払田真山地区は、大仙市役所の東約7kmのところ
浜町新顔右から寺町線を東へ道成りに進み奥羽本線をアンダーパスで貫けます
まもなく国道13号線の高架を潜ると県道50号大曲田沢湖線を東へ
道成りに進んで信号を左(北)へ、まだ県道50号線です丸子川を渡って北東方向へ
コンビニの有る信号を右(東)へ、まだまだ県道50号線です
JAおばこ仙北支所の倉庫を右にみて間も無く左(北)へ入ると正面に高梨神社鳥居です
手前右側に払田分家庭園見学者用の
駐車場が有りますので利用させて頂きました
*周辺は、昭和61年5月16日に行われた第37回秋田県植樹祭の行われた場所です(秋田県緑化推進委員会の情報誌「もりのかぜ」Vol5に載っています、委員会ホームページで見る事が出来ます
駐車場の堀田城跡説明版です(堀田城跡に高梨神社が有ります)
「堀田城」
払田柵跡は、いまから約1200年前の平安時代初めころに造られた城柵官衙(役所)です。
初めは、材木塀でで長森と真山を取り囲む広大な柵でしたが、その後縮小され、真山は柵の外になってしまいます。
しかし、中世に、堀田氏が真山に城(堀田城)を築いたため、再び歴史の舞台に登場します。
堀田城は、「奥羽水慶軍記」等によると、いまから550~450年前の戦国時代のころ、堀田治部丞の居城であったとされています。
堀田氏の名は、当時、仙北を領していたとされる戸沢氏が、秋田県内の有力者であった秋田安東氏や県南の小野寺氏と、抗争を繰り返した時などに見られます。
このことから、堀田氏は、近隣の前田・戸蒔・六郷・本堂等の諸豪族と争いつつ、連携も取りながらほぼ戸沢氏に従っていたと考えられます。
平山城である堀田城(真山)は、広い横手盆地の北部にある唯一の高所で、眺望の点ではこの上なく、戸沢氏や本堂氏の県南に対する「眼」の役割を果たしていたことは疑いないでしょう。
堀田城跡には、高梨神社が鎮座する主郭(本丸跡)や多くの郭(人工の平場)の他、防御施設である切岸(人工の急斜面)や犬走、「早坂清水」に通ずる城内道などが残っており、それさを散策することで、往時を偲ぶことができます。
また、現在の大字名である払田は、「堀田」が転訛したものとも言われ、城の東裾には「館前」の小字名も残っています。
南からの参道です参道です
鳥居です
高梨神社説明版です
大仙市有形文化財(建造物)
高梨神社
高梨神社は、大正5年(1916)当時の高梨村長池田文太郎(東北三大地主と称された池田家13代)が、村治の大方針として、「自治の向上を計るには、先ず人心の協和と統一とを以って第一義となす」として、古来各集落の散在していた神社八社を合祀することで、集落の対立感情を根絶し融和を計り、境内・社殿を維持する経済的基盤を確立するためにも必要であるという考えを示し、各神社関係者の理解を得るとともに、建築費の大半を自らの寄付により建立したものである。
この建物の建築には、本県のみならず北東北各地の社寺の建築にい関わり、民謡ドンパン節の作者としても知られる「円満造」こと大仙市豊川の宮大工高橋市蔵(1868~1945)が関わっており、特に本殿に施された彫刻は、高橋市蔵が残した作品の中でも秀逸と評される。また、本殿約9坪、拝殿約46坪の広さは県内の神社では最大規模である。
池田家が関わって近代に作られた建造物の中で現存する数少ない建物の一つである。
恒例祭(8月20日)には昭和の初めごろ近隣神職の間で伝承されていた神楽を高梨神社祭式の内に編成した「高梨神社正神楽」が奉納される。「高梨神社正神楽」も大仙市の無形民俗文化財として指定されている。
〇祭神 天照皇大神 経津主神 豊受大神 比売神 素戔嗚神 邇々杵尊 瀛津島比売命 木花咲耶 天兒屋根命 誉田別尊
天之手力雄命 大国主神 大宮女命 少彦名命 武甕雷神 猿田彦神
〇祭日 1月1日元旦祭 2月25日祀年祭 8月20日恒例祭(19日宵祭り) 11月26日新嘗祭
大仙市
参道を進みます
幅の広い参道です
緩く登っています
ニノ鳥居です
水盤です
左手(境内南西端)に目的の姥杉です
南側の祠です
拝殿です
本殿です
拝殿前から姥杉を見ました
天然記念物標柱です
北側から、目通り幹囲5.7mの巨木です
北東側から
北西側から
西側から
菅江真澄の道標柱です
菅江真澄の高梨神社境内案内です
酒のみ石の広場
昔々の大昔から、姥杉のこの辺を香の森と呼んでいた。
いつの頃からか二ツの石神があって、真澄はその絵を残され、村人達はこの石神を酒のみ石と愛称し、見晴らしの最もよいこの岡から、村々の平和を祈り豊作を願った。
寅外先生は
「うば杉のもとに村人うたげして 酒のみ石に酒たてまつる」
と歌われ、旭峯先生は酔石歌という長い漢詩を、又、牛山先生も
「ああこの石 何すれぞ久しく 出でざりし 参集萬古天地と共に 酔えるを 云々」
とうたわれた。
千年を超えて生き続けるうば杉とこの石神の詩歌の中で、幸多かれと、この神聖な地を後世に永く伝えたいものだ。
平成4年8月20日 大祭日に奉建 菅江真澄著 月の出羽路より うば杉と石神
拝殿前には三角点です
駐車場に戻ります
近隣観光案内板です
すぐ東側の庭園説明版です
では、次へ行きましょう