ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

千葉県東金市、山田「貴船神社の大柊」(市指定)です!!

2023-11-22 18:33:28 | 文化財・樹木
 山田地区は、東金市役所の西北西約7kmのところ

  東金市役所北側の市道を西南西へ進みます

 約600mで信号を右(北西)へ、県道119号線です

 約200mでJR東金線の踏切を渡って、更に約200mの丁字路信号を左(南西)へ、千葉銚子線です

 道成りに約500mの「台方三差路」信号を右(北西)へ、国道126号線です

 約3.4kmで「東金インター入口」を斜め左への一般道へ、約600mで左(南)へ

 道成りに約700mで坂道に途中に「貴船神社参道」の標柱が有ります、斜め右(南西)へ入って急な坂道を登って行くと

 貴船神社の駐車スペースに入りました

 南向きの参道です

 貴舩神社です

 鳥居です

 参道左手に「いぼ(疣)神様」です
 いぼ(疣)とは皮膚の上に突起した角質の小さな塊の事で、昔から人々の悩みの種でした。
 「いぼ神様」の由来は、一説によると元々は道祖神ではないかと云われています。
 「いぼ神様」は貴船神社の境内にあり、ここえお参りしお祈りすれば、いぼ等を取り除いてくれるといわれ、近郷近在は勿論県外など遠来の人々も参拝にきている。
 「割り箸で「いぼ」を1回つまみ、その割り箸を後ろの古木にこすりつけ拝殿の前の地面に差す」「いぼ」などが消えたら割り箸を献上し、御礼の参拝をします。
 霊験を体験したとする数多くの話があり、霊験あらたかな神様として崇められております。
         氏子


 参道右手にスダジイの大木です

 西側から 

 ニノ鳥居は、塗り直しの作業が行われていました

 三峯神社です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 縁起説明版です
   貴船神社縁起
 貴船神社は市内山田にある。その縁起によると、文治2年(1186)西行法師が東遊の際、山辺赤人・小野小町の遺跡を訪ねようと、この山田村に来た時、村名が彼の郷里と同名であったのに心を動かし、奉持して来た山城国愛宕郡鞍馬の貴船大明神の分霊を、村内坂東谷(墨染桜の所在地)に奉祀したのが起源と云う。
 その後文明元年現在の地に移り、土気郷大椎城主千葉氏の鬼門鎮護の神としての崇敬をうけ、又雨乞いや航海安全の霊験顕かな神として農漁民の信仰を集めている。
 毎年1月4日の春季大祭には、古式床しい「歩射(びしく)」の神事が行われており、当神社にのみ残されている神事である。

 神事の説明石碑です
   貴船神社のお的神事
 毎年1月4日、本社で執行されるお的神事は、古来、山田村を中心とする遠郷近在の農、山、魚民の信仰深い民俗行事で、その起源は慶安4(1651)年と言われ、「歩射」により、その年の農作の豊凶を占うもので、当時制定された諸規約に則り、氏子総体で役割を分担し、これを忠実に伝承し今日に及んでいる。
 特に七献の盃、謡、お的を射る等の儀は最も重要視され、格調高く執行され、神人一如の古い信仰の姿を具現する貴重な民俗文化財と言うべきである。
    昭和60年12月23日   東金市教育委員会


 社殿の東側に目的の大ヒイラギです

 説明版です
    貴船神社の大柊
 柊は木犀科に属し、雌雄別株、葉に鋭い刺を持ち、秋に芳香の強い白色の小合弁花を開く常緑樹で、古来「鬼ばら」と呼ばれ、庶民になじみ深い樹木である。
 東金市山田の貴船神社に聳える、この大柊は目通り周囲2m、樹高12mで樹齢300年と推定される大木である。
 その由来は、残念ながら不詳であるが、樹勢は今も極めて旺盛で、この神苑の御神木と崇めるにふさわしい天然記念物である。
     東金市教育委員会指定第37号
     平成2年4月6日

 北西側から

 北北西側から見ました


 本殿東側の杉の大木です

 本殿裏側には大きな切り株です

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千葉県東金市、小野「六所神社の大杉」(市指定)です!!

2023-11-22 06:33:24 | 巨樹・大木
 小野地区は、東金市役所の西北西約6kmのところ

 東金市役所北側の市道を西南西へ進みます

 約600mで信号を右(北西)へ、県道119号線です

 約200mでJR東金線の踏切を渡って、更に約200mの丁字路信号を左(南西)へ、千葉銚子線です

 道成りに約500mの「台方三差路」信号を右(北西)へ、国道126号線です

 約2.9kmで「東金インター入口」信号を左(南)へ、丹尾小野線です

 約1,2kmで左(東)へ、坂道を下って行くと左手に「岡ノ谷部落公民館」が有りますので車を止めさせて頂きました

 すぐ先のカーブに六所神社の参道が開いています

 六所神社への案内板です

 脇には獅子舞の説明版です
   表谷鞨鼓獅子舞
 小野地区のうち字上関田、下関田、池之辺田、新田の4地区に伝承されている。
 創始の年代は不明、現山武郡九十九里町字藤下の八坂神社から伝来したと言われている。
 陰暦9月19日、六所神社の秋祭に行われる。従来は陰暦2月3日オビシャにも行った。
 当日は朝、鶴岡俊昭家に総員参集し、着装、準備をする。舞手は華やかな、じゅばん、かるさんを着け獅子頭を冠り右腰に色紙の幣をさす。3人一組で舞い、それぞれが、雄、雌、子(雄、雌、中)であるという。
 舞の種目は「横っ飛び」、「道中」、「四方かがり」、「なつみ」、「ふくみ」、「おおぐり」、「こぐり」、「から」、「一本つるぎ」などがある。
 舞は初め鶴岡家で行い、次いで六所神社、天神社、本円寺に奉納される。また悪霊退散、家内安全を祈念して地区の各戸を廻る。
 舞う場所には必ず3本の幣束をたばねて立てる。以前は舞台を特設し様々の芸能を競い演じたと言われている。
 終ると鶴岡家に戻り「花納め」をする。
      東金市指定文化財第7号   東金市教育委員会



 参道を進みます、初めは緩い登りです

 石段が現われます

 登り切ると建物が見えて来ました

 鳥居が南向きに建っています

 鳥居です

 参道左側に手水舎です

 なぜか参道右側にも手水舎です

 社殿の左手に目的の大杉です

 南側から、太い注連縄が巻かれています

 南東側から

 天然記念物石柱です、周囲4.55m、樹高約30m、樹齢400年と推定されるそうです

 東側から

 北側から

 南西側から見上げました

 六所神社社殿です

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千葉県大網白里市、永田「石渡家のさいかちの木」(市指定)です!!

2023-11-21 18:38:21 | 文化財・樹木
 永田地区は、大網白里市役所の南南西約2kmのところ

 大網白里市役所北側の市道を北西へ進み、約300mで斜め左(西南西)へ、南町永田線です

 約600mでJR外房線の高架を潜ると伊南房州通住環となって更に南へ

 約1.2kmで押し釦信号機を鋭角に左(北東)へ入り道成りに東へ進むと


 道路右手に目的のサイカチが見えて来ます

 道路に車を一時停止して写真だけ撮らせて頂きました、この先は行止まりだそうです

 石渡家の入り口です

 西側から

 垣根に説明版です
    大網白里市指定文化財
     さいかちの木
       所有 石渡家
 さいかちは、マメ科の落葉樹で、本州以南の日本各地に自生する。
 カブトムシをさいかちというが、この木の樹液を好んで集まるのでこの名があると言われている。
 本樹は、目通り3.6m、高さ約10mの巨木。
 家伝によれば、石渡家の先祖がここに土着した江戸時代初期に植えられたものと伝えられている。
 石渡家は、代々庄屋で、徳川家康が土気城へ来たとき案内役をしたという。
 位牌に「中興の祖道善(戒名)寛永10年(1633)5月23日没」とあり、その没年から推定して、樹齢は350年以上(昭和47年の指定時点)と思われる。
   昭和47年5月1日指定
      大網白里市教育委員会
      令和4年度文化財看板修繕業務

 北東側から見ました

 *大網白里市は、昭和29年(1954)12月1日 に山武郡大網町・白里町・増穂村が新設合併し大網白里町が発足します。その後周辺市町村との境界変更を重ねて、平成25年(2013)1月1日に 単独市制を施行し、大網白里市となりました。
 JR外房線と東金線の分岐点大網駅周辺は千葉市や東京都内への通勤に便利なベッドタウンとなっています。千葉県房総半島南部の過疎化が進む地区とは違って、過疎化は進んでいませんが、市制制定時より総人口は減っています。

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千葉県茂原市、本納「蓮福寺の大公孫樹」(市指定)です!!

2023-11-21 06:30:43 | 巨樹・大木
 本納地区は、茂原市役所の北約6kmのところ

 茂原市役所の西側の国道128号線を北へ、約5.6kmの「本納」信号を斜め左(北)へ、県道226号線です

 約800mでJR外房線本納駅入口の信号の直ぐ先を左(西)へ入ります

 約300mで右手に蓮福寺の山門が見えてきます

 境内参道沿いに駐車場がありますので利用させて頂きました

 顕本北法華宗 成就山 蓮福寺の寺號標です

 長い参道を進みます

 参道右手に目的の大公孫樹です

 南西側から

 西側から

 説明版です
   茂原市指定天然記念物
     蓮福寺の大公孫樹 所在地 茂原市本納3101
              昭和48年1月10日 指定
 樹齢約420年、樹高17.5m、根廻り約5.6m、目通り幹囲3.8mで、枝葉は四方に繁茂し、幹の中央に樫の寄生木を抱え、枝間約13mに及ぶ古木である。
 夏はこまやかな緑陰を憩いの場に、秋深まれば樹下錦繍を敷き、野だて、俳諧の催しなど地元とのえにしは浅からぬものがある。
 この公孫樹は、昭和45年頃に焼失した蓮見池のほとりの名木「臥竜の松」とともに蓮福寺の開祖、日遊上人によって植えられたものと伝えられている。
     平成14年3月20日
        茂原市教育委員会

 北側から

 東側から

 南側から見ました


 参道を更に進みます

 手水鉢です

 鐘楼です

 本堂です


 城跡説明版です
   茂原市指定史跡
     本納城址  所在地 茂原市本納3101 
           昭和53年12月28日指定
 本納城は室町末期、享禄2年(1529)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。
 永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将これに拠って24郷を治め武威を誇っていた。
 永禄7年(1564)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され、永禄12年3月28日落城、城主影吉は切腹したと記録されている。
 その後土気方から城代家老、板倉右衛門がきて統治したが、天正18年(1590)小田原落城後、徳川幕下の旗本知行地となり廃城となる。
 本、中、下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼煙台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。
      平成2年3月26日  茂原市教育委員会

 *蓮福寺境内は、かつての本納城居館部にあたり、本丸(主郭)は蓮福寺本堂の北側の岩上(本城山)に在ったようです。

 境内東側の墓地裏には岩山もかつての本納城の一部(五の郭?)の防壁の様に聳えています

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千葉県茂原市、渋谷「伊奘子神社・渋谷の大モミジ」(市指定)です!!

2023-11-20 18:39:07 | 文化財・樹木
 ここからは、2023年11月9日取材分です

 渋谷地区は、茂原市役所の北約5kmのところ

 茂原市役所西側の国道128号線を北へ約4.8kmで国道左に伊奘子(いさご)神社の鳥居が見えて来ます

 鳥居並びに車を止めさせて頂きました

 南向き参道の鳥居です

 ニノ鳥居です

 説明版です
  茂原市指定天然記念物
    渋谷の大モミジ  所在地 茂原市渋谷557
             昭和58年2月23日指定
 モミジはカエデ科に属しカエデあるいはモミジと呼ばれている。
 この樹はイロハモミジ(別称・タカオモミジ)で、東北地方以西の山地に分布する。その特徴は、葉が5~7指に深裂し、新枝の先に経3~6cmの三房状の花房をつける。
 大モミジは伊奘子神社境内西側の高土手上にある。樹齢は明らかではないが、樹高約9.7m、目通り幹囲約2.3mである。
 通常のモミジは、幹が数多く分岐して傘の様に枝を拡げることが多いが、この幹は分岐が少なく、真直ぐに天空に伸びており、大変珍しいものである。
  茂原市指定有形文化財(建造物)
    伊奘子神社 本殿   平成27年8月24日指定
 地元では「いざごじんじゃ」と呼ばれている。
 天慶8年(945)創建と伝えられる由緒ある神社である。
 現存する本殿は、慶応元年(1865)に再建されたもので、造りは、一間社流造、屋根は切妻造の構造をもつ。
 周囲には「孟宗・楊香の図」等の彫刻が施され、江戸を代表する彫工、嶋村源蔵俊豊等の彫師たちによって手がけられた。
 彫刻に囲まれた堂宇は、当地方において珍しく、本殿内に納められている棟札とともに大変貴重。
 棟札には、工事にあたった職人の名前の他、渋谷村周辺の民衆が村の繁栄等を願う内容も記載されており、興味深い。
     平成27年12月25日  茂原市教育委員会


 立派な狛犬です

 手水です

 拝殿です


 彫刻を全体に施された本殿です

 本殿西側に目的の大モミジです

 東側から見ました、まだまだ葉の色は緑色です、紅葉するのが待ち遠しいですね

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千葉県いすみ市、苅谷「国吉神社の大イチョウ」(市指定)です!!

2023-11-20 06:29:04 | 巨樹・大木
 苅谷地区は、いすみ市役所の西北西約8kmのところ

 いすみ市役所前の市道を西へ進みます、約4,4kmの「長志十字路」信号を右(北)へ県道176号線です

 約1.5km「山田交差点」変形十字路の信号で県道は左へ、国道465号線を北へ進みます

 約1.9kmでいすみ鉄道の踏切を渡り、約2.0kmで左(南)へ、間も無くいすみ鉄道の踏切を渡ります

 約200mで「国吉神社・出雲大社」の案内板を左(東)へ道路左側の駐車場に入りました


 北東向きに参道入口の鳥居です

 国吉神社の社號標です

 ニノ鳥居です

 説明版です
   国吉神社
◇御祭神 建御名方命 他27柱
◇御由緒
 千葉県中央部がまだ上総国となる千五百年の昔まで、この地域はいくつもの小国に分れており、長生・夷隅地域を伊甚国造が納めていました。
 第27代安閑天皇の御代、国造は春日皇后に屯倉(御料地)を献上し、現在の神社の鎮まる苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋が設けられ、後にこの仮屋跡に、伊甚国造の祖である天穂日命(出雲国造の租でもある)と建比良烏命が仕えた大国主命の御子神である建御名方命がまつられ、諏訪神社と称していました。
 後に近郷の神社の神々が合祀され、当時の町名から国吉神社となり、厄除・八方除・交通安全・家内安全の神社として信仰されています。
   国吉神社境内社 出雲大社
◇御祭神 大国主命
◇御由緒
 幕末の作田村に斧嶽と号する人並すぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えます。
 長州征伐の折、幕府軍の目付役となった村の領主は強力無双の斧嶽を従者に選び島根県へ到着した際、折しも出雲大社の奉納相撲が催されていました。斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示すと、出雲大社の千家宮司は斧嶽を見込んで御璽を授けまつらせました。
 故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰すると次第に信者は増え、ついには諏訪神社(現在の国吉神社)の地に社殿が造営され、明治25年に遷宮式が行われました。出雲大社は、縁結び・福徳の神様として信仰されています。
 

 大銀杏の案内板です

 右手の境内社は天王社です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です

 目的の大イチョウは本殿裏に在ります

 北東側から、注連縄が巻かれています

 北西側から

 太い幹を南西側から

 南東側から

 東側から見上げました

 参道の外側にも境内社の祓社です
 
 厄割石です

 三峯社です

 境内西側に出雲大社が鎮座します

 出雲大社の社殿です

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千葉県いすみ市、新田「日月神社のホルトノキ」(市指定)です!!

2023-11-19 18:30:14 | 巨樹・大木
 新田地区は、いすみ市役所の西約2kmのところ

 いすみ市役所前から市道を西へ、約1.5kmの水門のところの十字路を左(南西)へ

 水路沿いを進むと約500mで

 北西向きの参道入口です

 直ぐ左の道路脇に車を止めさせて頂きました

 長い石段を上ります

 参道右手に水盤です

 石段の上に社殿の屋根が見えて来ました

 境内に上がると右手に注連縄の巻かれた御神木のスギ(千年杉)です

 手水舎です

 社殿です

 説明版です
   日月神社 御由緒
      千葉県いすみ市新田(宮の台)790番地
 ◇御祭神   大日孁貴神(天照大御神)・月夜見命
 ◇御神徳   五穀豊穣・諸願成就・開運
 ◇御神木   千年杉
 ◇天然記念物 ホルトノキ(いすみ市指定有形文化財)
 ◇沿革 建長 元年(1249)御府台(新田谷操田台)に創建 日の神を鎮祭
     慶長 元年(1596)現在地(宮の台)に奉遷    月夜見尊を合祀
     慶安 3年(1650)本殿造営(現在の内殿)
     文政 8年(1825)社殿造営(現在の宮殿)
     大正13年(1924)日枝神社(山王社)造営
     昭和 8年(1933)御御輿・神輿倉・境内御手洗舎・手洗石新築・御遷宮式・同記念碑建立
     昭和45年(1970)鳥居修築工事(柱・基石)
     昭和46年(1971)社殿屋根瓦葺替工事
     昭和47年(1972)御遷宮式
     昭和57年(1982)表参道石段改修・裏参道拡幅・駐車場設置工事・同記念碑建立
     昭和58年(1983)御遷宮式
     昭和59年(1984)神輿蔵屋根瓦葺工事
     昭和61年(1986)裏参道・駐車場舗装工事
     平成 元年(1989)内殿改修工事
     平成14年(2002)鳥居修築工事(柱・屋根)
     平成29年(2017)御神輿奉納
     平成30年(2018)御遷宮式
     令和 3年(2021)日枝神社新築工事・遷座祭
 ◇建築様式 本殿(唐破風入母屋造)・拝殿(流造)・鳥居(神明造)
 ◇年中行事 新年祭(1月1日)・祈年祭(3月13日)・大祓(6月30日)・秋季例祭(9月23・24日)献穀祭(11月23日)・大祓(12月31日)


 社殿右側に、境内社の地震社(御祭神 建御雷神・御神徳 地震制御)と天王社(御祭神 牛頭天皇・御神徳 疫病退散)です

 社殿の右後ろ(南側)に目的のホルトノキが有ります

 大きな板根の見事なホルトノキです

 説明版です
  いすみ市指定天然記念物
    日月神社のホルトノキ
      平成25年5月24日指定
 ホルトノキは本州から沖縄にかけて、沿海地の林内に生育する常緑高木である。
 千葉県以西に分布し、県内では清澄・愛宕山系以南の南部に多く見られる。
 日月神社のホルトノキは、神社境内のスギに囲まれた林内に生育している。
 根元から二株に分かれる双幹で、幹周はそれぞれ3.55mと、3m、樹高は23mほどである。東西24.5m、南北22.7mの枝張りがある。
 根元は、波打ちながら板状に肥大している板根が発達しているため、特異な樹形となっており、立ち姿は壮観である。
 樹齢は200年以上と推定される。
 樹冠下には、種子から発芽、成長したと思われる幼木を多く確認することができ、樹勢は良好である。板根の周囲は、アリドオシやベニシダなどが多く生育し、温暖帯性植生の様相を呈している。
 いすみ市内のホルトノキは、散見されるが数は少なく、千葉県内における分布については、北限に近いと言える。
 このような中、日月神社のホルトノキは、双幹の大木に成長しており、また板根の発達が著しいという点で、きわめて貴重である。
   平成26年3月25日  いすみ市教育委員会


 北東側から

 北側から


 北西側から見ました

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千葉県勝浦市、植野「慈眼寺の大カヤ」(市指定)です!!

2023-11-19 06:37:59 | 巨樹・大木
 植野地区は、勝浦市役所の西約6kmのところ

 勝浦市役所を北へ出て国道128号線を南西へ進みます

 約1.3kmで臨海荘前を斜め右(北西)へ、外房線の線路を潜って、また約200mで三叉路を斜め右(北西)へ

 約4.7km道成りに進んで県道82号線に合流し南西へ進みます

 約2.4kmで県道左手に勝浦警察署植野駐在所が有ります、清酒「腰古井」の蔵元吉野酒造のはす向かいです

 直ぐ西側の慈眼寺参道を入ります、境内南側の墓地に面して駐車スペースが有ります

 北向きの慈眼寺参道入口です

 県道脇に天然記念物標柱です

 参道を進みます

 本堂前の境内真ん中に目的のカヤです

 東向きに本堂です

 本堂前(西側)から

 東側から見上げました

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千葉県鴨川市、天津「天津神明宮・天津のまるばちしゃの木」(県指定)です!!

2023-11-18 18:38:10 | 文化財・樹木
 天津地区は、鴨川市役所の東北東約6kmのところ

 鴨川市役所前を南西に出て「鴨川警察署前」信号を左(南東)へ、県道24号線です

 約500mの「鴨川市横渚」信号を左(北東)へ、国道128号線です

 約3.1kmで鴨川バイパスを斜め左に降りて、県道181号線方向へ入ります

 「東町交差点」信号を右(東)へ国道128号線(旧道)です
 
 約4kmで「天津神明宮」の案内板に従て左(北)へ入り、国道128号線天津バイパスの高架下を潜り直ぐに右へ

 第三駐車場を右に見て、JR外房線に高架を潜ると神明宮の参道です

 もう少し進んで、神明宮西側の駐車場に入りました

 説明版です
   神明神社
 当神社の祭神は天照皇大神・豊受大神・八重事代主神・大山祇大神など7柱の神が合祀されています。
 むかし、「天孫降臨」に当たり、八重事代主神が海路当地に来て、東方鎮護の神として鎮座されたので、人々はこれを喜び「庤(もうけ)明神」と尊称しました。
 治承4年(1180)源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れて来たとき、伊勢神宮に源家の再興を祈念し、祈願が成就したなら、安房の国に御厨一処を寄進しますと礼誓しました。
 そして宿願が成就し、寿永3年(1184)当地に御厨を新設し、伊勢より迎えた神霊と、以前より鎮座の庤大神を相殿にまつりました。
 それから、「房州伊勢の宮」と尊崇され今日に至っています。
 境内東側の山はすぐれた極相林として町の指定文化財になっています。
 山頂には伊弉諾・伊弉冉の神を祀る諾冉神社が有ります。
 境内の「まるばちしゃの木」は亜熱帯性落葉喬木で、千葉県指定天然記念物になっています。


 手水舎です

 参道左手の八社宮です、祭神は右から、白崎住吉社・新町稲荷社・砂田山神社・滑山山祇社・龍風王子社・坂本山神社・川脇浅間社・他諸社が祀られています

 参道左手に目的の「まるばちしゃの木」が在ります

 南東側から

 南側から

 南西側から


 西側から


 天然記念物標柱です

 説明版です
  千葉県指定天然記念物
    天津のまるばちしゃの木
      昭和10年11月12日
 マルバチシャノキ(ムラサキ科)は、日本から台湾、中国中・南部にかけ自生する暖地性の落葉小高木です。
 わが国では、房総半島南部や紀伊半島、四国、九州、沖縄沿岸地にまれに見られ、千葉県が世界的な分布の北限となっています。
 県内でも数が少なく、当地にほか、実入地先(ここから1kmほど東に海岸)や小湊海岸地区以外ではほとんど見ることができません。
 この4本は、北限地の古木として価値が高く、このように大きな個体は、大変珍しいといえます。
 初夏、枝先に白色の小さな花が密集して咲き、秋には直径2cmほどの実が黄色く熟します。種子は繊維に包まれており、朝顔のタネほどの大きさです。
 この木については、見慣れない珍しい木の愛称でもある「なんじゃもんじゃ」の呼び名もあり、神明神社の神木として信仰されています。
     平成23年12月20日  千葉県教育委員会

 斜めに支柱で支えられているものが一番背の高い一本です

 北側から見ました

 真ん中の部分は違う木々が繁っています

 北側には細い数本の若木です



 参道右側の石段は

 「市指定天然記念物 神明神社の林」への入り口です

 境内社の左から井戸神祠・春日大神と八幡大神の祠、そして御神水が頂けます

 拝殿です

 本殿です

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千葉県鴨川市、広場「鏡忍寺の降神の槙」(市指定)再訪です!!

2023-11-18 06:30:22 | 巨樹・大木
 広場地区は、鴨川市役所の東北東約1kmのところ

 鴨川市役所前を南西に出て「鴨川警察署前」信号を左(南東)へ、県道24号線です

 約500mの「鴨川市横渚」信号を左(北東)へ、国道128号線です

 約600mの「鴨川広場」信号を左(北東)へ入り、約500mで左(北北西)へJR外房線の踏切を渡ります

 約600mで「小松原法難霊場 鏡忍坊」の看板のある信号を左(西)へ

 道成りに進むと

 南東向きに鏡忍寺参道入口の総門です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鴨川市の案内地図です

 日蓮宗霊跡本山 小松原山 妙隆閣 鏡忍寺です

 文化財案内板です
  

 境内案内図です

 手水舎です

 山門の仁王門です

 山門を潜ると参道右手に目的の「降神の槙」です

 南東側から、枝は支柱に支えられた竹製の棚に載せられるように守られています

 太い幹を見上げました、目通り幹囲4.3mの大木です

 南西側から

 天然記念物標柱です

 「法難降現鬼子母神 降神の槙 樹齢千年以上」案内板です

 *日蓮聖人の一行が法難の際、樹上に鬼子母神が現われ、危うく難を逃れたと伝えられる槙です

 太い幹を見ました

 西側から

 南西向きに祖師堂です

 仏殿(本堂)です

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千葉県鴨川市、北小町「長福院のイヌマキ」(市指定)です!!

2023-11-17 18:37:22 | 巨樹・大木
 北小町は、鴨川市役所の西北西約6kmのところ

 鴨川市役所前を南西に出て「鴨川警察署前」信号を右(北西)へ県道24号線です

 約1.9kmで「大日交差点」信号を左(西)へ、県道181号線です

 約1.4kmで「田原交差点」信号を右(西)へ、県道34号線です

 約2.7kmで「主基斉田址公園入口」看板を右(北)へ入ります

 道成りに約800mで倉庫の先を斜め左へ入ると間も無く

 北辰神社と長福院の参道になっています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北辰神社の社號標です

 鳥居を覆い隠すように、目的のイヌマキです

 鳥居の下から太い幹を見ました、樹高13m、幹周405cm、直径129cmの大木です

 天然記念物標柱です

 南西側から

 参道石段の西側から

 北辰神社参道は奥に続いています

 北辰神社社殿は山の上なので、ここまでにします

 長福隠本堂です

 北東側から

 東側から

 南東側から見ました

 長福院境内への石段です

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千葉県鴨川市、畑「熊野神社のナギ」(市指定)です!!

2023-11-17 06:38:51 | 文化財・樹木
 畑地区は、鴨川市役所の西南西約7kmのところ

 鴨川市役所前を南西に出ます、「鴨川警察署前」信号を左(南東)へ、県道24号線です

 約500mで「鴨川市横渚」信号を右(南西)へ、国道128号鴨川バイパス・外房黒潮ラインです

 約2.4kmで「曽呂十字路」信号を右(北西)へ、県道89号線です

 約4.2kmの「上神社」前を左(西)へ道成りに1.8km進んで県道272号線に合流て西へ進みます

 約300mで斜め左下へ入って約500mで

 熊野神社が東向き参道で鎮座します

 鳥居前道路脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 参道を進むと境内です

 境内右手に目的のナギです

 水盤です

 拝殿です

 本殿です

 南側から、根元には直径1.5cmほどの実が沢山落ちています

 南西側から

 天然記念物標柱です

 ナギ(梛)は、裸子植物のマキ科ナギ属に分類される常緑高木の1種です。
 しばしば神社に植えられ、特に熊野権現との関わりが深く、「ナギ」の名は、葉がコナギの葉に似ていることに由来するとされています。種子からは油がとられ食用に利用されることがあり、古くは神社の灯火用に使われたそうです。
(ウィキペディア一部抜粋)

 社殿脇の北西側から

 北側から見ました

 境内の石祠と出羽三山の石碑があります、熊野神社なのにどうして湯殿山・月山・羽黒山神社の石碑があるのか分かりませんでした

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千葉県南房総市、沓見「莫越山神社の椎(子育てのシイ)」(市指定)です!!

2023-11-16 18:46:00 | 文化財・樹木
 沓見地区は、南房総市役所の東南東約11kmのところ

 南房総市役所を東へ出ます、約600mで十字路を右(南)へ、さくらロードです

 約300mで丁字路を左(東)へ、国道127号線館山バイパスです

 約2.7kmの那古信号を斜め左へ、県道296号線です

 約2.9kmで三芳中学校手前の歩車分離信号を右(南)へ、県道88号線です

 約2.8kmで丁字路の安房地域医療センター信号を左(東)へ、国道128号線です

 約5.5kmで日蓮寺の案内板を見て約900mの賀茂信号を左(北)へ国道410号線です

 約400mで左(西)に入ると莫越山神社の駐車場が左手にあります

 南側に一の鳥居です
.
 莫越山神社社號標です

 東向きにニノ鳥居です

 説明版です
  莫越山神社
    延喜式内小社 明治6年8月郷社に列格(旧社格)
祭神  本殿  手置帆負命  小屋安の大神と称す、工匠祖神、家宅守護の神
        彦狭知命   (手置帆負命とともに・木を切り出し瑞殿を作った)
    相殿  彦火々出見命  敷物の祖神
        豊玉姫命    安産育児の神
        鸕鶿草葺不合尊 海猟海上安全の神
例祭日  7月9日
由緒抜粋
 創立は神武天皇元年。
 天富命忌部の諸氏を率いて東方の開拓に安房の国に来臨し、東方の開拓をなされた時、随神として来られ工匠の職に奉仕した、天小民命、御道命が、忌部の神 手置帆負命・彦狭知命を当社莫越山におまつりして、祖先崇敬の範を示された。
 手置帆負命・彦狭知命は工匠の祖神で、氏上天太玉命に従って宮殿家屋機械器具の類をつくりはじめた神で、工匠の祖神であり家の守護神でもあります。
 参拝することにより工匠にかかわる人は勿論、家屋に住む者すべて御神徳が授けられます。
 相殿には、彦火々出見命・豊玉姫命・鸕鶿草葺不合尊がまつられていますが、日本敷物の祖神、安産育児の神、海猟海上安全の御神徳が授けられます。


 参道を進んで石段を上がります

 手水舎です

 社殿の一段下に目的の椎(シイ)の大木です

 南側から

 案内板です、「子育てのシイ」ですね

 東側から

 北東側から

 北側に離れて見ました

 石段を上がり南西側から見ました

 境内へ入って南西側からは、良く解かりませんね~

 西側からは幹の下の部分は見えません

 拝殿です

 本殿です

 北側には若宮神社です

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千葉県南房総市、加茂「日運寺の榧」(市指定)です!!

2023-11-16 06:31:00 | 文化財・樹木
 加茂地区は、南房総市役所の東南東約10kmのところ

 南房総市役所を東へ出ます、約600mで十字路を右(南)へ、さくらロードです

 約300mで丁字路を左(東)へ、国道127号線館山バイパスです

 約2.7kmの那古信号を斜め左へ、県道296号線です

 約2.9kmで三芳中学校手前の歩車分離信号を右(南)へ、県道88号線です

 約2.8kmで丁字路の安房地域医療センター信号を左(東)へ、国道128号線です

 約5.5kmで日運寺の案内板を左(北)へ、間も無く道路左手に日運寺駐車場があります

 直ぐ北側には日運寺参道が東向きに開いています

 前のゴミ集積所に地区の案内図「かものさんぽ道」が有ります、日運寺のほかに次に予定している莫越山神社も載っています

 日運寺寺號標です

 境内案内図です

 参道を進みます

 山門(仁王門)です

 文化財案内板です
   勝栄山 日運寺の文化財
 ※由緒
 日蓮寺は昔、勝栄坊と称する真言宗の小堂であったが、文永元年(1264)11月、日蓮上人が鎌倉より小湊に帰る途中、この堂に止宿、当時の堂主、行然法印を説得し、日蓮宗に改宗した寺である。
 これより約300年後、里見安房守義頼の老臣、勝浦城主正木重郎時通、故あって剃髪して僧となり(勝栄山日運上人)元亀2年(1571)この坊の再興をはかり、勝栄山日運寺と号し当山の開山となる。
   日鑑上人入定窟と請雨塔 (昭和50年11月1日市指定文化財)
 日運寺第18世日鑑上人は、天明5年(1785)夏の異常旱魃の折、村人の願いを入れて加茂坂の堰の中に薪を積み重ね、法座として21日間の雨乞い祈願をする。満願の日、慈雨を得た上人は余命なきを知り、岩窟に入り法華経を読誦して入定したという。
 請雨塔は天保11年(1840)第23世日禎上人により建立(高さ2.2m)され、加茂堰入口にある。
   榧の木 (昭和50年11月1日市指定天然記念物)
 樹齢約600年と推定される。以前強風により倒れたため、昭和50年に根本保護工事を実施した。
 樹高17m、根元幹廻り2.5m
   仁王門 (昭和53年2月28日市指定文化財)
 享保11年(1726)第22世日忍上人の建立、円柱八脚門で全体に装飾は少なく、木鼻が素朴で当時の特徴をよく表している。昭和55年(1980)屋根を銅板にふきかえる。
   正木時通・頼忠の墓 (昭和54年10月30日市指定文化財)
 日運寺歴代墓地の中央にあり、約300年以上の歴史をもつ石塔である。
   正木時通の墓 宝篋印塔 高さ1.83m 開山日運上人 天正3年(1575)没
   正木頼忠の墓 笠塔婆  高さ1.86m 時通の弟 環斉 玄和8年(1622)没
     当山地領願主 了法院大居士
   御杖井戸の霊蹟
 文永元年11月、日蓮聖人当山止宿の折、この土地の井戸が飲料水に適さず、村人が非常に困窮していると聞き、大聖人自ら御祈願され、御杖をこの地に立てられると、不思議にも清水がコンコンと湧き出たと伝えられる。
     昭和60年3月 南房総市・南房総市教育委員会・日運寺 



 仁王門を潜ると、参道を塞ぐように大木が倒れています

 目的の榧(カヤ)です

 大正6年(1917)に強風により倒れた為、昭和50年には根元保護工事行われています

 南東側から、樹高は17m、根元幹廻2.5mだそうです

 隣に立って居るのはまだ若いようです

 東側から

 北側から

 榧 樹齢600年の札が掛けられています

 参道奥側から

 更に参道先から見ました

 参道左手には、慈母観音と本地堂です

 日蓮上人御杖井戸です

 ソテツ並木の参道を本堂へ向かいましょう

 手水舎です

 本堂です

 西側の高台に鐘楼です

 日蓮上人行脚像です

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千葉県南房総市、本織「延命寺のビャクシン(2樹)」(市指定)です!!

2023-11-15 18:31:00 | 文化財・樹木
 本織地区は、南房総市役所の南東約6kmのところ

 南房総市役所を東へ出ます、約600mで十字路を右(南)へ、さくらロードです

 約300mで丁字路を左(東)へ、国道127号線館山バイパスです

 約2.7kmの那古信号を斜め左へ、県道296号線です

 約2.9kmで三芳中学校手前の歩車分離信号を右(南)へ、県道88号線です

 約900mで延命寺の案内板が有りますので左(東)へ

 約400mで左からの道に合流して間も無く左(東)へ

 約100mで南向きに延命寺参道の入口です

 参道を入った右手(東側)に砂利の駐車場がありますので利用させて頂きました

 長留山 延命寺の寺號標です

 里見氏舊迹の石碑です、境内地には後期里見氏累代の墓所が有ります

 宝篋印塔です

 山門です(山門手前に目的のビャクシンの枝が横たわっています)

 山門前から参道西側のビャクシンを見ました

 東側から

 天然記念物案内板です

 北東側から

 北側から

 西側から見ました

 参道右手に鐘楼です

 手水舎です

 参道を進むと、参道左手に太い幹が見えて来ました

 北東側から、もう一本のビャクシンです

 こちらにも案内板です

 北側から

 西側から

 西側の御堂は大通殿です

 本堂です

 説明版です
  曹洞宗 長谷山 延命寺(本織2014番地)
1、由緒
 延命寺は、永正17年(1520)里見4代実尭が開基し、吉州梵貞和尚を開山とする里見氏の菩提寺で、石高217石余。
 曹洞宗の録所(宗政を司どる役寺)で、多くの雲水僧が修行した禅寺であった。
 裏山には正安3年(1301)記銘の板石塔婆(県指定文化財)や、里見4代実尭・6代義尭・7代義弘などの墓があり、山麓には10代忠義の忘れ形見利輝の墓もある。
2、寺宝
 ○源氏里見系図2巻(市指定文化財)があり、これは延宝8年(1680)江戸の平山勝岑の編纂したものである。
 ○地獄極楽絵図16幅(市指定文化財)天明4年(1784)江戸の画工江府宗庵によって描かれたもので、例年盆の8月16日に公開展示されている。
 ○その他、大魚鼓(市指定文化財)や里見実尭像のほか、古文書としては里見義尭・義弘・義康・忠義や、徳川家康・秀忠の書状などがある。また安房国札第24番観音霊場でもある。
      南房総市
 

 本堂西側にもビャクシンが有りました

 では、次へ行きましょう



 
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