ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

秋田県藤里町、大沢向山下「水神様の大ケヤキ」(県指定)です!!

2022-10-21 06:33:33 | 巨樹・大木
 大沢向山下地区は、藤里町役場の南約3kmのところ

 (藤里町役場へは、国道7号線の「道の駅ふたつい きみまちの里」から西側のトンネルを貫けたインターチェンジを下りて、県道317号きみまち阪公園素波里湖線を北へ約7kmのところにあります)

 藤琴川の左岸沿いを南へ、大沢集落入口を斜め左へ、道成りに南へ進むと

 道路左手に案内板が有ります、大沢のケヤ0.2kmです(南側から)

 「藤里町役場大沢館けやきの館を左に、月宗寺を右に見て過ぎると

 目的の大ケヤキが見えて来ます

 坂道の右手に大ケヤキです

 先側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から

 西側から

 根元には水神様です

 北側から

 説明版です
  秋田県指定天然記念物
   水神様の大欅
    昭和30年1月24日指定
    所有者 月宗寺
 1,指定理由
  欅の大樹として稀有のもので、樹高七十尺(21.2m)、目通周囲二十七尺(8.2m)
 1,由緒
  古来千年木として地区住民に尊崇され、往古坂上田村麻呂将軍東征の際、樹下に坐し傍らに湧く千古の冷泉を汲み渇きを、いやしたと伝えられている。
 1,注意
  樹に登ったり幹をいためたりしないこと
  樹下を荒し枝葉を折らないこと
   昭和30年5月7日
     秋田県教育委員会
     藤里町教育委員会

 もう一枚の説明版です
   水神様の大ケヤキ
 樹高21.2m 樹幹周囲8.2m樹齢は不明だがケヤキの大樹としては稀有なものであるとして、昭和30年県の天然記念物に指定される。
 昔から水神様の千年木として地域住民に崇敬され、根元から湧出する泉はまだ一度も渇水したことはないが、道路の拡張などで一度は地下に埋設になった。地域住民はこの泉を水神様と呼び大切にして守りそして代々受け継いできた経緯から再び蘇り現在に至っている。
 口伝によると、坂上田村麻呂が隣町二ツ井町七座の蝦夷を平定し、更に藤琴川を逆上って逃げる敵を追って味方の軍を進めた折り、このケヤキのそばに坐り、泉の美味を褒め讃えたという。
 太平洋戦争の末期、海軍が船舶の用材として供用されようとしたが、当時の兵事係が別の大樹に案内して難を免れた。

 *案内図には、次に予定している「権現の大イチョウ」や「アオヤジロ」の文字も見えます

 北東側から

 南東側から

 南南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、木戸林岱「木戸石八幡神社のケヤキ」です!!

2022-10-20 18:28:29 | 巨樹・大木
 木戸林岱地区は、北秋田市役所の南西約10kmのところ

 国道7号線を西へ一度能代市に入ります、国道7号線沿いに「道の駅ふたつい」が有ります

 手前の小繋信号を西へ入ります、県道3号二ツ井森吉線です

 県道3号線はすぐに向きを南に変えて米代川を七座橋で渡ります、たたらトンネルを貫けると北秋田市へ戻ります

 増沢地区を過ぎて阿仁川を高長橋で渡ると下大野郵便局前の信号を右(西)へ

 突き当りを左(南)へ進むと、集落を抜けた山際に木戸八幡神社が西向きの参道で鎮座します

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です、南西側から入ります

 鳥居には「八幡神社」の文字があります

 木戸石八幡神社です

 参道を進みます

 角の石はお地蔵様のような顔になっています

 ニノ鳥居です

 境内左手中央に目的のケヤキです

 南側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 東側から


北東側から

 北側から

 西側から見上げました

 神馬舎です


 狛犬です

 拝殿です 

 本殿です

 拝殿前から見ました

 では、次へ行きましょう

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秋田県北秋田市、綴子宮本「相善杉」(市指定)です!!

2022-10-20 12:31:52 | 巨樹・大木
 綴子宮本地区は、北秋田市役所の北北東約7kmのところ

 国道105号線を北へ、大堤信号を右へ国道7号線です、東(大舘方面)へ進みます

 約1.5kmの案内板に従って左(北)岩谷県道200号矢板糠沢線へ進みます

 約2.5km道成りに進むと宮本(大畑)の集落です

 集落を抜けた右カーブの先に目的の「相善杉」が見えて来ます

 右に入って道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 根元に祠が在ります

 ほとんど消えてしまっていますが「町の記念物 相善杉」の標柱です

 南東側から

 祠の中に説明版があります
  町指定天然記念物 相善杉
 この杉は樹齢400年余と推定するように、目通り直径2m、樹高約30m、樹盛も旺盛で枝葉の発達は四囲を圧し、文字通り巨木である。

 *直径2mでは幹囲6.3mにもなってしまいます、環境庁:日本の巨木・巨木林調査では・・・
 
 東側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

 北東側から

 北北東側から見ました

 では、次へ行きましょう
 
 
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秋田県北秋田市、綴子西館「親方樅と根曲り桜」(市指定)です!!

2022-10-20 06:31:35 | 巨樹・大木
 綴子西館地区は、北秋田市役所の北約3.5kmのところ

 県道24号線を北へ、国道7号線の綴子信号を越えて

 変形十字路を真っ直ぐ進む様に坂道を登り切ると間も無く綴子神社のすぐ先(約100m)

 綴子神社に車を置いて歩いていきましょう


 県道沿いに目的のモミとサクラが在ります

 秋田県指定史跡「綴子肝煎屋敷本陣跡」昭和53年2月1日指定の標柱です

 説明版です
  秋田県指定 史跡
   綴子肝煎屋敷本陣跡
 綴子の本郷上町地区は、かつて八幡平と称された綴子古館のあったところであるが、永禄2年(1559)、綴子川右岸の小丘陵地「刑部岱」から集落を移して村づくりをしたのがその始まりである。
 村の旧家高橋八郎兵衛家は、慶長8年(1603)より明治4年まで代々肝煎を努め、慶安2年(1649)親郷肝煎制度の発足に伴い近郷六ヶ村を寄郷とする親郷肝煎に就任した。また羽州街道の要衝の地に当たる綴子駅の伝馬事務所を処理し、津軽侯の参勤交代、幕府巡見使の下向、佐竹藩主の下筋巡覧等の際の本陣(宿泊)を努めた。
 本陣の所在地は上町中央に位置する字西館で、間口18間、奥行き20間、3600坪で広大な敷地であった。
 明治19年、建物を改築して綴子小学校の校舎にあてられ、同40年12月まで使用された。
    北秋田市教育委員会
 *何かの工場だったようですが、2015年に閉鎖されてしまって、現在の敷地には雑草が伸びています

 南側から、目通り幹囲3.8mの大木です


 文化財標柱です

 説明版です
  北秋田市指定 天然記念物
    親方樅と根曲がり桜
     昭和62年2月1日 指定
 綴子村の肝煎を代々努めた高橋八郎兵衛家の旧庭園に門柱代わりに植えられた樅と桜で、樹齢約400年と言われています。樅の隣には高野槇が植えられていましたが、昭和45年(1970)の火災により焼失しました。
 この樅は、親方(肝煎)の家の樅ということで「親方樅」と呼ばれています。
 「根曲がり桜」はその樅の根元にあり、幹が地面と平行して5mほど伸びている非常に珍しい形をしたベニヤマザクラです。
 高橋家は藩政時代(江戸時代)に代々肝煎役に任ぜられ、明治の初年まで村政の中心となっていました。
  平成31年度文化庁文化芸術振興費補助金(地域文化財総合活用推進事業)
  北秋田市教育委員会生涯学習課
 


 東側から

 北東側から

 モミの脇に横たわる様に「根曲がり桜」の幹です、幹には多くのキノコが見られます

 生きているのは、立ち上がった枝一本のみになってしまっています

 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、綴子西館「綴子神社の千年桂」(市指定)です!!

2022-10-19 18:33:56 | 巨樹・大木
 綴子西館地区は、北秋田市役所の北約3.5kmのところ

 県道24号線を北へ、国道7号線の綴子信号を越えて

 変形十字路を直進して坂道を登り切ると間も無く道路左手に

 綴子神社が東向きに鎮座します

 参道手前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

 参道入口です

 綴子神社です

 東北最古八幡宮・日本一大太鼓 綴子神社の厄払い等案内板です

 鳥居です

 菅江真澄の道 綴子の標柱「文化4年(1807)5月27日 修験者般若院英泉の業績を語る・おがらの滝」です

 参道右手の境内社です

 手水です

 ニノ鳥居です

 境内社です、風雪除けの覆いが作られています


 参道左手に目的の「千年桂」です

 東側から

 北側から、目通り幹囲8.5mの巨木です

 天然記念物 千年桂の標柱です


 根元に説明版です、町指定 天然記念物 千年桂 この桂は、県文化財史跡内館文庫を象徴する神木であり、樹下桂神社をまつり、縁結び、子宝・安産の神とされている。

 北西側から

 南西側から


 東側根元の石には大きな縄が掛けられています

 説明版です


 拝殿です

 拝殿軒下の「宇佐八幡宮」の額です

 本殿です

 境内西端のケヤキの大木です

 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、宮前町「鷹巣神社のケヤキ」(市指定)です!!

2022-10-19 12:30:47 | 巨樹・大木
 ここからは、2022年9月27日取材分です

 宮前町は、北秋田市役所の直ぐ南側に当たります

 市役所西側の道路を南へ、横町信号を左(東)へ

 道路南側に鷹巣神社の参道が北向きに開いています

 参道東側の広い鷹巣神社参拝者用駐車場を利用させて頂きました

 北向きに参道入り口です、両側のケヤキ二本が市指定天然記念物です

 鷹巣神社です

 天然記念物「大けやき」の標柱です

 北西側から

 西側から

 参道内側(南側)から見ました

 東側から、東側のケヤキが太いようです、目通り幹囲5.0mの巨木です

 参道を進みましょう

 直角に左に曲がると鳥居です

 手水舎です

 三の鳥居です

 狛犬です

 西向きに拝殿です

 本殿です



 境内の南端にケヤキが並びます

 手水舎の南側のケヤキが境内で一番大きい(目通り幹囲5.0m)ようです

 本殿南側にも大木が並びます

 では、次へ行きましょう 
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秋田県上小阿仁村、沖田面野中「沖田面墓地の大イチョウ」です!!

2022-10-19 06:29:03 | 巨樹・大木
 沖田面野中地区は、上小阿仁村役場の南西約3kmのところ


 「道の駅かみこあに」の秋田県観光案内板です

 県道285号線を小阿仁川に沿う様に南西へ向かいます

 約2.7kmで上小阿仁郵便局先の信号を右(北西)へ入り、次の十字路を左へ

 道成りに進むと

 墓地の中に目的のイチョウが見えて来ます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から

 南東側から、観音像が有ます

 南側から、目通り幹囲7.5mの巨木です

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう

 間も無く日が沈みます、明日の取材準備のために、国道285号線を北北東へ約30km、国道7号線沿いの「道の駅たかのす・大太鼓の里」へ移動して車中泊しました
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秋田県北秋田市、鎌沢家ノ南「正法院のスギ」です!!

2022-10-18 18:38:49 | 巨樹・大木
 鎌沢家ノ南地区は、北秋田市役所の南南西約16kmkのところ

 県道24号鷹巣川井堂川線を南へ、米代川を西鷹巣大橋で渡て、秋田自動車道を跨ぐと

 能代秋田空港の滑走路の下のトンネルを貫けます、道成りに進んで岡を超えると

 秋田内陸線の踏切を越えて直ぐの交差点を右(北西)へ、道成りに進んで

 信号機を過ぎった先のT字路を左(南東)へ、阿仁川を阿仁川橋で渡ると

 委岱信号で、また県道24号線となります、道成りに約6.5km南へ

 務沢一号橋の標識で右(北西)へ、旧道へ入ります(鎌澤大佛様・白津山正法院0.5kmの案内板あり)

 道成りに集落の中へ進むと集落中ほど左側に正法寺参道が北北西向きに開いています

 参道入口です

 白津山 正法院です

 丈六延命地蔵菩薩像の案内板です

 参道を進むと目的のスギが見えて来ます

 スギの脇の駐車場に車を止めさせて頂きました

 北北西側から

 北東側から見上げました

 東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 南東側から

 南側から

 山門です

 参道右手に大仏殿です

 説明版です
  北秋田市指定有形文化財(彫刻)
   丈六延命地蔵菩薩像
     平成4年5月25日指定
 ここ白津山正法院の大仏殿に安置されている通称「鎌沢の大仏」は左足を下げ台座に座った半跏像で、高さが約一丈六尺(4.82m)あることっから「丈六延命地蔵菩薩」と呼ばれています。
 木造木彫りの像で、別々の木材に彫った頭部と胴部を組み合わせて作る「寄木造り」の技法が用いられ、頭部はクスノキ、胴部はカツラが用いられていることが分かっています。
 延享2(1745)年、鎌倉時代の大仏師である運慶の系統を継いだ京の仏師蔵之丞了慶が頭部を作り、胴体部分は了慶の弟子で同院の第7世悟山忍州和尚が、村人に浄財や寺領田の処分による益金により完成させたと伝えられています。
 この大仏には、戦場へ赴く兵士が祈願すると不思議と弾丸に当たらないといわれたことから「弾丸(たま)よけ地蔵」。疫病などが流行った時、苦病に喘ぐ人々を思ってか、びっしょりと汗をかいていたと言われてことから「汗かき地蔵」と呼ばれ、地域の住民に親しまれています。
 長年の劣化により、大仏殿は平成19年10月に改築されました。菩薩像も表面の漆の剥落や破損、虫食い等の傷みが著しく、平成20年5月に全面修復されました。
  平成29年度文化庁文化芸術振興費補助金(文化遺産総合活用推進事業)
  北秋田市教育委員会生涯学習課
 
 鐘楼です

 手水舎です

 お地蔵様が並んでいます、前に並んでいるお地蔵様の頭部は新しく作られています
 (明治時代初めの廃物希釈で頭を捥がれたのかもしれませんね~)

 本堂です
 
 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、本城館ノ下「本城(八幡)神社の親杉」(市指定)です!!

2022-10-18 12:44:16 | 巨樹・大木
 本城館ノ下地区は、北秋田市役所の南約14kmのところ

 県道24号鷹巣川井堂川線を南へ、米代川を西鷹巣大橋で渡て、秋田自動車道を跨ぐと

 能代秋田空港の滑走路の下のトンネルを貫けます、間も無くコンビニエンスストアの手前を斜め左(南)へ大野台線です

 左手丘の上に北秋田市民病院を見て進み岡を越えて下ると秋田内陸線の踏切を越えます

 信号機を過ぎった先のT字路を左(南東)へ県道3号二ツ井森吉線です

 「鹿嶋神社のイチョウ」を右に見て進みます、阿仁川を渡った米内沢信号を右(西)へ、次の信号は斜め右へ

 道成りに北西に進むと、左手に鳥居が見えて来ます、鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東向き参道入口の石鳥居です

 ニノ鳥居は木製です

 手水舎です

 狛犬です

 苔むした長い石段の参道を進みます
 
 中段に神馬舎です
 
 参道左側のスギの大木の先に更に大きなスギが見えて来ました

 北側から見上げました、目通り幹囲4m程(目測)の大木です

 境内に上がって来ました、左手に目的の「親杉」です

 北側から

 拝殿前(西側)から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 南西側から

 拝殿です

 軒下の額には「八幡宮」の文字が見られます

 本殿です

 拝殿北側から親杉を見ました

 境内の祠の中には仏像や板碑が並んでいます

 こちらの祠の中には木彫りの馬が並んでいます

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県北秋田市、道城上堀「鹿嶋神社のイチョウ」です!!

2022-10-18 06:45:24 | 巨樹・大木
 道城上堀地区は、北秋田市役所の南約10kmのところ

 県道24号鷹巣川井堂川線を南へ、米代川を西鷹巣大橋で渡て、秋田自動車道を跨ぐと

 能代秋田空港の滑走路の下のトンネルを貫けます、間も無くコンビニエンスストアの手前を斜め左(南)へ大野台線です

 左手丘の上に北秋田市民病院を見て進み岡を越えて下ると秋田内陸線の踏切を越えます

 信号機を過ぎった先のT字路を左(南東)へ県道3号二ツ井森吉線です、上杉地区への入り口を過ぎると

 間も無く県道右手にイチョウの樹冠が見えて来ます

 神社の北側広場の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側の参道入口には両側にケヤキの大木です

 鹿嶋大明神の石碑です

 狛犬です
 
 鳥居です

 南西向きに鹿嶋神社の新しい社殿が鎮座します
(Googleマップのストリートビューでは、2014年の古い社殿や境内の様子を見る事が出来ます)


 社殿南側に目的のイチョウを見上げました

 南側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北東側から 

 社殿の北側には境内社が集められています

 社殿の北西側広場から見ました

 鳥居脇には、スギの大きな切り株が並んでいました

 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、小又堂ノ下「小又明神社のケヤキ」です!!

2022-10-17 18:33:47 | 巨樹・大木
 小又堂ノ下地区は、北秋田市役所の南約23km

 北秋田市阿仁庁舎の北約9kmのところです

 阿仁庁舎から国道105号線を秋田内陸線と共に阿仁川に沿う様に北へ

 国道105号線の阿仁前田信号を右(東)へ県道305号線くまげらエコーラインです

 阿仁川を渡ると直ぐの十字路を左(北)へ、間も無く秋田内陸線の阿仁前田温泉駅です

 手前を右(東)へ踏切を渡ると小又明神社はすぐのはずですが、桜庭木材の工場敷地となっていて入れません

 北側を廻って上側の上野集落の南側耕作地から近付くことにしました

 北側から小又明神社の社殿裏面が見えました

 集落の南端の住宅前を西に入った栗の木に下に車を止めさせて頂きました

 田圃の畦道を進み小さな畑を抜けて小又明神社社殿の北側の山道(畑への通路のようです)を下ります

 桜庭木材の工場東側に出ると、西向きに参道入口です

 参道の鳥居を潜り石段を上りはじめると、目的のケヤキが見えて来ます

 北西側から、目通り幹囲7.2mの巨木です

 北側から

 傍らの祠です

 参道を進みます

 南向きに社殿です

 境内社です


 社殿東側のケヤキの大木です

 帰りは、社殿裏側から草叢をかき分けて畦道を戻ったので、ズボンの裾が草の実だらけになってしまいました

 では、次へ行きましょう
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秋田県北秋田市、阿仁笑内笑内「笑内神社(山神社)の銀杏」(市指定)です!!

2022-10-17 06:30:59 | 巨樹・大木
 北秋田市は、平成17(2005)年3月22日に北秋田郡の鷹巣町、合川町、森吉町、阿仁町が合併して市制施行しました。
 阿仁町と言えば「マタギの里」ですが、鉱山の町でもあったと言います。

 阿仁鉱山は、1309年(延慶2年、鎌倉時代後期)に金山として開発されたと言われており、その後、銀、銅を産出するようになりました。
 1716年(享保元年、江戸時代8代将軍吉宗の時)には産銅日本一となり、別子銅山、尾去沢鉱山と共に日本三大銅山のひとつに数えられ、阿仁鉱山の名は全国的にもよく知られるようになりました。阿仁鉱山といいましてもひとつの鉱山ではなく、小沢、真木沢、三枚、一の又、二の又、萱草の6銅山(六ヶ山)と向山金銀山、太良鉱山、加護山製錬所から成っています。江戸時代においては秋田藩の直営として、阿仁の銅は貨幣原料や長崎の出島から海外への輸出品として重要視され、多いときには幕府御用銅のおよそ5割が阿仁鉱山から産出されました。(北秋田市阿仁郷土文化保存伝承館ホームページより抜粋)

 阿仁笑内笑内地区は、北秋田市役所の南約35km

 北秋田市役所阿仁庁舎の南約8kmのところです

(今回は南側の仙北市から国道105号線でスノーシェッドの峠を越えて来ました)

 国道105号線を秋田内陸線に並んで阿仁川の谷を南へ遡ります

 笑内の案内板に従って左斜めに、秋田内陸線笑内駅前へ、駅前を過ぎて間も無く

 右手(西側)に笑内神社(山神社)が鎮座し、参道が東向きに開いています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道を進むと左手に目的のイチョウです
 
 北東側から

 北側から

 西側から

 町指定文化財天然記念物「笑内神社の銀杏」の標柱です、平成4年3月31日阿仁町教育委員会建立です

 南側から幹を見上げました

 広い境内の先に社殿が在りますのでお参りしていきましょう

 鳥居です

 社殿です

 鳥居下から銀杏を見ました

 では、次へ行きましょう
 
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秋田県仙北市、西木町桧木内中島「塞神の桂」(市指定)です!!

2022-10-16 18:36:21 | 巨樹・大木
 西木町桧木内中島地区は、仙北市西木庁舎の北約15kmのところ

 国道105号線を北へ進みます、秋田内陸線と共に桧内川を幾度か渡り直しながら進むと

 秋田内陸線の羽後中里駅の北西側の国道沿い

 道路右手に賽の神の社があり、そばにカツラの木が立っています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路西側から見ました、高い枝先に何やらぶら下がっていますね~

 賽神堂です

 文化財標柱です、国選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財「「中里カンデッコあげ」行事、天然記念物「賽神の桂」が並んでいます

 説明版です
   国記録選択無形民俗文化財
   秋田県指定無形民俗文化財
     「中里のカンデッあげ」行事
  国選択 昭和61年12月17日
  県指定 平成3年3月19日
  行事場所 秋田県仙北市西木町檜木内字中島101の1
  行事主体 中里カンデッコあげ保存会
 「中里のカンデッコあげ」は、中里賽の神の小正月行事として伝えられてきており、毎年、旧暦1月15日の夜行なわれているがその発祥は定かではない。カンデッコとは、朴(ほお)の木で作った小型の鍬のことで、このカンデッコと胡桃(くるみ)の木で作った男根をしめ縄の両端に結んで一対にし、これを神木である桂(村天然記念物指定)に豊作や縁結び、災いの防禦さど、その年への願いを込めて投げ掛けるのがこの行事である。狙い通りに掛かると願いがかなえられるといわれ、また、その掛かったものをはずしして家に持ち帰り、栗や柿、李などの木に掛けると多くの実を結ぶといわれているなど、豊穣多産、災疫退散を願う珍しい小正月行事である。
 この行事の行われる中里の賽の神は、桧内川が現在よりも西側を流れていた昔、大洪水で桂の大木が沢より流れ出てここに根をおろして鎮座したといわれ、応永年間(1394年~1427年)、戸沢家盛公が霞の鞭の威力をもって一揆を鎮圧し、その帰陣のおり賽の神を奉斎したとも伝えられている。現在この賽の神堂には、八衝比古(やちまたひこ)大神、八衝比売(やちまたひめ)大神、久那斗(くなど)大神の三神がまつられている。
   仙北市教育委員会
   中里カンデッコあげ保存会

 *この様な男根信仰的なものは各地に残っています、縄文時代の石棒にはじまる金精信仰や地母神信仰(地神信仰)といわれるものの一つと考えられます。
 金精信仰に関する伝説の一つです(ネット上のBesttimusからの抜粋です)
  江戸の深川仲町の芸人・富本繁太夫が、文政十一年(1828)から現在の東北地方各地を放浪したときの日記『筆満可勢』に、岩手県玉川村巻堀の金精大明神の縁起が書き留められている。それによると――
 村の庄屋夫婦のひとり娘は美人で、近郷の男であこがれない者はなかった。夫婦には男子がなかったので、娘が十六歳になったとき婿を取った。ところが婚礼の夜、初夜の床で婿は急死した。それ以来、次々と婿を取ったが、みな夜中に出奔するか、怪我をするか、死亡するかである。こうしたことが続いたため、みな娘を怖がり、もはや婿になろうという男はいなくなった。夫婦が娘に初夜の様子をたずねたが、答えは要領を得ない。そこで人に頼み、出奔した婿に理由をたずねてもらった。男はこう語った。「陰門のなかに鬼の牙のようなものがあって、入れた魔羅(まら)を喰いちぎるのです。うすうす床入りに不都合なことがあるという噂は聞いていたので、おらはあらかじめ指で陰門の外も中もあらため、やはりおかしいと思ったので、房事をせずに逃げ出したのです」このことを聞いて、両親が嘆き悲しんだのはいうまでもない。ところが、隣村の若者が娘の噂は承知の上で、婿になりたいと申し出てきた。両親と娘はともに喜び、すぐさま婚礼がおこなわれた。その夜、男は娘と布団に横たわるや、かねて用意しておいた銅製の男根をそっと取り出した。自分の魔羅を挿入するように見せかけておいて、その銅製男根をぐいと娘の陰門に突っ込んだ。すると、ガリガリとかじるような音がする。すかさず銅製男根をぐいとねじるや、ばらばらと牙のようなものが砕け、流れ出てきた。そうしておいて、男があらためて娘と交わると、なんの支障もなく性行為ができた。以来、庄屋は神社を造営し、婿がくふうした銅製男根を金精大明神として祀り、あがめたという。
 

 低い枝に紐に吊るされたようになった朴の木の鍬と胡桃の木の男根が掛かっています

 地面に胡桃の木でできた大き目の男根だけが落ちています



 南西側から

 北側から見上げました

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秋田県仙北市、田沢湖生保内阿気「白山桜」(市指定)です!!

2022-10-16 12:30:39 | 巨樹・大木
 田沢湖生保内阿気地区は、仙北市役所田沢湖庁舎の北約4.5kmのところ

 国葬341号線を北へ、約4kmのコンビニエンスストアの先の信号を左(北西)へ

 玉川を渡って間も無く右手に
 

 石神会館が有ります

 駐車場を利用させて頂きました

 広場に桜の古木「白山桜」が在ります

 南側から

 文化財標柱です

 南西側から、目通り幹囲4.8mのカスミザクラの大木です

 西側から

 根元の祠です

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秋田県仙北市、田沢湖田沢潟前「蓬莱の松」(市指定)です!!

2022-10-16 06:40:46 | 巨樹・大木
 田沢湖田沢潟前地区は、田沢湖北岸に当たります

 「御座石神社」から東へ、ハーブ園の先、湖畔の杜レストランの手前右側(湖面側)に「蓬莱の松」が在ります

 手前の脇道に車を止めさせて頂きました 


 大きな案内板です、すぐ先に太い幹が見えました

 北西側から、蓬莱の松の樹齢は300年くらいです、中国の伝説では、仙人の住む蓬莱山というところの松は枝振りが良いことで有名で、その松に似ていることから名付られたと言われています。

 北側から

 北東側から


 東側から


 南東側の遊歩道へ下りて見ました

 南東側根元から幹を見ました

 北西側から

 道路に上がって来ました

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