ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県栄村、堺小赤沢「小赤沢川の大瀬の滝と小赤沢のブナ」です!!

2023-11-07 18:41:16 | 巨樹・大木
 堺小赤沢地区は、栄村役場の南南東約15kmのところです

 しかし、一度新潟県津南町に入って中津川の谷を進んだ「秋山郷」に当たりますので、約30kmの道路距離になります。

 栄村の北野川沿いを進む県道505号線側からも道路は繋がっていますが、道路距離で約32kmですので津南町経由で行きましょう

 栄村役場前から国道117号線を新潟方面へ向かいます、約8.2kmの大割野信号を右(南東)へ国道403号線です

 約21.7kmで国道左に「秋山郷総合センター とねんぼ」が有ります

 約300m先の苗場山⇦(小赤沢登山口)の案内板を左(南東)へ入ります

 「小赤沢の御神木かつらの木」入口を過ぎて林道を進むと、林道脇の小赤沢では砂防ダムの工事が行われていました

 「苗場山⇦」から約1.5km右カーブの左下に「大瀬の滝」が見えて来ます

 滝への降り口脇に車を止めさせて頂きました

 小赤沢川の本流にかかる滝です

 説明版です
  大瀬の滝
 小赤沢川の「大瀬の滝」は、約15mの落差があり、結東層の中の玄武岩の水冷破砕溶岩(ハイアロクラスタイト)と呼ばれる固い岩石が滝を形成しています。
 この岩石は蛇淵の滝を構成する岩石と同じものです。
 ここから30m程下ると諏訪神社があり、小赤沢川は小赤沢集落を通り中津川に合流します。
     苗場山麓ジオパーク ジオパークぶらり



 近付いて見ました、広い滝壺になっています


 シャッタースピードを変えて見ました

 左側に岩の間から

 少し左へ

 滝の前左端から見ました

 ではもう少し林道を進みます

 大瀬の滝から約1.9km林道の右手に太い幹が見えて来ました

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から


 東側から、目通り幹囲3.5mの大木さそうです

 幹は薄くなっていて穴が開いています

 南側から

 では、次へ行きましょう
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長野県栄村、堺小赤沢「小赤沢の御神木かつらの木」です!!

2023-11-07 06:30:16 | 巨樹・大木
 堺小赤沢地区は、栄村役場の南南東約15kmのところです

 しかし、一度新潟県津南町に入って中津川の谷を進んだ「秋山郷」に当たりますので、約30kmの道路距離になります。

 栄村の北野川沿いを進む県道505号線側からも道路は繋がっていますが、道路距離で約32kmですので津南町経由で行きましょう

 栄村役場前から国道117号線を新潟方面へ向かいます、約8.2kmの大割野信号を右(南東)へ国道403号線です

 約21.7kmで国道左に「秋山郷総合センター とねんぼ」が有ります

 約300m苗場山登山口の案内板を左(南東)へ入ります

 約250mで道路右手に案内板が有ります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「小赤沢の御神木 かつらの木」まで・・・えんで8ふん⇨ガンバレ、の文字が有ります
 *「えんで」とは「行ってこい」みたいな意味のようです

 ここを上がって行きます

 石垣が見えます

 広場になっていますが、元は住宅が有ったのかも

 左の林へ入ります

 下草が少し伸びています

 踏み跡はしっかりしていますが、昨今のクマ出没ニュースが心配です

 左へ折り返すように進むと木々の間に細いカツラの木が見えて来ます

 斜面の上に目的のカツラです

 右へ折り返す様に

 足場の悪い斜面を上ります

 踏み跡が怪しくなったところから見上げました

 下草につかまりながら登ります

 斜面をカツラの右手へ登って来ました、目通り幹囲10mの巨木です

 直ぐ脇から

 幹には「かつら母神」が祀られています

 少し左へ移動して見上げました

 では、戻って次へ行きましょう
 
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長野県栄村、堺小赤沢「小赤沢のユモトマユミの木」(村指定)です!!

2023-11-06 18:36:25 | 文化財・樹木
 堺小赤沢地区は、栄村役場の南南東約15kmのところです

 しかし、一度新潟県津南町に入って中津川の谷を進んだ「秋山郷」に当たりますので、約30kmの道路距離になります。

 栄村の北野川沿いを進む県道505号線側からも道路は繋がっていますが、道路距離で約32kmですので津南町経由で行きましょう

 栄村役場前から国道117号線を新潟方面へ向かいます、約8.2kmの大割野信号を右(南東)へ国道403号線です

 約21.7kmで国道左に「秋山郷総合センター とねんぼ」が有りますので、ここに車を止めさせて頂きました

 秋山郷保存民家福原総本家旧宅前に「栄村天然記念物ユモトマユミの木」の案内板が有ります、150m3分ですので行ってみましょう

 前の道路から北西側の墓地の先のようです

 道路西側の墓地の入り口にユモトマユミの木が見えてきました

 南東側から

 説明版です
  小赤沢のユモトマユミ
 ユモトマユミ(カントウマユミ)はマユミの変種で、北海道から九州に分布しています。
 「ユモト」は箱根湯本に多く見られることから、「マユミ」は昔、弓材によく使われていたことから、この名がつけられました。
 小赤沢のユモトマユミは、天明飢饉(1782~1787)の時に飢饉で滅んだ矢櫃村の人々がこの実を食べ、飢えをしのいだという逸話が伝わっています。
 しかし、種子は有毒なため、果実を口に入れるのはお控え下さい
    苗場山麓ジオパーク ジオパークぶらり

   栄村天然記念物
 1、名称      ユモトマユミ(ニシキギ科)
 2、指定年月日   昭和62年6月24日(栄村文化財保護条例第30条)
 3、所有者     山田直廣(栄村小赤沢)
 4、取材地     下水内郡栄村大字堺18339-3
 5、ユモトマユミの特色、説明
 ユモトマユミ(1名カントウマユミ)は本州から北海道などの本州以北分布し、それに対してマユミ(カンサイマユミ)は本州から九州など本州以南に分布する。
 マユミの葉の裏は無毛であるが、ユモトマユミの葉の裏には葉脈上に毛状の突起がある。
 小赤沢のユモトマユミはこの種としてはまれにみる巨木である。
 又秋の果実はユモトマユミの方が赤い。
 樹齢ーーーー不明であるが200年以上と推定される。
 樹幹周囲ーー2.42m
 樹高ーーーー6.20m
   言葉の意味
 マユミ(真弓)昔弓材に利用したのでこの名がある。
 ユモト(湯本)箱根、湯本の辺りで個の植物がみられたので。
 カントウ(関東)関東地方以北に多いので。
 カンサイ(関西)関西地方以南に多いので。
 6、その他
 文化財は先人が残した貴重な財産です。
 根元を踏まないよう、又枝などは決して折らないで大切に保存しましょう。
     昭和62年9月   栄村教育委員会



 南側から

 南西側から

 西側から見ました

 では、秋山郷総合センターとねんぼへ戻って、次へ行きましょう
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新潟県津南町、中深見甲甲「深見神社のカツラ」です!!

2023-11-06 06:32:28 | 巨樹・大木
 中深見甲甲地区は、津南町役場の南南東約4kmのところ

 津南町役場傍の国道117号線大割野信号を南東へ、国道405号線です

 約3,7kmの秋成郵便局に先を左(東)へ入ります

 道成りに左にカーブした約400mで右(東)へ細い道へ入ると

 境内入口鳥居は南向きです

 境内北端に目的のカツラが見えました

 鳥居脇に杉の大木です

 鳥居を潜って境内西側から見ました

 鳥居を潜った境内から、第一世代のカツラです

 水盤です

 西向きに深見神社社殿です

 *神社明細帳(明治16年)には、中魚沼郡中深見村内本村字根腰 無格社・皇大神社とあります。
 中深見のうち本村地区の産土神ですが、創立年月は不詳、祭神は天照皇大神と豊受皇大神です。
 明治8年(1875)に字前田に祀られていた健御名方富命、字日月に祀られていた大日孁命と月読尊、字家中に祀られていた譽田別尊・迦具突智命を合併しました。
 更に明治40年(1907)字川原の大峯神社(素盞嗚尊)と字前平の愛宕社(伊弉冉尊)を合併し、社号を深見神社としたそうです。

 南東側から見ました

 南側から、目通り幹囲4.8mの大木です

 南西側から

 西側道路から見ました

 では、次へ行きましょう
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長野県栄村、堺小赤沢「小赤沢のクリと保存民家」です!!

2023-11-05 18:31:53 | 巨樹・大木
 堺小赤沢地区は、栄村役場の南南東約15kmのところです

 しかし、一度新潟県津南町に入って中津川の谷を進んだ「秋山郷」に当たりますので、約30kmの道路距離になります。

 栄村の北野川沿いを進む県道505号線側からも道路は繋がっていますが、道路距離で約32kmですので津南町経由で行きましょう

 栄村役場前から国道117号線を新潟方面へ向かいます、約8.2kmの大割野信号を右(南東)へ国道403号線です

 約21.7kmで国道左に「秋山郷総合センター とねんぼ」が有りますので、ここに車を止めさせて頂きました

 とねんぼ前の国道403号線から保存民家の看板を南西に入ります、下側見える萱葺屋根が保存民家です

 下り始めて左手に目的のクリの巨木です

 北側から見上げました

 北西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 西側から見ました

 道路を下って行きます

 秋山郷保存民家福原家旧宅です

 西側から

 出入口部分です

 説明版です
  地域の宝 秋山郷保存民家
    福原総本家旧宅 
 江戸時代中期頃の建築で豪雪地特有の中門造りの民家です。
 雪中の暮らしの厳しさが仕上げた堅固な造りです。

 北西側から見ました

 次へもう少し下って、ユモトマユミを見に行きましょう
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長野県栄村、堺小赤沢「苗場神社里宮・十二神社のカツラ」です!!

2023-11-05 06:31:20 | 巨樹・大木
 堺小赤沢地区は、栄村役場の南南東約15kmのところです

 しかし、一度新潟県津南町に入って中津川の谷を進んだ「秋山郷」に当たりますので、約30kmの道路距離になります。

 栄村の北野川沿いを進む県道505号線側からも道路は繋がっていますが、道路距離で約32kmですので津南町経由で行きましょう

 栄村役場前から国道117号線を新潟方面へ向かいます、約8.2kmの大割野信号を右(南東)へ国道403号線です

 約21.7kmで国道左に「秋山郷総合センター とねんぼ」が有りますので、ここに車を止めさせて頂きました

 とねんぼ入口に苗場神社・十二神社の案内板です

 秋山郷総合センター とねんぼです

 苗場山麓ジオパークの案内板です

 現在地の右の⑪の苗場神社境内のカツラと左の⑩小赤沢のユモトマユミに手前のクリの木、⑬の小赤沢かつら母神と⑳の大瀬の滝と途中のブナの木を予定しています

 秋山郷総合センター とねんぼから東側の苗場神社へ行きましょう

 南側から苗場神社境内です

 手水舎です

 正面に苗場神社里宮の社殿です

 右手には西向きで十二神社の社殿です

 十二神社社殿の南側に目的のカツラです

 十二神社社殿前の西北西側から見上げました

 西側から

 南西側から、目通り幹囲9.9mの巨木ですが・・・


 南側から、第二世代の幹のほとんどが枯れてしまっています

 南東側から

 東側から見上げました

 では、次へ小赤沢のクリの巨木へ行きましょう
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長野県野沢温泉村、豊郷「湯沢神社の大杉」(村指定)です!!

2023-11-04 18:52:05 | 巨樹・大木
 豊郷地区は、野沢温泉の中心部で村役場もあります

 野沢温泉村役場の前の県道353号線を東へ坂道を上って行きます

 約500mで横落信号を左へ、約50mのタクシー会社前を右へ細い温泉街の坂道を上って行きます

 約50mで斜め左へ大湯通りです、更に温泉街の急な坂道を登って行きますが、湯澤神社前には車を止める事が出来ないので

 戻って、東側の野沢温泉スキー場沿いを北へ、湯澤神社の上側の野沢温泉スポーツ公園の駐車場に車を止めさせて頂きました

 (実は、スポーツ公園と野沢温泉を結ぶ「遊ロード」エスカレータみたいな動く歩道が無料で乗ることが出来ます。 で、利用させて頂きました)


 湯澤神社参道入口です

 案内板です、遊ロードは1分直ぐそこです

 郷社 湯澤神社です

 説明版です
   湯沢神社
 湯沢神社は旧く「湯山~湯沢」と呼称された野沢温泉の総鎮守です。
 創建の年代ははっきりしませんが、諏訪信仰の祖神建御名方神(タケミナカタノカミ)を祭神とし、現在の社殿は明和2年(1765)頃の造営と伝えられています。
 拝殿の扁額は明治の元勲三条実美公の揮毫に成り、建築や組物・彫刻はその作風から、江戸時代中期この地方で活躍した越後の工匠岩崎嘉一とその一門の作と推定されています。
 建築当初の様式をよく伝えていることなどから、村有形文化財に指定されています。
 又、例年9月8・9日に行われる秋祭は「灯篭連れ(づれ)」と愛称され、格調あるその行列は村無形民俗文化財としての伝統を守り続けております。
    野沢組惣代

 水盤です

 両部鳥居です、本体の鳥居の柱を支える形で稚児柱があり、その笠木の上に屋根がある鳥居です。

 *名称にある両部とは密教の金胎(金剛・胎蔵)両部を言い、神仏習合を示す名残です。
 *四脚鳥居、稚児柱鳥居、権現鳥居、枠指鳥居などの別名がある。

 急な石段の上に社殿の屋根が見えました

 石段の左手(西側)に目的の大杉です、鳥居下から見上げました

 南側から

 西側から

 説明版です
  野沢温泉村天然記念物
    湯沢神社の大杉(ユザワジンジャノオオスギ)
    昭和54年11月1日指定
 杉は真っすぐに伸びる木という意味からきた名前です。
 当村は昔から杉の良く育つところで、赤滝川ぞいの山地には杉の美林がたくさんあります。
 多くの杉のなかで、一際目立つのが、ここ、湯沢神社の大杉です。
 樹高38.5m、目通り幹囲535cmで、推定樹齢300年以上の巨木です。
 一直線に高く伸び、太くしっかり立つこの木は、ここに静まる神の心の象徴のようで、この神域にふさわしい御神木となっています。

 北側から見ました

 石段を上ると拝殿です

 石段上から大杉を見ました

 拝殿軒下には彫刻が見られます、鳳凰や龍の彫物が見事です

 本殿覆い屋です

 説明版です
  野沢温泉村指定文化財
   湯沢神社の灯籠連れ(ユザワジンジャノトウロウズレ)
     無形民俗文化財 平成7年9月1日指定
 12種類、100本を超える灯籠が列をなし、ロウソクに火を灯して延々と村内を練り歩きます。その様は盛観です。
 三十六歌仙舞などが勇壮華麗に行われます。
   湯沢神社本殿(ユザワジンジャホンデン)
     有形文化財 平成9年3月26日指定
 本殿は、覆い屋の中にあり18世紀前期、作風から宝永年間の越後の工匠のものと推定されます。
 一間社流造りという形で軸部は欅材漆塗り、周囲には色彩が施された彫刻が添えられています。
   湯沢神社奉納額(ユザワジンジャホウノウガク)
     有形文化財 平成10年4月28日指定
 〇御台場石垣積み人足奉納額(嘉永7年)
  この額は、嘉永6年(1853年)アメリカのペリーが来航した際、江戸品川沖の台場(砲台設置)構築に参加した、村の石積職人達が奉納した額で、実際に使用した鍬が添えられています。
 〇算額(明治17年)
  この額は、飯山の和算家上原算成の門人で野沢村の河野仙右エ門満尊が、明治17年に奉納したもので、幾何図形3問とその解答が記されています。
 算額とは、和算家が自分の発見した数学の問題や解法を書いて、神社などに奉納した絵馬のことです。

 境内東側には珍しい二階建ての神輿殿です


 では「遊ロード」で帰りましょう

 遊ロード入口です

 動く歩道に乘ります

 一段目です

 二段目に乗り継ぎます

 同じくらいの距離を乗り継ぐと

 野沢温泉スポーツ公園側の通路です

 通路を出るとサマースキー場が広がります

 では、次へ行きましょう
 
 
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長野県木島平村、往郷観音堂「鞍掛けの梨」(村指定)です!!

2023-11-04 06:32:39 | 文化財・樹木
 往郷観音堂地区は、木島平村役場の東北東約4kmのところ

 木島平村役場前を東へ出て、約2,3kmで一時停止を左(東北東)へ県道354号線です

 矢蓺2kmで馬曲温泉入口を過ぎて、約700mのヘアピンカーブを過ぎた所を右後ろ(北東)へ入ると、標高750m附近あら左手(北側)には棚状の耕地が広がります


 右手に説明版が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側から、目的のナシの木です

 説明版です
  木島平村指定文化財
 天然記念物(植物)鞍掛けの棃
   推定樹齢  500年~
   胸高幹囲  280cm
 馬曲集落から東方に約500m、ここは観音堂と呼ばれる地籍で、崖下には馬曲川が流れています。
 植物上の分類はバラ科のミチノクナシ(別名イワテヤマナシ)の変種のアオナシといい、大きさは高さ12m、枝張り6mあります。
 昭和45年の指定当時は幹囲400cm、枝張り14mでしたが、台風の被害で幹が半分倒れて現在のようになりました。
 この傍を通る道は「志久見街道」と呼ばれる古道で、昔、木曽義仲が平家追悼に向かう途中、馬の鞍えおこの木にかけて休んだという言い伝えが残っています。
 いずれにせよ、市川氏の本拠の志久見や越後へ抜ける近道なので、中世の軍勢が多く往来していたことが推察できます。
   昭和45年11月3日指定
     木島平村教育委員会
 

 根元には庚申塔が建っています

 北側から


 北東側から


 東側には農村総合整備モデル事業の竣工記念の石碑です

 では、次へ行きましょう

 *前の道路は栄村へ抜けられるようですが・・・来た道をすなおに戻りました

 
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長野県飯山市、瑞穂「犬養神社のカツラ」です!!

2023-11-03 18:31:21 | 巨樹・大木
 瑞穂地区は、飯山市役所の北東約6kmのとところ

 飯山市役所から中央橋で千曲川を東側へ渡ります、国道403号線です

 約500mの木島工業団地入口信号を左(北)へ

 道成りに4.5kmの菜の花公園南信号を左(北東)へ県道38号線です

 約200mで右(東)へ入ると左手に犬飼神社が南向き参道で鎮座します
.
 犬飼神社社號標です、側面の記載には・・・
  建御名方富神・高比賣神
 大同2年の創立と伝えられ、古く諏訪大明神と称されていたが、享和3年郷名にならって犬飼神社と改称した
 
 *建御名方の神は諏訪神社の主祭神ですね

 参道左手には、句碑や月讀見尊・猿田彦大神の石碑です

 石鳥居です

 手水舎です

 社殿です

 社殿左手に目的のカツラです

 南東側から

 南側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 西側から

 北側から

 東側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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長野県飯山市、緑法寺「法寺諏訪社のスギ」です!!

2023-11-03 06:30:08 | 巨樹・大木
 緑法寺地区は、飯山市役所の北約5kmのところ

 飯山市役所の東側、千曲川沿いの国道117号線を北へ進みます

 約1.3kmで斜め左の県道95号線へ北へ進みます
 
 約2.3kmの水沢信号を左(北西)へ、県道411号線です

 CPR飯山工場やモンベル飯山工場の有る長峰・南原工業団地の案内板の有る約700mで左(西)へ入ります

 約200mで斜め右(南西)へさらに坂道を上って、下っていくと

 道路右手(北側)に法寺諏訪社が南向き参道で鎮座します

 目印は布袋様です

 前の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 参道です

 両部鳥居です

 参道を進みます

 拝殿前左手に目的のスギですが、なにかの板が立て掛けられています

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 東側から、しめ縄が巻かれていますのでご神木のようです

 北側から見ました、目通り幹囲5.1mの巨木です

 本殿西側の石祠です

 では、次へ行きましょう
 
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長野県飯山市、飯山「正受庵の大ケヤキ」です!!

2023-11-02 18:44:08 | 巨樹・大木
 飯山地区は、飯山市役所の有るところです

 飯山市役所の西約800mのところに臨済宗正受庵が一段高い丘の上に在ります

 飯山市役所西側の通りを南へ、直ぐの十字路を右(西)へ、信号を左(南)へ谷街道です

 約300mの南町信号を右(西)へ、JR飯山線の踏切を越えた約500mの、北陸新幹線の高架の手前を右(北)へ

 約200mで斜め左へ入ると

 約200mで正受庵の標柱が有ります、ここを西へ坂道を上って行くと


 目的の大ケヤキが見えて来ました

 *駐車場は坂道を登り切った正受庵の南側の公衆トイレ脇に在ります

 北東側から

 案内図です


 東北東側から

 東南東側から

 説明版です
   長野県史跡
     恵端禅師 正受庵
     指定 昭和35年2月11日
  説明
 恵端禅師正受老人は、寛永19年(1642)飯山に生まれ19歳江戸に出て、至道庵無難禅師につき、道を修むること前後17年、其の法燈をつぎ名刹を捨てて、生地に帰り、飯山城主松平忠倶の厚い帰依によって営まれたこの簡素な禅庵に、生母を迎えて住むこと45年、享保6年(1721)80歳にて遷化するまで、ひたすら佛道に精進し白隠はじめ、すぐれた弟子を育ててわが国臨済禅中興の基を開いた。
 現在の本堂旧庵跡は弘化4年(1847)の大地震に破損して改築されたが、その規模にあってはよく旧庵の遺構を留め、城主より拝領の水石、老梅等、閑寂な境内の景致と相まって故人の遺徳をしのぶことができる。
 なお庵の後ろの丘には裁松塔を安置した老人の墓が母尼李雪の墓と相ならんで存する。
    昭和47年12月28日
      長野県教育委員会
      飯山市教育委員会




 南東側から見上げました

 参道入口です

 参道へ入って南側から

 参道を進みましょう、奥側にもケヤキの大木です

 正受庵の建物がブルーシートで覆われています

 足場が組まれて、屋根の葺き替えをしています

 鐘楼の様です

 建物を回り込む様に進みます

 庫裡と本堂の建物の様です

 本堂の廻りにも足場が組まれていました

 境内の案内図です、説明内容はケヤキ横の山門脇の説明版とほぼ同じ内容です

 では、次へ行きましょう
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長野県長野市、松代町松代「大林寺とつつみ公園のケヤキ」(保存樹)です!!

2023-11-02 06:34:26 | 巨樹・大木
 ここからは2023年10月25日取材分です

 松代町松代地区は、長野市役所の南約11km、長野市役所松代支所のあるところ

 松代大本営平和祈念館の駐車場を予定していましたが、まだ駐車場が開いていませんでしたので

 大林寺の駐車場に車を止めさせて頂くことにしました

 長野市役所松代支所の東側の県道388号線を南へ直ぐに斜め東(南東)へ入ります

 先の三叉路を左(東)へ進むと左手に大林寺の駐車場があります

 大林寺参道入口です

 大林寺です

 六地蔵様ですが

 田掻き地蔵の説明版です
   松代の民話
     田掻き地蔵
      ~人助けをする六地蔵様~
 ある年のこと、山々も新緑となり、お寺でもお手伝いの人たちの手で、ご朱印地の田おこしをして、田掻きを待つばかりとなりました。
 ところが、突然の集中豪雨で町は水びたし、水害さわぎで人手を失ってしまいました。
 困り果てていると、若者6人がやってきて、泥だらけになって田掻きをやってくれました。
 「ありがたいこと、どちらの方かのう?」と和尚さんが感心していると「六地蔵さんの頬に泥が・・・・。」若者は六地蔵でした。
 町の人たちは、人助けをする六地蔵さまだと語り伝えています。
    松代地区市制百周年事業実行委員会

 本堂です

 大林寺の文化財案内板です
   寒松山 大林寺 曹洞宗
 真田昌幸が上田城主であった天正年間に、妻・寒松院の発願により上田に大輪寺が建立された。
 元和8年(1622)真田信之松代移封により松代に分霊し大林寺となり、寒松院の墓がある。
 鎌原桐山・山寺常山・矢沢頼道・坂口淳(童謡「小鹿のバンビ」作詞者)等の菩提寺でもある。
   鎌原桐山
    松代藩家老・漢学者 松代三山(桐山・東山・常山)の一人。
    生没年:安永3年(1774)~嘉永5年(1852) 享年:79歳
 鎌原重賢、桐山は号。学問を好み、岡野石城・佐藤一斉等に学び、武芸・礼式・点茶等に通じ、私塾朝陽館には多くの門人が集まった。
 佐久間象山・山寺常山・長谷川昭道等の門人である。東条の天王山に佐藤一斉撰文の桐山鎌原翁碑がある。
   寺山常山
    学者・幕末松代藩の漢学者。松代三山の一人。
    生没年:文化5年(1808)~明治11年(1878) 享年:71歳
 山寺久道、のち信龍。常山は号。江戸に出て兵学・漢学を学ぶ。
 天保14年寺社奉行・郡奉行を兼務。
 能吏の標高く、弘化4年善光寺地震の被災、明治3年には午札騒動に対処し民心を鎮めた。
 明治新政府の招きを辞し、郷里の教育発展に尽くした。山寺常山邸内に顕徳碑がある。
   矢沢頼道
    自治功労者・松代町長
    生没年:明治2年(1869)~昭和13年(1938) 享年70歳
 矢澤家は松代藩において、代々無役席(筆頭家老格)を務めた藩中最高の家格であった。
 松代町恩田檪園の長男、明治10年矢沢頼直の養子となる。
 町議会議員・郡会議委員を経て明治34年第7代松代町長、同36年県会議員となり連続3期務め、大正元年第10代松代町長となり、23年勤務。
 松代開府300年祭記念事業として、松代町史編纂に取り組む。また、松代農学校(現松代高校)や上水道の設置に尽力した。


 つつみ公園へ行きましょう

 大林寺参道入口を少し東へ、ギャラリー松真館の東側を南へ入ります

 公園に入って振り返るとヤナギの大木です、この脇を通って来ました

 「里の秋の」童謡碑です

 説明版です
   童謡作曲家
     海沼實 歌碑
      生誕地:松代町御安町
      生没年:明治42年(1909)~昭和46年(1971)
 昭和6年(1931)に上京し、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)在学中に、児童合唱団「音羽ゆりかご会」を創設。数多くの童謡歌手を育成。
 昭和13年(1938)に「お猿のかごや」で大ヒットを記録。その後、「あの子はたあれ」、「ちんから峠」など多くの国民的ヒット作品を創出。「里の秋」も多くの人々が愛唱。日本童謡界屈指の功績者。


 目的のケヤキです

 東側から見ました

 西側へ行きましょう


 西側にはケヤキが三本並んでいます

 保存樹説明版です
   保存樹木
 この樹木は緑を保存するために指定したものです。みんなで大切にしましょう。
   指定内容
 樹種・数量  ケヤキ4本
 指定番号   指定第177号
 指定年月日  昭和59年3月27日
    長岡市

 北西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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長野県山ノ内町、一ノ瀬「一の瀬のシナノキ」(県指定)です!!

2023-11-01 18:30:21 | 巨樹・大木
 一ノ瀬地区は、山ノ内町役場の東約9kmのところ

 山ノ内町役場前から長野電鉄長野線の踏切を越えて県道478号線を南東へ進みます、

 約500mで湯田中温泉駅前からは県道342号線です、約300mの湯田中温泉駅入口信号を左(南東)へ

 約500mで星川橋信号を右(南西)へ夜間瀬川を渡り坂道を上って行きます

 約600mで案内板に従って志賀高原・草津方面の左(東)へ、国道292号線に合流して進みます

 約12、7kmの種池地区で案内板に従って斜め左の奥志賀・焼額・一ノ瀬方面へ、県道471号線です

 約3.1kmの志賀3号トンネルが工事中で西側にう回路が有ります

 約1.4kmで県道に戻ります、約1.3kmの一ノ瀬ダイヤモンドスキー場前に

 地区の案内板です、右上に目的の「一の瀬のしなのき」の表示が見えました

 約600m先の志賀高原プリンスホテル西館前に「焼額山登山者用駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 「しなの木⇒」と「焼額山登山道入口」の案内板が有ります

 すぐ右手には、焼額山第2高速リフト(標高1590m)です

 焼額山(標高2013m)方面を見上げました、焼額山スキー場西端の第2高速リフトは唐松コースの上の標高1800m(5合目)付近まで続いています

 左手に「一の瀬・高天原方面」リフト乗り場です

 一の瀬山の神スキー場の連絡路を進みます

 焼額山登山道入口の標柱です

 ここからパノラマゲレンデを通って山頂まで約1時間半ほどだそうです、今回は行きませんけど・・・

 間も無く分かれ道です

 真っ直ぐに作業道をのぼって行きましょう

 「しなの木300m」の案内板です駐車場から標高差70m程を登って来ました

 スキー場のコースから南へ下ると「しなの木200m」の標柱です

 左へ下ります


 木道が現われます

 木道の右手斜面に大きな幹が見えました

 北西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
   長野県天然記念物 一の瀬のシナノキ
      指定 平成13年3月29日
 標高1650m、ここ長野県下高井郡山ノ内町志賀高原一の瀬に生息。
 目通り幹周8m、樹高23m、樹齢800年と推定され、長野県一の大きさを誇り、全国的にも1・2位を争う巨木である。
 シナノキは、低山帯の山地に生息するシナノキ科の落葉高木で、木の内皮の繊維が強く柔軟なので、かつては加工して、紙・縄・蓑などを作っていた。
 昔、京都に朝廷があったころ日本紙を献上することが多かったので、シナノキを多産する国として、長野県下では「信濃(しなの)の地名の語源」になったとの説もあり、古来から信濃にゆかりのある樹木として知られている。
   長野県教育委員会・山ノ内町教育委員会・財団法人 和合会



 北側から

 北北東側から

 北東側から見上げました

 もう一枚説明版です
    しなの木からのお願い
 私はしなの木です。
 800年前に、志賀高原に生まれ、キハダやダケカンバなどの仲間と静かに暮らしてきました。
 この沢にはサンカヨウ・ツバメオモト・オオウバユリなど美しい花が咲きます。
 シナノキは昔からシナ布や和紙の材料にされたり、明治の頃からは炭焼きの人がこの森に入り、大勢の仲間が切り倒され、いなくなりました。
 私も何度か切り倒されかけましたが、今もこうしていられるのは、この山を見守ってきた私に人々が敬意をはらい、森の主として親しまれてきたからでしょう。
 その後、昭和29年(1954年)頃から、一の瀬の開発が進み、静かだったこの辺りもスキー場になってしまい、かろうじてこの周りの森だけが残りました。
 私を天然記念物として大切にしてくれるのはありがたいことですが、長い間生きてこられてのは、豊かな自然の生態系が保たれていたからなのです。
 私も年をとり、やがては枯れて土に返りますが、私の子供や孫たちが、安心して成長できるような環境を保ってほしいと願っています。
 ちなみに釈迦が「木の下で悟りを開いた」といわれているボダイジュやリンデンと呼ばれるセイヨウシナノキは私の仲間です。
 追記:私の根と仲間を保護するために、通路の外には出ないでください。

 北東下から見上げました

 来た道を戻らずに先へ進みます、標高1640m位をほぼ水平に進みます


 山道脇に「しなの木にこんにちは 3回ならしてね!」の札のそばに、単管と金属の棒が吊るされていたので3回鳴らしました
 *今年は各地で熊の出没がニュースになっていますので、山に入る時には熊避けの鈴やラジオを鳴らして、気を付けないといけませんね~

 振り返るとこんな感じです

 登り口近くで見た志賀高原一の瀬山の神スキー場の「一の瀬・高天原方面」リフトが登って来ています

 間も無くゲレンデに出ました

 ここから出て来ました

 ゲレンデを下ることにしました

 焼額山第2高速リフト乗り場の建物が見えました

 ここを下って来ました、スキー場のオープン準備で草刈が終わっていたので下って来れました

 

 作業道を北へ進むと、さきほど上から見下ろしたリフトですが上の登山道は解かりませんでした

 下側です

 焼額山登山口標柱近くの分岐に戻りました

 では、次へ行きたい所でしたが、「秋の日は釣瓶落とし」といわれるくらいに早く暗くなりますので、家に帰ることにしました

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長野県飯綱町、赤塩毛野「毛野諏訪社の大杉」です!!

2023-11-01 06:36:41 | 巨樹・大木
 赤塩毛野地区は、飯綱町役場の東北東約4kmのところ

 飯綱町役場から東側の国道18号線善光寺信号を右(南東)へ出て進みます

 約900mの深沢信号を斜め左(北東)へ、県道362号線です

 道成りに約4.2kmで毛見集落入口の毛野停留所の先を左(北西)へ

 約600mで道路左手に勝教寺が有ります、参道前に車を止めさせて頂きました

 毛野諏訪社は勝教寺の西側に隣接しています

 勝教寺の鐘楼です

 毛野諏訪社参道です

 両部鳥居です

 説明版です
    諏訪社  毛野
 天喜4年(1056)藤原氏の末裔清水某が奥州安部頼時の戦乱にあたり、鬼門除として、この地に社殿を建立したと伝承されている。
 拝殿の床下には畳2枚程の大杉の切株が往時を物語っており、境内に現存する大杉は樹齢4・5百年で三水村では最も古い杉である。
 広大な屋敷跡で当時は隣の寺院も屋敷の一環と思われる、西側に土塁が築かれてあり、現在も600余坪の水平地は相当の豪族の屋敷跡と思われる。
 なお保存されている神楽の精巧さも村内最高で文化財的である。
     むらおこし実行委員会

 *平成17年(2005)10月1日に牟礼村・三水村が合併し飯綱町が発足しました。
 

 鳥居下から参道の門杉状の杉の大木を見ました

 境内奥に拝殿が見えます

 目的の大杉です、勝教寺本堂の屋根がすぐそばに見えました

 南側から見上げました

 南西側から、目通り幹囲5.2mの巨木だそうです

 西側から、大きな根鉢です

 北北西側から見ました

 拝殿です、説明版に記されていた切株が見えるかと思って覗いて見ましたが解かりませんでした

 本堂覆い屋です

 では、次へ行きましょう
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