増間地区は、南房総市役所の東北東約9kmのところ
南房総市役所を東へ出ます、約600mで十字路を右(南)へ、さくらロードです
約300mで丁字路を左(東)へ、国道127号線館山バイパスです
約2.7kmの那古信号を斜め左へ、県道296号線です
約2.9kmで三芳中学校手前の歩車分離信号を左(北)へ、県道88号線です
約4.3kmの滝田郵便局前で県道88号が左カーブになるところから右へ入ります、県道258号線です
約3,3kmで、増間日枝神社参道が左手に見えて来ますが
駐車場は約200m先の大日山登山者用の「大日山遊歩道駐車場」を利用しました
駐車場前の案内図です
七滝・大日山遊歩道庵案内図です、ここが七滝への入り口です
増間日枝神社参道入口には、「御神的神事」の標柱が建ています
参道を進みます、両側には過疎化のため廃墟がならびます
神社の上と思われるところに杉の樹冠が見えました
石段が見えて来ました
日枝神社社號標です
石段の上に赤い鳥居が見えます
参道石段の両側に杉の大木が並びます
参道右手(東側)の杉の大木です、注連縄が巻かれています
境内側から
左手(西側)の杉2本にも注連縄が巻かれています
境内側から
「南房総市天然記念物 増間日枝神社の大杉群 五樹」の標柱です、あとの2本は社殿裏側のようです
鳥居は南側から撮影できませんでした、参道西側の二本の杉が正面になっています
手水鉢です
拝殿です
本殿です
御的神事の説明版です
県指定民俗資料 日枝神社の御的神事(増間552番地)
昭和32年、増間地区の15社が合祀され、大山咋命を祭神とする日枝神社を区の鎮守とした。
例年3月1日、日枝神社の境内で、元正天皇の頃(715~723)を起源とする「御的神事」が行われる。これは、稲作などの豊凶を占う歩射の神事で、2月26日の的貼りから始まる。
当日選ばれた2人の射手は、鍵元とよばれる家に赴き、新湯を浴び更に垢離の淵で水浴潔斎して衣服を整え、鍵元に伴われ弓矢をたづさえて神社に上る。神前で祭典を終え、御的神事が始まる。
2人の射手によって23間半(約43m)離れた鳥居の側から、早生、中生、晩生に分けて矢を2本ずつ交互に3回12本、都合36本射る。矢の当たり具合で、年間の天候、適種、豊凶を占う。
この御神的神事は、古い民俗儀式を折り目正しく伝えるものとして県指定民俗資料となっている。
南房総市
神事が行われる境内は、北西側に延びています
本殿裏側の杉の巨木です
南東側から見ると、細目の杉が見えました
東側から見ました
南房総市の昔話です
海へ流れた島
昔むかしの話ですが、増間に、2日3晩ものすごい大雨が降り、水神様を祀ってあった川の中の島が流されてしまいました。
信心深い村人たちは、大勢で川を下りながら島を探しましたが、とうとう見つけることができず、海まで出てしまったのです。
皆、がかりしていましたが、
「ついでに海も探してみんべえ。」
と、船を雇って、那古・船形の海岸沿いに多田良村の大房岬の端まできますと、そこに、よくにた島がありましたので、
「島がえらい大きゅうなったが、俺が村から流れてきたもんに違げえねえ、それに生えている松もそっくりだ。」
と大喜びして、一生懸命に引いて帰ろうとしましたが、どうしても動かないので、仕方なく「増間島」と名付けて水神様を祀り、村へ引き上げました。
それを知った多田良の村人たちは、
「そんな大馬鹿な話はあるもんか、あの島は大昔から、彼所にあったんだ。」
と言ったそうですが、増間の村では、一人残らず、自分たちが大房岬で見つけた島には、本当に増間から流れていったものだと信じていますから、正月と秋祭りになりますと、村の代表が水禍が起きないよう願い、島の水神様へ、供物を持ってお詣りに行きました。
真実の話は、増間村の人たちが、得意の馬鹿話を利用して、遠く離れた大房岬にある島を手に入れ、海藻や魚介類を取る拠点にしたのだと言われています。
増間の人達の知恵による国盗り物語ですね。
南房総市教育委員会
では、次へ行きましょう
南房総市役所を東へ出ます、約600mで十字路を右(南)へ、さくらロードです
約300mで丁字路を左(東)へ、国道127号線館山バイパスです
約2.7kmの那古信号を斜め左へ、県道296号線です
約2.9kmで三芳中学校手前の歩車分離信号を左(北)へ、県道88号線です
約4.3kmの滝田郵便局前で県道88号が左カーブになるところから右へ入ります、県道258号線です
約3,3kmで、増間日枝神社参道が左手に見えて来ますが
駐車場は約200m先の大日山登山者用の「大日山遊歩道駐車場」を利用しました
駐車場前の案内図です
七滝・大日山遊歩道庵案内図です、ここが七滝への入り口です
増間日枝神社参道入口には、「御神的神事」の標柱が建ています
参道を進みます、両側には過疎化のため廃墟がならびます
神社の上と思われるところに杉の樹冠が見えました
石段が見えて来ました
日枝神社社號標です
石段の上に赤い鳥居が見えます
参道石段の両側に杉の大木が並びます
参道右手(東側)の杉の大木です、注連縄が巻かれています
境内側から
左手(西側)の杉2本にも注連縄が巻かれています
境内側から
「南房総市天然記念物 増間日枝神社の大杉群 五樹」の標柱です、あとの2本は社殿裏側のようです
鳥居は南側から撮影できませんでした、参道西側の二本の杉が正面になっています
手水鉢です
拝殿です
本殿です
御的神事の説明版です
県指定民俗資料 日枝神社の御的神事(増間552番地)
昭和32年、増間地区の15社が合祀され、大山咋命を祭神とする日枝神社を区の鎮守とした。
例年3月1日、日枝神社の境内で、元正天皇の頃(715~723)を起源とする「御的神事」が行われる。これは、稲作などの豊凶を占う歩射の神事で、2月26日の的貼りから始まる。
当日選ばれた2人の射手は、鍵元とよばれる家に赴き、新湯を浴び更に垢離の淵で水浴潔斎して衣服を整え、鍵元に伴われ弓矢をたづさえて神社に上る。神前で祭典を終え、御的神事が始まる。
2人の射手によって23間半(約43m)離れた鳥居の側から、早生、中生、晩生に分けて矢を2本ずつ交互に3回12本、都合36本射る。矢の当たり具合で、年間の天候、適種、豊凶を占う。
この御神的神事は、古い民俗儀式を折り目正しく伝えるものとして県指定民俗資料となっている。
南房総市
神事が行われる境内は、北西側に延びています
本殿裏側の杉の巨木です
南東側から見ると、細目の杉が見えました
東側から見ました
南房総市の昔話です
海へ流れた島
昔むかしの話ですが、増間に、2日3晩ものすごい大雨が降り、水神様を祀ってあった川の中の島が流されてしまいました。
信心深い村人たちは、大勢で川を下りながら島を探しましたが、とうとう見つけることができず、海まで出てしまったのです。
皆、がかりしていましたが、
「ついでに海も探してみんべえ。」
と、船を雇って、那古・船形の海岸沿いに多田良村の大房岬の端まできますと、そこに、よくにた島がありましたので、
「島がえらい大きゅうなったが、俺が村から流れてきたもんに違げえねえ、それに生えている松もそっくりだ。」
と大喜びして、一生懸命に引いて帰ろうとしましたが、どうしても動かないので、仕方なく「増間島」と名付けて水神様を祀り、村へ引き上げました。
それを知った多田良の村人たちは、
「そんな大馬鹿な話はあるもんか、あの島は大昔から、彼所にあったんだ。」
と言ったそうですが、増間の村では、一人残らず、自分たちが大房岬で見つけた島には、本当に増間から流れていったものだと信じていますから、正月と秋祭りになりますと、村の代表が水禍が起きないよう願い、島の水神様へ、供物を持ってお詣りに行きました。
真実の話は、増間村の人たちが、得意の馬鹿話を利用して、遠く離れた大房岬にある島を手に入れ、海藻や魚介類を取る拠点にしたのだと言われています。
増間の人達の知恵による国盗り物語ですね。
南房総市教育委員会
では、次へ行きましょう