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21世紀初京都と40年ぶりの花火

2020-08-25 17:01:00 | 花火

▲ホテルの部屋からの眺め。この範囲内に花火が上がると思っていたこともありました…。山の中のライトの光は、京都タワーなどを絡めて撮っていた方でしょうか…。

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 西国観音霊場巡りは、近畿地方を中心とする33の寺をめぐるものである。ここ数年は草創1300年ということで、オリジナル朱印や、散華などの特別なものも授与されていた。この期日が今年の年末までとなっていた。ということで遅まきながら、奈良の寺巡りを始めたのが1月のこと。ええ、あの骨折の出来事である。
 骨折の翌々日は京都のお寺をめぐる予定だったが、あまりの足の痛さで断念(当たり前だよ、骨折していたんだよ)。あれで、3月まで入院し、さらに6月の抜釘手術でまた入院。そして世間はコロナでいっぱいになっていた…。とても遠出できる状況ではない。
 が、そろそろ回らねば年末までにコンプリート(結願)出来ない!
 
 そんな時、嵐山で花火が上がるという話を耳にし、会社も仕事がなくて開店休業状態であったため、いざ京都ということになった。
 京都、乗り換えに使ったことはあったけれど、観光で来たのは考えてみれば21世紀初なのでは!? あれ?観光バスで母と廻ったのはいつのことだったかな…。


 初日は、京都南部の寺へ。


▲第10番 三室戸寺 午後の到着だったので蓮の花は散ってしまっていたが、道沿いの百合の花にもてなされた。春の桜やアジサイの時期も美しく彩られるんだろうなぁ…。



▲第11番 醍醐寺 本来の札所は山の中の上醍醐にあるのだが、そこに行くには時間も足も足りなかったので、お気軽に下の三宝院でご朱印を頂戴する(写真の弁天堂手前の観音堂でのご朱印も現状は三方院でということだった)。

 この日は、ここで終了。宿を取った嵐山に向かう。
 山陰本線に乗って出発寸前にゴロゴロと雷音。京都駅付近は雨が降り出していたが、電車はいったん雨雲を抜けて西へ向かう。が、嵐山嵯峨野駅辺りで、ついに追いつかれる。
 ちょっと距離はあるが、駅から宿まで歩こうと思っていたのだが、この激しい雨では無理と判断。タクシー会社に電話する。すると、今出払っていていけませーんという返事。

 Σ(゚д゚lll)ガーン

 雨が止むまで待つか…、と思ったら、個人タクシーがやってきた。雨が降って駅で人が待っているだろうという嗅覚が素晴らしい! 天龍寺前を通過し、渡月橋を渡って、ホテル前につけてもらう。
 今回のホテルは、エレベーターの無いホテル。多分、この土曜日に自分含め3名しか泊まっていなかったと思われる(翌朝の朝食の膳で判断)。

 窓からは、渡月橋がよく見えた。


▲この日はこのイベントが開催されており、雨が降る前はいろいろやっていたらしいが、雨でいったん中断していた。が、雨が上がると子供たちの太鼓の演奏などが始まっていた。花火の告知はないが、ポスターの空には花火が描かれている。そして、数週間前に花火が上がるツイートがあった。


 部屋の窓、二重なのは、真下を大堰川(桂川と別れた水路)が流れており、その川音が結構賑やかなためと思われる。国道と鉄道に挟まれた地で育ったおれには何の問題もないのだが…。
 そして、小さなベランダはついているのだが、腰高窓のために外に出ることができない。床のレベルも違うため、せっかく持ってきた三脚もうまく展開できないことが分かった。まぁ、仕方ないさ。撮れたら撮ろうの姿勢だったから。

 ということで、8時まで食事をしたり(六盛の弁当旨かった)、翌日の寺巡りルートを考えたりしながら、時を待つ。

 

 いざ花火が始まると。レンズを向けていた方向とは全然別の90度の方向から打ちあがった(+_+) お知らせ雷の10秒後が本番だから、あわてて三脚を狭いベランダに出し、勘だけでカメラの方向を定め、勘だけでズーム調整。
 そんな状況でも以下の花火が撮れたのだから、この状況をほめてほしいW


▲人の話によると、約40年ぶりの嵐山の花火だったらしい








▲ひっくり返っているけれど、型物もあったよ










▲屋根はお隣の民家です(空き家かもしれないが)

 わずか3分ほどの花火は無事終わった。

 高級旅館の正面で小倉山をライトアップしている辺りかと思っていたのだよ。まさか下流とは…。まぁ、木をふんだんに使っている周辺だとリスクがあったからだよな。

 ホテル(もちろんバストイレ付きだが)が提携している入浴施設がすぐそばにあるので、そちらに行ってみる。すると、その施設近くで花火関係者が後始末をしているところだった。何故、ここまで下見に来なかったんだ、自分!
 広いお風呂で足の疲れをもみもみし、ホテルに戻ってビールプパァ!してからおやすみなさい。


 翌朝、ご飯を食べて出発。渡月橋を渡り、まだ店の開いていない嵯峨野の通りを経て昨日のJRの駅へ。京都駅で大荷物をコインロッカーに突っ込み、バスに乗って市中寺巡りへ。


▲第16番 清水寺
 清水寺へ向かう五条坂を歩いている時からはっきりわかったが、圧倒的に人出がない。京都の観光客半減レベルではない感じだ。それでも修学旅行生はいるけれど、外国人観光客はほとんど見かけなかった。
 清水寺は、現在舞台下の木組みの改修中で、ある意味めったに見られない姿になっている。こういう数百年ぶりの改修作業で日本の大工の技術などが引き継がれていき、このために寄付や我々の微々たるさい銭や御朱印料が使われるのだなと思うと、寺参りもたまにはしようぜと思う。
 奥の院下の音羽の滝は、コロナ禍では飲むことが禁じられていた(柄杓を回して使うからね)。なお、ここには紫外線で柄杓を消毒する無料設備があるのだが、それを使っても人による密は消毒できないからだと思われる。

 第17番は六波羅蜜寺。ここは空也上人像(口から仏様がぞろぞろ出てくるアレ)が目当て過ぎて、写真を撮っていないW。ちょうど墓参りの家族がいて、お坊様のお経をライブで拝聴できたのはラッキー。

 16~17番は近いから歩くは割とありだが、この後の18番・19番は結構離れている。が、複雑なバスに乗るのも面倒だなと思った自分は何を思ったが、灼熱の太陽の下、歩いていくことにした(確か所要時間30分と出ていたような…)。
 昼時で、腹ペコモードの時にうまいラーメン屋「猪一」に(本当に行き当たりばったりで)たどり着いたのは功徳であろうW ミシュランのビブグルマン獲得店らしい。京都のラーメン偏差値高いな。


▲猪一の冷やしぶっかけそば。冷たくてつぃんこつぃんこする細麺で、美味しかった。凍ったおしぼり(暑い中歩いて到着したから汗だく)いただいて、生き返りました※料理のみ写真OK


 ここで息を吹き返したので、北上して18番に到着。


▲第18番 六角堂 頂法寺。華道家元・池坊ゆかりのお寺

 さらに寺町通を経由して19番へ。本能寺跡も通ったよ。市役所脇の通り、すごく自分のアンテナに引っかかる店が多く、何度も立ち止まって見入ってしまっていた。



▲第19番 革堂 行願寺。ここも街中の小さなお寺である。

 これで、京都市中心部の札所巡りは終了。今回は写経する時間がなかったので、一応全部読経で対応した。まだ人に聞こえる声量で読む自信はないので、めっちゃ小声でお経本を読んでいる。


 おけいはんの乗り場が割と近くにあるようで、そこから東福寺駅へ。秋ならば大混雑の駅であろうが、この時期はグリーンシーズンなので、ガラガラ。なお、行先は東福寺ではない。昨日、京都市南部で行き損ねていたお寺参りである。
 
 東大路通りを渡ると道の名前が泉涌寺道に変わった。そっか、泉涌寺もこの先にあるのかぁとボーっと考えつつ、緩やかな坂を歩く。そしてたどり着いたのは泉涌寺の門。え?泉涌寺!? あれ?観音寺への道はどこで分岐したの⁉ と小パニックになっている時、門内に「ここから150M」の表記を見つけた。
 あぁ、そうなの!? この札所って泉涌寺の境内にあるんだ!!
 緑濃い木陰の坂道をそこからさらに上ると、左手に下る坂道が出てきて、そこが札所の入り口であった。 


▲第15番 今熊野観音寺。泉涌寺(皇室の寺)の境内にあるなんて知らなかったよ。



 本日の予定はこれで終了。あとは帰るだけだなぁと境内で大休止。
 閉鎖されている休憩所の前のベンチで涼む。そしてその休憩所に張ってあった張り紙を見た。そこには「西国33所草創1300年記念事業期間延長のお知らせ」と書かれていた。

 ええ!!
 なんだよ、今年いっぱいじゃなくて延長したのか!! 1年だけじゃなく2年ちょっとという辺り、このコロナ禍がすぐに終わるものではないという、冷静な判断がうかがわれた。
 まだ京都も日本海側の寺などいくつか残しており、大阪、和歌山、兵庫、滋賀、岐阜の寺もあるので、さすがに今年いっぱいは難しいと思っていたんだよね。それが2年もあれば何とか巡れるかもしれないという希望が見えてきた(某配信花火の時に兵庫めぐるつもりだったんだよね…)。
 ということで、この方面の花火情報、どんどんください!! 花火を出汁にお寺参りしてくるから!!


 家の戻る新幹線は19時台なので、今一度東山に戻った。


▲八坂の塔へ行ってみた。ここも本当に人出が少なく、道沿いの店は早々に店じまいしているところだった


 行きも帰りもぷらっとこだまでのんびりと。グリーン車は寝心地いいでっせ(通常料金より安いし)。