板です
カヤ (榧) イチイ科
分布 本州(宮城県以西)・四国・九州
用途 庭木・材は桶・碁盤・種子は食用、大木になり幹周4~5mにもなる。長命で500年以上の木も多い。
幹周 昭和46年3.36m 昭和56年3.50m 平成3年3.80m

*現在は5.6mになっているようですね

拝殿前から見ました


西側から

水盤です

神社の説明版です
  八幡神社
鎮座地 小田原市飯泉1164
主祭神 誉田別尊 
祭礼日 10月第一日曜日
境内末社 稲荷社・天神社・神明社
 古来、飯泉は、鎌倉街道・大山街道・足柄山道・箱根山道等々が交差し、殊に毬川(現在の酒匂川)の渡し場、隣接の坂東観音5番札所の宿場と共に交通の要衝であったが、同時に洪水・地震・噴火に悩まされた住民は相謀り、永年の願望だった茲飯泉村に鎮守神を奉斎すべく、時の宗我橎磨介広之(宗我都比古神社々主)に請願し、鎌倉八幡宮のご分霊を奉選したのである。
 其の後逐次近郊の末社を整理集合して、郷社として天下泰平・五穀豊穣・安産・永世平和の守護神として崇尊され祀られてきた。


本殿覆い屋です

境内樹叢の説明版です(勝福寺境内側に有ります)
神奈川県指定天然記念物
 勝福寺と八幡神社境内の樹叢
昭和47年7月21日指定
 小田原中央部の低地を流れる酒匂川左岸の約200mのところに飯泉山勝福寺があり、飯泉地区の鎮守である八幡神社がある。寺院と神社との間には境界はなく、同一境内にあるような現況で、神仏習合時代の面影を今に残している。
 境内には、ケヤキ・ムクノキ・イチョウ・エノキなどの落葉高木を主に、クスノキ・カヤ・イヌマキなどの常緑高木が生育し、お寺の森とお宮の森が一体となってみごとな樹叢ができている。
 「勝福寺の大イチョウ」(昭和32年天然記念物指定)を含むこの樹叢を保護するため、天然記念物として指定した。
  神奈川県教育委員会



境内西端のケヤキの大木です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県小田原市、飯泉「勝福寺の大イチョウ」(県指定)です!!

2021-01-14 06:17:05 | 巨樹・大木
 飯泉地区は、小田原市役所の北東約3kmのところ

 酒匂川左岸に飯泉八幡神社が鎮座します、国道255号線の飯泉橋で酒匂川を渡って直ぐを北側の土手道へ、道なりに進むと県道711号交差点で勝福寺(飯泉観音)の前に出ます
 勝福寺の道路南側の駐車場に車を止めさせて頂きました


仁王門です

本堂です


参道左手に目的のイチョウです(仁王門西側から)

南側から

県指定天然記念物標柱です

かながわの名木100選です
神奈川県 かながわの名木100選 昭和59年12月選定
   勝福寺の大イチョウ
和名:イチョウ(イチョウ科)
 雄株で樹形の整った堂々たる巨木である。かつて乳イチョウと呼んで乳の出ない婦人が願をかけたと言われている。
 県の天然記念物に指定されている。
樹高30m、胸高周囲7.5m、樹齢約700年(推定)
 イチョウは、中国原産の落葉高木で、その仲間は古生代から中生代にかけて栄え、日本にも化石が産出する。1科1属1種の雌雄異株の裸子植物である。
 樹高45m、胸高周囲14m、樹齢約2000年に達するものもあると言われている。

*ちなみにイチョウで日本一の幹の太さは、青森県深浦町の「北金が沢のイチョウ」で幹囲20mだそうです、勝福寺のイチョウは200位前後となるようです。


歌碑?です

境内樹叢の説明版です
神奈川県指定天然記念物
 勝福寺と八幡神社境内の樹叢
昭和47年7月21日指定
 小田原中央部の低地を流れる酒匂川左岸の約200mのところに飯泉山勝福寺があり、飯泉地区の鎮守である八幡神社がある。寺院と神社との間には境界はなく、同一境内にあるような現況で、神仏習合時代の面影を今に残している。
 境内には、ケヤキ・ムクノキ・イチョウ・エノキなどの落葉高木を主に、クスノキ・カヤ・イヌマキなどの常緑高木が生育し、お寺の森とお宮の森が一体となってみごとな樹叢ができている。
 「勝福寺の大イチョウ」(昭和32年天然記念物指定)を含むこの樹叢を保護するため、天然記念物として指定した。
  神奈川県教育委員会

南東側から

src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/75/e7a4aae3c17ee55d6f87fd6fbdb21753.jpg" border="0">
南西側から

西側から

北側から

では、次は西隣の八幡神社へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県小田原市、飯泉「勝福寺(飯泉観音)」(県指定等)です!!

2021-01-13 06:37:29 | 文化財・寺社
 飯泉地区は、小田原市役所の北東約3kmのところ

 酒匂川左岸に飯泉八幡神社が鎮座します、国道255号線の飯泉橋で酒匂川を渡って直ぐを北側の土手道へ、道なりに進むと県道711号交差点です勝福寺(飯泉観音)の前に出ます
 勝福寺の道路南側の駐車場に車を止めさせて頂きました


仁王門です

坂東 五番 飯泉山 勝福寺です

仁王門説明版です
小田原市指定重要文化財 (昭和63年11月1日指定)
  勝福寺の仁王門
(所在地)小田原市飯泉1161
 飯泉山 勝福寺は、真言宗東寺派に属し、通称飯泉観音と呼ばれ、坂東三十三観音の第五番札所として有名です。本堂や本尊の十一面観音は、県の重要文化財に指定されつなど、由緒ある寺院です。
 仁王門は、「飯泉誌」によると宝暦8年(1758)に造営されたもので、全体に木割が太く、二重虹梁蟇股式の妻架構が堂々とした外観を構成しています。また、八脚門としては県下でも最大級で、格調の高い門です。
 この仁王門も老朽化のため、昭和43年から38年までにかけ解体修理され、屋根も茅葺から銅板葺に改変されましたが、それ以外は貫などに新材で補修した箇所があるものの、原型をよく留めています。
   小田原市教育委員会


仁王門を潜ると正面に本堂(観音堂)です

説明版です
   飯泉山勝福寺(通称 飯泉観音)
 飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。創立は、奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、孝謙天皇より賜った唐国伝来の観音像を安置したのに始まると伝えられる(千葉山弓削寺)。
 後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。坂東33観音第5番札所としても有名で、国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている。
 棟札によれば、現在の本堂は宝永3年(1706)に再建されたもので、江戸初期頃の古式をとどめた地方色豊かな建物である。
 本寺にまつわる伝承として、曽我兄弟が仇討祈願のため日参し、五郎が百人力、十郎が十人力を授かり、富士の裾野で仇討に成功したことや、講談で有名な雷電為衛門が、田舎相撲の大岩大五郎を倒したことがある。また、二宮尊徳が少年時代の頃、旅僧から観音経を聞き、一念発起した地であるといわれている。
 飯泉観音の縁日は、1月18日が初観音、8月9日・10日が四万八千日、12月17日・18日がだるま市、いずれも市が立ち、多くの人で賑わう。
  勝福寺に係る指定文化財等
本堂・神奈川県指定重要文化財(昭和32年)十一面観音立像・神奈川県指定重要文化財(昭和32年)銅鐘・小田原市指定重要文化財(昭和39年)青銅水鉢・小田原市指定重要文化財(昭和39年)仁王門・小田原市指定重要文化財(昭和63年)大イチョウ・神奈川県指定天然記念物(昭和32年)大イチョウ・かながわの名木100選(昭和59年)樹叢・神奈川県指定天然記念物(昭和32年)だるま市・かながわのまつり50選(昭和57年)小田原50選(平成2年)

仁王門西側には弘法大師様です

参道右手に手水舎です

青銅の水鉢は小田原市指定重要文化財です

説明版です


右手奥に鐘楼です

銅鐘は小田原市指定重要文化財です

二宮尊徳像です

境内の土俵です

では、次は境内の大イチョウです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県南足柄市、三竹「御嶽神社の鳥居杉とスダジイ」(県・市指定)です!!

2021-01-12 06:48:43 | 巨樹・大木
 三竹地区は、南足柄市役所の南約4kmのところ

 地区の南西端山の中に御嶽神社が鎮座します

 県道74号線のかながわ西湘農協岩原支店のところを西へ進みます

 南部地区青少年広場前を過ぎて信号を更に西へ案内板に従って進み南に向きをかえて進むと御嶽神社参道鳥居前に出ました

 鳥居脇の広場に車を止めさせて頂きました

参道入口に目的の鳥居杉です


鳥居と参道石段から少し右にずれています

市指定文化財 鳥居杉の標柱です

説明版です
   鳥居杉
 この杉は、鳥居杉と呼ばれ、古くから地域の人々に親しまれ、崇められてきた。
 杉は長寿で大木になるので、昔から神社・仏閣に多く植えられていた。一説によれば、高くそびえて人間の目印になるような大樹は、神にとっても目印になるといわれている。
 また、私たち日本人にとって、古木は単なる木材ではなく「長年生き続ける精霊」として古代から大切にしてきた。
 ヤマトタケルを祭神とするこの神社の杉も同様である。江戸時代に書かれた「新編相模国風土記稿」には「・・・社地に古木八十株あり。松・杉・檜・椎等なり。囲三尺より一条四尺許に至・・・・杉二株、鳥居杉と称する。囲一丈三尺余・・・」とある。当時から人々に親しまれると共に神聖な木として崇められていたことがわかる。また、名の示すとおり、鳥居の形で空にむかって伸びており、遠くからその姿を眺めることができる。樹高は約50mもあり、県内第一である。
 昭和59年には「神奈川の名木百選」に選ばれ、高さといい、樹形の優雅さといいあがふるさと南足柄の誇る文化財である。
 何百年もの間、世の移り変わりを見つめてきたこの杉と静かに対話したいものである。
樹高    約50m
根回り周囲 約17m 
胸高周囲  約7・3m及び7・5m
樹齢 推定500年~700年
   南足柄市教育委員会

かながわの名木百選です

手水鉢です

お手洗です 

由来説明版です

御嶽神社社叢林は県指定文化財です

説明版です

では、石段を登って参拝しましょう

石段中段から見ました

石段上段から鳥居杉を見ました

狛犬です

石段を上がると直ぐに拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿の西側、作業道路脇に目的のスダジイの巨木です、社叢の一つとして県指定となっています

境内南端から見あげました

表示版です「南足柄の古木・名木・ゆかりの木 スダジイ ブナ科」とあります

作用道路から

少し下側から見上げました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県南足柄市、塚原「長泉院のセンペルセコイアの大木」(市指定)です!!

2021-01-11 06:32:47 | 巨樹・大木
 塚原地区は、南足柄市役所の南東約3kmのところに伊豆箱根鉄道大雄山線つかはら駅が有ります

 長泉院は、つかはら駅から西へ約4kmの山の中です

 県道74号線の塚原駅前信号を西へ、狩川の支流に沿って登って行きます

 満蔵院の先で川を渡って道なりに進むとやがて長泉院の参道標柱が有ります

 そのまま進むと、山門前の駐車場に入ります



まだ距離が有りますが参道入口の標柱が立っています

参道入口です、周辺は別荘地の様になっています

玉宝山 長泉院です

長い参道を進むと屋根の掛かった橋があります

長い杉並木の先に山門が見えて来ます

山門です

六地蔵様です

御堂が有ります

山門脇の駐車場の車を止めさせて頂きました


本堂へ行きましょう

本堂です

本堂前境内の左手に、目的のセンペルセコイアです

南東側から

南側から

天然記念物標柱です、「市指定文化財 センペルセコイアの大木」

説明版です
  センペルセコイアの大木(長泉院)
 セコイアメスギとも呼ばれ、スギ科の常緑高木せある。自生地はアメリカのオレゴン州からカリフォルニア州の太平洋に面した標高700mから1000mの山地で、巨木地帯をつくっている。湿気の多い暖地を好み、成長が早く、大きなものでは樹高110m、幹の直径25m以上にもなり、世界一高くなる裸子植物として知られる。
 日本には明治中期以降に入ってきたものが多く、当院のものもこの時期で、22代住職大森慧範師が中国天童山参拝記念として植樹したと言われる。あまりに早く成長するので、昭和30年に樹冠を止めている。この種の大木は、本市内では珍しい。生きた化石といわれるメタセコイアとは別種である。
 樹高 37m、胸高周囲 3.6m、樹齢100年
 昭和63年12月
   南足柄市教育委員会

*ちなみに説明版から40年過ぎて、胸高周囲は5.4mに成長しているそうです


本堂脇から

境内北側から見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県山北町、岸「八幡神社のくすのき」(町指定)です!!

2021-01-10 06:34:00 | 巨樹・大木
 岸地区は、山北町役場の南南東約2kmのところ

 県道74号小田原山北線の西側に参道を南向きに八幡神社が鎮座します

 南側参道の入り口にクスノキの巨木が在ります

 県道から車で境内に上がって駐車出来ました


南から近付きました、県道沿いに目的のクスノキが在ります

南東側から

東側から

説明版です
山北町指定天然記念物
  八幡神社のくすのき
   昭和59年2月1日指定
 くすのき(樟・楠)は、クスノキ科の常緑高木、関東以西の暖地に産し、5月頃白色の小花をつける。
 材は堅く、独特な薫りがあり、樟脳や樟脳油がとれ、建築材や船材としても使われる。
 八幡神社のくすのきは樹高約20m、根廻り7.2m、樹齢300年(推定)である。
 その姿は根本から約6mのところで大きく二つの幹に分かれ、しかも斜めに張り出した巨木でその葉は幹がかくれる程茂っていて樹勢は旺盛である。
 又、根元の小枝は関東大震災(大正12年9月1日)によって根本がさけて、その先端から生じたもので学術的にも貴重な現象である。郷土の貴重な天然記念物として、指定し、保護するものである。
  昭和63年6月
    山北町教育委員会

南西側から見ました

北側からクスノキを見上げました

では八幡神社にお参りしましょう

水盤です

参道石段上境内からクスノキを見ました


威厳のある立派な狛犬です

拝殿です

本殿覆い屋です

神社の由緒沿革です
   縁起由緒
 「新編相模国風土記稿」(1841年)によれば、八幡宮は「村の鎮守、本地仏、三尊弥陀を安ず。3年に一度、祭祀を行う。祭日は8月15日。往古は城山に在した、後年この地、、日月宮の社地に遷せりなり」と云う。
 加えて「般若院智積寺」の所有する貞享2年(1685年)当代11代傳栄和尚の筆による縁起より抜粋すれば「河村岸の鎮守正八幡大菩薩は、往古、河村、城山の城主河村秀高公が城内に建立せられ、建立の年代は不詳なれども、秀高公開基菩提寺般若院智積寺の建立が高倉天皇(1161~1181年)の御宇承安2年(1172年)なる・、同年代を遠く離るるに非ず。その後、、正平8年4月1日(1353年)、河村城落城するや、岸湯坂梵天山山下に遷し、更にその後、現在地字岸西谷戸、日月宮の社地に遷し奉り、村の鎮守の宮として村人の崇敬する所となれり」とある。
 祭事 
元旦祭  1月 1日
祈念祭  2月第一日曜日
例大祭  4月第一日曜日
臨時祭  7月第二日曜日
新嘗祭 11月第三日曜日
天長祭  天皇誕生日
大祓祭 12月第三日曜日

大正10年の社殿改築記念碑です

境内西端の建物です、山車の倉庫でしょうか


本殿西側の建物は宝物小庫でしょうか

本殿東側の祠です

県道への降り口の水盤です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県秦野市、南鶴巻「鶴巻の大ケヤキ」(県指定)です!!

2021-01-09 07:44:00 | 巨樹・大木
 南鶴巻は、秦野市役所の東約4kmのところ
 
 国道246号線桜坂信号を南へ県道612号線を進みます

 小田急小田原線を越えて間もなく延命地蔵尊前信号を左へ(県道612号線です)曲がると

 つるまき幼稚園入口に「鶴巻の大ケヤキ」が在ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

西側から

南西側から

南側から見上げました

説明版です
 神奈川県指定天然記念物
鶴巻の大ケヤキ
  昭和28年12月22日指定
 このケヤキは昔から落幡のエノキとして、村人たちが保護して育ててきたものであるが、実はケヤキである。
 根回り11.25m、目通り10m、樹高30mに及ぶ大木である。
 ケヤキはニレ科の温帯性高木で、ヤブツバキクラス域シラカシ群集ケヤキ亜群集に位置付けられている。
 県下では、沖積地や台地斜面などに自生しているため昔から親しまれてきた木である。屋敷内に植栽されることも多く、しばしばケヤキの見事な屋敷林も見かける。このあたりではケヤキ林が自然植生で栄ていた。
 大ケヤキは落幡の神木として村人たちが豊作と生活の平安を祈った名木である。郷土を代表する木として永く保存する必要があり県指定天然記念物に指定したものである。
 秦野市教育委員会

かながわ名木百選の標柱です
神奈川県
  県指定天然記念物
   昭和28年12月22日指定
 鶴巻の大欅
和名:ケヤキ(ニレ科)
 県下で最も太いケヤキで、「逆さほうき」状のケヤキの典型的な樹径ではなく、むしろエノキに似ているため、昔から大エノキと呼ばれ親しまれてきた。
 昭和59年には「かながわの名木百選」に選定されている。
樹高30m 胸高周囲10m 樹齢約600年(推定)
 ケヤキは本州から九州に分布する落葉高木で、枝を広げた姿は雄大であり、日陰木として公園、街路に植えられる。
 樹高50m、胸高周囲15m、樹齢約1900年に達するものもあると言われている。

北側の石碑です

南東側から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県海老名市、本郷「有馬のハルニレ」(県指定)です!!

2021-01-08 06:46:36 | 巨樹・大木
 本郷地区は、海老名市役所の南南東約4kmのところ

 「有馬のハルニレ」は、本郷地区の北東端にあたります

 県道406号吉岡海老名線で南へ進むと県道43号線に出る少し手前のところ

 公園の東端に県道406号線に面して立っています

 公園の北側の通りに車を止めさせて頂きました

東側道路から見ました、幹の上の方から根元までトタンで穴を塞いでいるのがわかります

天然記念物標柱がと「カルタ:な」の文面が立っています
「なんじゃもんじゃ そびえる 驢庵屋敷跡」

神奈川県 県指定天然記念物
 昭和29年7月27日指定
   有馬のハルニレ
和名:ハルニレ(ニレ科)
 このハルニレは、徳川幕府の御典医であった半井驢庵が、寛永年間にこの地に構えた屋敷内にあったと伝えられています。
 樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃ」と呼ばれ、親しまれてきました。
 昭和59年12月には「かながわの名木百選」に選定されている。
樹高15m 胸高周囲8.6m 樹齢350年以上(推定)
 ハルニレは北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉高木である。
 樹高45m、胸高周囲8m、樹齢約600年に達するものもあると言われている。

*ハルニレとしては、岩手県奥州市の「コブニレ」(市指定)が目通り幹囲9.2mで日本一の規模になるようです、有馬のハルニレは二位のようです。



南側から、頑丈な支柱に支えられています

南東側から、こちらにも幹に穴があいているようです

東側公園内から

北側から

「名木なんじゃもんじゃの」石碑です

「驢庵半井瑞壽館址之碑」です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県海老名市、中野「中野八幡宮のイチョウ」です!!

2021-01-07 06:52:35 | 巨樹・大木
 中野地区は、蛯名市役所の南南西約4kmのところ

 県道46号線を南へ社家小学校の先の社家小学校南側信号を西へ、

 JR相模線の踏切りを越えて相模川左岸の堤防が見えて其の上を圏央道が通ります、道路を南に入った所に中野八幡宮が南向きに鎮座します、境内南側道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

村社 八幡宮です

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿前参道左に目的のイチョウが在ります

東側から

俳句の標柱の様です

説明版です
  御神木(大銀杏)
 この大銀杏は、古文書や伝承が多く伝えられている。
 樹木医によると、樹齢は800年を超えていると診断され古文書の記述が証明している。
 万治2年(1659年)に編纂された「鷹倉社寺孝」には次のように記載されている。
【八幡宮の鎮座時期は、古文書や棟札がないので本当の事はわからない。但し、社殿や神木をよく調べてみると古い時代の鎮座と思われる。】
 享保10年(1725年)現在の御本殿造営古文書「鎮守八幡宮献物之札」には、【正徳6年(1716年)この中野村の鎮守様の八幡宮は、長い間の歳月がたたって痛みがひどく寂れてしまた。】中村で再建の話しがでていた矢先、次の年の8月16日に大風が吹き御神木の銀杏が本殿の方に倒れ本殿が大破してしまった。
 これにより、村人の本殿再建の意思は強く固まり、七カ月の計画をたてその努力により金59両余りの寄付金が集まった。
 天保12年(1841年)に編纂された「新編相模風土記稿」によると「神木銀杏樹周囲1条5尺(6m)」と記されている。当寺には、すでにかなりの巨木であったことを知ることができる。
 大正8年(1919年)11月に撮影された境内の写真に大銀杏の健全な姿が写されてている。
 雄木で実は付けないが、幹から乳(にゅう)が下がり特異な姿であった。
 昭和40年(1965年)台風により、根が浮き上がり倒れ拝殿の屋根を破損し、主幹が枯れてしまった。現在の技術があれば、枯れることはなかったと考えられ惜しまれる。折れた枝でまな板を作り氏子に配られた。その後、南側の幹から芽が出て復活し、御神木の生命力の強さが証明された。以前は、境内を蓋うほど枝葉が繁り遠くからも見えたと伝えられている。
 平成6年(1994年)樹勢が衰え樹木医に診断を受け治療が施され、枯れてしまった部分には保存の手当てが行なわれ。その結果、幹の一部が樹勢を回復した。現在では、枯れた部分を含め8.50m程である。
 大銀杏は樹齢1100年を超えると診断され、近代では希な大銀杏として手当てが施された。また、この大銀杏は平岩弓枝の小説「華やかな魔獣」に登場し「岩とも木ともつかぬ奇怪な塊」という表現が用いられている。
 この度、平成の御造営を機会に800年以上に亘り時を刻み、八幡宮や地域の変遷・発展を見守り中野の象徴・誇りとして尊重され親しまれてきたことが改めて見直された。
 平成17年6月 八幡宮総代
 


拝殿前から見ました

社殿右手のケヤキです
.
保存樹木です

神楽殿の様です

境内社です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川家横浜市都筑区、池辺「長王寺の大イチョウ」(市指定)です!!

2021-01-06 06:32:53 | 巨樹・大木
池辺地区は、都筑区役所の南約2kmのところ

県道12号線の北側に都田小学校と都田中学校が有ります

二つの学校の間に長王寺があり、南側から細い道路を入って境内の駐車場に入る事が出来ました




参道入口です、本堂前左に目的のイチョウです

高野山真言宗 長王寺です

境内南東隅から

参道右手に六地蔵様です

弘法大師様です

手水舎です

南東側参道から見上げました

天然記念物標柱です

かながわの名木百選です

説明版です
  横浜市指定天然記念物
 長王寺の大イチョウ
   平成5年11月1日指定
   所有者(宗法)長王寺
 本イチョウは、樹高25m、胸高周囲5.6mを測り、推定樹齢は約700年とされている大木で、地上から7~10m付近で枝分れし、四方に張り出した枝の一部が枝垂れ状の形をし、その気根が丸く乳柱状に垂れ下がっていることから、地域では「乳出しイチョウ」と呼称され親しまれています。
 このようなイチョウの老大木は、市内はもとより各地に残されていますが、長王寺の大イチョウは、広域的に見ても、樹高、樹冠、生育状況、地域の人々の親しみ度からいって、最も貴重な存在といえます。
  平成6年3月  横浜市教育委員会
*すっかり枝を短くされてしまっています、枝の垂れは見る事が出来なくなってしまっていますね~

本堂です

南西側から見ました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都稲城市、坂浜「高勝寺のカヤ」(都指定)です!!

2021-01-05 06:54:27 | 巨樹・大木
坂浜地区は、稲城市役所の南西約1kmのところ

都道19号鶴川街道の駒沢学園入口信号を南に入って京王相模線の高架を潜って直ぐを西へ入ります

高勝寺坂道りを登って行くと右に高勝寺が有ります、山門の先に駐車場の入口が有りますので利用させていただきました

山門です

真言宗 豊山派 高勝寺です

山門を潜ると正面に本堂です

西側には鐘楼です

本堂西側のヤマザクラの大木です

南南西側から目的のカヤを見ました

南側から

南東側から

説明版です
  東京都指定天然記念物
 高勝寺のカヤ 
所在地 稲城市坂浜551
指定 昭和36年1月31日
 高勝寺は、その建立が14世紀にまで遡る稲城の古刹です。その高勝寺本堂の裏側にあるこのカヤは、イチイ科に属する常緑高木で、高さ24m、幹周り6.5mあり、都内に残るカヤでは高さが「九品仏のカヤ」(都指定天然記念物、世田谷区)に次ぎ、雌株としては最大級です。
 かつて京王線を敷設する際、北側に広がっていた樹林を伐開したため、一帯の丘陵地の上に一際高くそびえた形になりました。
 落雷などのため、主幹は無く、地上8mほどのところで、5本の支幹の分かれ、四方に枝を伸ばしています。
 平成10年に保存工事を施し、遮光設備と散水設備により、大切にほごされています。
   平成23年3月 建設
    東京都教育委員会

大カヤの東側にもカヤの大木が在ります

南西側から見ました

では、次へ行きましょう   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都小平市、小川町「竹内家の大ケヤキ」(市指定)です!!

2021-01-04 06:36:01 | 巨樹・大木
小川町は、小平市役所の西約2kmのところ

都道5号線の小平上宿信号から南に入った所に竹内家が有ります

昔ながらの農家の様です、南北に広い敷地の中ほどに市指定天然記念物にケヤキの巨木が在ります

南側の道路脇に車を止めさせて頂きました



南側の畑地から見ました

南側から見上げました

武内家東側道路から少し奥にケヤキの巨木です、南東側から見上げました

東側から見ました

説明版です
 竹内家の大ケヤキ
小平市小川町1丁目583番地
   小平市天然記念物第1号 昭和62年3月31日指定
 ケヤキは、小平を代表する樹木であり、小平市は昭和43年10月1日に、市の木として「ケヤキ」を選定しました。
 「竹内家の大ケヤキ」として親しまれているこのケヤキは、竹内家がこの地に移り住んだ寛文年間(1661~1673)に、春の赤風と秋の台風に備えて植樹した数多くの樹木の中の一本で、樹齢は300年以上になります。
 高さ35m以上、目通り(地上1.2m)の幹の周囲6.5m、枝張りの面積が400㎡もある市内最大の巨木で、素情よくまっすぐにこの高さにまで伸びているケヤキは他に見られないと言われています。
 

北東側から



他にも屋敷周りにケヤキの大木が複数あります、北側のケヤキです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都小平市、鈴木町「鈴木稲荷神社の夫婦ケヤキとカヤ」(市指定)です!!

2021-01-03 06:56:00 | 巨樹・大木
鈴木町は、小平市役所の東南東約2kmのところ

都道248号線と都道132号線の交差点を西へ入った南側に

参道を東向きに鈴木稲荷神社が鎮座します

北側の出入り口に車を止めさせて頂きました

参道入口の夫婦ケヤキです

鈴木稲荷神社です

左側(南)ケヤキです

太い方の右側(北)のケヤキです

文化財標柱です「鈴木稲荷神社のケヤキ」です

参道鳥居です

説明版です
  鈴木稲荷神社
 鈴木稲荷神社は、享保9年(1724年)9月22日武州多摩郡貫井村(現小金井市)の村社を勧請し、鈴木町・花小金南町・御幸町の産土神(うぶすな神)とし、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おうみなもちのみこと)・大宮姫命・大田命・保食命(うけもちのみこと)がまつられ、境内には金刀比羅社・天神社・榛名社・須賀社・白狐社・大六天社がおまつりしてある。
 尚、黒松の大木は「松食い虫」におかされ、伐採致しましたので、改めて「社殿鎮座の記念樹」と言われる榧(かや)の木=推定樹齢300年=が御神木に指定されました。(平成19年9月)・・・




鳥居の境内側から

銀杏並木の中ほどにはクロマツの木(保存樹木)です

神門です

手水舎です

拝殿です

本殿は珍しい土蔵の中の様です

境内南端にカヤの大木です

北東側から見上げました

拝殿脇(北西)から

カヤの説明版ですがピントが合っていません
 御神木 榧の木 樹齢推定300年 樹高約31m 幹回り3.9m

 

稲荷神社の説明版です
  稲荷神社(下鈴木)小平市鈴木町1丁目510番
 鈴木新田は、武蔵国多摩郡貫井村(現小金井市)の名主鈴木利左衛門の発願によって開発された新田です。この新田は、玉川上水南沿いの上鈴木、中野新田善左衛門組と玉川上水にはさまれた下鈴木、および玉川上水北沿いの堀端鈴木からなっている。
 享保9年(1724)5月に幕府から開発許可が得られると、開発宰領人の利左衛門は土地を寄進して、本村の貫井村に鎮座していた稲荷神社を新田の鎮守として勧請し、同年9月22日に遷祠奉斎しました。
 祭神 稲倉魂命 
小平市教育委員会 小平郷土研究会

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県朝霞市、根岸台「高橋家住宅」(国重要文化財)です!!

2021-01-02 06:51:04 | 文化財・寺社
根岸台地区は、朝霞市役所の東約2kmのところ

武蔵野台地が荒川の低地に落ち込む境に国の重要文化財に指定された旧高橋家住宅が在ります

朝霞市役所前から東武東上線あさか駅の北側、公園通りのアンダーパスを抜けて一夜塚古墳の手前の信号を右へ


間も無く左手に朝霞市根岸台市民センターが有ります、すぐ東側に高橋家住宅です

駐車場が有ります(4台内2台分が身障者用です、塞がっているときには市民センター駐車場が利用できるようです)

利用案内です

文化財案内板です

裏面に概要が有ります
 旧高橋家住宅は、18世紀前半の建築と推定される農家建築です。創建時の部材が数多く残っており、閉鎖的な構造で、押板があるなど、古風な建築の特徴が見られます。周囲には附属屋や畑・雑木林などが展開し、武蔵野台地の農家の構成をよく伝えています。

井戸が有ります、武蔵野台地の縁にある旧高橋家住宅では、この位置に水脈が有ったようです

説明版です
 


旧高橋家住宅母屋です

母屋の東側から北面です

母屋の西面です


東側から見ました、市指定の天然記念物のユズが二本在るようですが確認できませんでした、母屋西側の木とこの木がそのユズなのかもしれません


説明版です



東側の納屋です


説明版です



納屋の北側には木小屋です

木小屋の説明版です


祠です、幣束などの祭祀関連の物は入っていません

水神様の説明版です


母屋前の室です

母屋西側には倉です

蔵の説明版です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする