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▲大曲の翌日、石巻に行ってきたときのスナップをまとめました。デジブック30日限定公開です。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
大曲の花火の翌日、宮城県の石巻に行ってきた。
先の震災、津波にで大きな被害を受けた町である。長岡花火がフェニックス花火を贈っている町である。昨年石巻で開催されるはずだった「花火サミット」は来年の夏、石巻で開催される予定だ。
行ってきたといっても、鉄路はまだ結構不便である。便利なのは、仙台から30分おきに出ている宮城交通の高速バスだ。予約不要定員制。片道800円、往復なら1,500円になる。
石巻は被災地にしては震災後の情報管理がうまく行っているようで、観光的情報もかなり詳しく更新されている。私のように全くの外からここを訪れる際には非常に役に立つサイトだ→東北に行こう! 石巻
三陸自動車道を下りた石巻の町は全然被災地の顔をしていなかった。
津波は内陸部にまで達してはいないのだから、震度5強ではそんなものだろう。インター近くのイオンではワーナー系のシネコンが夏休みっぽいラインアップを上映していた。
石巻の駅の辺りは市庁舎をはじめ町全部が1階部分まで水没していたそうだが、震災1年以上もたつ今となってはその痕跡を求めるのは難しい。
それでも海沿いは、更地も目立ち、残っている家々の被害は津波の破壊力を想像するのに十分な状況であった。
高台の日和山公園に上る道は、結構急だった。汗をかきかき上ると、視界が開けてくる。
白いUFOのような外観は石ノ森萬画館。トヨタの「RE BORN」CMに登場したところだ。http://youtu.be/OG9Ngj1Ktbw
日和山公園は石巻市街と海側の南浜、門脇地域、旧北上川を挟んで漁港エリアが見渡せる高台にある。遠くは奥松島や牡鹿半島(女川原発がある)まで見える。かつて芭蕉と曽良もこの地と訪れたという。
その高台から見る風景は、緑だった。
津波が町を洗い、さらに火事が残った建物を焼いてほとんど更地となっている。季節がめぐって、そこに雑草がはこびり出した姿、それが今の風景だ。災害の跡地に立つたびに思う、「自然の残酷さ」はここでも平等に残酷であった。
ちょうど、どこかの行政団体が視察に来ていて、一緒に付いてきていたボランティアガイドの話を小耳にはさみながら、その風景を見ていた。
ここにはそういう団体のほかに、家族連れなど個人で訪れる人が意外と多かった。いや、町中もそういう人たちが意外と目に付いた。
石巻でも古くからの市街やこの界隈は比較的復旧作業(復興の前段階)が進んでいるようで、ガイドの人もこの辺りを中心に案内しているようであった。
ちなみに山のあなたの北上川本流近くにある大川小学校ではいまだに4名の児童が行方不明で、毎日親御さんが捜索活動を続けているという。ここには案内できないとガイドが言っていた。
旧北上川のほとりに下りてみる。
更地が目立つが、それはかつて人が住んでいたところであり、日曜だというのに土埃を上げて走る4トントラックが目立っていた。それは中越地震の後の小千谷の風景と被る。
そして、石巻の内陸と海沿いの復興格差はこれから難しい問題を一時発生させるだろう。それはどの災害の被災地も通った道であるから仕方ない。とはいえ、当人たちは生きることに必死だから、なかなか苦しい時期になる。
こんなに頑張っているのに…。もう、頑張るのに疲れた…。
「こころの復興」が必要な時期になる。これは、一斉にブルドーザーを持ってどうにかできることではない。一人ひとりの心の復興には一人ひとりのケアが必要だから。
だからこそ、外側にいる私たちは彼らを忘れてはならないし、応援していかなければならないのだと思う。
JRびゅうでは震災復興応援ツアーを企画している。http://www.jreast.co.jp/tabidoki/tohokuouen/index.html?src=rcmd
東京発のコースもあるので、まずは現地に行って見てはいかがだろうか。美味しいお土産をたくさん持って帰って来れること間違いなしである(私は買いすぎた~)。
▲石巻で見かけた大曲の花火のポスター。実際行った人がいるらしい。
▲石巻の「ビフォー」
▲大曲の翌日、石巻に行ってきたときのスナップをまとめました。デジブック30日限定公開です。
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大曲の花火の翌日、宮城県の石巻に行ってきた。
先の震災、津波にで大きな被害を受けた町である。長岡花火がフェニックス花火を贈っている町である。昨年石巻で開催されるはずだった「花火サミット」は来年の夏、石巻で開催される予定だ。
行ってきたといっても、鉄路はまだ結構不便である。便利なのは、仙台から30分おきに出ている宮城交通の高速バスだ。予約不要定員制。片道800円、往復なら1,500円になる。
石巻は被災地にしては震災後の情報管理がうまく行っているようで、観光的情報もかなり詳しく更新されている。私のように全くの外からここを訪れる際には非常に役に立つサイトだ→東北に行こう! 石巻
三陸自動車道を下りた石巻の町は全然被災地の顔をしていなかった。
津波は内陸部にまで達してはいないのだから、震度5強ではそんなものだろう。インター近くのイオンではワーナー系のシネコンが夏休みっぽいラインアップを上映していた。
石巻の駅の辺りは市庁舎をはじめ町全部が1階部分まで水没していたそうだが、震災1年以上もたつ今となってはその痕跡を求めるのは難しい。
それでも海沿いは、更地も目立ち、残っている家々の被害は津波の破壊力を想像するのに十分な状況であった。
高台の日和山公園に上る道は、結構急だった。汗をかきかき上ると、視界が開けてくる。
白いUFOのような外観は石ノ森萬画館。トヨタの「RE BORN」CMに登場したところだ。http://youtu.be/OG9Ngj1Ktbw
日和山公園は石巻市街と海側の南浜、門脇地域、旧北上川を挟んで漁港エリアが見渡せる高台にある。遠くは奥松島や牡鹿半島(女川原発がある)まで見える。かつて芭蕉と曽良もこの地と訪れたという。
その高台から見る風景は、緑だった。
津波が町を洗い、さらに火事が残った建物を焼いてほとんど更地となっている。季節がめぐって、そこに雑草がはこびり出した姿、それが今の風景だ。災害の跡地に立つたびに思う、「自然の残酷さ」はここでも平等に残酷であった。
ちょうど、どこかの行政団体が視察に来ていて、一緒に付いてきていたボランティアガイドの話を小耳にはさみながら、その風景を見ていた。
ここにはそういう団体のほかに、家族連れなど個人で訪れる人が意外と多かった。いや、町中もそういう人たちが意外と目に付いた。
石巻でも古くからの市街やこの界隈は比較的復旧作業(復興の前段階)が進んでいるようで、ガイドの人もこの辺りを中心に案内しているようであった。
ちなみに山のあなたの北上川本流近くにある大川小学校ではいまだに4名の児童が行方不明で、毎日親御さんが捜索活動を続けているという。ここには案内できないとガイドが言っていた。
旧北上川のほとりに下りてみる。
更地が目立つが、それはかつて人が住んでいたところであり、日曜だというのに土埃を上げて走る4トントラックが目立っていた。それは中越地震の後の小千谷の風景と被る。
そして、石巻の内陸と海沿いの復興格差はこれから難しい問題を一時発生させるだろう。それはどの災害の被災地も通った道であるから仕方ない。とはいえ、当人たちは生きることに必死だから、なかなか苦しい時期になる。
こんなに頑張っているのに…。もう、頑張るのに疲れた…。
「こころの復興」が必要な時期になる。これは、一斉にブルドーザーを持ってどうにかできることではない。一人ひとりの心の復興には一人ひとりのケアが必要だから。
だからこそ、外側にいる私たちは彼らを忘れてはならないし、応援していかなければならないのだと思う。
JRびゅうでは震災復興応援ツアーを企画している。http://www.jreast.co.jp/tabidoki/tohokuouen/index.html?src=rcmd
東京発のコースもあるので、まずは現地に行って見てはいかがだろうか。美味しいお土産をたくさん持って帰って来れること間違いなしである(私は買いすぎた~)。
▲石巻で見かけた大曲の花火のポスター。実際行った人がいるらしい。
▲石巻の「ビフォー」