ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県遠野市、土淵町土淵3地割「大木稲荷のトチノキ」(市指定)です!!

2024-11-25 12:30:00 | 巨樹・大木
 土淵町土淵3地割地区は、遠野市役所の北東約5kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1.1kmの国道283号線の交差点信号からは国道340号線となって更に進みます

 約3.3kmの「⇐附馬牛・県道160号線」の標識に従って信号を左(北西)へ

 約500mで「伝承園⇒」の案内板で信号を右(東北東)へ

 約300mで「伝承園・カッパ淵 無料大駐車場」が有りますので利用させて頂きました

 遠野市観光案内図です

 *常堅寺の拝観時間にまだ間が有ったので、今回の「大木稲荷のトチノキ」と次回の「常堅寺のケヤキ」と「カッパ淵」を順に見て行きます

 駐車場の向かい(南)側へ、カッパ淵への道路の一本東側の農道を南南東へ入ります

 約100mで左手(東側)奥にトチノキの樹冠が確認できます

 東へ農道を進むと鳥居が見えました

 境内を北東側から

 西向きの大木稲荷神社の社殿です

 「遠野市指定天然記念物 大木稲荷のトチノキ」の標柱です

 社殿を回り込んで西側から見上げました 

 南側から

 南東側から見ると横に広くなっています、目通り幹囲6.6mの巨木です

 東側から見上げました

 東側に離れて見ました

 では、戻ってカッパ淵へ行きましょう



 2024・10・19・08・50
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社のサワラ」(市指定)です!!

2024-11-25 07:19:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 遠野市役所南側の仲町通を東南東へ、約200mで左(北北東)へ、途中から国道340号線に変わります
 
 約4.5kmで「⇐附午牛・県道160号線」の標識に従って左(北北西)へ

 道成に約10kmで「神遣神社4.1km⇒」・「重湍渓5.9km」・「7km大出⇒」や「早池峰神社」を右(北)へ
 
 さらに道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 ここから前回からの続きです

 本殿前境内に上がります

 境内案内図を確認しましょう

 大きな本殿です

 境内東側に手水舎と夫婦イチイを見ました

 本殿西側の斜面に大きな幹の木です

 二つ目の目的のサワラです

 市指定天然記念物標柱です

 南側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

 北東側から見上げました

 サワラの南側には早池峰稲荷神社です

 参道を戻ります

 参道を東へ入ると社務所入り口の「中門(黒門)」です

 説明版です
   遠野市指定文化財
     早池峯神社の中門(別称:黒門)
       所有者   早池峯神社
       指定年月日 平成13年6月29日
   形式・構造  四却門・木造茅葺
   建造年代   慶応2年(1866)
 遠野南部氏の祈願所として200石を給された旧早池峯山妙泉寺の施設で、太守の御成門であった。
 遠野の大工の手によるもので大瓶束などに優れた意匠がみられ、江戸期の遠野における代表的な門建築として貴重である。
 平成25年に早池峯神社が市民の浄財を集めて屋根の葺替えを行なった。
      平成28年11月    遠野市教育委員会 



 では、次へ行きましょう



2024・10・19・08・10
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社の夫婦イチイ」(県指定)です!!

2024-11-24 18:56:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 *前回の「早池峰神社の杉と御神木」でのルートとは別のルートで説明します

 遠野市役所南側の仲町通を東南東へ、約200mで左(北北東)へ、途中から国道340号線に変わります
 
 約4.5kmで「⇐附午牛・県道160号線」の標識に従って左(北北西)へ

 道成に約10kmで「神遣神社4.1km⇒」・「重湍渓5.9km」・「7km大出⇒」や「早池峰神社」を右(北)へ
 
 さらに道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 ここから前回からの続きです

 拝殿が見えて来ました

 境内案内図を確認しましょう

 拝殿です

 遠野市指定建造物 早池峰神社(本殿及び拝殿)です

 本殿が見えました

 説明版です 

 右手にイチイが見えました

 標柱ですが、「岩手県指定天然記念・・・峯神社・・」以外は剥がれてしまって読めなくなってしまっていますが
 1986年5月9日指定の「岩手県指定天然記念物早池峰神社夫婦イチイ」ですね
 イチイは、北海道、本州の中・北部および大和、四国、九州の山岳地帯や亜高山帯に生育する雌雄異株の常緑針葉高木で、岩手県内各地に点在するが、極めて稀であり、早池峰山や薬師岳の山腹にはやや稀に生育しています。
 早池峰神社の夫婦イチイは、神社の中門をくぐって右手に雌株、左手に雄株がある。
 雌株は、根元周囲4.98m、樹高16.2m。樹勢はすこぶる良好で、毎年赤い小粒の果実をつける。
 雄株は、根本周囲3.90m、樹高17.0m。下枝に枯れているものもあるが、樹勢はすこぶる良好である。
  以上はネットで調べった「いわての文化情報大辞典」の一部です

 ということは、こちらが雄株ですね、南西側から

 根元には水が出ていた手水となっていて、お不動様が祀られています

 南東側から見ました

 本殿前境内に上がります

 本殿前境内から一段下のイチイ(雄株)を見ました

 境内東側の手水舎脇に目的の「夫婦イチイ」の雌株です

 南西側から

 夫婦イチイの標柱です、こちらは読むことが出来ました

 南側から

 南東側から

 本殿東側から夫婦イチイを見ました

 長く成ってしまいましたので、続きとさせていただきます<m(__)m>




 2024・10・19・08・10
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岩手県遠野市、附馬牛町上附馬牛「早池峰神社のスギと神木」です!!

2024-11-24 12:31:00 | 巨樹・大木
 附馬牛町上附馬牛地区は、遠野市役所の北約20kmのところに早池峰神社が鎮座します

 *前回は附馬牛町へ北側の荒川高原から下って来ましたが、今回は南西側の達曽部側から二山越えて入りました

 遠野市宮守町達曽部46地割「上中斉の夫婦桂」の手前までを参照して頂くか、遠野市附馬牛町東禅寺7地割「新山神社のヒバ(サワラ)」の回を参照して頂きたいと思います

 「上中斉の夫婦桂」へ達曽川の橋の所から更に県道160号線を約5kmで宮守町達曽部稲荷穴キャンプ場入口を過ぎると人家が無くなりますが、通勤時間にということもあって意外と県道160号線は対向車が多かったです

 稲荷穴キャンプ場入口から約10.4kmで前日通った「常福院のサワラ2本」への入り口近く(附馬牛町東禅寺5地割)へ下って来ました

 約500mで、「新山神社のヒバ(サワラ)」への北側入り口です、側の橋の袂に「⇐早池峰神社8km」の案内板がありますので左(北)へ入ります

 道成りに約4kmで「神遣峠」です、早池峰郷の案内図があります

 約3.5kmで「早池峰神社⇒」の案内板がありますので右(東)へ、間も無く早池峰神社参道入口です

 東側先左手の「遠野早池峰ふるさと学校」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 南向きに参道入口の鳥居です

 説明版です
   本社早池峰神社
 霊峰早池峰の山霊を祀り、併せて早池峰山と共に遠野三山とよばれる石神・六角牛の山霊を祀る。
 草創は、大同元年(西紀807)3月8日、猟師藤蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂に於いて権現垂跡の霊容を拝して発心、山道を拓いて、その年の6月18日山頂に7尺有余の宮を創建して祀ったのがこの社の始まりである。
 山頂の社は本宮と称し、承和14年(西紀847)6月18日籐蔵薙髪(髪をそり仏門に入ること)して、普賢坊の長子長円坊が本宮の傍に新たに建立した若宮と共に、現在この早池峰神社の奥宮として祀る。
 嘉祥年間天台の高僧慈覚大師(円仁)奥州巡暦の途次この地に至り、宮寺妙泉寺を創建して坊を大黒坊と称し、不動三尊・大黒一尊各々本尊を別に、新山宮と号し3間4面の宮を建立し早池峰大権現を祀り、脇士として薬師・虚空蔵菩薩を併祀、坊には高弟持福院を住職とし、神宮には長円坊を別当として、神徒として仕かうべきを命じた。
 祭祀に神仏混淆で盛大に行われて、信仰は県外に及び、阿曽沼親綱の時代に120石、その後南部直栄より65石計200石封禄寄進され、明治維新に至り、廃仏毀釈により妙泉寺は廃され、新山宮改め早池峰神社として現在に至った。
 その間寛治年中、妙泉寺の宗派が天台宗から真言宗にかわり、文治5年火災にて全焼する等の変革を経て、現在の神殿は享保3年の建築で、東西43尺1寸・南北33尺7寸有り、用材は主として楢・栗等を使用している。
 その他神楽殿・神門・黒門・社務所等の備有り。神門は文化年中建立で、もと仁王門と称し仁王を安置していたが、妙泉寺の廃寺と共に土渕の仏師田中円吉作の随神像に替えた。
 昔は古例として年7回の祭儀を執り行なったと伝えられる。今は年1回旧暦6月18日に例祭を行っているが、近くの滝川に神輿を渡御して川の水を灌ぐ行事は、京都の祇園御霊会の神輿洗いの行事と同じく、上代に於け 式を存じ他に余り例が無いと云われる。
         昭和58年6月     附馬牛町 長男会

 神門です

 遠野市指定建造物 早池峯神社神門の標柱です
  
 神門を潜ると右手(参道と遠野早池峰ふるさと学校の駐車場の間)に境内で一番太いスギの巨木が立っています

 西側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 北側から

 東側(駐車場)から

 「遠野早池峰ふるさと学校」をスギの直ぐ東側駐車場から見ました

 参道右手に注連縄の巻かれた御神木です

 西側から

 北側から、後ろに「早池峰神社のスギ」が見えます

 境内案内図です
  早池峰神社
 大洞元年(806)の春3月8日、来内村の四角藤蔵が神霊を拝し早池峯山大権現の宮を建てた。
 その後幾多の時代の変遷を経て、現在早池峯神社として昔日の威容をしのばせている。
 早池峯山(1913m)は日本八景山の一つである。古くより山嶽信の聖地として崇敬された山霊であり、それを祀る神社である。
 早池峯神社は、末寺20社を持ち、格式を有する神社である。広大な境内と杉・桧・一位の古樹が繁茂して風致が幽玄の趣き深く荘厳の感を受ける。
 社殿規模も、鳥居・山門・拝殿・神殿・深宮と続き修験道又一の滝・大横通り・河原の坊・天狗のすべり岩と不思議な神秘的な話がある。

 参道を進みます

 拝殿が見えて来ました


 長く成りそうなので、続きとさせて頂きます<m(__)m>




 2024・10・19・08・00

 
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岩手県遠野市、宮守町達曽部46地割「上中斉の夫婦桂」(県指定)です!!

2024-11-24 06:31:24 | 巨樹・大木
 宮守町達曽部46地割地区は、遠野市役所の北西約15km、遠野市役所宮守総合支所の北北東約9kmのところです

 遠野市役所宮守総合支所支所は、まだ行っていないので、距離は長く成りますが遠野市役所からのルート説明です

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 約5.3kmで「盛岡・大迫・国道396号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 JR釜石線の線路を綾織跨線橋で越えて進みます

 道成りに約16.6km進んで来ました「土淵・県道160号線⇒」の標識に従って信号を右(北東)へ

 「達曽部川」の右岸に沿って約5.4kmで右(南東)へ、達曽部川を「栗屋敷橋」を渡り次の交差点を左(東北東)へ

 間も無く右手にカツラの木が見えて来ました

 近付きます

 目的の「上中斉の夫婦桂」の2本のカツラが並んでいます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側のカツラです

 南西側から

 西側から、ヒコバエが沢山出ている所謂千本桂ですね

 北西側から

 北側から

 カツラの幹にプレートです、幹周820cm、樹高25m、推定樹齢300年の巨木です

 北東側から

 遠野遺産第122号 上中斉の夫婦カツラの標柱です

 北側の一本です

 根元には南向きに祠があります

 南西側から、幹周6mの巨木です

 西側から、根元に水が湧いています

 北側から

 北東側から見上げました

 北側の道路から見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・07・20
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岩手県遠野市、綾織町上綾織10地割「田屋の大杉」(市指定)です!!

2024-11-23 19:46:26 | 巨樹・大木
 綾織町上綾織10地割地区は、遠野市役所の西約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 ここから道成りに約7.8kmで信号を右(北西)へ入って道成りに進みます

 約500mJR釜石線「岩手二日町駅」入口を過ぎの踏切を越えた直ぐの交差点を左(西南西)へ田圃の中の道路です

 真っ直ぐに約700mで丁字路を右(北東)へ

 道成りに約1.1km道路左手奥に杉の巨木が見えました

 すぐ先の道路からの「田屋の大杉」入口です

 すぐ脇に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   遠野市指定文化財
     田家の大杉
       指定年月日 昭和32年7月16日
  目通り幹囲  7.10m
  径      2.44m
  樹高     約30m(推定樹齢1500年)
 ほとんど損傷されていない稀に見る大樹で、市指定文化財天然記念物の中でも最も太いスギである。
 所有者宇夫家の所蔵文書に別の場所から移し植えられたという記録が残っている。
 この老杉には、昔、ある人が杉を切ろうとしたところ木から出血したとか、西南にあたる幹のこぶにかねの地蔵が入っているなどの伝説がある。
 現在、幹の東側根元に高さ50cm程の金毘羅大権現の石碑が寄りかかるように立っている。
 石碑は長年の内に幹のくぼみに食い込み容易に引き抜くことはできなくなっている。
       平成28年11月     遠野市教育委員会

 案内図です、附近の住宅に不法侵入に成らないようにしましょう

 ここを入ります

 登って行くと先に目的の「田屋の大杉」です

 北西側から

 遠野遺産第92号「田屋の大杉」の標柱です

 北側から

 北東側から

 東側から

 東側から近付いて見ました、根元に説明版にあった金毘羅大権現の石碑です

 錆びだらけになってしまった天然記念物標柱です

 根本に社殿です

 南西側から

 西側から見上げました

 南側のイチョウです

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・06・50

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岩手県遠野市、宮守町上鱒沢「長泉寺のサワラとかやの木」(市指定)です!!

2024-11-23 12:32:50 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年10月19日取材分です、前日迷いながら廻った所をまた巡る形になってしまいます

 宮守町上鱒沢地区は、遠野市役所の西南西約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 ここから道成りに約9.4kmで右(北西)へ入って、JR釜石線の踏切を越えて直ぐ左(西南西)へ坂道を上がるように進み

 下り始めた約900mで道路左脇に石碑が並んだところを右(北北西)へ坂道を登って行きます

 約200mで右手に長泉寺の参道が出ています

 参道西側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 参道左手にサワラの大木です

 南東側から

 幹周3.65m・樹高25m・推定樹齢300年のサワラのプレートです

 北東側から

 北側から見ました

 更に進むと山門です

 山門前の六地蔵様です

 山門を潜ると境内に大きなカヤの樹冠です

 右手には若いコウヤマキです


 南東側からカヤを見ました

 東側から

 本堂です

 本堂前から

 幹周3.1m・樹高14m・推定樹齢300年のカヤのプレートです

 北側から

 北西側から

 本堂西側の北西側に離れて見ました

 南西側道路脇から

 「遠野遺産第50号 長泉寺かやの木」の標柱です

 説明版ですが一部剥がれてしまっています
   遠野市天然記念物指定
     榧の木
 鱒沢館跡近くにある長泉寺は竜興山と号して臨済宗妙心寺派であり、天正2年(1574)鱒沢広勝の開基と伝えられる。
 長泉寺は天正2年鱒沢広勝のより寺畑に草創され、後、羽場に移され文政11年に上町に転じている。
 上町の於ける境内に現存する榧は慶長年間鱒沢広勝の鱒沢館に在った当時の樹であると言う。
 広勝字を佐馬助と称していたので、一名佐馬之助手植えの榧と言われる。
 前住職藤屋禅道師談によれば、本樹は雌株で、2~3年毎に約1石の種子を収獲すると言う。
 由来
 長泉寺は、天正2年(1574)阿曽沼氏の一族鱒沢左馬之助の開基、僧蘭江開山と伝えられ、その頃の移入と考えれば、樹齢凡そ400年に及ぶと推定されている。
 此の木がこのように長年生存したことは南斜面で、日当たりが良く、林床植物にオオバジャノヒゲが生育するな、立地条件に恵まれた外、代々の住職が垂れる枝に支柱などして、丹精をこめ管理した賜であると察思われる
       平成9年3月   遠野市教育委員会


 もう一枚の説明版です
   鱒沢館之跡
 鱒沢館は、宮守町鱒沢上町北方、笠通山に連なる尾根末端の丘陵に築かれた山城です。
 斜面全体は、7・8段の平場に構築され、頂部の平場には土塁の跡も見られ、館神も祀られています。
 基部巾100mに及び、一部内堀で分離された外郭が守りを堅固にしています。
 周囲全体は空堀で囲まれ、特に上部東側は谷の急傾斜を利用し、深く広い堀は二重三重となって見事なものです。
 比高は100mを越え、面積は1万㎥にも及ぶ壮大な規模を有し、猿ケ石川沿いの山城としては最大級のものと言えます。
 この館は阿曽沼氏の一族、鱒沢盛綱が鱒沢・小友の2村を領有し、上町に築いたのが始まりと言われています。
 この地は、北上平地、三陸海岸への交通の要所として、又、隣接する伊達氏への押さえとして重要であり、天正20年の諸城破却令にもかかわらず、同城は残されたと伝えられています。
     平成8年3月    遠野市教育委員会

 南側から見上ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・06・30

 
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岩手県遠野市、綾織町鶚崎11地割「聞称寺・御止の藤」(市指定)です!!

2024-11-23 06:30:55 | 文化財・樹木
 綾織町鶚崎11地割地区は、遠野市役所の西約6kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 約5.3kmで「盛岡・大迫・国道396号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 JR釜石線の線路を綾織跨線橋で越えて道成りに進みます

 約1kmで右へ入って国道と平行する道路を西へ進みます

 約300mで右手に聞称寺の参道が南向きにあります

 手前の道路脇に車を止めさせて頂いて

 庫裏への道路に入りました

 庫裏入口から山の中への道へ入ると

 聞称寺裏手の沢沿いに目的のフジが見えました

 北東側から太い蔓がイチイの木に這い上がっています

 斜面を少し下ってみました

 天然記念物標柱ですが、文面は聞称寺の庫裡の方を向いています

 西側へももう一本の蔓が這い上がっています

 *「遠野物語現在進行形」さんの12年以上前のネットの文面の一部引用です
 *聞称寺本堂裏にあるイチイの木とともに清水の谷の中に立つているフジです。
  「御止の藤」の由来は、当時の殿様がこれは大そう珍しい藤だから動かしてはならぬという事から、「御止の藤」と呼ばれるようになったそうです。
 ここの藤は白い花でかすかに淡い藤色をまとっているそうです。天然記念物に指定された藤の奥にもう1本、これも古そうな藤の木がくねりながら伸びています、この木を含めて天然記念物なのかもしれません。

 少し早いですが、そろそろ陽が傾いてきましたので、今日の宿へ向かうことにしました




 2024・10・18・15・30
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岩手県遠野市、上郷町佐比内26地割「室の木稲荷さんのウッコ」(市指定)です!!

2024-11-22 18:32:23 | 巨樹・大木
 上郷町佐比内26地割地区は、遠野市役所の東南東約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを南東へ、約200mの信号を左(北東)へ進みます

 約500mで「釜石⇒」の標識に従って右(東)へ、釜石線沿いを進みます

 約1.6kmで早瀬川を「初音橋」で渡ります、約300mで万通寺でイチョウを見て

 約600mで「釜石・国道283号線⇒」の標識に従って「糠前」信号を右(南南東)へ

 約3.6kmで赤川橋バス停側の道路状況掲示板の先を左(東南東)へ

 約2,7kmで道路右手(南側)に赤い鳥居が見えました

 鳥居への入り口前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 畦道状の参道を進みます

 目的のウッコです

 北向きに鳥居です

 稲荷宮の祠です

 祠の前から見上げました

 天然記念物標柱です

 もう一宮です、何方も稲荷社なのかもしれません

 北東側から
 *「遠野物語現在進行形」さんの12年以上前のネットの文面の一部引用です
 *目通り幹囲6m、樹高約10mのウッコ(イチイ)の木、樹齢は約850年。
 このイチイは稲荷さんの神木で、地域の象徴として崇められているそうです。
 ただ落雷によると思われる火事にでも遭ったのようで、腐食している内部が焦げていますが、樹勢は旺盛です。

 南西側から見上げました

 では、次へ行きましょう





 2024・10・18・14・45
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岩手県遠野市、上郷町細越5地割「慶雲寺のスギ」です!!

2024-11-22 12:31:00 | 巨樹・大木
 少し遅くなってしまったのですが、11月14日に75歳で火野正平さんが亡くなられました、ご冥福を祈ります<m(__)m>

 NHKのBSで放送されている「日本縦断 こころ旅」で、ここのところ代役が続いていたので心配していました

 火野正平さんが、巨木に関心を示していたのが思い出されます

 では、今回の投稿です

上郷町細越5地割地区は、遠野市役所の南東約9kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを南東へ、約200mの信号を左(北東)へ進みます

 約500mで「釜石⇒」の標識に従って右(東)へ、釜石線沿いを進みます

 約1.6kmで早瀬川を「初音橋」で渡ります、約300mで万通寺でイチョウを見て

 約600mで「釜石・国道283号線⇒」の標識に従って「糠前」信号を右(南南東)へ

 約3.7kmで「⇐釜石・上郷・国道283号線」の標識にしたがって感応式信号を左(南東)へ

 約2.3kmで道路左手に南向きの慶雲寺の参道が出ていますが、普段は通路として使われていないようです

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 参道を進みます

 参道左手に杉の大木ですが、目的のスギではありません

 本堂です

 本堂前左(境内南西側)に目的のスギです

 北側から。目通り幹囲5.5mの巨木です

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・18・14・30
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岩手県遠野市、青笹町糠前「青笹のイブキ」(県指定)です!!

2024-11-22 06:31:25 | 巨樹・大木
 青笹町糠前地区は、遠野市役所の東約7kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを南東へ、約200mの信号を左(北東)へ進みます

 約500mで「釜石⇒」の標識に従って右(東)へ、釜石線沿いを進みます

 約1.6kmで早瀬川を「初音橋」で渡ります、約300mで万通寺でイチョウを見て

 約600mで「糠前」信号を過ぎると県道35号線となって東へ進みます

 約4.4kmで県道の左手住宅の入口街道にイブキです

 県道脇に車を止めさせて頂きました(この日はオートバイによるラリーが行われていて、県道35号線もルートになっていました)

 住宅前庭に住宅の方がいらっしゃったので、声を掛けて「イブキ」の写真撮影の許可を得ました

 南東側から

 東側から

 説明版です
   岩手県指定天然記念物
     青笹のイブキ
       昭和52年4月26日指定
 イブキは、暖地の海岸に見られる美しい針葉樹で、庭木として使われることが多い。
 この樹種は、型の異なった葉を出す習性があり、青笹のイブキもスギ葉に似た葉と、ヒノキに似た葉の両型をもっている(二葉性)。
 普通、イブキといえばヒノキ葉だけのものを指し、スギ葉を出すものをビャクシンといい、その両型の葉を出すものをイブキビャクシンと呼んでいる。この呼び方からすれば、本樹は、イブキビャクシンにあたる。
 根本幹囲2.26m、目通幹囲2.10m、枝張り9.50m、樹高7mである。
 イブキ類は年肥大量が少ないことから、これまでの大木になるには、約300年はかかっているものと推定される。
       遠野市教育委員会

 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・10・18・14・15
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岩手県遠野市、青笹町青笹10地割「下関のエゾエノキ」(市指定)ですが・・・!!

2024-11-21 12:37:03 | 巨樹・大木
 青笹町青笹10地割地区は、遠野市役所東南東約4kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを南東へ、約200mの信号を左(北東)へ進みます

 約500mで「釜石⇒」の標識に従って右(東)へ、釜石線沿いを進みます

 約1.6kmで早瀬川を「初音橋」で渡ります、約300mで万通寺でイチョウを見て

 約600mで「釜石・国道283号線⇒」の標識に従って「糠前」信号を右(南南東)へ

 約1kmで鋭角に左(北東)へ入るっと

 道路左脇に大きな木が見えて来ます

 南側から、目的の「下関のエゾエノキ」ですが幹の半分が倒れた感じです

 南西側には大きな幹が倒れています

 *2024年11月5日現在:2023年9月のグーグルマップのストリートビューでの、枯れてしまっているようですが、立っている太い幹が見られました

 天然記念物標柱と説明板です

 南東側から、かつては目通り幹囲4.62mの大木でしたが、現在は約3mほどに成ってしまっています

 北東側の幹です

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう





 2024・10・18・14・05
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岩手県遠野市、青笹町糠前「万通寺・晴山のイチョウ」(市指定)です!!

2024-11-21 06:31:25 | 巨樹・大木
 青笹町糠前地区は、遠野市役所の東約2kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを南東へ、約200mの信号を左(北東)へ進みます

 約500mで「釜石⇒」の標識に従って右(東)へ、釜石線沿いを進みます

 約1.6kmで早瀬川を「初音橋」で渡ります、約300mで道路左(北側)に万通寺が南向きであります

 前の道路が広くなった駐車場に車を止めさせて頂きました

 境内南東端(駐車場から)に目的のイチョウです 

 南西側から

 路面が黄色くなるくらいにギンナンが落ちています

 南側から、樹高約30m、目通り幹囲4.73mの大木です

 天然記念物標柱がアジサイに埋もれていました

 南東側から

 境内に入って北西側から

 北側から見ました

 本堂です

 本堂前には浄土真宗宗祖親鸞聖人さまの像です

 では、次へ行きましょう

 


 2024・10・18・13・55
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岩手県遠野市、遠野町26地割「会下家の十王堂のカツラ」(市指定)です!!

2024-11-20 18:31:11 | 巨樹・大木
 遠野町26地割地区hあ、遠野市役所の南約500mのところ
 
 遠野市役所の南側の仲町通りを南東へ、約200mで信号を右(南西)へ

 約100mの岩手銀行前の信号を左(南東)へ、約300mの遠野市立遠野小学校西側の信号を右(南西)へ

 約350mで左(南東)へ、直ぐの交差点を左へ、次の交差点は遊歩道と自転車道です

 右側(東南東)先に大きな樹冠が見えます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から目的の会下家の十王堂とカツラの巨木です

 南側から

 天然記念物標柱です

 会下の十王堂 遠野物語拾遺53話の標柱です

 十王堂です

 説明版です
   遠野市指定文化財(有形文化財)
     十王像・葬頭河婆像(そうずかのばあぞう)
  一木造 ・ 制作年代 江戸時代
 十王とは冥界における10人の裁判官で、亡者の生前の行為の善悪罪障審判して、来世の禍福を決定するという。
  〈 遠野物語拾遺68 〉
 会下の十王様の別当の家で、ある年の田植え時に、家内じゅうのものが熱病にかかって働くことのできるものが一人もいなかった。
 それでこの田だけはいつまでも植えつけができず黒いままであった。
 臨家の者、困ったことだと思って、ある朝別当殿の田を見廻りに行ってみると、誰がいつの間に植えたのか、生き生きと一面に苗が植え込んであった。
 驚いて引き返してみたが、別当の家では田植えどころではなく、皆枕を並べて苦しんでいた。
 怪しがって十王堂の中を覗いてみたら、堂内に幾つもある仏像が皆泥まみれになっていたということである。 

 南東側から

 東側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 北側から

 祠がありました

 では、次へ行きましょう





 2024・10・18・13・40
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岩手県遠野市、大工町「善明寺のイチイ」(市指定)です!!

2024-11-20 12:39:03 | 文化財・樹木
 大工町は、遠野市役所の西約500mのところ市街地の中です

 市役所南側の仲町通りを西北西へ進みます、約300mで丁字路を左へ曲がると

 右手(西側)に善明寺の参道が東南東向きに開いています

 参道南側の参拝者用駐車場に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   金光山 善明寺
     宗派 浄土宗
     本尊 阿弥陀如来
 12世紀末、養安上人により遠野松崎に養安寺が開山。浄土宗開祖法然上人の直弟子、金光上人により開基された。
 善明寺は最初、八戸に文録元年(1592)善明上人により開山されたが南部氏が遠野に移るのに伴い、2世欣霊が養安寺32世に入り寺を合併した。
 その後、遠野城下形成のため延宝7年(1679)現在地に移転、山号寺号を入れ替え現在に至っている。
 本尊の阿弥陀如来は平安時代末期の作といわれ、市の文化財に指定されている。また、金光上人ゆかりの天狗の牙や正牛坊の角、猩々の払子が伝わっている。
 山門の中、左側の五輪塔は鎌倉時代のもので、当地方最古のものであり、市の文化財に指定されている。
 本堂には、江戸時代末から明治時代にかけて描かれた供養絵額が奉納されている。反対側には養安寺跡から移植した樹齢800年と推定されるイチイの古木があり、市の天然記念物に指定されている。

 文化財説明版です
   遠野市指定有形文化財(彫刻)
     阿弥陀如来坐像  昭和58年5月20日指定
 善明寺は天正年間(1573~1592)、遠野南部氏が八戸地方を領していた頃、第19代直栄公が良恵善明和尚に帰依し、文禄元年(1592)南部家守護寺として善明寺を草創したことに始まる。
 第22代直義公の時、八戸から遠野に入部した際直義公に従い、当時無住寺となっていた養安寺(松崎町元松崎地内)に入り、明暦2年(1656)現在地に移った。
 この阿弥陀如来坐像は、善明寺の本尊である。
 像高46.5cm、一木造・彫眼の像で、膝前部材、右肩下から地付きに至る材、右肘から先の材等を矧付けている。頭体部の根幹材のみが当初部材で、近世に大修理が施されている。
 如来の通形にほぼ順じるもので、肉髻を作り、大衣を着けて、腹前で弥陀の定印を結び、結跏趺坐する。
 制作年代は、その様式が概ね平安時代中期頃のものを用いているので、その頃を上限して考えられる。遠野市内に現存する仏像の中でも古いものの一つと考えられる。
 現在地に寺院を建立移転する際に、従来より養安寺にあったものをそのまま移し、本尊として安置したものではないかと推測される。
   遠野市指定有形文化財(彫刻)
     阿弥陀如来坐像  平成2年8月10日指定
 善明寺の持仏堂の本尊として祀られている。
 阿弥陀如来は、念仏を行う者は必ず極楽浄土に往生させる仏として、盛んに信仰された。
 この阿弥陀如来坐像は、像高52.7cm、寄木造・割り首・彫眼の像である。木寄せは根幹材を前後二材とし、その間に後補の補材を挟み込んでいる。
 左は肩から地付まで、右は肩より先を別材とし、膝前部材、右腰の三角材を矧いでいる。如来の通形にほぼ準じる。
 肉髻相を表し、螺髪は切り付け、肉髻珠を付け、白毫を付ける。彫眼で、耳朶は不環。三道を彫出し、大衣を偏袒右肩に着ける。腹前で弥陀の定印を結び、右足を前にして結跏趺坐する。ほぼ当初の姿をとどめているが、彩色はすべて後補である。
 藤原時代の典型的な様式である定朝様式の阿弥陀像で、当地に残る本格的な藤原彫刻として、優れたものである。
 細かい螺髪の彫り出しや、伏し目がちな目の感じ、それに繊細な衣皴槢の彫刻の仕方などは、定朝様式の基本に見事にそったもので、その制作年代は12世紀ころ(平安時代後期)と考えられる。
 県内の定朝様式の作品としては、中尊寺の金色堂の諸像が最も有名で、そのほかに本格的な作品は少なく、貴重な存在である。
         遠野市教育委員会

 山門です

 山門を潜ってすぐ右手に目的のイチイです

 綺麗に刈り込まれて整えられています

 天然記念物標柱です

 北西側から見ました

 本堂です

 では、次へ行きましょう




 2024・10・18・13・25
 
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