ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県横手市、大森町上溝「岩清水の杉」(市指定)です!!

2022-08-26 18:26:00 | 巨樹・大木
 大森町上溝岩清水地区は、横手市役所の西北西約14kmのところ

 国道13号線の上貢山信号を西へ、県道29号横手大森大内線です

 道成りに西へ進みます、雄物川を大上橋で左岸に渡ると大森町です

 大森地域局(旧大森町役場)前を過ぎて、約2kmで鋭角に右(北東)への道路に入ると上野地区です

 地区の北側の道路脇に目的のスギが在るはずですが通り過ぎてしまいました

 大納川の橋の上から振り返ると・・・ 


 大納川にかかる橋の上から石清水集落北端にスギの樹冠が見えました


 目的のスギです
 
 右(西)に入って道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から


 南側から、目通り幹囲5.0mの巨木です


 文化財標柱です

 南西側から

 西側から

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、雄物川町薄井「館合小学校跡のケヤキ」です!!

2022-08-26 13:06:00 | 巨樹・大木
 雄物川町薄井地区は、横手市役所の西約12kmのところ(旧雄物川町役場の北約4km)

 国道13号線の富士見大通り入口信号から国道107号線赤坂信号を右(北西)へ

 県道48号横手東由利線を西へ向かいます、秋田自動車道の高架を過ぎて

 さらに西へ道成りに約7km進み、県道13号線との交差点を右(北東)へ
 
 県道13号湯沢雄物川大曲線を道成りに1.5km進みます、県道右手に八坂神社が南向きに鎮座します
 
 神社前の信号を右(東)へ約500m左手に広い敷地の館合小学校跡です、

 手前を左に曲がって西側の通りに面して校門跡です、道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側に元小学校の校門跡です

 広い敷地に校舎が残っていますが使われていないようです

 校庭に入って右手に目的のケヤキです

 北東側から

 東側から


 北西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 西側の道路から

 南側にもう一本ケヤキの大木です

 西側から、目通り幹囲約4mの大木です


 南側から


 南南東側から二本を見ました

 南東側から

では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、雄物川町薄井「薄井のイチョウ」です!!

2022-08-26 06:39:53 | 巨樹・大木
 雄物川町薄井地区は、横手市役所の西約12kmのところ(旧雄物川町役場の北約4km)

 国道13号線の富士見大通り入口信号から国道107号線赤坂信号を右(北西)へ

 県道48号横手東由利線を西へ向かいます、秋田自動車道の高架を過ぎて

 さらに西へ道成りに約7km進み、県道13号線との交差点を右(北東)へ
 
 県道13号湯沢雄物川大曲線を道成りに1.5km進みます、県道右手に八坂神社が南向きに鎮座します

 神社参道入口です、道路脇に車を止めさせて頂きました

 神社入口前の信号から北西側の住宅の上に目的のイチョウの樹冠が見えました

 根元まで行けそうです

 東側から

 北東側から

 太い幹です、っ目通り幹囲5.3mの巨木です

 南側から、四五年前に枝を剪定したようですが、新しい枝がすっかり大きく伸びています

 西側から

 北西側から

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、平鹿町下吉田「吉田の楢の木(ミズナラ)」(市指定)です!!

2022-08-25 18:32:39 | 巨樹・大木
 平鹿町下吉田吉田地区は、横手市役所の西南西約7kmのところ(旧平鹿町役場の北約4.5km)

 国道13号線の富士見大通り入口信号から、国道107号線赤坂信号を右(北西)へ

 県道48号横手東由利線を秋田自動車道を潜って道成りに進みます

 県道117号野崎十文字線の手前が吉田集落です、集落東側入口から右への道路を北から西(県道と並行)へ進むと

 県道の一本北側の道路北側の住宅の庭に目的の楢の木です

 南側から、塀越しに見ました

 文化財標柱の頭の部分が見えました、「横手市文化財 楢の」までは見る事が出来ました

 北西側から、葉の付きが良くないようです

 北側から

 標柱の側面ですがやはり頭の部分だけですが、「昭和58」「樹種はミズ」「4.2メ―ト」「木村」と通称」の文字が見えます

*昭和58年(1983)7月1日指定、樹種はミズナラ、幹周4,2m、下吉田村を「楢の木村」と通称したと読み取れますね

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、平鹿町浅舞「浅舞のケヤキ」(県指定)です!!

2022-08-25 12:08:42 | 巨樹・大木
 平鹿町浅舞地区は、横手市役所の南西約9kmのところ(旧平鹿町役場のすぐ西側)

 国道13号線の婦気信号から国道107号線を西へ道成りに進みます

 国道107号せんが南西に向きを変えて、秋田自動車道の高架を潜ると

 右手に秋田県立平成高等学校の前を通り、1.7kmほどで白藤神社前を通り過ぎて

 福田信号を左(南)へ、すぐの交差点を斜め右(南西)へ、突き当りを左(南)へ商店街に中を進み

 酒造会社浅舞酒造のすぐ先を右へ入ると

 正面に目的のケヤキが見えました

 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました


 秋田県指定文化財 浅舞のケヤキ(通称 槻の木)の標柱です

 説明版です
  秋田県指定天然記念物
   浅舞のケヤキ 通称 槻の木
  昭和43年3月19日指定
  所在地 平鹿町浅舞字浅舞219
  所有者 社会福祉法人浅舞感恩講
 指定当時で樹齢500年以上、幹回り8.3m、樹高35m、枝張り30mあったが、現在は枝が伐採されている。
 木の由来については植栽か自然生のものか、又いつ頃のものかはきりしない。
 江戸時代、この木の西側に御役屋が建てられ、明治初期まで平鹿郡の司法、行政に中心であった。
 御役屋の門は浅舞感恩講保育園に移され、今も残っている。
   平鹿町教育委員会

 北側から

 
 西側から

 近づいて西側から見上げました

 南側から

 南東側からようやく樹幹を見渡すことが出来ました

 道路北東側に湧水です


 トミヨの住む泉です
 
 文化財標柱と説明版です
 秋田県指定天然記念物
  トミヨ及びイバラトミヨ生息地
  トゲウオの生息地・琵琶沼
 この琵琶沼には、町の人がハリザッコと呼ぶトゲウオがすんでいます。何万年も前の氷河期から生き残ってきたといわれるトゲウオは、湧き水などの冷たくてきれいな水だけにすむ魚です。
 琵琶沼のトゲウオは、トゲウオ科に属するトミヨとイバラトミヨの二種類です。イバラトミヨは、秋田県の雄物川流域と山形県の最上川流域の一部だけにいます。琵琶沼は、この二種類が一緒に生息している数少ない場所の一つです。
 どちらも体長5~6cmで、背中にトゲがあり、体の横に鱗板とよばれる特別なウロコのようななものが並んでいます。イバラトミヨは、背びれなどの幕が黒く、トミヨは透明です。
 トゲウオの雄は、水草の破片や根を使って、3~4cmの球形の巣をつくります。産卵期は3月~10月頃までと長く、雄は巣に複数の雌を誘い産卵させます。雌が一回に産卵する卵の数は150個前後です。卵が孵化し、巣立つまでは20日ほどかかります。その間、雄は外敵の攻撃を防いだり、巣をなおしたりして巣から離れません。そして、ほとんどは一年半ほどで生涯を終えます。
 日本の多くの場所で、水が汚れたり湧き水が涸れたりして、トゲウオの数はへっています。琵琶沼にこれからもトゲウオがすめるように水をきれいに保つことは、人間にとっても快適な環境を守ることになります。
 みんなで地球の財産であるトゲウオを守りましょう。
  平成27年3月 横手市教育委員会

*トミヨたちの姿は見えませんでした

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、平鹿町中吉田「白藤神社の姥杉」(市指定)です!!

2022-08-25 06:32:11 | 巨樹・大木
 *ここからは、2022年7月20日取材分です

 平鹿町中吉田地区は、横手市役所の南西約7kmのところ(旧平鹿町役場の北東約2km)

 国道13号線の婦気信号から国道107号線を西へ道成りに進みます

 国道107号せんが南西に向きを変えて、秋田自動車道の高架を潜ると

 右手に秋田県立平成高等学校の前を通り、1.7kmほどで白藤神社が南向き参道で鎮座します

 参道入口前に車を止めさせて頂きました


 案内板です

 参道入口です

 村社 白藤神社の社號標です

 石塔が並びます

 参道を進みましょう

 ニノ鳥居です

 水盤です

 社殿です

 境内東端に目的の姥杉です


 南側から

 文化財標柱です、文面hあ・・・
  横手市指定文化財 姥杉 一本
 「雪の出羽路」には・(爺)杉と姥杉について記載がある。
 ・(爺)杉はその後の大風により倒木してしまったが、姥杉は根元に4~5人が円座できるような空洞があり、また、失火によって内部が炭化しているにもかかわらず、命脈を保っている。
*・の字は男に老の文字ですが漢和辞典に載っていませんでした


 太い幹には注連縄がまかれています

 西側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

 北側から、斜めに立っていますのでワイヤーロープで倒れないように引っ張られています

 雨のせいで黒光りしていました

 根元近くの名前が多く彫られた石塔です

 神輿庫です

 では、次へ行きましょう


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秋田県横手市、雄物川町造山「造山に傘杉」(市指定)です!!

2022-08-24 18:32:23 | 巨樹・大木
 雄物川町造山地区は、横手市役所の西南西約14kmのところ(旧雄物川町役場の南約1.5km)

 国道13号線の婦気信号を右(西)へ国道107号線です

 秋田自動車道の高架を潜り道成りに進んで、雄物川手前二つ目の広田面信号機を信号機を右(北西)へ入ります

 信号を過ぎて右側にガソリンスタンドがあり、すぐ先左側に傘杉への案内板が出ています(雄物川高校入口の南側)

 戻って南側通り沿いの神社入口に車を止めさせて頂きました

 案内板です

 傘杉まで200mです

 細い道を進みます

 スギ林の先に太い幹が見えます

 傘杉が見えて来ました

 大きな幹です

 傘杉です(南東側から)

 「傘杉(からかさすぎ)」の天然記念物標柱です、文面は・・・
 樹高約16m、幹回り約4mの杉の大木で、樹齢は300年以上と推定されている。
 各枝が八方へ整然と垂れ下がった珍しい形をしており「傘杉」と呼ばれる。
 かつて雄物川が造山の近くを流れていたころ、舟をつないだという言い伝えもある。
 昔から造山地区の人々は、「神木」として崇めてきた。
 夏季には、清水のそばに茶店がたち、夕涼みの客で賑わったという。

 南側から、傘杉と呼ばれるのが分かるように枝が広がっています

 南西側から
 
 西側から

 北西側から

 根元近くに清水が有ります

 綺麗な水が湧いていました

 では、次へ行きましょう

 日が沈みかけているので、今日の取材は終了にして、コンビニが併設されている「道の駅十文字まめでらが~」で車中泊としました・・・・夜中に目を覚ますと、土砂降りの雨でしたが朝には止みました
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秋田県横手市、雄物川町西野樋向「西光寺のイチョウ・二本」です!!

2022-08-24 12:06:12 | 巨樹・大木
 雄物川町西野樋向地区は、横手市役所の西南西約15kmのところ

 国道13号線の婦気信号を右(西)へ国道107号線です

 秋田自動車道の高架を潜り道成りに進んで、雄物川の雄物川橋東詰の信号機を左(南)へ入ります

 道地集落の次が西野集落です、集落の南端に西光寺が有ります

 道路沿いに墓地が見えますが、山門は西側に有りますので、手前のゴミステーションから西側の道路へ

 西光寺山門のすぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました


 西光寺山門です

 山門脇には杉の大木です

 手水舎です

 本堂です

 山門南側の観音様の先に、目的一本目のイチョウが見えました

 北東側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 西側の道路に出て北西側から見ました

 西側から

 南西側から

 南側から

 更に南側の神社境内のケヤキの大木です、実測したところ目通り幹囲4.3mでした

 神社社殿です(お名前が分かりませんでした)

東側の道路へ移動しました


 本堂の北側から北東側墓地の中のイチョウです、北側から見ました

 北東側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 地上3m程で大きく二本の大枝に分れていますが、二三本の合体木だそうです

 南東側から、丸い樹冠が可愛かったです 

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、十文字町睦合「川前のカツラ」です!!

2022-08-24 06:29:35 | 巨樹・大木
 十文字町睦合川前地区は、横手市役所の南西約16kmのところ(旧十文字町役場の西約6km)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を右(西)へ、県道57号十文字羽後鳥海線です

 道成りに進むと、道路左側に十文字町荒所の標識があります
 
 この標識の手前を右(北)へ入ると

 
 正面に大きなカツラの木が見えました

 西側から

 南側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 南東側から

 東側から、根元には側溝が通っています

 離れて見ました

では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、十文字町鼎海蔵院「海蔵院のイチョウ」です!!

2022-08-23 18:43:10 | 巨樹・大木
 十文字町鼎海蔵院地区は、横手市役所の南西約13kmのところ(旧十文字町役場の西約4km)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を右(西)へ、県道57号十文字羽後鳥海線です

 道成りに進むと県道57号線の左手(南側)の集落が海蔵院です(寺院の名前ではありません)

 南へ入る道路を進むみ集落の南側を西へ、海蔵院農村公園の先で農道を右(北)へ入りました

 

 集落西側の農道から見ました

 西北西側から

 北西側から

 北北西側から

 目的のイチョウの北側にも大きなイチョウが在ります

 北側から

 ズームアップしてみました

 北側から集落内に進むと・・・

 東側の道路から見ました


 太い幹を見る事が出来ました、目通り幹囲位7.0mの巨木です

 では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、増田町湯野沢「湯野沢のアカマツ」です!!

2022-08-23 12:12:36 | 巨樹・大木
 増田町湯野沢地区は、横手市役所の南南東約15kmのところ(増田庁舎(地域局)の東約6.5km)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて道成りに進むと土肥館信号の北側に増田地域局(かつての町役場)です

 成瀬川に沿う様に、更に東へ道成りに進みます


 国道324号線の湯野沢入口で左手に大きな松が見えて来ます

 目的のアカマツです

 北西側から

 北側から、目通り幹囲3.9mの大木です

 東側から

 南東側から、根元には祠です

 南側から

 南南西側から
 
 西側から

 西北西側から見ました




 歌碑と記念碑です

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秋田県横手市、増田町増田上町「石田家明神様の乳神様」です!!

2022-08-23 06:34:40 | 巨樹・大木
 増田上町地区は、横手市役所の南約14kmのところ、かつての増田町中心部です

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて道成りに進み、土肥館信号の北側に増田地域局(旧増田町役場)です

 こちらの駐車場を利用させて頂きました

 すぐ先の押し釦ん信号の次の交差点北側に目的のイチョウが立っています

 西側から


 町制100周年記念 増田増田町の名木の標柱です
  1995年11月認定
  名称 乳神様
  樹種 銀杏
  樹齢(推定)500年
名木としての(由来)特徴
 特に由来はないが、石田廣太郎家の氏神様として祭られている明神様の境内に植えられている銀杏である。
 時代ははっきりしないが、樹皮の内側に錘乳のように垂れ下がったことから、乳神様として参拝するようになた。
 現在でも母乳のでない(出の少ない)人々が、母乳の出ることを願って参拝に訪れている。 



 南側から

 東側から弘化4年建立の立派な鳥居と明神様の社です


 北側から

 北西側から太い幹を見ました、目通り幹囲約4mの大木です


 北東側から


 東側から




 名前の通りの乳柱を見る事が出来ました


 北西側から

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秋田県横手市、増田町増田土肥館「増田小学校(土肥館跡)の二本杉」(市指定)です!!

2022-08-22 18:31:24 | 巨樹・大木
 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて道成りに進むと土肥館信号の北側に増田地域局(かつての町役場)です

 北側に横手市立増田小学校が有ります、校舎はかつての土肥館の跡に建っているようです

 校舎裏側(北側)に土塁の一部が残ります、土塁の上に目的の「二本杉」が在ります


 駐車場を利用させていただいた増田地域局前の観光版です、二本杉の位置を確認して歩いていきましょう

 (小学校の校庭を左回りに進みましたが、地域局の西側から回った方が近かったようです)


 北側の道路、北東側から

 説明版です
  秋田県有形文化財(考古資料)
   貞治碑 昭和37年2月5日指定
 大正13年(1924)、増田小学校新設の際、南の土塁より発掘したもので、貞治2年(1363)6月9日、景高という人が正寿禅尼の三十五日忌に当り、後世菩提を祈るために建てたものといわれる。
 石質は青御影石の自然石で、高さ175cm、幅56cm、暑さ31cm。
 碑の上部に「胎蔵界大日」の種子梵字を大きく刻んでいる。
  天然記念物
   二本杉 昭和55年2月5日指定
 増田小学校舎北西側の城柵の一部と考えられる土塁上にある。
 貞治2年(1363)、小笠原義冬が築城の際、城の堅固と武運長久を祈り愛姫と生牛を人柱の犠牲にしたといわれている。
 その霊をとむらうために二本の杉の木を植えたのが今日の「二本杉」と伝えられている。樹齢630年以上。横には県指定貞治碑がある。
 平成17年3月 増田町

 

 北東側から、二本杉の名前となった一本はすでに枯れてしまっているようです

 北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北北西側から、土肥城址の標柱が建っていますが字が薄れてしまっています

 北西側から、祠の中に貞治碑はあるようです

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秋田県横手市、十文字町仁井田屋布西「新山神社のケヤキ群」(十文字町の古木)です!!   

2022-08-22 06:44:13 | 巨樹・大木
 十文字町仁井田屋布西地区は、横手市役所の南南西約12kmのところ
 (十文字地域局の南約1.5kmのところ)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を右(南西)へ国道13号線です、佐賀会沖田信号を左(南東)へ国道342号線です

 JR奥羽本線を陸橋を越えて最初の信号を右(南西)へ入ります、間も無く右手に新山神社が南向きに鎮座します

 鳥居の西側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


 参道入口です

 郷社 新山神社です


 狛犬です

 三角形の水盤です

 こちらは星形型でしょうか


 境内右手のケヤキです

 石仏が並んでいます

 出羽三山などの石塔が並びます

 拝殿です


 本殿です

 社殿右手のケヤキです

 社殿左手には境内社とケヤキが並びます

 十文字町の古木「新山神社のケヤキ群」の標柱です
 


 目的のケヤキです

 東側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 北東側から

 稲荷社の様です

 もう一つの境内社です


 仁井田年代碑です
 年号    西暦       事象
 仁和年間(855~859) 京都武人 八萩大炊之助義基が出羽湯殿山で修行、後当地に居住開発した(八萩山新山宮縁起)
 康保2年(965)仁井田湯殿新山大権現を字朴木に創建(八萩山新山宮縁起)
 元弘3年(1333)南北朝の頃、南朝の六人衆が明沢を経てこの地に移住
 元中9年(1392)
 応永年間(1394~1428)仁井田の山内家が傷薬を世に広めた
 天文年間(1532~55)仁井田笠の製作が始まった
 享保15年(1730)仁井田の家数49軒(六郡々邑記)
 寛政2年(1790)新山神社現在地に遷宮、当時の肝煎は石川伊右衛門でその後も代々勤めた
 寛政10年(1798)十王堂和尚に永平寺から涅槃号授与
 文政年間(1818~30)仁井田家数50軒、人員248人、馬数19疋(雪の出羽路)
 天保7年(1836)凶作対策として五升備米制が布かれ、郷倉設置の基となった
 天保13年(1842)当時、長百姓は皆川右衛門、その後代々村役を勤めた
 明治12年(1879)十王堂に学校を設けた(四道学校の分校)
 明治27・28年(1895~96)日清戦争従軍者1人
 明治38・39年(1904~05)日露戦争従軍者10人
 大正9・10年(1920~21)シベリア出兵従軍者2人
 昭和2年(1927)仁井田会館を建てた
 昭和6年(1931)満州事変従軍者2人
 昭和12~16年(1937~41)日華事変従軍者37人(戦没者:石川吉治・皆川徳次郎)
 昭和15年(1940)仁井田新山神、社指定村社に昇格
 昭和16~20年(1941~45)太平洋戦争従軍者63人(戦没者:三浦廣・石川寅吉・若皆三郎・三浦清治・石川栄之助・石川正太郎・石川孝三・佐々木隆太郎・石川喜助・三浦金治・和泉忠五郎・石川佐太郎)
 昭和23年(1948)農地改革により仁井田小作地五十町歩が自作地となった
 昭和39年(1964)仁井田番楽が秋田県無形文化財に指定された
 昭和43年(1968)仁井田西線新道開通
 昭和45年(1970)米の生産調整が行われ、翌年減反13㌶、仁井田家数60軒、人員318人、田地75㌶、畑地6㌶
 昭和46年(1971)新山神社創建一千年記念として仁井田年代碑建立
 



 境内西側のケヤキです

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秋田県横手市、十文字町梨木堂ノ後「愛宕神社のケヤキ」です!!

2022-08-21 19:31:00 | 巨樹・大木
 十文字町梨木堂ノ後地区は、横手市役所の南南西約10kmのところ(十文字地域局の北東約1km)

 国道13号横手湯沢道路を南へ、十文字インターチェンジを下ります

 十文字IC入口信号を直進して突き当りを左へ、すぐ右手に愛宕神社が西向きに鎮座します

 南側の道路脇に車を止めさせて頂きました


 参道入口のモミの大木です

 村社 愛宕神社です

 参道の鳥居です

 狛犬です


 参道左手に目的のケヤキです

 南側から、根張りの大きなケヤキです

 南東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から

 北東側から

 拝殿です

 本殿です

 説明版です
  村社 愛宕神社
 鎮座地 横手市十文字町梨木字堂ノ後28番地(旧 羽州街道沿い)
 祭神 加具土命 火を司る神
 創立 創立の来歴は不詳であるが古文書によると、当該鎮座地は戦国時代小野寺氏始政の頃、虚空蔵の社として堂宇が建立され、当村集落草創期からは愛宕の社として参詣の対象となり、愛宕大権現・愛宕大神が祭祀され現在に至っている。
 安永年間の記録には梨子木愛宕山とあり、また釈迦如来、普賢、文殊、観世音、勢至の諸菩薩など、佛教に関わる名称が散見され、神佛習合の変遷の跡がみられる。
 古い本殿の祭壇は須弥壇式となっていたが、御堂再建時に末社稲荷神社に移転・建立されたと云われ、現在もその形をとどめている。
 本社は古来より火除けの神として崇拝されているが、虫歯除けにも霊験灼として、近郷近在からの来詣者が多かった。また、例祭日には番楽奉納があった。
 市指定無形民俗文化財「水かぶり」の神事は宝暦年間から継承されていると伝えられる冬の奇祭である。

 水かぶりの説明です 
  横手市指定文化財
   梨木水かぶり
 宝暦元年(1751)、村人が悪疫退散の祈願をこめ、寒中水垢離をとって、丑の刻に愛宕神社に参拝したのが始まりとされる。
 愛宕神社にこもっていた若者たちが夜明けを待って、神官・恵比寿俵に続き、下帯一つの裸体に足袋・わらじを履き、集落を練り歩く。途中、家々が道端に出しておいた手桶の水を頭からかぶる。
 神社に戻った後は履いていたわらじを家内安全を祈って境内の槻の木に投げ、わらじを枝に引っ掛ける。
   令和4年3月 横手市教育委員会

 境内西側には石塔が並びます

 境内社です

 庚申塔です

 拝殿前から見ました

 境内入口のモミの木を見ました

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