ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県横手市、平鹿町醍醐明沢「醍醐の爺杉・婆杉」(保存樹)です!!

2022-08-21 12:05:27 | 巨樹・大木
 平鹿町醍醐明沢地区は、横手市役所の南約10kmのところ(平鹿庁舎〔地域局〕の東南東約7kmのところ)

 国道107号線の地域振興局入口信号から雄平フルーツラインを道成りに南へ

 道路右側に「ときめき交流センターゆっぷる」が見えて来ます、もうすぐです

 右手に神社の社があるすぐ先に橋が有ります渡って直ぐ左に橋の上流側へ入る道路が鋭角に在ります


 南側から醍醐の爺杉・婆杉への入り口です

 フルーツラインの道路から一段下がって石塔が並びます

 林道入口を下っていくと

 右に曲がって直ぐに「醍醐の爺杉・婆杉」が並んでいます

 手前に爺杉です

 爺杉の標柱です

 北側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 

 婆杉です、目通り幹囲3.8mの大木です

 西側から、北側に傾いています

 婆杉の標柱です


 東側から二本を見ました


 南東側から婆杉です

 南東側から爺杉です


 南側から二本を見ました

では、次へ行きましょう
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秋田県横手市、山内筏「比叡山神社の筏の大杉(県指定)が大変な事に」です!!

2022-08-21 06:37:54 | 巨樹・大木
 横手市は、秋田県東南部の中心都市である。B級グルメの横手やきそばや2月に行われる伝統行事のかまくらが全国的に有名である。  
 平成17年(2005)10月1日、旧横手市と、平鹿郡に属していた全町村、増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村が合併し、新制・横手市として発足し、人口約10.3万人で秋田県第二の規模の市となった。しかし、2022年7月1日現在では、約8.3万人に減少している。
 各旧庁舎に市の支所(地域局)が置かれている。
 「横手」の地名は、江戸時代にこの地を訪れた菅江真澄が、川の氾濫を防ぐため集落の横手に築いた「横土堤(よこどて)」が由来になっているのではないかと書き残している。

 山内筏地区(旧山内村)は、横手市役所の南東約10kmのところ(山内庁舎〔地域局〕から東南東約3kmのところ)

 国道107号線を南東へ、相野々入口信号を右(南)へ県道40号横手東成瀬線です

 横手川を渡って、JR北上線の踏切を越えて県道は相野々駅前を過ぎて右(東)へ

 横手川に沿って進みます、山内筏地区に入って

 筏の大杉の案内板が有りますので左へ

 横手川を渡って直ぐを案内板に従って右へ

 そして左へ、スギ林の上に太い幹の樹幹が見えます

 比叡山神社の鳥居が見えました

 すぐ西側に「筏の大杉駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 鳥居を潜って参道へ

 説明版です
  秋田県指定文化財
   天然記念物【筏の大杉】
 〔指定年〕昭和63年 〔員数〕1本
 〔樹高〕43.0m 〔幹囲〕11.8m
 筏の大杉は、ここに鎮座する比叡山神社の神木で、秋田スギとしては全国有数の巨樹です。
 枝張りも最大10mに及び、大樹の風格に満ち生命感あふれています。
 古記録と「山内村史」によれば、幹囲は正徳元(1711)年8.6m、弘化3(1846)年110.0m、明治43(1910)年12.7m、と生育したようです。
 樹齢(推定)約千年に達した現在は成長も休止状態にあり、樹木の養生と活性化に努めています。
  (付記)建造物・比叡山神社
 比叡山神社は天台宗延暦寺との関わりが深く、一か月各日を結番して守護する善神三十座を祀り、三十番神社とも呼ばれてきました。
 神社縁起によると大同3(808)年創建の古社であり、後の天正3(1575)年に小野寺景道から社領三十石を授かり、翌年善美を尽くして「社堂三間四面南向、茅葺に建立」し、大晦日の夜半、麻柄の松明を二本立て祭礼を営んだと伝えられています。
 現在は、大松明と奉納相撲による年(作柄)占いが、元旦(早朝)恒例の行事として行われています。
   山内村教育委員会



 杉並木の参道を進みます

 社殿です、軒の庇が崩れています

 案内版です
  「三十番神社」の御祭神について
 この「比叡山神社」は、神仏分離以前は「三十番神社」でした。
 御祭神は一ヶ月三十日を毎日交替して守護して下さる全国著名な三十柱の神々です。
 わが国で「三十番神社」が祀られるようになったのは、平安時代で比叡山の横川に勧請されたのが起源と言われています。
 室町時代の中頃から吉田神道の支配に入り、江戸時代は一般庶民にも信仰が広がりました。
 本来の如法華経守護や朝廷守護など七種類あります。
 「播神縁起論」にある当番日の神様は次の通りです。
 1日 伊勢、2日 石清水、3日 加茂、4日 松尾、5日 平野、6日 稲荷、7日 春日、8日 大比叡、9日 小比叡、10日 聖真子、11日 客人、12日 八王子、13日 大原、14日 大神、15日 石神、16日 大倭、17日 廣瀬、18日 瀧田、19日 住吉、20日 鹿島、21日 赤山、22日 健部、23日 三上、24日 兵主、25日 苗鹿、26日 吉備、27日 熱田、28日 諏訪、29日 廣田、30日 氣田
  宮司 高橋茂信 記


 社殿の西側の目的の大杉です、根元に近づかないように柵が作られています


 標柱です


 保護の案内板です
大杉の保存・保護に ご協力下さい
  大杉のひとりごと
 わたしも歳をとり、千歳か千二百歳か自分の歳を忘れました。
 大きいな太いな、とみんなで近よってきて、根元がかたまって、おいしい水もたくさんの栄養もとれなくなってきました。
 まだまだ長生きできますので、みなさんどうか少し離れたとこから見上げてください。
   山内村教育委員会

 南東側から見ました

 東側から、以前見た写真と感じが違っています

 右の枝の上部が落ちています、枝先に緑色の葉が付いていますので、折れて間がないようです

 東北東側から

 北東側から


 根元近くの境内社です

では、次へ行きましょう
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秋田県美郷町、六郷米町「宮内社のカツラ三本です」(市指定)です!!

2022-08-20 18:41:47 | 巨樹・大木
 六郷米町は、美郷町役場の南西約6kmのところ

 県道11号角館六郷線を南西へ進み、六郷入口三叉路で県道11号線を左へ分れて直進します
 
 市場通りを進むと、左手に観光施設の「名水市場湧太郎」が有ります

 すぐ先の信号の北西側に湧水観光客用の駐車場が有りますので利用させて頂きました


 駐車場の案内図(南北が普通の地図と逆さ)です、熊野神社の北側道路沿いに宮内社があるはずです

 東に向かいます


 間も無く宮内社です

 宮内社の鳥居です

 北側から宮内社拝殿です

 本殿です

 道路沿いにカツラの大木が在ります

 「美郷町 名木・古木 宮内社の桂」の標柱です

 西側から、目通り幹囲約6.0mの巨木です

 北側から

 東側から

 奥側の一本です

 北東側から、目通り幹囲約5.0mの巨木です


 もう一本は、内村社西側の目通り幹囲約4mの大木です

*もう一本、道路北側の塀の中にも桂の大木がありそうなのですが、幹を見る事はできませんでした

では、次へ行きましょう
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秋田県美郷町、六郷東高方町「浄光寺の銀杏」(市指定)です!!

2022-08-20 12:10:46 | 巨樹・大木
 六郷東高方町は、美郷町役場の南西約5kmのところ

 県道11号角館六郷線を南西へ進み、六郷入口三叉路で県道11号線を左へ分れて直進します
 
 市場通りを進むと、左手に観光施設の「名水市場湧太郎」が有りますので駐車場に車を止めさせて頂きました

 東側の通りが寺町通りです、すぐ北側に

 浄光寺参道が西向きに開いています

 真言宗大谷派 浄光寺です

 山門が見えます、大きなイチョウの樹幹です

 山門です

 
 山門を潜ると右手に目的のイチョウです

 北東側から

 「天然記念物 銀杏」の標柱です

 東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 鐘楼です

 本堂です

 大きな乳柱を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう

 
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秋田県大仙市、太田町斉内諏訪田「諏訪神社・お諏訪さんの姥杉」(市指定)です!!

2022-08-20 06:46:22 | 巨樹・大木
 太田町斉内諏訪田地区、大仙市役所の東北東約16kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約4.5km道成りに進みます

 コンビニのある交差点信号を右(南東)へ県道261号国見大曲線です

 JR田沢湖線(秋田新幹線)を陸橋で越えて斜め左へ道成りに進みます

 やがて県道11号線に突き当ります、ここを右(南)へ、すぐの交差点を左(東)へ進みます

 真っ直ぐに進んで県道259号線を過ぎて350mで農道を北へ入ると

 田圃の中に浮いた島のような諏訪神社が南向きに鎮座します

 参道入口に車を止めさせて頂きました


 境内入口脇の 「菅江真澄の道 諏訪大明神」の標柱です、
 文政11年(1828)に諏訪大明神外17社を記録(月の出羽路 仙北郡斉内村)一郷の鎮守中城の諏訪大明神 祭日7月27日 祭主里正彦右衛門

 
 南側から境内入口と境内には大きな杉の木が立っています

 境内入口のスギの大木です、目通り幹囲は目分量に成りますが4.5mくらいでしょうか

 鳥居です

 大きな鳥海山の石碑です

 水盤です

 目的の姥杉です、主幹は高い位置で二本に分れています

 南東側から


 「仙北市文化財 お諏訪さんの姥杉」の標柱です、文面は・・・
 斉内にある諏訪神社の境内に生育するスギである。
 「お諏訪さん」とは、諏訪神社を地元の人々が親しみを込めて呼んだ名前である。
 ウバスギの近くにはジイスギがあり、夫婦樹としてとして今も勇姿を見せている。
 幹回りは5.4m、樹高は約30mにもなる巨木であり、また推定樹齢は350年を超えるといわれている。

 東側から、綺麗な傷のない幹です

 北側から

 西側から

*文化財標柱のジイスギはなくなってしまったようです


 拝殿です


 本殿です

境内東側のケヤキです

 北西側から、目通り幹囲は約4mの大木です

 南西側から

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秋田県大仙市、豊岡十六沢「一里塚のサイカチ」(市指定)です!!

2022-08-19 19:36:04 | 巨樹・大木
 豊岡十六沢地区は、大仙市役所の北東約18kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約6km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 左手に大仙警察署豊成駐在所前を過ぎて次の三叉路を表示版の県道50号線を田沢湖方面(左)へ

 間も無く「豊栄の松」の前を過ぎてクラック状に曲がって更に北へ約2km

 県道右手に目的のサイカチです

 西側から

 大仙市文化財「一里塚の皀莢」の標柱です、文面には・・・
 豊岡地区の旧白岩街道沿いに生育するサイカチである。
 慶長9年(1604)に幕府の命により街道を整備して一里塚を築くよう定められ、主街道である羽州街道には主にケヤキが植えられ、脇街道の白岩街道や盛岡に通じる南部街道には主にサイカチが植えられた。
 この一里塚は、旧羽州街道の六郷一里塚(現仙北郡美郷町六郷)から六つ目の一里塚であり、横沢一里塚(現大仙市太田町横沢)から三つ目の一里塚である。
 推定樹齢およそ400年にもなり、樹幹が道の反対側に達するほどの巨木である

*Googleのストリートビューでは、2012年9月に道路に張り出した枝を切った後の様子が見られます


 北西側から、目通り幹囲7.4mの巨木です

 北側から

 もう一本の標柱は、大仙市ドンパンふるさと中仙会 林木育種センター東北育種場の「一里塚の皀莢」後継・とあります


 東側から

 南側から

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秋田県大仙市、豊岡上野「豊栄の松(学校の松)」(市指定)です!!

2022-08-19 12:05:04 | 巨樹・大木
 豊岡上野地区は、大仙市役所の北東約17kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約6km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 左手に大仙警察署豊成駐在所前を過ぎて次の三叉路を表示版の県道50号線を田沢湖方面(左)へ

 間も無く県道右手に「豊栄の松」が在ります、

 向かい側の旧豊岡小学校の校庭に車を止めさせて頂きました

 旧校庭のモミジです、根元には二宮金次郎の像も有ります

 目的のアカマツを南西側から

 西側から

 北西側から

 根元から見上げました

 大仙市文化財「豊栄の松」の標柱です、文面は・・・
 豊岡地区に生育するアカマツである。
 このアカマツが生えている広場は、明治時代の旧豊岡小学校の敷地で、古くは「学校の松」とも呼ばれていた。
 道路に面しており、風致木として広く親しまれ、子供たちを見守ってきた。
 かつては根元に庚申塔があったが、現在は記念碑や忠魂碑などが建てられている。
 推定樹齢は約320年にもなり、樹高25mにも達する巨木である。

 *各地からアカマツの大木がマツクイムシによって消えています、更に大きくなってほしいものです


 北側から、目通り幹囲3.9mの大木です

 北東側から

 東側から

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秋田県大仙市、豊川観音堂「秋田県唯一の国宝御神鏡と水神社の杉4本」(市指定)です!!

2022-08-19 06:30:09 | 巨樹・大木
 豊川観音堂地区は、大仙市役所の北東約15kmのところ

  県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 ここから約4km県道259号線から県道306号線へ変わって道成りに東へ進みます

 県道11号線の交差点信号を右(南)へ、間も無く県道11号線左に西向き参道で水神社が鎮座します

 参道南側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 南西側から参道入口です

 参道入口両側に杉の大木が立ちます

 南側のスギです、これが境内で一番太い目通り幹囲5,2mの巨木です

 北西側から

 鳥居です

 北側のスギです

 大仙市指定文化財 水神社のスギの標柱です、文面には・・・
 中仙地域豊川地区にある水神社の境内に生育するスギで、参道の一番手前と一番奥の両側にたつ4本が指定を受けている。
 水神社は、延宝5年(1677)に出土した秋田県唯一の国宝である鏡(線刻千手観音等鏡像)を御神体としてまつり、その翌々年参道の両側に杉が植えられた。
 昭和18年(1943)、戦時体制の中で造船用材として大部分が伐採されたが、残された杉の中でこの4本は植えられた年代がはっきりしている。


 二の鳥居のようです、杉並木の参道を進みます

 三の鳥居の先に奥側の二本のスギが見えて来ました

 参道左(北)側のスギが目通り幹囲5.0mの巨木です

 南側から

 東側から

 右(南)のスギです

 東側から

 説明版です
  水神社と御神鏡の由来
【鏡の出土】
 御鏡は、延宝5年(1677年)玉川から窪堰川まで水路(下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みうねめやち)の地中5尺程(約1.5m)から堀出されました。発掘した人は、横堀村の肝煎り川原仁右エ門の子、弥十郎という人ですた。
 川原家では発掘後、家に持ち帰り内神として祀っていましたが、藩に差し出すようにと命があり、水路を注進していた草彅理左エ門の子伝吉が、藩主の佐竹義処に差し出したところ、「この鏡は堰を掘るときに出たのであるから、堰神として祀るように」と仰せになり祭祀料として米三石を賜りました。
 そこで理左エ門は、従来この地に「観音堂」と称した草葺の古堂のあったこの社地に翌6年、新たに米沢観世音御堂を建立し「米沢山普門寺宝生と名付け、旧白岩寺山というところにいた山伏寺蓮寿院を呼び寄せ、別当として永久に御鏡を守護することになりました。
 ところが、明治の世、廃仏毀釈の法令がだされ御鏡を守るため水に縁のあることから「水神社」と呼称し、祭神は「水波能売命」として氏子地域の篤い奉護のもと、御鏡は御神鏡として祀られています。
【御神鏡について】
 青銅で表面を錫鍍金し形は八つの突起を持つ八陵鏡です。
 直径四寸五分(13.5cm)厚さ二分(6mm)重さ140匁(525g)、鏡面には真中に、十一面四十手の千手観音の立像蓮台に立ち、仏具を一個づつもって四十手の手指を巧みに描き、又この脇士に左に功徳天、右に裸体の婆蘇仙の像を、豊満な女神と、やせ細った仙人を対照的に描き、その上左右に観音八部衆と思われる守護の神八体も線刻(蹴彫)されています。
 裏面は水鳥と蝶を配し、中央に紐をつける径七分(2.1cm)の半球体の摘みをつけてあります。また、背面の文様の間には三行にわたり次のような文字が刻まれています
  「崇記 仏師僧」「大趣具主 延暦僧仁祐」「女具主 藤源安女子」
【御神鏡の伝来】
 嘉永年間に角館の儒者茅根恵風が奉納した懸額によれば、宝暦3年(1753年)延暦寺の僧快寧が諸国巡行の祭に普門寺を訪れ、「これは桓武帝の延暦15年(1181年)の頃のもので、この鏡は二面あって、ひとつは長女安子姫、ひとつは次女某姫が所持していたもので、両姫たちの疱瘡軽快、安産を祈るるために(千手観音)を彫らせ、清水寺に奉納したそのひとつを、坂上田村麿将軍が東北平定の折、守り神として持参した」と伝えられています。
【二度の国宝指定】
 昭和13年旧国宝保存法に基づく国宝指定となり、鏡の裏面の模様の様子から「瑞花蝶鳥八陵鏡(ずいかちょうちょうはちりょうきょう)」と名称されました。
 そのご昭和28年の行われた文化財保護法の改法による国宝再審査で再び指定を受けました。
 この時は、『鏡の表面の蹴彫仏像から「線刻千手観音等鏡像(せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう)と改称された。
 御鏡の国宝としての価値は、錫鍍金した鏡面に、仏像を表した蹴彫芸術そのものにあります。その蹴彫は藤原時代上期の作といわれています。
 現在、秋田県唯一の国宝であり御神鏡は、毎年例祭日(8月17日)に開帳し拝観いただいております。

 案内板です

 茅の輪くぐりです

 手水舎です

 拝殿です


 本殿と宝蔵です



 まだまだ、境内北側には、モミやスギの大木が在ります

 では、次へ行きましょう


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秋田県大仙市、豊岡三棟「桂の木(観音様の桂)」(市指定)です!!

2022-08-18 19:17:35 | 巨樹・大木
 豊岡三棟地区は、大仙市役所の北東約15kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前を過ぎて長野跨線橋で田沢湖線を越えると

 道路標識に豊岡の文字が見えます、羽後長野駅入口の次の信号を右(東)へ

 県道259号線から県道306号線へ変わって東へ真直ぐに進みます

 小滝川手前を左斜めに小滝川沿いを北東へ、県道11号線を過ぎたト型の交差点を右(東)へ

 道成りに進み、三棟集落の住宅が道路左側に並び始めたところで

 右手(南側)の田圃の中に、丸い樹幹が見えます

 西北西側から見ました、農道脇に車を止めさせて頂きました

 西側から

 大仙市文化財「桂の木」の標柱です、文面には・・・
 豊岡地区に生育するカツラである。樹下には養老2年(718)にまつられたという観音堂があり、祠(ほこら)は「桂観音」。このカツラは「観音様の桂」と呼ばれている。
 根本から枝が放射状に分れ、まるで根のように見えることから、山津波で流されてきたカツラが逆さまになってそのまま根づいたたという伝承がある。古来より、この木に刃物をあてると凶事が起こるとも言われている。


 西側根元です、大枝を支柱が支えています

 南西側根元です、分かりずらいですが目通り幹囲7.0mの巨木です

 南側の観音堂です

 東側から

 北側から

 北西側から


 南西側から

では、次へ行きましょう


 移動時に南側から見ました
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秋田市大仙市、下鴬野上村「中仙公民館 鴬野分館のメタセコイア」です!!

2022-08-18 12:07:21 | 巨樹・大木
 下鴬野上村地区は、大仙市役所の北東約14kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前から更に4.5km進むと

 国道左に中仙公民館 鴬野分館が有ります

 駐車場を利用させて頂きました

 国道沿いにメタセコイアです

南西側から


 北西側の駐車場から、目通り幹囲4.0mの大木です

 北側から
 *メタセコイアは、メタセコイア属の落葉樹。1属1種。イチョウとともに化石植物といわれる遺存種で、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、20世紀半ばに中国南西部で自生していることが確認された。
 落葉高木で、樹高は生長すると高さ25 - 30m、直径1.5 mになり、大きなものでは樹高50 m以上になる。樹皮は赤褐色で、縦に裂けて剥がれる。
 葉は羽状に対生し、モミやネズに似て線のように細長く、長さは1 - 2cm程度、幅は1 - 2 mm程度である。新葉は明るい緑色で、秋に黄褐色に紅葉した後、落葉する。
 1939年に日本の関西地方の第三紀層で、常緑種のセコイアに似た落葉種の植物遺体(化石の1種)が発見され、発見者の三木茂によりセコイアに「のちの、変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて「メタセコイア」と命名され、1941年に学会へ発表された。それまで発見されていたヌマスギやセコイアと異なると考え、メタセコイア属を設けた。
 当初、三木茂により「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたが、1946年に南京大学の鄭万鈞から北京の静生生物研究所の胡先驌のもとに送られた植物標本が三木論文にあるメタセコイアであることが判明した。これは中国湖北省利川市の「水杉(スイサン)」と呼ばれたもので、このあとで新たに自生しているものが見つかり、1948年にアメリカのチェイニーが、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に発見者の三木茂が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体の植物園に配布された。
  以上ウィキペディアからの抜粋です

 信号を渡って北東側から

 東側から

 南東側から

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秋田県大仙市、長野六日町「善法寺・作だめしの銀杏」(市指定)です!!

2022-08-18 06:37:36 | 巨樹・大木
 長野六日町地区は、大仙市役所の北東約11kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約9km道成りに進みます

 「道の駅なかせん」前の、長野高畑信号を左(北西)へ県道256号線です

 次の信号を右(北東)へ県道256号角館長野線を進みます

 商店街の中ほど左に善法寺の参道が南南東向きに出ています

 参道を進むみます

 右手に鐘楼です鐘楼脇の駐車場に車を止めることが出来ました

 立派な銅鍾が下がります

 南側から見上げました

 南西側から、水路そばに生えています


 「善法寺の銀杏」の文化財標柱です、
 文面には・・長野地区にある善法寺に生育するイチョウである。
 善法寺は享禄元年(1528)に菅沼正慶を祖として開基されているが、この銀杏はその時に植栽されたものと伝えられている。
 農家の人々は、秋にこのイチョウの葉が一晩で全て落葉すれば翌年は豊作になると言い伝えがあることから、このイチョウを「作だめしの銀杏」と呼んでいる。


 東側から

 小さな乳柱が見られます

 北西側から

山門です
 
本堂です
 
本堂前から銀杏を見ました

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秋田県大仙市、清水下黒土「阿弥陀堂のクヌギ」(市指定)です!!

2022-08-17 18:41:36 | 巨樹・大木
 清水下黒土地区は、大仙市役との北東約9kmのところ

 県道36号線を北へ、若竹町信号で右の国道105号線を北東へ

 奥羽本線(秋田新幹線)国道13号線を過ぎて約7.5km道成りに進みます

 「道の駅なかせん1.5km」の案内板の先を右(南東)へ

 JR田沢湖線(秋田新幹線)の踏切を超えると間も無くです

 黒土集落の南西端に目的のクヌギです、クヌギの東側の阿弥陀堂脇に車を止めることが出来ました

 南側から阿弥陀堂を見ました

 阿弥陀堂です
 
 東南東側からクヌギを見ました

 南側から、根元は柵で守られています

 西側から、目通り幹囲5.1mの巨木です


 阿弥陀堂のクヌギの文化財標柱です、指定昭和55年12月26日、文面には清水地区にある阿弥陀堂社地の境内に生育するクヌギで、境内のほぼ中央にそびえ立っている。
 かつては枝が地につくほどに生育し、風雪等による被害が心配されていたが、現在は下枝を払ったことから多くの枝が天に向かって四方に伸びている。
 旺盛な樹勢を見せており、その姿はいかにも気持ちよさげである。
 樹齢不詳で、高さは約13mになる。

 *クヌギは、ブナ科コナラ属の落葉高木で、山地などに生え、雑木林の景観をつくり出す代表的な樹種としても知られます、樹皮からしみ出す樹液にはカブトムシなどの昆虫がよく集まり、実はドングリとよばれ、材は薪や家具など様々に利用されます。
 萌芽力が強く、生長すると広大な樹冠を形成、幹は直立し、樹皮は暗い灰褐色で、厚いコルク状で縦に不規則な割れ目が生じ、樹皮の見た目は、同属のコナラよりもゴツゴツした印象を与えます。
 花期は4 - 5月で、雌雄別の風媒花で、雄花は黄褐色の10 cmほどの穂状になって垂れ下がり、小さな花をつけます。雌花は、上部の葉の付根に非常に小さい赤っぽい花をつけます。(以上はウィキペディアより抜粋です)


北西側から

北側から

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秋田県大仙市、板見内北畑「北畑・板見内・菅原神社の北畑の杉」(市指定)です!!

2022-08-17 12:03:24 | 巨樹・大木
 板見内北畑地区は、大仙市役所の

 浜町信号から寺町線を東へ道成りに進み奥羽本線をアンダーパスで貫けます
 
 まもなく国道13号線の高架を潜ると県道50号大曲田沢湖線を東へ

 ドラッグストアの有る信号を左(北)へ、県道305号千畑大曲線を道成りに進みます

 田茂木集落で県道を右(南東から東)へ、突き当りを左(北)へ、続橋集落で左へ集落をよけて

 北東へ進むと左手の北畑集落の家並みの上に樹叢が見えます

 南向き参道入口です、境内東側に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 菅江真澄の道 菅原神社の標柱です、文面には「いくちまち田は八束徳にみのりにき 並て御代のいさをなるらむ」

 狛犬です

 参道右手に、目的のスギです

 南側から、根の周りは玉垣で守られています


 天然記念物標柱です
  杉 昭和61年2月6日指定
 菅江真澄が月の出羽路に描き残した杉の一樹で、延宝5年出原家の先祖清兵ヱがこの地に神社を創建した当時から、現在の板見内神社の象徴として風雪にたえて生き続ける神杉で、北畑の杉と呼ばれ親しまれている。

 西側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 北側から

 東側から見ました

 
 拝殿です

 拝殿軒下には、右側から「菅原神社」「板見内神社」「北畑神社」の額が並びます



 本殿です
 

 拝殿西側の境内社は稲荷社の様です

 では、次へ行きましょう

 
 
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秋田県大仙市、払田真山「高梨神社(堀田城跡)の姥杉」(市指定)です!!

2022-08-17 06:34:39 | 巨樹・大木
 払田真山地区は、大仙市役所の東約7kmのところ

 浜町新顔右から寺町線を東へ道成りに進み奥羽本線をアンダーパスで貫けます
 
 まもなく国道13号線の高架を潜ると県道50号大曲田沢湖線を東へ

 道成りに進んで信号を左(北)へ、まだ県道50号線です丸子川を渡って北東方向へ

 コンビニの有る信号を右(東)へ、まだまだ県道50号線です

 JAおばこ仙北支所の倉庫を右にみて間も無く左(北)へ入ると正面に高梨神社鳥居です

 手前右側に払田分家庭園見学者用の駐車場が有りますので利用させて頂きました

 *周辺は、昭和61年5月16日に行われた第37回秋田県植樹祭の行われた場所です(秋田県緑化推進委員会の情報誌「もりのかぜ」Vol5に載っています、委員会ホームページで見る事が出来ます

 駐車場の堀田城跡説明版です(堀田城跡に高梨神社が有ります)
   「堀田城」
 払田柵跡は、いまから約1200年前の平安時代初めころに造られた城柵官衙(役所)です。
 初めは、材木塀でで長森と真山を取り囲む広大な柵でしたが、その後縮小され、真山は柵の外になってしまいます。
 しかし、中世に、堀田氏が真山に城(堀田城)を築いたため、再び歴史の舞台に登場します。
 堀田城は、「奥羽水慶軍記」等によると、いまから550~450年前の戦国時代のころ、堀田治部丞の居城であったとされています。
 堀田氏の名は、当時、仙北を領していたとされる戸沢氏が、秋田県内の有力者であった秋田安東氏や県南の小野寺氏と、抗争を繰り返した時などに見られます。
 このことから、堀田氏は、近隣の前田・戸蒔・六郷・本堂等の諸豪族と争いつつ、連携も取りながらほぼ戸沢氏に従っていたと考えられます。
 平山城である堀田城(真山)は、広い横手盆地の北部にある唯一の高所で、眺望の点ではこの上なく、戸沢氏や本堂氏の県南に対する「眼」の役割を果たしていたことは疑いないでしょう。
 堀田城跡には、高梨神社が鎮座する主郭(本丸跡)や多くの郭(人工の平場)の他、防御施設である切岸(人工の急斜面)や犬走、「早坂清水」に通ずる城内道などが残っており、それさを散策することで、往時を偲ぶことができます。
 また、現在の大字名である払田は、「堀田」が転訛したものとも言われ、城の東裾には「館前」の小字名も残っています。


 南からの参道です参道です

 鳥居です

 高梨神社説明版です
  大仙市有形文化財(建造物)
   高梨神社
 高梨神社は、大正5年(1916)当時の高梨村長池田文太郎(東北三大地主と称された池田家13代)が、村治の大方針として、「自治の向上を計るには、先ず人心の協和と統一とを以って第一義となす」として、古来各集落の散在していた神社八社を合祀することで、集落の対立感情を根絶し融和を計り、境内・社殿を維持する経済的基盤を確立するためにも必要であるという考えを示し、各神社関係者の理解を得るとともに、建築費の大半を自らの寄付により建立したものである。
 この建物の建築には、本県のみならず北東北各地の社寺の建築にい関わり、民謡ドンパン節の作者としても知られる「円満造」こと大仙市豊川の宮大工高橋市蔵(1868~1945)が関わっており、特に本殿に施された彫刻は、高橋市蔵が残した作品の中でも秀逸と評される。また、本殿約9坪、拝殿約46坪の広さは県内の神社では最大規模である。
 池田家が関わって近代に作られた建造物の中で現存する数少ない建物の一つである。
 恒例祭(8月20日)には昭和の初めごろ近隣神職の間で伝承されていた神楽を高梨神社祭式の内に編成した「高梨神社正神楽」が奉納される。「高梨神社正神楽」も大仙市の無形民俗文化財として指定されている。
〇祭神 天照皇大神 経津主神 豊受大神 比売神 素戔嗚神 邇々杵尊 瀛津島比売命 木花咲耶 天兒屋根命 誉田別尊
    天之手力雄命 大国主神 大宮女命 少彦名命 武甕雷神 猿田彦神
〇祭日 1月1日元旦祭 2月25日祀年祭 8月20日恒例祭(19日宵祭り) 11月26日新嘗祭 
    大仙市

 参道を進みます

 幅の広い参道です

 緩く登っています

 ニノ鳥居です

 水盤です


 左手(境内南西端)に目的の姥杉です

 南側の祠です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿前から姥杉を見ました

 天然記念物標柱です

 北側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 北東側から

 北西側から

 西側から


 菅江真澄の道標柱です

 菅江真澄の高梨神社境内案内です
  酒のみ石の広場
 昔々の大昔から、姥杉のこの辺を香の森と呼んでいた。
 いつの頃からか二ツの石神があって、真澄はその絵を残され、村人達はこの石神を酒のみ石と愛称し、見晴らしの最もよいこの岡から、村々の平和を祈り豊作を願った。
  寅外先生は
 「うば杉のもとに村人うたげして 酒のみ石に酒たてまつる」
 と歌われ、旭峯先生は酔石歌という長い漢詩を、又、牛山先生も
 「ああこの石 何すれぞ久しく 出でざりし 参集萬古天地と共に 酔えるを 云々」
 とうたわれた。
 千年を超えて生き続けるうば杉とこの石神の詩歌の中で、幸多かれと、この神聖な地を後世に永く伝えたいものだ。
   平成4年8月20日 大祭日に奉建   菅江真澄著 月の出羽路より うば杉と石神
 

 拝殿前には三角点です

 駐車場に戻ります


 近隣観光案内板です


 すぐ東側の庭園説明版です

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秋田県美郷町、本堂城回館間「本堂城跡(県指定史跡)のケヤキ」(町指定)です!!

2022-08-16 19:08:23 | 巨樹・大木
 本堂城回館間地区は、美郷町役場の北北西約2kmのところ

 
 県道11号角館六郷線を北へ、二つ目の信号を左(北西)へ進みます

 集落の中に星山清水を左にみて西へ進み、次の道尻集落への道路を右(北)へ入ります

 本堂城西門址です、城跡内は一面の草原です

 説明版が在ります
  県指定史跡 本堂城跡
 本堂城は、戦国・織豊期に現在の大仙市の一部と美郷町北部一帯を治めた本堂氏の居館です。
 本堂氏hあ、陸奥国和賀郡(岩手県)を支配していた和賀氏の一族と考えられ、観応年間(1350~1352)にこの地方に進出し、和賀家から独立して本堂の姓を名乗るようになったといわれています。
 本堂氏は、天文4年(1535)に山城の元本堂城(美郷町浪花)から、平城の本堂城に移り、慶長7年(1602)常陸国新治郡志筑(茨城県かすみがうら市)に国替となるまで本拠としました。
 本堂城は内館を囲む内堀と土塁、外館を囲む外堀などから構成され、内館の北東部分には高さ約4mの土塁の一部が残っています。
 これまでの発掘調査により、内館の規模は、内堀の部分も含めると、東西約170m、南北約190m。
 中心部からは主殿と考えられる建物跡がみつかっています。また、東から南側の水田下から、外堀に一部が確認され、当時の城域の一端が明らかになっています。
 中世平城跡としては、東北地方でも数少ない保存状態の良い城館跡として評価されています。
   美郷町教育委員会


 南側です、段差は堀跡の様です

 北側です

 北東側の土塁の一部に目的のケヤキが見えます

 城跡内は草丈の高い草に覆われて小雨も降っているので、南側から東へ廻ってみました


 南側には正門址の標柱です

 農道を入ってきました、東門址です、ここから意を決してケヤキを見に行きました

 南南東側から、草の露で靴からズボンの裾はビショビショです

 南側から

 近づいてみましょう

 南側から

 祠です

 西側には木々の間に石碑があるようですが、行けませんでした

南側から見上げました、目通り幹囲9.3mの巨木です

 根元には「鍾馗様」(秋田県緑化委員会の緑化情報誌「もりのかぜ」Vol9に載っています)

 県南部周辺地域では、同じような藁人形を「鹿島様」というところが多いようです

 鹿島様とは(日本伝承大鑑HPよりの抜粋です)
 道祖神の一種で、秋田県中南部の一帯を中心に見ることが出来る。非常に特殊な“人形道祖神”ということになる。道祖神とみなされるのは、集落の境に置かれ、疫病などの災厄が集落に入ってこないように設けられているためである。
 大きさは3~4mで、大人の背丈の倍ぐらい。恐ろしげな木の面を付けており、藁で出来た胴体部分は鎧をまとったように見え、さらに大小2本の刀を帯びている。まさに武神のようである。道祖神の特徴である“男根”が付いている。
 この特異な道祖神の謎を深めるのは、この神の名である「鹿島」という名称の由来である。武神のような姿から、この名は鹿島神宮の祭神である武甕槌神であるという説がかなり有力である。この推察からさらに、鹿島様の名前は江戸初期に常陸国から移封されてきた秋田藩・佐竹氏に関係があるという説がある(鹿島神宮は常陸国一之宮)。あるいは、同じ武甕槌神を祭神とする古四王神社との関連性も考えられる。
 だがいずれも推測の域を出ず、どういう経緯で鹿島様が秋田の特定の地域で信仰の対象となったのかは、謎のままである。そして藁を使って集落の者が総出で毎年造り直して受け継がれてきた鹿島様は、人口減少のあおりを受けて徐々にその姿を消していっている。

 靴とズボンを履き替えて、移動します



 北東側から見ました

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